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厄介な感情

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(犬……?)

 今朝までいなかった存在が突然現れたことでイベリスは喜びよりも戸惑いが大きく、ハッハッハッと舌を出して呼吸する真っ白い大きな犬を見ながら固まっていた。

「どうした? 喜ばないのか?」

 疑問というより不満を顔に出しながら問うファーディナンドと犬を交互に見るイベリスの口は開きっぱなし。何故ここに犬がいるのか、その疑問でいっぱいだった。
 ポケットから取り出したメモ帳にイベリスは〈どうして犬がいるの?〉と書いて見せた。それを読んだファーディナンドは取り寄せたと言った。

〈どうして?〉
〈犬を飼いたいと言っていただろう〉
〈でも、あなたは犬は飼いたくないって言ったじゃない。だからウォルフを雇ってくれたんでしょ?〉
〈犬とウォルフは違うだろう〉

 気が変わるにしても突然すぎる。彼の中で一体何があったというのか。あれだけ頑なだったのにと困惑ばかりで喜の感情を一つも前に出さないイベリスにファーディナンドは苛立っていた。

「嬉しくないのか?」
〈嬉しいけど……〉
「けど、なんだ?」
〈突然すぎて驚いてる。それに、犬を飼うことは今世はもう諦めてたし〉

 傍に座ってこちらを見上げてくる犬の頭を撫でながらもやはり溢れるのは苦笑。もっと喜ぶのだと思っていたファーディナンドにとってその反応はあまりにも予想外で眉間のシワが深くなる。
 喜べ。そう口に出したい気分ですらあった。

「この一年で俺を好きになると言っただろう。俺はその願いを叶えてやろうとしているんだ」
〈あら、優しいのね〉

 そういう反応をするときだけイベリスはからかうように笑う。

〈でも嬉しいのは本当よ。ありがとう。子供の頃からの夢が叶ったわ〉

 吠えることも引っ張って催促することも何かを漁ることもない賢い犬。よく訓練されているのだろう。皇室が迎えるのだから当然だが、イベリスはどんな犬でもよかった。犬を飼って、一緒に散歩をしたいと幼い頃からの夢だったから。
 それをファーディナンドが叶えてくれるとは思っていなかったため驚きのほうが強く出てしまった。

〈散歩、一緒に行く?〉
「……そうだな」

 また驚いた顔をするイベリスに怪訝な表情を浮かべるファーディナンドに向けてメモ帳を見せる。書いてあるのは至極率直な言葉。

〈断られると思ったのに〉
「断ってほしかったのか?」
〈そうじゃないけど、あなたって私に一目惚れしたってあれだけ熱を持って求婚してきたわりには仕事だ仕事だってそればかりだったから〉
「事実忙しいんだ」

 顔を背けながら呟くように言う相手の様子がまるで言い訳をする子供のようでクスッと小さく笑ってしまう。

〈じゃあ仕事したら?〉
「息抜きが必要だと言ったのは誰だ?」
〈あら、まだ朝よ? 息抜きするほど働いてないんじゃない?〉
「俺が迎えた犬だ」
〈私が贈られた犬だから私の犬よ〉
「生意気だな」
〈ガッカリした?〉
「そうだな」

 フンッと鼻を鳴らすファーディナンドは確かに見た。口元だけ笑うイベリスの表情を。傷つけてしまったかと手を伸ばして髪を撫でると上がった顔が笑みを向ける。

「冗談だ。ガッカリなどしていない」
〈そうよね。知ってる〉

 心配して損したと言わんばかりの顔に口を開けて笑いながら立ち上がったイベリスが先に部屋を出る。
 部屋の前で待っていたサーシャとウォルフに待機するよう伝え、ファーディナンドはイベリスと二人で犬の散歩に向かった。

「俺の勘違いかもだけど、急に犬を連れてきたのって俺に嫉妬して……とかじゃないよな?」

 ウォルフと人二人分の距離を空けて立つサーシャは返事こそしないものの、同じことを考えていた。
 ここ一週間ほど、イベリスはウォルフにベッタリだった。城内を歩き回って足が痛いと訴えたイベリスを甘やかすために白狼の姿になって部屋まで運んだのがはじまり。
 ウォルフは人を乗せられるんだと目を輝かせ、ウォルフも皇妃を乗せて誇らしげにしていた。ことある毎に乗りたいとおねだりするイベリスを乗せて移動し、何度かファーディナンドともすれ違った。そして食事中もウォルフがいかにすごい種族であるかを嬉々として語り続け、気まぐれに呼ばれたティータイム中もウォルフについて話していた。
 感謝していると何度も伝えはしていたが、それは呼び寄せてくれたファーディナンドにというよりはファーディナンドの召喚に応じてくれたウォルフに、と言っているようにサーシャにも聞こえていた。
 ウォルフの話を聞く度に、ウォルフと一緒にいるのを見かける度に気分が悪いと顔に書くファーディナンドを無視して話し続けるイベリスのメモ帳はあっという間にウォルフのことで埋まっていった。
 そしてやってきた白い犬。あれではまるで当てつけではないかとウォルフでさえ思った。

「陛下はイベリス様に興味があるようには見えなかったが、出していないだけで実際はちゃんと愛しておられるんだな」
(そうかもしれない……けど……)

 サーシャにはファーディナンドの気持ちがわからなかった。ロベリアを失った際のファーディナンドの荒れ方は悲惨なもので、悲しみ、暴れ、苦しみ──誰一人として彼を慰めることすらできなかった。
 三年という年月は長いか短いか。人によって違うのだろうが、あの苦しみが三年そこらで消えるとは思えない。それは一目惚れしたと連れてきた相手がロベリアと瓜二つの少女であったことで疑問は確信へと変わった。
 ロベリアと重ねることで心に安寧が訪れたのであればいいが、イベリスへの対応はロベリアと重ねているようには見えない。かといって一目惚れしたとも思えない態度。
 しかし、今回の件は明らかに嫉妬によるもの。イベリスにそれなりの感情しか持ち合わせていないのであればウォルフをどれだけ褒めようと気にすることはない。飼うことを拒否していたぐらいなのだから意見を変えることなどあるはずがない。
 ウォルフの言うように表に出さないだけで、心の内ではちゃんと愛情を持っているのかと複雑な感情が湧き上がる。
 
「なんでそんなに暗い顔してるんだ?」

 イベリスの暗い顔は何度も見てきた。指摘すると笑うため最近はあまり指摘しないようにしている。数は多くない。時折、ボーッと何かを考えるように黙り込む時間がある。
 ファーディナンドからイベリスに対する感情も、イベリスからファーディナンドに対する感情も決して同等なものではない。だからこそサーシャはこの結婚に疑問を感じていた。
 まだ結婚して三ヶ月も経っていない。あまりにもロベリアと似過ぎているが故に中身が全く違うことに戸惑っているのだろうか。

(イベリス様はまだ陛下を好きになってはいない……)

 ドア越しに聞こえたファーディナンドの言葉。皇帝からの求婚を伯爵家が断るはずもない。ある意味、政略結婚。ファーディナンドがロベリアを愛していたような愛がまだイベリスに向いていないのも、ロベリアからファーディナンドに向けていた愛情がイベリスの中にないのも仕方ないと言える。

「たぶんだけど、今日中にイベリス様を背中に乗せるなって命令が下るだろうな」

 わざわざ白くて大きい犬を選ぶ必要はなかったはず。あえて選んだ。そう考えるほうが正しい。単純に考えればクスッと笑える微笑ましい嫉妬も、サーシャはどうにも笑えなかった。

「おー、あれ見ろよ。陛下とイベリス様が手を繋いでらっしゃる」

 あまり近寄りたくはないが、二人の様子が気になったサーシャが窓に近付いて下を見ると噴水の傍を散歩している二人が見えた。
 イベリスがリードを持ち、ファーディナンドがイベリスの手を握っている。いや、イベリスがファーディナンドの手を引っ張っていた。
 イベリスが話をするにはメモ帳を持つ手とペンを持つ手の二つが必要。両手が塞がっていては話もできない。ファーディナンドの言葉に首を縦か横に振るぐらいしかできないが、ファーディナンドと共に散歩をするイベリスは至極楽しそうだった。
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