29 / 186
アイススケート
しおりを挟む
「大したもんだな」
「恐縮です」
庭の広い池がパキパキと音を立てながら凍っていくのを見てファーディナンドが呟いた。
テロスはリンドルやグラキエスとは違い、さまざまな季節が過ぎていく。暑過ぎず寒過ぎない。それがテロス。そこで生まれ育ったファーディナンドにとって凍った池を見るのは初めてのこと。
本当にしっかり凍っているのだろうかと怪しんでいる部分もある。
「ウォルフ、乗れ」
「試そうとしてます?」
「いいから行け」
ウォルフはグラキエス出身であるため魔法の中で氷属性を一番信頼しているため疑いなく氷の上に乗った。
「陛下、見てください! 大丈夫ですよ!」
二メートルを超える巨体が乗ってもミシッと圧がかかる音すらしないことに疑いは消えるが、どうにも乗る気にならない。隣に立つイベリスは目を輝かせており、乗ってこいと声をかけようものなら手を引かれて強制的に氷の上を滑ることになるのは目に見えている。
声をかけずとも今にも走り出しそうなイベリスと極力目を合わせないようにウォルフを見ていると距離が変わっていく。
「あーこれヤバいやつだ。ヤバいわ」
割れないことを証明したウォルフが両手を広げたまま笑顔で遠ざかっていく。本人はその場から一歩も動いてはいない。特別な靴を使用しているわけではなく、滑り止めもついていない靴のせいで氷の上で立ち止まることはなく、立っているだけで勝手に滑っていく。
笑顔で遠ざかっていくウォルフを心配したイベリスがサーシャに連れ戻さないと、と訴えるもサーシャは無理だと言った。
〈池の向こうに着くだけですので大丈夫でしょう〉
〈遠いよ?〉
〈氷を解除して濡れるよりはマシかと〉
相変わらずウォルフに対して冷たい態度を取るサーシャにイベリスは眉を下げる。ウォルフは気さくに話しかけているのだが、サーシャは無視することが多い。十回話しかけて十回無視されることもあると笑っていたウォルフに気にしている様子は見受けられなかったが、昔馴染みの相手と偶然にも再会したのに無視されて悲しくないはずがない。
イベリスはテロスでリンウッドと再会して無視されたらと考えると無性に悲しくなった。ウォルフもきっとそんな感じだと想像するがサーシャの対応を強制はできない。できれば仲良くしてほしいと願うだけ。
「あれでも滑ると言うのか?」
〈でも滑るだけでも楽しいのよ?〉
「俺には流されているだけのように見えたが?」
〈ほら、時には流れに身を任せるのもいいと思わない?〉
「任せすぎじゃないか?」
どんどんと遠くへ行ってしまうウォルフを見ていると出てくるのは「楽しそう」や「面白そう」といった前向きなものではなく「想像と違った」だった。
リンベルでは上手く滑れていた。なぜここではそうじゃないのかと答えを求めてサーシャを見ると城を出る前から持っていたブラシをイベリスに見せる。
〈これで氷に少し傷をつけます〉
〈滑らなくなるんじゃない?〉
〈しっかりと傷をつけると引っかかって転んでしまいますが、表面を少しだけ傷つけることによって滑りすぎるのを防ぎます〉
〈楽しめる?〉
〈やってみないことにはなんとも言えませんが〉
あくまでも可能性の話だと言ってブラシを手に氷の上に乗ったサーシャをハラハラしながら見ていると立っていたサーシャが氷の上に寝転んだ。
寝転んだまま起き上がらず、晴れた空を見上げて黙っているサーシャに慌てて池の際まで駆け寄って顔を覗き込む。その際。イベリスの手はファーディナンドの手を握ったままだ。何かあれば引っ張ってもらおうと考えてのこと。
〈大丈夫!?〉
手を伸ばしてサーシャのエプロンを掴むとそのまま引っ張った。スーッと流れてくる姿は誰の目にも滑稽に映るが、サーシャの表情に変化はない。
「これでは死者が出るのではないか?」
ファーディナンドの問いにようやく起き上がったサーシャが難しい顔をする。
「グラキエスでは子供だけですが、転んでも楽しそうに何度でも挑戦していました。子供は吸収が早く、すぐに滑れるようになるんです」
「だといいがな」
「死者が出るようなことはありませんでしたが……いかがいたしましょう?」
「イベリスが既にイベント告知をした以上は今更取りやめというわけにもいかんだろう。死者が出たら中止と触れ回っておけ」
「かしこまりました」
テロスの街を流れる川は池よりも凍らせるのに時間がかかるためそろそろ向かわねばとイベリスに伝えるとパッと手を離してサーシャと腕を組む。
〈行ってくるから、戻ってきたときには滑れるようになっててね〉
「俺は忙しいんだ」
〈でも時間作ってくれるでしょ? 月をスポットライト代わりに夜のアイスリンクで踊るのも素敵だと思わない?〉
「また風邪をひくことになるぞ」
〈バカも風邪ひくものね〉
「お前のことだ」
ベーッと舌を出して門前に停めてある馬車へと向かう二人を見送ると隣を猛スピードで駆け抜ける獣が視界に入った。追いついた瞬間にボンッと音を立てて人型へと変わったウォルフをイベリスが笑う。
馬車の前では既にマシロが待機しており、一緒に馬車に乗り込んだ。
街は告知のおかげか、まるで建国記念パレードでも行われるのではないかと勘違いしそうになるほど大勢の国民が集まっていた。
彼らも凍った川を見たことがない。凍る瞬間を一目見るべく側道に陣取り、全員が似たような厚着をしながら待っている。
側道から階段を下りて川に近付いたサーシャがその場でしゃがみ、手をかざす。サーシャの手が小さなダイヤモンドダストを作り出しているかのようにキラキラと輝き、それが川に触れた瞬間、池を凍らせたとき同様に一気に凍っていく。
響く歓声と拍手。
「イベリス様、周りをご覧ください」
表示された言葉に側道を見上げると集まっていた国民のほとんどが拍手をしていた。音は聞こえないが指笛を吹いている者もいた。
しばらくして子供たちが「まだー?」と声を上げ、それにウォルフが対応する。
「えー、この氷が簡単に割れることはありませんが、さすがにこれだけの数が一斉に乗るとどうなるかわかりませんので告知どおり人数制とさせていただきます。時間制限ありでの交代。これには我々騎士団が係となって対応しますので順番を守ってお待ちください。とてもよく滑るので小さいお子さんは必ず保護者の方と手をお繋ぎになってお楽しみください。死者が出た時点で中止となります。どうかあまり無茶なことはせず、まずは慎重に慎重に、生まれたての仔馬のような感じでお願いします」
用意していた拡声器で告げると子供たちが一斉に「はーい!」と返事をした。それにまた笑顔になるウォルフに令嬢たちが色めき立つ。
暫くして端まで凍ったのを感じたサーシャが手を離し、凍り具合を確認して頷いたことでウォルフが係の騎士に合図を出した。既に階段前には長蛇の列。
途中で作った氷の柵がスペースを分ける。大人とぶつかって怪我をしないようにと作られた子供向けのスペース。そこへ続く列も多かった。
「本当にロベリア様にそっくりだ」
「まるでロベリア様が生き返ったようだ」
「嬉しいねぇ。陛下もさぞお喜びのことだろう」
「あの結婚式のときの陛下はとても嬉しそうだったからな」
イベリスの近くに立つ国民が口にする言葉がイベリスに聞こえていないのが幸いだと二人は思った。彼らの言葉が文字として見えていたらイベリスは傷ついていたに違いない。
「ロベリアさま」
列から抜けて近付いてきた幼子がイベリスの足に腰に抱きついた。
〈ふふっ、なあに? どうしたの?〉
嬉しそうに笑うイベリスが抱き上げると幼子は嬉しそうに笑って今度は首に抱きついた。
十六歳で既に母親になっている者もいるため、皇妃となったイベリスが母でもおかしくはない。柔らかな匂いがする子供と頬を合わせる姿は微笑ましいが、二人は複雑な心境でそれを見ていた。
「すみません! 本当にすみません!」
母親だろう女性が慌てて駆け寄ってくる。奪うことはできないため両手を伸ばすと幼子が自分から母親に両手を伸ばして戻っていく。
「本当にロベリア様と瓜二つなんですね。姉妹ではないんですよね?」
「違います」
「じゃあ陛下がロベリア様と瓜二つの女性を探し出して再婚されたということですか?」
「イベリス様に惚れて再婚なされただけです」
「でもここまでそっくりだと──」
井戸端会議でもするようにそこに留まる女性の詮索に対してウォルフは苦笑しながらの対応だったが、サーシャは違った。
「列にお戻りください」
場が凍るほどピシャリと言い放った。女性は気まずそうに夫がいる列へと戻っていくが、何か言いたげに振り向いてはイベリスを見ていた。
〈彼女はなんて言ってたの?〉
「近くで見ると遠くで見たときよりもずっと愛らしくて驚いたと」
〈ホント~?〉
「騎士は嘘はつきません」
〈そうなの?〉
「はい。そう誓いを立てるんです」
「天性の嘘つきのくせに」
イベリスに聞こえないのをいいことにサーシャがその場で嘘だとバラしては近くにいた国民がクスクスと笑う。
〈戻りましょうか〉
〈もう少しこの景色を見ていたいわ〉
ゆっくりと、慎重に、本当に生まれたての仔馬のように足を震わせながら必死にバランスを取っては転ぶ大人たち。それを笑うあっという間に滑るコツを掴んだ子供たち。ここに怒りや悲しみといった感情は存在しない。イベリスはその光景がとても美しいものに見えた。
〈陛下がお待ちですよ〉
〈どうせ仕事してる〉
〈わかりませんよ? イベリスとのスケートデートのために練習されているかもしれません〉
〈絶対ない〉
〈じゃあ帰って確かめてみましょう〉
そこへ繋がるかとサーシャの誘導に笑うともう一度だけ目の前に溢れる笑顔を焼き付けて馬車へと向かう。乗り込んだ馬車から外を見ると手を振ってくれる国民に笑顔で手を振り返す。
「イベリス様は人気者ですね」
〈すごく嬉しい〉
胸の正面で開いた両手を交互に上下させるイベリスをウォルフも真似する。説明してもらわずともそれが「嬉しい」の手話であることはわかった。
サーシャだけがそこに笑顔を浮かべない。ここに到着してからこの瞬間まで、国民の誰もがイベリスの名を口にしなかった。手を振って見送るこの瞬間でさえ、彼らは「ロベリア様」と呼んでいたから。
「恐縮です」
庭の広い池がパキパキと音を立てながら凍っていくのを見てファーディナンドが呟いた。
テロスはリンドルやグラキエスとは違い、さまざまな季節が過ぎていく。暑過ぎず寒過ぎない。それがテロス。そこで生まれ育ったファーディナンドにとって凍った池を見るのは初めてのこと。
本当にしっかり凍っているのだろうかと怪しんでいる部分もある。
「ウォルフ、乗れ」
「試そうとしてます?」
「いいから行け」
ウォルフはグラキエス出身であるため魔法の中で氷属性を一番信頼しているため疑いなく氷の上に乗った。
「陛下、見てください! 大丈夫ですよ!」
二メートルを超える巨体が乗ってもミシッと圧がかかる音すらしないことに疑いは消えるが、どうにも乗る気にならない。隣に立つイベリスは目を輝かせており、乗ってこいと声をかけようものなら手を引かれて強制的に氷の上を滑ることになるのは目に見えている。
声をかけずとも今にも走り出しそうなイベリスと極力目を合わせないようにウォルフを見ていると距離が変わっていく。
「あーこれヤバいやつだ。ヤバいわ」
割れないことを証明したウォルフが両手を広げたまま笑顔で遠ざかっていく。本人はその場から一歩も動いてはいない。特別な靴を使用しているわけではなく、滑り止めもついていない靴のせいで氷の上で立ち止まることはなく、立っているだけで勝手に滑っていく。
笑顔で遠ざかっていくウォルフを心配したイベリスがサーシャに連れ戻さないと、と訴えるもサーシャは無理だと言った。
〈池の向こうに着くだけですので大丈夫でしょう〉
〈遠いよ?〉
〈氷を解除して濡れるよりはマシかと〉
相変わらずウォルフに対して冷たい態度を取るサーシャにイベリスは眉を下げる。ウォルフは気さくに話しかけているのだが、サーシャは無視することが多い。十回話しかけて十回無視されることもあると笑っていたウォルフに気にしている様子は見受けられなかったが、昔馴染みの相手と偶然にも再会したのに無視されて悲しくないはずがない。
イベリスはテロスでリンウッドと再会して無視されたらと考えると無性に悲しくなった。ウォルフもきっとそんな感じだと想像するがサーシャの対応を強制はできない。できれば仲良くしてほしいと願うだけ。
「あれでも滑ると言うのか?」
〈でも滑るだけでも楽しいのよ?〉
「俺には流されているだけのように見えたが?」
〈ほら、時には流れに身を任せるのもいいと思わない?〉
「任せすぎじゃないか?」
どんどんと遠くへ行ってしまうウォルフを見ていると出てくるのは「楽しそう」や「面白そう」といった前向きなものではなく「想像と違った」だった。
リンベルでは上手く滑れていた。なぜここではそうじゃないのかと答えを求めてサーシャを見ると城を出る前から持っていたブラシをイベリスに見せる。
〈これで氷に少し傷をつけます〉
〈滑らなくなるんじゃない?〉
〈しっかりと傷をつけると引っかかって転んでしまいますが、表面を少しだけ傷つけることによって滑りすぎるのを防ぎます〉
〈楽しめる?〉
〈やってみないことにはなんとも言えませんが〉
あくまでも可能性の話だと言ってブラシを手に氷の上に乗ったサーシャをハラハラしながら見ていると立っていたサーシャが氷の上に寝転んだ。
寝転んだまま起き上がらず、晴れた空を見上げて黙っているサーシャに慌てて池の際まで駆け寄って顔を覗き込む。その際。イベリスの手はファーディナンドの手を握ったままだ。何かあれば引っ張ってもらおうと考えてのこと。
〈大丈夫!?〉
手を伸ばしてサーシャのエプロンを掴むとそのまま引っ張った。スーッと流れてくる姿は誰の目にも滑稽に映るが、サーシャの表情に変化はない。
「これでは死者が出るのではないか?」
ファーディナンドの問いにようやく起き上がったサーシャが難しい顔をする。
「グラキエスでは子供だけですが、転んでも楽しそうに何度でも挑戦していました。子供は吸収が早く、すぐに滑れるようになるんです」
「だといいがな」
「死者が出るようなことはありませんでしたが……いかがいたしましょう?」
「イベリスが既にイベント告知をした以上は今更取りやめというわけにもいかんだろう。死者が出たら中止と触れ回っておけ」
「かしこまりました」
テロスの街を流れる川は池よりも凍らせるのに時間がかかるためそろそろ向かわねばとイベリスに伝えるとパッと手を離してサーシャと腕を組む。
〈行ってくるから、戻ってきたときには滑れるようになっててね〉
「俺は忙しいんだ」
〈でも時間作ってくれるでしょ? 月をスポットライト代わりに夜のアイスリンクで踊るのも素敵だと思わない?〉
「また風邪をひくことになるぞ」
〈バカも風邪ひくものね〉
「お前のことだ」
ベーッと舌を出して門前に停めてある馬車へと向かう二人を見送ると隣を猛スピードで駆け抜ける獣が視界に入った。追いついた瞬間にボンッと音を立てて人型へと変わったウォルフをイベリスが笑う。
馬車の前では既にマシロが待機しており、一緒に馬車に乗り込んだ。
街は告知のおかげか、まるで建国記念パレードでも行われるのではないかと勘違いしそうになるほど大勢の国民が集まっていた。
彼らも凍った川を見たことがない。凍る瞬間を一目見るべく側道に陣取り、全員が似たような厚着をしながら待っている。
側道から階段を下りて川に近付いたサーシャがその場でしゃがみ、手をかざす。サーシャの手が小さなダイヤモンドダストを作り出しているかのようにキラキラと輝き、それが川に触れた瞬間、池を凍らせたとき同様に一気に凍っていく。
響く歓声と拍手。
「イベリス様、周りをご覧ください」
表示された言葉に側道を見上げると集まっていた国民のほとんどが拍手をしていた。音は聞こえないが指笛を吹いている者もいた。
しばらくして子供たちが「まだー?」と声を上げ、それにウォルフが対応する。
「えー、この氷が簡単に割れることはありませんが、さすがにこれだけの数が一斉に乗るとどうなるかわかりませんので告知どおり人数制とさせていただきます。時間制限ありでの交代。これには我々騎士団が係となって対応しますので順番を守ってお待ちください。とてもよく滑るので小さいお子さんは必ず保護者の方と手をお繋ぎになってお楽しみください。死者が出た時点で中止となります。どうかあまり無茶なことはせず、まずは慎重に慎重に、生まれたての仔馬のような感じでお願いします」
用意していた拡声器で告げると子供たちが一斉に「はーい!」と返事をした。それにまた笑顔になるウォルフに令嬢たちが色めき立つ。
暫くして端まで凍ったのを感じたサーシャが手を離し、凍り具合を確認して頷いたことでウォルフが係の騎士に合図を出した。既に階段前には長蛇の列。
途中で作った氷の柵がスペースを分ける。大人とぶつかって怪我をしないようにと作られた子供向けのスペース。そこへ続く列も多かった。
「本当にロベリア様にそっくりだ」
「まるでロベリア様が生き返ったようだ」
「嬉しいねぇ。陛下もさぞお喜びのことだろう」
「あの結婚式のときの陛下はとても嬉しそうだったからな」
イベリスの近くに立つ国民が口にする言葉がイベリスに聞こえていないのが幸いだと二人は思った。彼らの言葉が文字として見えていたらイベリスは傷ついていたに違いない。
「ロベリアさま」
列から抜けて近付いてきた幼子がイベリスの足に腰に抱きついた。
〈ふふっ、なあに? どうしたの?〉
嬉しそうに笑うイベリスが抱き上げると幼子は嬉しそうに笑って今度は首に抱きついた。
十六歳で既に母親になっている者もいるため、皇妃となったイベリスが母でもおかしくはない。柔らかな匂いがする子供と頬を合わせる姿は微笑ましいが、二人は複雑な心境でそれを見ていた。
「すみません! 本当にすみません!」
母親だろう女性が慌てて駆け寄ってくる。奪うことはできないため両手を伸ばすと幼子が自分から母親に両手を伸ばして戻っていく。
「本当にロベリア様と瓜二つなんですね。姉妹ではないんですよね?」
「違います」
「じゃあ陛下がロベリア様と瓜二つの女性を探し出して再婚されたということですか?」
「イベリス様に惚れて再婚なされただけです」
「でもここまでそっくりだと──」
井戸端会議でもするようにそこに留まる女性の詮索に対してウォルフは苦笑しながらの対応だったが、サーシャは違った。
「列にお戻りください」
場が凍るほどピシャリと言い放った。女性は気まずそうに夫がいる列へと戻っていくが、何か言いたげに振り向いてはイベリスを見ていた。
〈彼女はなんて言ってたの?〉
「近くで見ると遠くで見たときよりもずっと愛らしくて驚いたと」
〈ホント~?〉
「騎士は嘘はつきません」
〈そうなの?〉
「はい。そう誓いを立てるんです」
「天性の嘘つきのくせに」
イベリスに聞こえないのをいいことにサーシャがその場で嘘だとバラしては近くにいた国民がクスクスと笑う。
〈戻りましょうか〉
〈もう少しこの景色を見ていたいわ〉
ゆっくりと、慎重に、本当に生まれたての仔馬のように足を震わせながら必死にバランスを取っては転ぶ大人たち。それを笑うあっという間に滑るコツを掴んだ子供たち。ここに怒りや悲しみといった感情は存在しない。イベリスはその光景がとても美しいものに見えた。
〈陛下がお待ちですよ〉
〈どうせ仕事してる〉
〈わかりませんよ? イベリスとのスケートデートのために練習されているかもしれません〉
〈絶対ない〉
〈じゃあ帰って確かめてみましょう〉
そこへ繋がるかとサーシャの誘導に笑うともう一度だけ目の前に溢れる笑顔を焼き付けて馬車へと向かう。乗り込んだ馬車から外を見ると手を振ってくれる国民に笑顔で手を振り返す。
「イベリス様は人気者ですね」
〈すごく嬉しい〉
胸の正面で開いた両手を交互に上下させるイベリスをウォルフも真似する。説明してもらわずともそれが「嬉しい」の手話であることはわかった。
サーシャだけがそこに笑顔を浮かべない。ここに到着してからこの瞬間まで、国民の誰もがイベリスの名を口にしなかった。手を振って見送るこの瞬間でさえ、彼らは「ロベリア様」と呼んでいたから。
174
お気に入りに追加
903
あなたにおすすめの小説
死に戻ったわたくしは、あのひとからお義兄様を奪ってみせます!
秋月真鳥
恋愛
アデライドはバルテルミー公爵家の養子で、十三歳。
大好きな義兄のマクシミリアンが学園の卒業式のパーティーで婚約者に、婚約破棄を申し入れられてしまう。
公爵家の後継者としての威厳を保つために、婚約者を社交界に出られなくしてしまったマクシミリアンは、そのことで恨まれて暗殺されてしまう。
義兄の死に悲しみ、憤ったアデライドは、復讐を誓うが、その拍子に階段から落ちてしまう。
目覚めたアデライドは五歳に戻っていた。
義兄を死なせないためにも、婚約を白紙にするしかない。
わたくしがお義兄様を幸せにする!
そう誓ったアデライドは十三歳の知識と記憶で婚約者の貴族としてのマナーのなってなさを暴き、平民の特待生に懸想する証拠を手に入れて、婚約を白紙に戻し、自分とマクシミリアンの婚約を結ばせるのだった。
【完結】元婚約者の次の婚約者は私の妹だそうです。ところでご存知ないでしょうが、妹は貴方の妹でもありますよ。
葉桜鹿乃
恋愛
あらぬ罪を着せられ婚約破棄を言い渡されたジュリア・スカーレット伯爵令嬢は、ある秘密を抱えていた。
それは、元婚約者モーガンが次の婚約者に望んだジュリアの妹マリアが、モーガンの実の妹でもある、という秘密だ。
本当ならば墓まで持っていくつもりだったが、ジュリアを婚約者にとモーガンの親友である第一王子フィリップが望んでくれた事で、ジュリアは真実を突きつける事を決める。
※エピローグにてひとまず完結ですが、疑問点があがっていた所や、具体的な姉妹に対する差など、サクサク読んでもらうのに削った所を(現在他作を書いているので不定期で)番外編で更新しますので、暫く連載中のままとさせていただきます。よろしくお願いします。
番外編に手が回らないため、一旦完結と致します。
(2021/02/07 02:00)
小説家になろう・カクヨムでも別名義にて連載を始めました。
恋愛及び全体1位ありがとうございます!
※感想の取り扱いについては近況ボードを参照ください。(10/27追記)
兄のお嫁さんに嫌がらせをされるので、全てを暴露しようと思います
きんもくせい
恋愛
リルベール侯爵家に嫁いできた子爵令嬢、ナタリーは、最初は純朴そうな少女だった。積極的に雑事をこなし、兄と仲睦まじく話す彼女は、徐々に家族に受け入れられ、気に入られていく。しかし、主人公のソフィアに対しては冷たく、嫌がらせばかりをしてくる。初めは些細なものだったが、それらのいじめは日々悪化していき、痺れを切らしたソフィアは、両家の食事会で……
10/1追記
※本作品が中途半端な状態で完結表記になっているのは、本編自体が完結しているためです。
ありがたいことに、ソフィアのその後を見たいと言うお声をいただいたので、番外編という形で作品完結後も連載を続けさせて頂いております。紛らわしいことになってしまい申し訳ございません。
また、日々の感想や応援などの反応をくださったり、この作品に目を通してくれる皆様方、本当にありがとうございます。これからも作品を宜しくお願い致します。
きんもくせい
11/9追記
何一つ完結しておらず中途半端だとのご指摘を頂きましたので、連載表記に戻させていただきます。
紛らわしいことをしてしまい申し訳ありませんでした。
今後も自分のペースではありますが更新を続けていきますので、どうぞ宜しくお願い致します。
きんもくせい
懐妊を告げずに家を出ます。最愛のあなた、どうかお幸せに。
梅雨の人
恋愛
最愛の夫、ブラッド。
あなたと共に、人生が終わるその時まで互いに慈しみ、愛情に溢れる時を過ごしていけると信じていた。
その時までは。
どうか、幸せになってね。
愛しい人。
さようなら。
本当に私がいなくなって今どんなお気持ちですか、元旦那様?
新野乃花(大舟)
恋愛
「お前を捨てたところで、お前よりも上の女性と僕はいつでも婚約できる」そう豪語するノークはその自信のままにアルシアとの婚約関係を破棄し、彼女に対する当てつけのように位の高い貴族令嬢との婚約を狙いにかかる。…しかし、その行動はかえってノークの存在価値を大きく落とし、アリシアから鼻で笑われる結末に向かっていくこととなるのだった…。
愛しの貴方にサヨナラのキスを
百川凛
恋愛
王立学園に通う伯爵令嬢シャロンは、王太子の側近候補で騎士を目指すラルストン侯爵家の次男、テオドールと婚約している。
良い関係を築いてきた2人だが、ある1人の男爵令嬢によりその関係は崩れてしまう。王太子やその側近候補たちが、その男爵令嬢に心惹かれてしまったのだ。
愛する婚約者から婚約破棄を告げられる日。想いを断ち切るため最後に一度だけテオドールの唇にキスをする──と、彼はバタリと倒れてしまった。
後に、王太子をはじめ数人の男子生徒に魅了魔法がかけられている事が判明する。
テオドールは魅了にかかってしまった自分を悔い、必死にシャロンの愛と信用を取り戻そうとするが……。
骸骨殿下の婚約者
白乃いちじく
ファンタジー
私が彼に会ったのは、九才の時。雨の降る町中だった。
魔術師の家系に生まれて、魔力を持たない私はいらない子として、家族として扱われたことは一度もない。
――ね、君、僕の助手になる気ある?
彼はそう言って、私に家と食事を与えてくれた。
この時の私はまだ知らない。
骸骨の姿をしたこの魔術師が、この国の王太子、稀代の魔術師と言われるその人だったとは。
***各章ごとに話は完結しています。お気軽にどうぞ♪***
【完結】今夜さよならをします
たろ
恋愛
愛していた。でも愛されることはなかった。
あなたが好きなのは、守るのはリーリエ様。
だったら婚約解消いたしましょう。
シエルに頬を叩かれた時、わたしの恋心は消えた。
よくある婚約解消の話です。
そして新しい恋を見つける話。
なんだけど……あなたには最後しっかりとざまあくらわせてやります!!
★すみません。
長編へと変更させていただきます。
書いているとつい面白くて……長くなってしまいました。
いつも読んでいただきありがとうございます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる