117 / 190
契約執行4
しおりを挟む
ゆっくりと目を開けてその光景から目を逸らすようにファーディナンドのほうを向いた魔女がロベリアに命令する。
「ロベリア、戻りなさい。勝手に行動しないで」
「はあい」
水晶玉の中へと戻っていったロベリアが消えるとファーディナンドの顔がこちらを向いた。
「愛しの妻に会えた気分はどう? 恋しくて恋しくてたまらなかった妻よ」
「……あの頃を、思い出した」
「よかった。じゃあ──」
「だが、俺の妻はイベリスだ」
「あら、意外と意思が強いのね。もっと揺らぐかと思ってたのに」
肩を竦めてもう一度ティーカップの元へと戻った魔女がまたそこで腰掛ける。
「言語表示の魔法は複雑で、声なき者の言葉は表示できないと魔法士は言っていた……」
「複雑なんて言葉は言い訳に過ぎない。ま、テロスなんかにいる下級魔法士が使うには便利な言葉でしょうけど」
イベリスへの好意を自覚したあと、ファーディナンドは魔法士の塔を訪ねてイベリスにも言語表示の魔法をかけてくれるよう頼んだのだが、、複雑だから対象者を増やすことはできないと言われた。一方に表示するだけならできるが、両方は難しいと。だが、今、ここにいる全員がイベリスの言葉が文字として見えている。
「魔法は使用する者の魔力と知識で大きな差が出る。不可能を可能にする。それが魔法よ。魔力量、知識、想像力。大事なのはそれだけ」
それだけ、がどれほど大事か。魔力量を持っていたとしても知識がなければ意味がない。知識があったとて想像力がなければ成功率は低い。この魔女にはその全てが備わっているのだ。森を作り、魔獣を生み出し、決して壊れない結界を張れる。そして今、誰もが望んでいたイベリスの言葉を魔女だけが表示させられた。
「イベリス、様……」
立ち上がろうとするイベリスをウォルフが腕を掴んで引き留める。胸ポケットに入れていたハンカチを取り出してイベリスの顔を拭くとまたイベリスが涙を流す。でも笑顔になった。
胸がじんわり熱くなるのはその優しさを受けるのがこれで最後だから。涙は湧き上がる泉のように枯れ果てることはなく零れ溢れる。
「ありがとう、ウォルフ」
そっとウォルフの手を押し離して立ち上がったイベリスが魔女に寄っていく。
〈私は……〉
「イベリスやめろ」
ファーディナンドを見るもイベリスは言葉を続ける。
〈私は、もうずっと、覚悟が決まってたから……」
「イベリス!」
「いいの? ロベリアはたった二十三年しか生きてないって勝手に喚いてるけど、あなたはたった十六年よ? ロベリアみたいな強欲な女に身体を明け渡したらパパとママが悲しむんじゃない?」
魔女の言葉に苦笑をこぼしながら頷く。
〈……かもしれない。だけど……〉
「だけど?」
〈なんでだろ……わかんないけど……〉
震えて閉じそうになる唇をムリヤリ開いて言葉を紡ぐ。
〈わかんないけど……疲れちゃったのかもしれない……〉
その言葉にファーディナンドとウォルフが強く目を瞑る。
イベリスはいつも明るく、元気だ。トレードマークと言っても過言ではないほどに疲れ知らず。明るく元気。それとは裏腹にとても脆くもある。だからこそ、その言葉がとても重く聞こえた。
「彼といることに?」
〈……たぶん、自分の優柔不断さに。明け渡してもいいって思った次の日にはやっぱり明け渡したくないって思ってる。でもまた次の日には明け渡そうって思うの。その繰り返し。サーシャやウォルフともっと一緒に過ごしたいし、マシロをもっと撫でていたいし、抱きしめてその可愛い姿をずっと眺めていたい。サーシャとウォルフが喧嘩してるのを見るのはうんざりだって思う日もあったけど、やっぱり二人らしいって思うから見ていたくもあるの。それに……何をやっても空回りするファーディナンドを、もっと見ていたいって気持ちもある〉
「でも?」
魔女の促しにイベリスが笑う。
〈この瞬間も、明け渡していいって思う気持ちがあるの〉
「じゃあその涙の意味は?」
止まらない涙を拭うこともせず、ファーディナンドを見つめるイベリスに寄ろうとする彼の身体を魔女が固定する。
〈……後悔、だと思う。誰にも本気でぶつからなかったこと。ここから逃げ出さなかったこと。彼らに助けを求めなかったこと。全てを受け入れてしまったこと。両親に嘘をつき続けたこと……〉
止まらない涙に唇を震わせながら必死に言葉を紡ぐイベリスのもとへサーシャが駆け寄ろうとするのをウォルフが止める。何をするんだと睨みつけるもその表情を見て唇を噛んだ。思いはウォルフも同じだ。ここで駆け寄って彼女の言葉を止めるわけにはいかない。悔しいのだ。サーシャを止める手に込められる力は強すぎるほどだが、サーシャは何も言わない。牙まで伸びそうな表情でイベリスを見ているウォルフも必死に堪えているから。
〈私が……もっと早く逃げ出していれば……リ、リンウッドが……死ぬ、ことはなかった〉
「リンウッドに会いたいのね?」
小刻みに頷くイベリスが言った。
〈謝り、たいの……。彼を拒絶してしまったこと。彼を、傷つけた、こと……〉
拒絶しなければ、もっとちゃんと話をしていれば、変わっていたかもしれない。彼が自ら選んだものだとしても選ばせてしまったのは自分だと、イベリスはあの日からずっと後悔に苛まれていた。
会いに行って、謝りたいとずっと思っていた。だからこそ身体への執着が少し薄れ、迷いに変わっている。
「それだけ?」
心の中を読めるのかと魔女を見たあと、誰を見るでもなく視線を逸らしたまま口を動かした。
〈……愛を……苦しいと、思ってしまったこと……〉
その愛が真愛か、友愛か、親愛か。どれを意味しているのかはイベリスにしかわからない。
この一年で彼女が紡ぎ続けた言葉や行動は間違いなく三人の人間の人生を変えた。
騎士として真面目に生きてきた男が年相応に遊び、笑えるようになった。
秘密を抱え、故郷を捨て、家族から逃げ出した傷多き女の凍った心を溶かし、人と笑い合えるまでになった。
過去に生きるしかできなかった男が後悔に苦しみながらも懺悔し、前に進み始めた。
その結果はムダではなく、良い一年だったと思うには充分すぎるもので、イベリス自身、とても幸せな証でもあった。
〈ずっと、愛というものに憧れてた。愛はもらってた。親がくれる愛情。リンウッドがくれる執着のような愛情。でも私が欲しかったのは無条件で与えてもらえるものじゃなくて、自分で行動した結果、手に入れるもの。小説の中のヒロインが王子様と惹かれ合って恋に落ちるような……真実の愛に憧れてた〉
「手に入れられた?」
一分ほど黙ったあと、かぶりを振るそれはファーディナンドへの言葉のようなもので、わかってはいたが、ファーディナンドの心を抉った。襲いくる後悔に息が止まりそうだった。
〈愛を向けられて、返せないのが辛かった……。愛を、知るのが怖くて……〉
どうしようもない感情だった。怖くて、寂しくて、辛くて。愛される喜びを感じることさえ怖かったが、誰にもそれを言えなかった。それから解放されることに小さな安堵を感じている。消えるのだから彼らが叶わぬ愛を抱えることはもうないのだと。
〈ファーディナンド〉
キラキラと光輝く文字が目の前で名前を刻む。イベリスに呼ばれているのだと顔を向けるも情けない顔をしている自覚があるだけに俯きたくなるが、もう、変えられないのだと地獄に落ちる覚悟を決めているためイベリスを見つめる。
〈求婚してくれてありがとう〉
「何を……言ってるんだ……」
〈あなたが求婚してくれたおかげで楽しい一年を過ごせたの〉
「たった十六年しか……ッ」
心優しく、我慢強い、明るい清らかな少女を犠牲に選んでしまった。他人によって命を奪われるとわかっているのに何故お礼を言うんだと資格もないのに怒鳴りたくなる。自分のせいでこうなっている。これも全て強がりでしかないのに。その止まらない涙がそれを証明しているのに。魔女との契約を破棄する方法が存在しない以上、イベリスはもうすぐ消えてしまう。
〈昨日が終わったから今日が来たように、今日が終われば明日が来る。そして一週間が過ぎて、一ヶ月が来て、半年を迎え、気がつけば一年が終わろうとしてる。誰もがそれに従って生きてる。私も、あなたも〉
「イベリス、もういい。平然と言わないでくれ。謝らなければならないのは俺だ。感謝しなければならないのも俺のほうだ。なんの罪もないお前を苦しませ続けた。必要のない苦しみを、悲しみを与え、傷つけた。俺がお前に──」
必要ないと言わんばかりにかぶりを振られる。
〈たった十六年の人生だったけど、この一年は今までの人生の中で一番辛くて、一番楽しかった〉
花が咲いたように笑うイベリスの笑顔を見ているのが辛い。
「何故そんなことが言える……」
〈私は良い子だから、聞き分けが良いの〉
「自己犠牲の上に成り立つものなど必要ない!」
〈そうね。でも、これはもう、避けきれないことだから受け入れるしかないのよ〉
愛を知りたかった。愛を知れると思った。出会ったばかりの頃に彼がロベリアに向けていた焼け付くような愛。だけど、できなかった。彼を愛そうと、好きになろうと思っても、心が傾くことはなかった。
〈でも、最後に、この一年、あなたの妻をやってきて不満だったことを言わせて。伝えたいことはちゃんと言葉にすること。行動は早めにすること。周りの意見をちゃんと聞くこと。自分の意見が周りの意見だと思わないこと。自分は絶対正しいって考えを捨てること。それを守ればあなたは幸せになれるんだから。オッケー?」
返事などできるはずがない。それはもう別れの言葉だ。ロベリアも息を引き取る前、いくつかそうして言っていた。痩せ細った両手を握りながら何度も何度も頷き、誓った。今回はそうすることも許されない。
「俺が歩む道に……お前は立っていないんだな……」
〈ええ。だって彼女が立ってるんだもの〉
「お前の命を奪う権利など俺にありはしないと魔女にそう言ってくれ!!」
〈ファーディナンド〉
「お前こそ幸せにならなければならないんだ!! 俺ではなくお前が幸せになるんだ!!」
〈ありがとう〉
再び魔女のもとへと戻ったイベリスが見上げるのは魔女ではなくその横に浮いている水晶玉。
今まで何度も繰り返しては弱った覚悟だが、今はどこかスッキリした気持ちで覚悟が決まっている気がした。逃げられないとわかったから。想像ではなく、実感できているから。
「待たせてごめんなさい」
ロベリアに話しかけるも反応はない。
「私が言うことじゃないかもしれないけど、彼を、彼らを大事にしてあげてね。とても優しい人たちだから」
完全に迷いのない、覚悟を決めた顔でロベリアにハッキリと告げたイベリスにウォルフはたまらず声を上げた。
「ロベリア、戻りなさい。勝手に行動しないで」
「はあい」
水晶玉の中へと戻っていったロベリアが消えるとファーディナンドの顔がこちらを向いた。
「愛しの妻に会えた気分はどう? 恋しくて恋しくてたまらなかった妻よ」
「……あの頃を、思い出した」
「よかった。じゃあ──」
「だが、俺の妻はイベリスだ」
「あら、意外と意思が強いのね。もっと揺らぐかと思ってたのに」
肩を竦めてもう一度ティーカップの元へと戻った魔女がまたそこで腰掛ける。
「言語表示の魔法は複雑で、声なき者の言葉は表示できないと魔法士は言っていた……」
「複雑なんて言葉は言い訳に過ぎない。ま、テロスなんかにいる下級魔法士が使うには便利な言葉でしょうけど」
イベリスへの好意を自覚したあと、ファーディナンドは魔法士の塔を訪ねてイベリスにも言語表示の魔法をかけてくれるよう頼んだのだが、、複雑だから対象者を増やすことはできないと言われた。一方に表示するだけならできるが、両方は難しいと。だが、今、ここにいる全員がイベリスの言葉が文字として見えている。
「魔法は使用する者の魔力と知識で大きな差が出る。不可能を可能にする。それが魔法よ。魔力量、知識、想像力。大事なのはそれだけ」
それだけ、がどれほど大事か。魔力量を持っていたとしても知識がなければ意味がない。知識があったとて想像力がなければ成功率は低い。この魔女にはその全てが備わっているのだ。森を作り、魔獣を生み出し、決して壊れない結界を張れる。そして今、誰もが望んでいたイベリスの言葉を魔女だけが表示させられた。
「イベリス、様……」
立ち上がろうとするイベリスをウォルフが腕を掴んで引き留める。胸ポケットに入れていたハンカチを取り出してイベリスの顔を拭くとまたイベリスが涙を流す。でも笑顔になった。
胸がじんわり熱くなるのはその優しさを受けるのがこれで最後だから。涙は湧き上がる泉のように枯れ果てることはなく零れ溢れる。
「ありがとう、ウォルフ」
そっとウォルフの手を押し離して立ち上がったイベリスが魔女に寄っていく。
〈私は……〉
「イベリスやめろ」
ファーディナンドを見るもイベリスは言葉を続ける。
〈私は、もうずっと、覚悟が決まってたから……」
「イベリス!」
「いいの? ロベリアはたった二十三年しか生きてないって勝手に喚いてるけど、あなたはたった十六年よ? ロベリアみたいな強欲な女に身体を明け渡したらパパとママが悲しむんじゃない?」
魔女の言葉に苦笑をこぼしながら頷く。
〈……かもしれない。だけど……〉
「だけど?」
〈なんでだろ……わかんないけど……〉
震えて閉じそうになる唇をムリヤリ開いて言葉を紡ぐ。
〈わかんないけど……疲れちゃったのかもしれない……〉
その言葉にファーディナンドとウォルフが強く目を瞑る。
イベリスはいつも明るく、元気だ。トレードマークと言っても過言ではないほどに疲れ知らず。明るく元気。それとは裏腹にとても脆くもある。だからこそ、その言葉がとても重く聞こえた。
「彼といることに?」
〈……たぶん、自分の優柔不断さに。明け渡してもいいって思った次の日にはやっぱり明け渡したくないって思ってる。でもまた次の日には明け渡そうって思うの。その繰り返し。サーシャやウォルフともっと一緒に過ごしたいし、マシロをもっと撫でていたいし、抱きしめてその可愛い姿をずっと眺めていたい。サーシャとウォルフが喧嘩してるのを見るのはうんざりだって思う日もあったけど、やっぱり二人らしいって思うから見ていたくもあるの。それに……何をやっても空回りするファーディナンドを、もっと見ていたいって気持ちもある〉
「でも?」
魔女の促しにイベリスが笑う。
〈この瞬間も、明け渡していいって思う気持ちがあるの〉
「じゃあその涙の意味は?」
止まらない涙を拭うこともせず、ファーディナンドを見つめるイベリスに寄ろうとする彼の身体を魔女が固定する。
〈……後悔、だと思う。誰にも本気でぶつからなかったこと。ここから逃げ出さなかったこと。彼らに助けを求めなかったこと。全てを受け入れてしまったこと。両親に嘘をつき続けたこと……〉
止まらない涙に唇を震わせながら必死に言葉を紡ぐイベリスのもとへサーシャが駆け寄ろうとするのをウォルフが止める。何をするんだと睨みつけるもその表情を見て唇を噛んだ。思いはウォルフも同じだ。ここで駆け寄って彼女の言葉を止めるわけにはいかない。悔しいのだ。サーシャを止める手に込められる力は強すぎるほどだが、サーシャは何も言わない。牙まで伸びそうな表情でイベリスを見ているウォルフも必死に堪えているから。
〈私が……もっと早く逃げ出していれば……リ、リンウッドが……死ぬ、ことはなかった〉
「リンウッドに会いたいのね?」
小刻みに頷くイベリスが言った。
〈謝り、たいの……。彼を拒絶してしまったこと。彼を、傷つけた、こと……〉
拒絶しなければ、もっとちゃんと話をしていれば、変わっていたかもしれない。彼が自ら選んだものだとしても選ばせてしまったのは自分だと、イベリスはあの日からずっと後悔に苛まれていた。
会いに行って、謝りたいとずっと思っていた。だからこそ身体への執着が少し薄れ、迷いに変わっている。
「それだけ?」
心の中を読めるのかと魔女を見たあと、誰を見るでもなく視線を逸らしたまま口を動かした。
〈……愛を……苦しいと、思ってしまったこと……〉
その愛が真愛か、友愛か、親愛か。どれを意味しているのかはイベリスにしかわからない。
この一年で彼女が紡ぎ続けた言葉や行動は間違いなく三人の人間の人生を変えた。
騎士として真面目に生きてきた男が年相応に遊び、笑えるようになった。
秘密を抱え、故郷を捨て、家族から逃げ出した傷多き女の凍った心を溶かし、人と笑い合えるまでになった。
過去に生きるしかできなかった男が後悔に苦しみながらも懺悔し、前に進み始めた。
その結果はムダではなく、良い一年だったと思うには充分すぎるもので、イベリス自身、とても幸せな証でもあった。
〈ずっと、愛というものに憧れてた。愛はもらってた。親がくれる愛情。リンウッドがくれる執着のような愛情。でも私が欲しかったのは無条件で与えてもらえるものじゃなくて、自分で行動した結果、手に入れるもの。小説の中のヒロインが王子様と惹かれ合って恋に落ちるような……真実の愛に憧れてた〉
「手に入れられた?」
一分ほど黙ったあと、かぶりを振るそれはファーディナンドへの言葉のようなもので、わかってはいたが、ファーディナンドの心を抉った。襲いくる後悔に息が止まりそうだった。
〈愛を向けられて、返せないのが辛かった……。愛を、知るのが怖くて……〉
どうしようもない感情だった。怖くて、寂しくて、辛くて。愛される喜びを感じることさえ怖かったが、誰にもそれを言えなかった。それから解放されることに小さな安堵を感じている。消えるのだから彼らが叶わぬ愛を抱えることはもうないのだと。
〈ファーディナンド〉
キラキラと光輝く文字が目の前で名前を刻む。イベリスに呼ばれているのだと顔を向けるも情けない顔をしている自覚があるだけに俯きたくなるが、もう、変えられないのだと地獄に落ちる覚悟を決めているためイベリスを見つめる。
〈求婚してくれてありがとう〉
「何を……言ってるんだ……」
〈あなたが求婚してくれたおかげで楽しい一年を過ごせたの〉
「たった十六年しか……ッ」
心優しく、我慢強い、明るい清らかな少女を犠牲に選んでしまった。他人によって命を奪われるとわかっているのに何故お礼を言うんだと資格もないのに怒鳴りたくなる。自分のせいでこうなっている。これも全て強がりでしかないのに。その止まらない涙がそれを証明しているのに。魔女との契約を破棄する方法が存在しない以上、イベリスはもうすぐ消えてしまう。
〈昨日が終わったから今日が来たように、今日が終われば明日が来る。そして一週間が過ぎて、一ヶ月が来て、半年を迎え、気がつけば一年が終わろうとしてる。誰もがそれに従って生きてる。私も、あなたも〉
「イベリス、もういい。平然と言わないでくれ。謝らなければならないのは俺だ。感謝しなければならないのも俺のほうだ。なんの罪もないお前を苦しませ続けた。必要のない苦しみを、悲しみを与え、傷つけた。俺がお前に──」
必要ないと言わんばかりにかぶりを振られる。
〈たった十六年の人生だったけど、この一年は今までの人生の中で一番辛くて、一番楽しかった〉
花が咲いたように笑うイベリスの笑顔を見ているのが辛い。
「何故そんなことが言える……」
〈私は良い子だから、聞き分けが良いの〉
「自己犠牲の上に成り立つものなど必要ない!」
〈そうね。でも、これはもう、避けきれないことだから受け入れるしかないのよ〉
愛を知りたかった。愛を知れると思った。出会ったばかりの頃に彼がロベリアに向けていた焼け付くような愛。だけど、できなかった。彼を愛そうと、好きになろうと思っても、心が傾くことはなかった。
〈でも、最後に、この一年、あなたの妻をやってきて不満だったことを言わせて。伝えたいことはちゃんと言葉にすること。行動は早めにすること。周りの意見をちゃんと聞くこと。自分の意見が周りの意見だと思わないこと。自分は絶対正しいって考えを捨てること。それを守ればあなたは幸せになれるんだから。オッケー?」
返事などできるはずがない。それはもう別れの言葉だ。ロベリアも息を引き取る前、いくつかそうして言っていた。痩せ細った両手を握りながら何度も何度も頷き、誓った。今回はそうすることも許されない。
「俺が歩む道に……お前は立っていないんだな……」
〈ええ。だって彼女が立ってるんだもの〉
「お前の命を奪う権利など俺にありはしないと魔女にそう言ってくれ!!」
〈ファーディナンド〉
「お前こそ幸せにならなければならないんだ!! 俺ではなくお前が幸せになるんだ!!」
〈ありがとう〉
再び魔女のもとへと戻ったイベリスが見上げるのは魔女ではなくその横に浮いている水晶玉。
今まで何度も繰り返しては弱った覚悟だが、今はどこかスッキリした気持ちで覚悟が決まっている気がした。逃げられないとわかったから。想像ではなく、実感できているから。
「待たせてごめんなさい」
ロベリアに話しかけるも反応はない。
「私が言うことじゃないかもしれないけど、彼を、彼らを大事にしてあげてね。とても優しい人たちだから」
完全に迷いのない、覚悟を決めた顔でロベリアにハッキリと告げたイベリスにウォルフはたまらず声を上げた。
246
お気に入りに追加
883
あなたにおすすめの小説
あなたの妻にはなりません
風見ゆうみ
恋愛
幼い頃から大好きだった婚約者のレイズ。
彼が伯爵位を継いだと同時に、わたしと彼は結婚した。
幸せな日々が始まるのだと思っていたのに、夫は仕事で戦場近くの街に行くことになった。
彼が旅立った数日後、わたしの元に届いたのは夫の訃報だった。
悲しみに暮れているわたしに近づいてきたのは、夫の親友のディール様。
彼は夫から自分の身に何かあった時にはわたしのことを頼むと言われていたのだと言う。
あっという間に日にちが過ぎ、ディール様から求婚される。
悩みに悩んだ末に、ディール様と婚約したわたしに、友人と街に出た時にすれ違った男が言った。
「あの男と結婚するのはやめなさい。彼は君の夫の殺害を依頼した男だ」
王太子殿下の小夜曲
緑谷めい
恋愛
私は侯爵家令嬢フローラ・クライン。私が初めてバルド王太子殿下とお会いしたのは、殿下も私も共に10歳だった春のこと。私は知らないうちに王太子殿下の婚約者候補になっていた。けれど婚約者候補は私を含めて4人。その中には私の憧れの公爵家令嬢マーガレット様もいらっしゃった。これはもう出来レースだわ。王太子殿下の婚約者は完璧令嬢マーガレット様で決まりでしょ! 自分はただの数合わせだと確信した私は、とてもお気楽にバルド王太子殿下との顔合わせに招かれた王宮へ向かったのだが、そこで待ち受けていたのは……!? フローラの明日はどっちだ!?
【完結】不誠実な旦那様、目が覚めたのでさよならです。
完菜
恋愛
王都の端にある森の中に、ひっそりと誰かから隠れるようにしてログハウスが建っていた。
そこには素朴な雰囲気を持つ女性リリーと、金髪で天使のように愛らしい子供、そして中年の女性の三人が暮らしている。この三人どうやら訳ありだ。
ある日リリーは、ケガをした男性を森で見つける。本当は困るのだが、見捨てることもできずに手当をするために自分の家に連れて行くことに……。
その日を境に、何も変わらない日常に少しの変化が生まれる。その森で暮らしていたリリーには、大好きな人から言われる「愛している」という言葉が全てだった。
しかし、あることがきっかけで一瞬にしてその言葉が恐ろしいものに変わってしまう。人を愛するって何なのか? 愛されるって何なのか? リリーが紆余曲折を経て辿り着く愛の形。(全50話)
傲慢令嬢は、猫かぶりをやめてみた。お好きなように呼んでくださいませ。愛しいひとが私のことをわかってくださるなら、それで十分ですもの。
石河 翠
恋愛
高飛車で傲慢な令嬢として有名だった侯爵令嬢のダイアナは、婚約者から婚約を破棄される直前、階段から落ちて頭を打ち、記憶喪失になった上、体が不自由になってしまう。
そのまま修道院に身を寄せることになったダイアナだが、彼女はその暮らしを嬉々として受け入れる。妾の子であり、貴族暮らしに馴染めなかったダイアナには、修道院での暮らしこそ理想だったのだ。
新しい婚約者とうまくいかない元婚約者がダイアナに接触してくるが、彼女は突き放す。身勝手な言い分の元婚約者に対し、彼女は怒りを露にし……。
初恋のひとのために貴族教育を頑張っていたヒロインと、健気なヒロインを見守ってきたヒーローの恋物語。
ハッピーエンドです。
この作品は、別サイトにも投稿しております。
表紙絵は写真ACよりチョコラテさまの作品をお借りしております。
あなたを忘れる魔法があれば
美緒
恋愛
乙女ゲームの攻略対象の婚約者として転生した私、ディアナ・クリストハルト。
ただ、ゲームの舞台は他国の為、ゲームには婚約者がいるという事でしか登場しない名前のないモブ。
私は、ゲームの強制力により、好きになった方を奪われるしかないのでしょうか――?
これは、「あなたを忘れる魔法があれば」をテーマに書いてみたものです――が、何か違うような??
R15、残酷描写ありは保険。乙女ゲーム要素も空気に近いです。
※小説家になろう、カクヨムにも掲載してます
どうして私にこだわるんですか!?
風見ゆうみ
恋愛
「手柄をたてて君に似合う男になって帰ってくる」そう言って旅立って行った婚約者は三年後、伯爵の爵位をいただくのですが、それと同時に旅先で出会った令嬢との結婚が決まったそうです。
それを知った伯爵令嬢である私、リノア・ブルーミングは悲しい気持ちなんて全くわいてきませんでした。だって、そんな事になるだろうなってわかってましたから!
婚約破棄されて捨てられたという噂が広まり、もう結婚は無理かな、と諦めていたら、なんと辺境伯から結婚の申し出が! その方は冷酷、無口で有名な方。おっとりした私なんて、すぐに捨てられてしまう、そう思ったので、うまーくお断りして田舎でゆっくり過ごそうと思ったら、なぜか結婚のお断りを断られてしまう。
え!? そんな事ってあるんですか? しかもなぜか、元婚約者とその彼女が田舎に引っ越した私を追いかけてきて!?
おっとりマイペースなヒロインとヒロインに恋をしている辺境伯とのラブコメです。ざまぁは後半です。
※独自の世界観ですので、設定はゆるめ、ご都合主義です。
なんで私だけ我慢しなくちゃならないわけ?
ワールド
恋愛
私、フォン・クラインハートは、由緒正しき家柄に生まれ、常に家族の期待に応えるべく振る舞ってまいりましたわ。恋愛、趣味、さらには私の将来に至るまで、すべては家名と伝統のため。しかし、これ以上、我慢するのは終わりにしようと決意いたしましたわ。
だってなんで私だけ我慢しなくちゃいけないと思ったんですもの。
これからは好き勝手やらせてもらいますわ。
婚約破棄してくださって結構です
二位関りをん
恋愛
伯爵家の令嬢イヴには同じく伯爵家令息のバトラーという婚約者がいる。しかしバトラーにはユミアという子爵令嬢がいつもべったりくっついており、イヴよりもユミアを優先している。そんなイヴを公爵家次期当主のコーディが優しく包み込む……。
※表紙にはAIピクターズで生成した画像を使用しています
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる