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イベリス復活編

フローラリア

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 フローラリアの海域に入って三人が驚いたのはその暑さ。カラッとしてはいるが、驚くほど暑い。そこに立っているだけで汗が流れる猛暑。極寒地で育ったウォルフにとってここは地獄に等しい。
 獣化したら死んでしまうと絶対の確信を得ながら汗を流し続けている。

「イベリス様、暑くないで……」

 極寒も猛暑も慣れていないイベリスが心配だと顔を向けるもイベリスは汗一つかいていない。イベリスの周りには薄い氷が張られており、サーシャによって温度管理が行われている。
マシロにも同じ待遇。

「俺にもしろよ……」
「魔力は無限じゃないから」
「もう一人増えるぐらいなんでもないだろ!」
「はいはい」
「ギャアッ!」

 首から下が凍りついたことで声を上げるウォルフにフンッと鼻を鳴らす。

「サーシャ、意地悪しないであげて。ウォルフもちゃんと頼まなきゃダメよ」
「してくれって頼みましたよ。それなのにコイツが意地悪するんです」
「しろよって言ったでしょ。アンタ、店に行って買い物するとき「これくれよ」って言うの? 感じ悪っ」

 二人の言い合いが始まる前にイベリスが手を叩いて二人の視線を集める。

「午後にはフローラリアに着くでしょ? その前に一つ、約束してほしいことがあるの」

 イベリスからの約束事に二人は無言で頷く。

「これからはお互いのことを名前で呼ぶこと」

 ゲッと同時に声を漏らした二人に小指を差し出す。約束させなければ二人は平気で破りかねない。コイツが悪いだなんだと互いを罵り合って大喧嘩になる前に約束しておかなければならない。

「ちなみに、お前とかアンタって言ったら罰があります」
「罰?」
「一回破ったらその場で一分間のハグをしてもらいます」

 オエッと吐き出す真似をする姿にこういうときだけ気が合うと苦笑するも二人は反論しなかった。イベリスのために仲良くしなければと心がけてはいるが、やはり互いにどうも好き合えない。相手がいたから今のイベリスがいると互いに分かっていても、自分たちが仲良くするのは別らしく、今も嫌悪たっぷりに睨み合っている。

「ちなみに二回破ったら一時間、手を繋いでもらいます」
「イベリス様と?」
「破ったもの同士で」

 手が腐る。二人の頭には同時にその言葉が浮かんだ。

「楽しく過ごそうよ。フローラリアに着いても二人が言い合いしてるの見たくないし、楽しくない。ウォルフはサーシャの同行を許可したんだし、サーシャは同行するって決めたんだから仲良くするの。ね? 約束して?」

 催促される小指を渋々ながらに同時に絡めると嬉しそうに笑うイベリスを見て仕方ないと諦めるしかない。
 エメラルドグリーンの海が広がり、その上をスイスイ進んでいく船はもうすぐフローラリアに到着する。それまで二人は罰でハグしなくていいようにイベリスとしか話さなかった。

「気をつけて降りるんだよ」
「ありがとう」

 かけられた言葉がわかり、それにすぐ返事ができるのは何度経験しても変わらない喜びがある。声をかけられても目が合っていなければ分からないため大体の人間が無視をされたと思う。その申し訳なさがイベリスを人から遠ざけていた。でも今はどこに行っても誰とでも話せる。それが嬉しくてたまらない。
 船から桟橋へと降りてビーチまで歩く。見渡す限り広がる美しさに目を輝かせるもすぐに首を傾げた。

「どうしたのかしら?」

 誰に聞いてもフローラリアは美しい島だと言った。それに間違いはない。感動するほど美しい景色が広がっている。白い砂浜、エメラルドグリーンの海、瑞々しく美しい花々、青々とした木々。
 船を降りる前から輝いていた景色の中に降り立ったイベリスが首を傾げたのは人々の表情のせい。それに、近くで見ると花や木も少し弱っているように見える。
 フローラリアが美しい島と評される理由は景色だけでなく、住民たちの笑顔もあって、と聞いていた。船でやってくる観光客とは違って生地の面積の少ない服を着ているのが原住民だろう彼らの表情にあるのは明らかに茹だる暑さにやられた苦痛。完全に笑顔がないわけではない。しかし、疲れきっているように見えるのだ。この景色を輝かせるだけの笑顔が彼らにはなかった。

「この暑さですからね。現地の人間は辛いと思いますよ」

 滝の汗を流しているウォルフは暑さに慣れていないため船の中で既にバテていた。そこに十二歳ぐらいの少年が寄ってきてチョンチョンとウォルフの手を叩く。

「ん? どうした?」
「これいる?」

 傘になりそうな大きな葉っぱを差し出してきた少年から受け取ろうとしたウォルフの手をサーシャが掴む。

「なんだよ」
「お金取られるわよ」
「あ、そうなの? 売り物?」
「そうだよ」
「いくら?」
「二百だけど、百五十でいいよ」

 葉っぱに出す値段ではないが、南国気分を味わえていいだろうと財布を取り出そうとするウォルフの手を凍らせて動かせないようにした。冷たくて気持ちいいと思ったのは数秒で、感覚麻痺が起こるほどの冷たさに眉を寄せる。

「あなたたちにも生活があるでしょうから多めに見て七十」

 交渉に入ったサーシャに少年が呆れたように笑う。

「おいおい、おばさん。それで交渉してるつもりかよ」
「おばさん……」 

 吹き出して笑うのを堪えているウォルフにイベリスが怒った顔を見せるだけで表情が真面目なものに変わる。

「だってそれ、そこに生えてる葉っぱでしょ」
「そうだよ?」
「元手はタダよね?」
「だから?」
「タダで仕入れた物に百五十の値をつけて売りつけるなんて商売じゃない」
「嫌なら買わなきゃいいだけだろ。それに、そこに生えてるとしてもアンタら観光客はこれを自由に取ることはできない」
「それなら傘買うわよ」
「傘は人を仰げない。傘買って、扇子買ってのほうが高くつくんじゃね?」

 これだけ大きな葉っぱであれば日除けにもなり扇にもなる。必要なくなったらビーチでシート代わりにでもすればいい。少年が言うように傘も扇子も買えば百五十では済まないし、荷物になる。
 苛立ちを隠して迷っているサーシャの前でウォルフが少年にお金を渡した。

「まいどあり」
「ちょっと」
「別にいいじゃねぇか。この子たちはこうやって生計を立ててる。小遣い稼ぎでも働いてるのは間違いない。旅行に来て現実主義に生きるなんて楽しくないだろ」
「必要のないお金を使いたくないだけ」
「俺は頑張ってる少年のために使いたくなったから払う。それだけだ」

 少年たちもウォルフ同様に大量の汗を流している。一番日が高くなっている時間に売ってしまうつもりなのか大量に確保している葉っぱを日傘代わりにしながらも垂れてくる汗を何度も腕で拭っている。
 フローラリア行きの船の中で現地に詳しい旅人から色々と話は聞いた。親が性病にかかって早くに天涯孤独になる子供も多い。皆で助け合って生きているといえど厳しい面もあると。彼らもきっと天涯孤独の子供だろうとウォルフは思って金を支払うことにした。サーシャもわかってはいたが、観光客だからと吹っ掛けられるのがどうにも気に入らなかった。

「おにーさんは賢いね」
「まあな」
「じゃ、フローラリアを楽しんでよ」

 笑顔で手を上げて去っていく少年に手を上げ返すとすぐにイベリスの頭上にさすもイベリスは必要ないと拒否した。

「清潔ですよ?」
「必要なのはこっち」

 瑞々しい葉っぱだと見せるもイベリスはウォルフの腕を押して自分に差すように告げる。
 ウォルフがちゃんと頼まなかったためサーシャもお情けなしで氷を与えなかった。イベリスも甘やかしてやれとは言わず、誰よりも汗をかいているウォルフを心配していた。
 サーシャも溶けそうに暑いとは言っていたが、すぐに補強できるため不自由していない。この暑さの被害者はウォルフだけ。

「とりあえず先にホテルへ行きませんか?」
「そうね」

 荷物も置かなければならないからとホテルへ向かおうと歩き出した三人のもとに少年が戻ってきた。

「荷物運ぼうか?」

 金づるを見つけたと言わんばかりの笑顔にウォルフが笑う。こういう逞しい子供がウォルフは大好きだった。親がいないからと泣いて暮らすのではなく自分の力だけでも生きていくと前を向く子供が。

「重いぞ」

 背負っていたサーシャの荷物を真っ先に渡そうとするもそれを受け取ったのは子供ではなく大人。

「おい!!」

 子供が怒鳴るも男は素知らぬ顔で荷物を背負う。

「俺が先だぞ! 横入りすんじゃねぇ!!」
「ジョイ、この荷物を運びたきゃ早く大人になるんだな。ヒョロっちいお前じゃムリだ」

 無精髭を生やした大柄の男が意地悪く笑ってジョイの肩を押し、大人の力に敵うはずもなく、その強さにフラつき、砂の上で尻餅をついた。

「何すんだよ!!」
「ほらな。この程度で転んじまうんじゃあ、お前に荷物持ちなんざできるわけねぇだろ」
「関係ねぇだろ! 俺が先に声かけたんだ! お前はどっか他で見つけろよ!」
「黙れクソガキ! 俺が受け取ったんだから荷物運ぶのは俺──あ?」

 男の背中からヒョイっと荷物を取り上げたウォルフが少年の前にそれをぶら下げる。

「すげぇ重いけどホテルまで運べるか?」

 嬉しそうに笑って立ち上がり、手についた砂をズボンで払って丸太を運ぶように両腕でしっかりと抱えて歩き始めた。まだ頼りないその細さも、数年後には見違えるほど逞しくなっているはず。親もきっとそう思っていたのだろうと豪快な自分の母親が持ったであろう感情の湧き上がりを感じていた。

「ホテルは?」
「ミーゲッティアホテル」
「街一番のホテルじゃん! おにーさんたちやっぱ金持ちなんだな!」
「まあな」

 サーシャに先に行けと目配せしてイベリスを任せたあと、ウォルフは横入りした男と向き合った。

「な、なんだよ。ここじゃあ別にこういうのは珍しくないんだぜ!」

 二メートルを超える長身を見上げながら若干の怯えを見せて吠える男に顔を近付ける。

「だとしても不愉快だ。アンタは大人だろ」
「だからなんだよ! 大人は子供のために全部我慢しなきゃいけないのか!? 俺たちにも生活がある!」
「俺たちの荷物を持つって話はあの子が先だったろ」
「子供だから優先しろってか!?」
「俺が言ってるのは、先に声をかけたもんが仕事を得られるのは世界中で当然のルールだろ。アンタは大人のくせにそんなこともわからねぇのか? 子供から仕事奪って恥ずかしくねぇのかよ。大人だから我慢しなきゃいけないのかとか、子供だから優先されるのかとか、そんな喚き方するアンタ見てるこっちが恥ずかしくなる。生活がかかってんのはあの子供も同じだろ」

 フローラリアの事情はミュゲットに聞いた程度しか知らない。ミュゲットもあまり自由に外を出歩けるわけではなかったため経済事情や国の仕組みがどうなっていたかまでは把握していなかった。良い人ばかりだと言ってはいたが、あくまでも王女であったミュゲットの感想であって、実際はこれが実情なのかもしれない。ミュゲットが知らなかったフローラリアの一面。

「うるせぇんだよ! 観光客が地元民にデカい顔すんじゃねぇ!」

 吐き捨てるようにして去っていく男に呆れて肩を竦めるも悪態を吐いてガキ大将のようにそこらの人間に道を開けさせる様子を眺めている暇はなく、急いでイベリスたちを追いかける。

「大丈夫だった?」
「もちろんです。俺も向こうも傷ひとつありませんよ。喧嘩はしてないですから」

 追いついたウォルフの言葉にイベリスに笑顔を見せる。以前なら誰かが喧嘩して汚い言葉を吐いてもイベリスが拾うことはなかったが、今は全部聞こえてしまう。聞こえるようになったことで以前よりもずっと不安が大きくなっただろうイベリスにはあまり心配はかけたくないが、あれは見過ごせなかった。

「これがフローラリアなんだよ、おにーさん」

 その言葉に三人の視線がジョイに集中する。
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