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イベリス復活編

リングデール家

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 案内されたのはイベリスの部屋。犬のぬいぐるみが多く、窓際には猫がいた。

「チャーム、イベリスが帰ってきたよ。迎えに行っておあげ」

 ニャアと鳴いて部屋を出ていった猫を視線で見送るとアーマンが窓際に置いてある机に軽く腰掛けた。

「ロベリア皇妃が復活したらしいね」
「……はい……」

 軽いジャブもなくストレートを切り込んできたアーマンの冷静さに驚きながらも頷く。
 ロベリアが蘇生したこととイベリスが帰ってきたことを無関係だとは思っていない。ということは、やはり全ての記憶があるということ。何一つ記憶の誤魔化しはなく、自分たちと同じ状態の記憶が彼の中に存在している。
 ウォルフは少し緊張していた。

「白狼ということは、君はグラキエスの人間だね?」
「はい」
「そうか。イベリスは君が来てくれたことをとても喜んだだろう」

 机の上に置いてある犬のぬいぐるみを優しく撫でるアーマンの目にはどこか負の感情が滲んでいるように見えた。

「イベリスは幼い頃からずっと、犬を飼いたがっていた。でも、私たちは重度の犬アレルギーでね……あの子に飼わせてやることができなかった。結婚したら飼うからいいと言ってくれるようになったが……近所の人が散歩している犬を羨ましそうに見ている姿を見るとやはり申し訳なくてね。こうして慰め程度に犬のぬいぐるみを買い与えるしかできなかった」
「犬を飼うのは夢だったと言っていました」

 マシロを我が子のように可愛がって毎日一緒に過ごしているイベリスを見ていると、犬にどれほどの思いがあったのかよくわかる。だからマシロも目一杯の愛情を向けてくれるイベリスを慕い、常に傍にいる。

「リンウッドと結婚したら、と言っていたが……私たちは反対だったんだよ」
「そうなんですか?」

 イベリスでさえ初耳だろう発言に驚くとアーマンが神妙な顔で頷く。

「彼はいつも不安定だった。自分に自信がなくて焦っていたせいだろう。彼がとても優しい人間だったことは誰が否定しようとも私たちが証明する。それほどに彼はイベリスを心から想い、優しく接してくれた」
「でも、結婚には反対だった……?」
「どれほど優しかろうと精神的に不安定な男に娘を任せようとは思う親はいないだろう。誰よりもイベリスの傍にいて、誰よりも支えてくれていたのは彼だが、そんな彼がイベリスの悩みでもあった」

 今、初めて恋愛をしているウォルフにとって愛していることであんな、精神的に異常をきたすレベルまで落ちてしまう心境は理解できない。おかしくなってしまうからと離れたのは理解できても、最後はイベリスを自分の手元に戻そうとした。彼は、愛している相手の言葉さえ冷静に受け止められないほどにおかしくなってしまっていた。

「イベリスと接することで彼は変わった。婚約関係を結んでから彼のマイナス面が加速し始めてね……私たちも少し心配していたんだ。だから、リンウッドから婚約解消を言い出したと聞いたときは……安堵したよ」

 娘には口が裂けても言えないことだろうその親心は親になったことがないウォルフにも理解できた。
 誰よりも幸せになってほしいと願う親が認めるような相手を娘が自分で選んで連れてくるというのは難しい。だから親が決める。でも二人はそうしなかった。イベリスが選んだ相手だからと迷いはあれど背中を押した。

「イベリス様がお戻りになられたことについてはどう思われているのですか?」
「んー……難しいな。嬉しい、というのはおかしいかな」

 ハハッと苦笑ながらに声をこぼすアーマンの表情は複雑で、腕組みをしながら目を閉じて天井を仰ぐ。

「親にとって不安ある結婚だったんだよ。テロスの皇帝が愛妻家だったことは知っていたし、妻を早くに亡くしたことも知っていた。新聞に大きく掲載された写真を見たときは妻と驚いたものだ。だが、別大陸の帝国の長がまさかこんな小さな国の伯爵令嬢を見つけるとは思わないじゃないか」
「でも見つかった」
「なんて運命だと思ったよ」

 苦笑は薄まり、感情が消えかけている顔が目を開け、息を吐き出す。

「イベリス様はロベリア妃をご存じなかった」
「見せていなかったからね。余計な好奇心を持たれても困ると思って……。だけど、見せておくべきだったと後悔したよ。そしたら娘ももっと警戒心を持ったかもしれなかったのに……私たちのミスだ」
「疑っていたんですか?」

 希望ある結婚生活とは程遠いものだった。簡単に様子を見に行ける場所ではないから。毎日手紙のやり取りができる距離ではないから親として不安だっただろう。後悔しただろう。だが、目の当たりにしなかったからこそ心配だけで済んだ。

「貴族の世界は騙し合いでね。疑り深く、慎重なのが貴族だ。人を見る目の有無というよりは常に疑心と警戒心を持って他者と接する」
「じゃあどうして結婚させたんですか?」
「イベリスがそう決めたからだ」

 ウォルフが首を傾げる。
 イベリスが世間知らずのお嬢様であることはウォルフもよく知っている。親なら尚更だ。それなのに右も左もわからない場所に送り出した決断に疑問を感じた。

「散々話し合った。私たちの思いも伝えた。彼と結婚する危険性もね。だけど、イベリスは結婚に希望を見出していた。泣く未来があるかもしれない。でも、笑う未来だってあるかもしれないと言って。私だって妻と喧嘩する。イベリスが聞こえないのをいいことに大声で罵り合うことも少なくはない。それでも妻を愛しているし、死ぬまで彼女と夫婦でいると誓っている。私たちのそんな姿を見てきているから、最悪の状況だって最高になりうるかもしれないという希望をあの子は持っていたんだ」

 ウォルフは複雑だった。未来のことなど誰にもわからない。可能性で止めていいものかと彼らは迷っただろう。それでも娘が自らの意思で結婚すると決めたのだから見送ると決めた。何かあればすぐに迎えに行くと決めて。だが、その何か、が大きすぎた。

「私たちが心配していた以上のことが起こっていたんだろう?」

 イベリスは手紙には記していなかったはず。何故見てきたかのような言い方ができるんだと驚くウォルフにアーマンが微笑む。

「はい……」
「でもイベリスには君たちがいた。手紙に綴られる君たちとの生活は目に浮かぶようだった。イベリスがどれほど幸せな時間を過ごしているのかもね。君たちがいなければあの子は幸せではいられなかっただろう」
「彼女の侍女のおかげです。私は何も」

 その言葉にゆっくりかぶりを振る。

「君たちの名前は陛下の名前よりずっと多く書かれていたよ」
「そう、なんですか?」
「ああ。陛下の名前なんて数えるほどしか書かれていなかった。それも文句のときばかり」

 なんと言っていいのかわからないのだろう。困った顔をして笑うアーマンにウォルフは意外だという顔を見せた。彼の予想ではもっと怒りや悲しみを滲ませるか、娘を送り出してしまった後悔に身体を震わせるのを想像していただけに彼の冷静さには驚きを隠せない。

「あの……一つ、聞いてもいいですか?」
「どうぞ」
「どこまで、ご存じなのですか?」

 間髪入れずに即答する。

「全部だよ」

 その声があまりにも真剣だったから、ウォルフは一瞬、呼吸を止めた。
 どういう意味か聞けばいい。だが、言葉が出てこない。彼が言う“全部”はどこまでのことを言っているのだろう。イベリスは辛い出来事についての詳細は書いていなかったはずなのに何故知っている?
 彼はパーティーで会った日のことを覚えている。娘が戻ってきたことに疑問を感じず、ファーディナンドを探すこともしなかった。
 イベリスは手紙に【帰ったら話したいことがあるの】と書いただけでそれが何かまでは書かなかったのに。

「少し前に魔女がここに現れたんだ」
「魔女が……?」
「無責任な親のせいで愛しい我が子が死ぬのはどういう気分だと言ってきた。わけがわからなかったよ。戸惑う私たちに彼女はイベリスに何があったか見せてくれたんだ。そしてこう言った」
 
 悪趣味だと思ったが、魔女は遊び半分でイベリスの実家を訪れたわけではない。腹が立っていたのだ。ファーディナンドにも、彼らにも。

『信じるという言葉は素晴らしく都合が良いもので、親が使った“信じて送り出す”は“無責任に放り出す”でしかなかった。守るだけ守って親としての責任を果たしてると慢心し、不安も心配もあったくせに大丈夫だろうとありもしない保証を信じて娘を放した。結果、娘は死ぬことになった。遠くに嫁いだ可愛い娘。パパとママは遠くであなたの幸せをいつも願っているからね。今にも崩れ落ちそうな魂を必死に奮い立たせて歩いてる娘にその言葉を聞かせたら一瞬で崩れ落ちて地の底まで行くでしょうね、と』

 魔力を持たない家系であるため突然目の前に魔女が現れたことだけでも驚きだったのに、頭の中に映像として娘の人生が流れてきて混乱に陥った。悲鳴を上げ、泣き叫ぶ妻を抱きしめながら、ただただ困惑に呆然としていたが魔女は落ち着くのを待たなかった。言ってやらねば気が済まないと思っての行動のように言いたい放題言って『愛がどんなにくだらないものかを教えなかったあなたたちにも責任はある』と吐き捨てて消えた。

「あの魔女らしいというか……」
「娘が生きていることを信じてくれてありがとう」

 どこまで見たんだと驚くもすぐに笑顔に変わる。

「諦めが悪いだけなんです。白狼なんで」
「白狼は粘り強いんだよ。とても賢く、仲間思いで、忠誠心が高い。君はまさにそれらを体現している」

 机から離れたアーマンが深く頭を下げた。
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