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告白

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 自分まで倒れる必要はなかった。腕を引っ張って支えることもできた。なのに自分はイベリスを押し倒している。ウォルフは自分の行動理由が理解できないでいた。

〈ウォルフ?〉

 ウォルフは自分はただ混乱しているだけだと思っているが、イベリスが見たウォルフの表情は辛さを抱えているようだった。

「……このままグラキエスで……暮らすのも悪くないと思うんです……。嫌いではないでしょう?」
〈大好きよ。とても美しい国だもの〉

 雪が降ったリンベルも好きだった。赤いレンガの屋根が白に染まり、普段はなんの足跡も残らない地面に歩いた人々の足跡が残る。グラキエスはそれ以上だった。一面銀世界。足跡だけじゃなく大きな雪だるまを作っても雪はなくならない。
 いつかは飽きてしまうかもしれないが、来たばかりのイベリスにはとても美しく、そして楽しい国として深く印象に残った。ここで暮らすのも楽しいだろうと思うぐらいには。
 だが、その表情はウォルフが言いたいことに同意するものではなかった。

「帰ってしまったら……」

 感情を抑えきれない。湧き上がっていたはずの怒りは悲しみへと変わり、ダメだと堪えようとしてもムリだった。
 イベリスの頬に雫が落ちる。ウォルフの赤い瞳が濡れ、悲しみの涙がまるで降り出した雨のように次々に落ちてくる。
 ファーディナンドの思いどおりにさせたくない。あんなに残酷なことがまかり通っていいはずがないと胸が苦しくてたまらないウォルフの頬にイベリスが手を添えた。
 
〈……知ってるの?〉

 小さな手の動き。それだけで全て悟ることができた。

「イベリス様……やはり……」

 酷く驚いた顔をするウォルフにイベリスが小さく頷く。

「どうして……」

 それに含まれた意味を考えていた。ウォルフはそれをどこかで知り、今までずっと隠しながら傍にいてくれた。『やはり』と言ったのはイベリスが気付いているのではという疑いがあったからで、ウォルフの『どうして』に最も近い答えを話すことにした。

〈どうして……なんだろうね。こんなのバカみたいって自分でも思うのに……あそこにいるって決めたの。本当に、ただのバカなんだと思う〉

 その笑顔があまりにも儚くて、物悲しくて、ウォルフは思わず抱きしめた。

「バカなのはあなたじゃない。ファーディナンド・キルヒシュです。あなたはただ優しすぎるだけなんだ……!」

 優しい人間がバカを見る世の中。
 生まれつき耳が聞こえず、手を使わずに会話することができない人生には幼い頃から色々あっただろう。その中で心から愛してくれる人を見つけ、ようやく幸せが訪れると思っていた頃に相手の勝手な言い分で婚約破棄を受けた。その直後に交流もない、面識もない別大陸の帝国の皇帝から熱烈な求婚を受け、明るい未来を信じて結婚した結果、それが偽りであったことを知った。しかもその偽りの理由が亡き妻を生き返らせるための器を手に入れたかったから、というもの。
 よく、前世の業を今世で背負うと人は言う。だとすればイベリスは前世に相当な悪事を重ねてきたことになる。だが、そんなことは知らない。前世の記憶もないのにこれが前世の業だと言われて誰が納得できるのか。

「このままグラキエスで俺と暮らしませんか……? 俺はグラキエスで騎士を続けますから、イベリス様もテロスの皇妃は終わりにして、ここで一緒に二人で暮らしましょう。帰ることないですよ……」
〈ウォルフ?〉

 顔が見えず、言葉だけが表示される。声色も聞こえないため、ウォルフがどんな表情で言っているのかわからない。

(いつからそんなに卑屈になったの?)

 ウォルフは優しいから同情から言ってくれているのかもしれないと思う自分に苦笑する。だって、そう考えなければ重すぎる。グラキエスで騎士として生きていたウォルフは獣人族だからと召喚を受けた。それから朝から晩まで皇妃の気まぐれに付き合い続けた。その間に芽生えた情のせいで彼に責任を取らせたくない。彼には自由に恋愛して結婚する権利がある。もうすぐ終わる人間の人生を背負うのはあまりにも重すぎるのだから。

(背負わせられない)

 イベリスがかぶりを振ったことに気付いて身体を少し起こし、間近で見つめる。その顔があまりにも真剣なものだからイベリスは不覚にもドキッと胸を跳ねさせた。

「帰したくないんです」

 ドキドキしている。

「俺はあなたを守りたい。命だけじゃなく、心も守りたいんです」

 真っ直ぐ伝えられるその言葉にイベリスの瞳から涙がこぼれる。泣くつもりなどなかった。ただ嬉しいだけなのにどうしてこんなにも目頭が熱くなって涙が溢れるのか。笑ったほうがいいのに、涙は必要ないのに。

「俺の言葉、迷惑でしたか?」

 心配にかぶりを振って涙を拭い、いつもの笑顔を見せる。

〈もう、充分すぎるほど守ってもらってる。ウォルフとサーシャがいてくれたから私は今日も生きてるの。二人がいるから今が幸せだって思えるの。だからね、これ以上は望まない〉
「望んでください。何でも望めばいいんです。俺が全て叶えますから」
「こんなに幸せなのにそれ以上を望むと罰が当たると思う。ほら、私は向上心のない人間だから現状に満足できちゃうの。誰かに叶えてもらわなきゃ叶わない願いなんて持つべきじゃないから──」

 笑っていたイベリスが目を見開いた。ウォルフの顔が近くなったと思ったらそのまま唇が重なり、何が起こっているのかわからずフリーズを起こすイベリスが息を吸えたのは五秒後。
 ゆっくりと離れた唇から息を吸い込みながらウォルフを見つめる。一体どういうつもりでキスなどしたのか。そう聞き出すには勇気がいる。混乱と緊張で軽いパニック状態に陥っているイベリスは顔こそ冷静だが、頭の中はグチャグチャだった。
 流れていた涙が止まり、怒りも悲しみも喜びもない表情。冷静か驚きか、イベリスの感情は読めないが、ウォルフの心は異常なまでに落ち着いている。

「あなたが大切なんです」

 心に火がついたように熱くなるのを感じた。それがどういう感情なのかわからない。ただ、そう言われることがとても幸福だと感じていることはわかった。
 優しい人に巡り会えた。それだけでイベリスはテロスに留まる選択をした意味があると思えた。
 




「イベリス様、おはようございます。今日は何をして……」

 翌朝、イベリスを起こしに来たサーシャはノックをしてからドアを開けた瞬間「は?」と声を漏らした。目覚めるのが早いイベリスはいつもお腹を空かせてサーシャを待っている。サーシャの仕事は前日のうちに用意しておいたクッキーなどを運び、朝食の時間までイベリスの小腹を満たすことから始まる。その間にイベリスの髪にブラシをかけたりするのだが、今日は部屋に入った瞬間から狂った。手に持っていたクッキーが乗った皿を床に落とすことから始まった。

「イベリス様?」

 言語表示の魔法がないのは本当に厄介だと心底思う。探していることが伝えられない。皿を落として大きな音がしても伝わらない。どこかに隠れてこちらを盗み見ているのであればいいが、もしまた誘拐であったらと顔を青ざめさせながら勢いよく部屋を飛び出した。

「ウォルフ! イベリス様の姿が見えないの! 部屋にいなくて──」

 ベッドから抜け出した形が残っているだけだったとウォルフの部屋に駆け込んだ瞬間、また固まった。イベリスに合わせて早起きであるはずのウォルフがまだベッドの中にいる。それだけならまだいい。昨日のスノークルスとの戦いで疲れていたのかもしれないと考えられるから。問題はそこではなく、ウォルフの腕の中にいる白髪の少女の存在。
 あれから街に出て酒場の娘からの誘惑に負けて連れ込んだのであれば何も考えない。彼が誰とどういう理由で寝ようがどうだっていいことだから。だが、その純白の髪はそう多くはない。アルフローレンスに妹がいれば勘違いもできるのだろうが、誰よりもその髪に触れてきたサーシャには勘違いすることのほうが難しかった。
 ヒュッと鳴った喉を押さえながら恐る恐る近付く。あれだけ乱暴にドアを開け、大声を出しておきながら今更音を立てないようにそーっと歩く。目的はとある物の確認。目指すはベッド近くのゴミ箱。中を覗き込むと入っていたのは血のついた包帯とガーゼだけ。ドッと押し寄せる安堵に息を吐き出すとようやく冷静になって部屋を見回す。
 よくよく見てみるとシーツに乱れはない。想像したくもないが、ウォルフほどの巨体がベッドの上で激しく動いたのであればもっとシーツが乱れているはず。そこに安堵しながらも疑問は残る。

(どうしてイベリス様がウォルフの部屋に?)

 まだこの娘がイベリスと確認したわけではないが、間違いない。昨夜、自分たちはイベリスをベッドに入れてから部屋を出た。あれから部屋を抜け出してウォルフを訪ねた。ウォルフからイベリスに話があるのならウォルフが尋ねるはず。何故イベリスが?とその場で仁王立ちするサーシャはまだよく眠っている二人を怪訝な表情で見つめている。
 とりあえず確認しないことには始まらないと毛布を掴むとそのまま剥ぐように引っ張った。

「ッ!?」

 一瞬で襲ってきた緊張はウォルフが半裸であるせい。だが、直後に安堵で緩んだのはイベリスがちゃんとパジャマを着ているから。
 やはりシーツに乱れはない。
 こんなところで間違いがあってはならないため、確信を得る状況に思わずその場にしゃがみ込んだ。そして息を吸い込みながら立ち上がり、部屋に響くほどの怒声を吐き出した。

「ウォルフ!! 今すぐ起きなさい!!」

 外にまでしっかり聞こえただろうサーシャの怒声は人一倍耳が良いウォルフの鼓膜を揺らし、跳ねるように飛び起きさせた。
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