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揺れる

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 イベリスは慣れない揺れで目を覚ました。柔らかなベッドの上ではなく、硬い床の上。潮の香り。ドアを固定する蝶番が油が足りないことを知らせるギイッと鈍い音は聞こえずとも、ここが船の上であることは覚醒したばかりの意識の中でも理解できた。
 何故こんなところにいるのか、という疑問はない。ちゃんと覚えている。問題はそこではない。船の上であること。
 犯人は何かしらの目的を持って船に乗せた。どこかへ運ぶために明確な意思を持って。耳の聞こえない女をなんのために誘拐したのか。

(やっぱり魔法士の仕業……?)

 昨夜、風に当たりたくなってテラスに出ていた。一瞬、庭のほうで何か光ったのが見え、なんだと覗き込んだところから記憶がない。
 部屋は三階。庭へ続く階段はない。テラスには部屋の明かりがあり、誰かが潜んでいたらすぐにわかる。かといって階段もないのでは待ち伏せもできない。ましてや部屋にはファーディナンドがいた。こっちを見ていたはずだ。
 現在、イベリスは窮屈な木箱の中ではなく腕を後ろ手に縛られているだけ。

(小説でよくある展開としては木箱に入れられて積荷として船に乗せられる。だけど、出されてるってことはそのまま担ぎ入れられた可能性のほうが高い。闇が幻術だったように、街の人々に幻術をかけて堂々と船に乗せて入ったのだとしたら?)

 そんなことができるのは魔法士だけだと確信するも理由がわからない。
 イベリスが学んできた歴史の中でテロスは長い歴史の中で一度も内乱はなかった。

(ファーディナンドの代になって不満が出てたとか?)

 わからない。結局はどれほど考えても憶測の域を出ることはない。

(口に布が噛まされてないってことは声が出ないことを知ってるからよね。ということは現地の人間。それも皇室に近しい者。やっぱり魔法士……)
「お、起きたか。おーい、皇妃様がお目覚めだぞ」

 開いたドアから入ってきた男に見覚えはない。見ればわかるその筋肉。まさしく海の男のイメージそのもの。いや、海賊か。バンダナを巻き、手には食事が乗ったトレーを持っている。
 外に向かって何か言っているのを見る限り、実行犯は一人ではない。小型船ではないだろう室内。これだけの船を一人で操縦できるはずがないし、操縦席を離れるはずもない。仲間がいる。しかし、この男の顔に見覚えはない。

「思ったより早かったな」
「ま、得意じゃねぇって言ってたしな」
「イーリス、皇妃様がお目覚めになられたぞ」

 食事を持った男の他に二人の男が追加で入ってくる。そしてあとで入ってきた男はまた廊下に顔を出し、他にもいるメンバーに声をかけていた。

(魔法士……ではなさそう……? 海賊……って、港に降りて暴れることがあると読んだことはあるけど、まさかお城に入って皇妃を誘拐するなんてリスキーなことに手を出すものなの? とりあえず身体を起こさせてほしい)

 目が覚めて、ここが寝室ではないと理解したときよりもずっと頭が混乱している。
 見たことない人間が目の前に並ぶ。目の前に置かれた食事は質素なもので、カチカチのパンと湯気のない色の薄いスープ。皇妃に対する扱いではない。丁重にもてなすつもりはないらしく、それは食事ではなく彼らのニヤついた顔を見ればわかること。

「イーリス! 早く来いよ!」

 男が少し苛立ったように声を上げる。

(船長っぽい人はいないのか、まだ来てないのか……。海賊って何人構成? 大きな船みたいだから何十人? さすがにこれだけってことないわよね?)

 彼らが何を言っているのかさっぱりわからないイベリスは頭の中で考えるしかできない。もし、この高い天井に届きそうなほどの大男が筋骨隆々で、物凄く怖い人だったらどうしよう。逆らう者は四肢を引きちぎって殺すと決めている暴漢だったらどうしよう。そんな不穏な相応が頭をよぎり、思わず身震いさせる。

(せめて、話ができる優しい人でありますように)

 今はメモ帳もペンも持っていない。会話するために拘束を解いてもらう必要がある。

(ぶっきらぼうでもいいから心優しい船長が現れて、解いてやれとか言ってくれないかな。それで船長室に呼び寄せて、一番豪華な部屋で柔らかいクッションの上に座らせて、目的地に着くまでここで過ごしてもらう。とか言い出す恋愛小説みたいな展開にならないかな。できればリンウッドみたいな優しい笑顔の人がいい。きっとウォルフが助けに来てくれるだろうから、恋には落ちないんだけど、それまでの間、すごく丁寧なもてなしを受ける……とか……ね……)

 すればするほど虚しくなる妄想にかぶりを振ってやめたイベリスは溜息をついた。
 その直後、ドアが開くのが視界に入り、イベリスの全身に緊張が走る。

「やっと来たか、おせぇよ」
「予想外に起きるのが早かったんだから仕方ないでしょ」
「歌以外の方法も練習しとけって言っただろ」
「うるさい。幻術も使えない人間が私に偉そうに言わないで」

 姿を見せたのは女。イベリスはこの女を知っている。

(冗談でしょ……)

 男が誰の名を呼ぼうとイベリスが耳にすることはないため、この瞬間まで気付かなかった。

(イーリス・ラ・サルメンハーラ……)

 サーシャが教えてくれた彼女の名前。聖女としてテロスに降臨していた女。
 何故、彼女が? そんな疑問を抱く必要はなかった。むしろ彼女が目の前に現れたことでイベリスの中でずっとモヤついていた霧が晴れたのだ。
 
(彼女は聖女なんかじゃない)

 馬車に乗って城を出た聖女がそれからどこへ向かったのか、イベリスたちは知らない。どこへ向かうのか興味もなかったため聞きはしなかった。聞いたところで彼女は嘘をついただろう。
 この船はきっとどこかで乗り換えたのではなく、テロスから出航した物だとイベリスは推測する。
 馬車は入り口が狭く、眠っている人間を運び入れるのに手間取る。もしスムーズに運び入れられたとしても見つかれば確実に事件だとわかる。もしイベリスの目覚めが思ったよりも早く、車内で暴れでもしたら取り押さえるのは大変。馬車にはこんなに大勢の男たちが乗り込むのは不可能なのだから。
 その点、船は警戒度が低い。箱にさえ入れてしまえば積荷として運び入れることができる。世界各国を訪れていると言っておけば積荷は次の目的地までの食料だと誰もがそう考え、怪しむことはない。ましてや聖女は自分たちの国を救ってくれた恩人。疑心を持つはずもない。
 誰に警戒されるでもなくイベリスを拐って国を出られる手段を選んだのは他でもない彼女だ。

(だからテロスだけじゃなく、近隣諸国にも幻術をかけた。世界を旅していると思わせるために)

 テロスの闇が祓われたとき、ベンジャミンから手紙が届いていた。リーダスを覆った闇は聖女が払ってくれた。テロスもすぐに晴れる。心配するなと。
 テロスだけが闇に覆われたのであれば意図的なものを感じるが、近隣諸国も、となれば天災を疑う者のほうが多くなる。イーリスは最初からそれを狙っていた。

(でもどうして?)

 そこが最大の謎だった。
 ファーディナンドはテロスには古い伝承があると言っていた。世界を覆う闇は聖女の歌によって祓われると。それはその昔、聖女がテロスを訪れ、今回同様に闇を祓ったということ。

(彼女の一族が代々そうしてきた、とか? 幻術使いの家系で、聖女として振る舞うことで地位を得てるペテン師とか)

 可能性として考えられるものは多く、そのどれもが彼女が悪人であると決めつけた内容ばかりだが、当たらずとも遠からずだとイベリスは考えている。

「小さな頭でたーくさん考えているようだけれど、どれだけ策を練ろうとも意味ないのよ。ここは大海原の真ん中を進む船の中。泣こうが叫ぼうが誰の耳にも届かない」
「そもそも声が出ないんだろ?」
「あーそうだったそうだった! 忘れてた! じゃあやっぱり考えるだけムダよね。だって、誰も助けになんて来ないんだから」

 大笑いしていることだけはわかる。あと、悪意に満ちた笑みが見せる相手の歪みきった性格も。
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