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屈さない覚悟
しおりを挟むパーティーが終わった後は嘘のように静かになる夜がコンラッドは好きだった。
誰もいない庭で眠るティファニーを膝に乗せて過ごす静かな時間は驚くほど穏やかで心地良く感じる。
「コンラッド様」
「ん?」
ヒールでありながらあまり音を立てない上品な歩き方はコンラッドが知る中でも数少なく、顔を見ずとも誰かわかる。
顔を上げずに返事をすると目の前にしゃがんだマリエットが眠るティファニーの頬を優しく撫でる。
何も知らずに見れば母性に溢れた聖女なのだろうが、コンラッドはティファニーに出会う前からマリエットの本性を知っていたため今更どうこう思ったりはしない。良くも思わなければ悪くも思わない。マリエットには最初から興味がないのだ。
「迷惑をおかけして申し訳ございません。ティファニーを連れて帰ります」
連れて帰るには起こさなければならないが、マリエットは気を遣っているように静かな声で話す。後ろには取り巻きもいなければ御者もいない。マリエットがティファニーを抱き上げて連れて帰るはずもないのだから起こすしかないのに矛盾した事をするマリエットにコンラッドは鼻で笑いそうになった。
いっそ大声を出して揺さぶる方がまだ面白いと思えるのにヒロインになりたいマリエットにそれは期待できない。
「必要ない」
「え?」
「このままにしておいてやれ」
「そんな……コンラッド様にご迷惑はおかけできません」
「俺が好きでこうしてるんだ」
驚きに見開かれたマリエットの目には見たことがない優しい目をティファニーに向けるコンラッドの姿があった。
「で、でも……もう遅いですし、連れて帰らないとヘザリントン伯爵が心配されますから。ティファニー、起きて。帰りま……」
親の心配を理由に起こそうとしたマリエットの手を強めに払ったコンラッドは真顔を向ける。怒りか呆れか、良い印象は受けない表情に困惑しているマリエットに届いた言葉は
「聞こえなかったか? 俺が好きでこうしてるんだ。満足したら送る」
「ですが……」
しつこく食い下がる姿にあからさまな溜息を吐けば不愉快を顔に出してマリエットを見た。
「ハッキリ言わなければわからないか? ジャマをするなと言ってるんだ」
「ッ!?」
耳を疑いたくなる言葉にマリエットはショックを受けるがすぐに去りはしなかった。このままティファニーをコンラッドと二人きりにしておくわけにはいかないという焦りと自分が婚約者という意地がヒロインのお決まりである涙と共に走り去るという行動に移させなかった。
そんなマリエットにコンラッドはすぐ笑みを向ける。
「もう遅い。お前こそ帰った方がいいんじゃないか? 親が心配するだろう。ウインクル公爵は親馬鹿なほど心配性だからな」
嫌味と侮辱が同時に襲いかかってくる。明らかに悪意の込められた言葉に意地悪で言っているのではなく本心から言っているのだとわかるとマリエットの目に涙が溜まるもコンラッドからの『言い過ぎた』の一言はない。
「最近……ティファニーと一緒にいらっしゃる事が多いんですのね」
「ティファニー・ヘザリントンは面白い。俺の興味を惹く」
「ティファニーの噂をご存知ですか?」
「性悪女だろう? 知ってるさ。実際に性悪だ。話していてよく伝わってくる」
「なら……」
「そこがいいんだ。品行方正なんかクソくらえだ。吐き気がする」
ジャマだと言われるよりずっとショックを受けた。
結婚したいと思っていた相手の言葉は自分の生き方を否定するもので、それを吐き捨てられるように言われると自分の苦労はなんだったのかと涙が溢れた。
「何を泣いてるんだ?」
「だって……こんなのあんまりですっ」
「お前は何か勘違いしてるようだから言ってやるが、俺とお前の今の関係はただの同級生というだけでそれ以上でも以下でもない。俺が誰といようがキスしようがお前に責める権利はない」
トドメの一撃に耐えきれずその場を走り去ったマリエットにクククッと喉奥を鳴らしながら顔をティファニーの寝顔に向ければ縦ロールを指に巻き付けて遊ぶコンラッドは上機嫌だった。
「さあ、どう出るだろうな」
正当なヒロインの座を手に入れるため、品行方正を貫いてきたマリエットにとって婚約者と決めていた男に『性悪がいい』と言われたのは耐えがたいものだったはず。卒業と同時に結婚するには時間がある事を思えばコンラッドに見切りをつけて他の王子を探すのも一つの手だ。父親に頼めば何も難しい事ではないはず。
だがマリエットはそうしない。コンラッドには確信があった。
マリエット・ウインクルは誰よりもプライドの高い女。プライドの塊といっても過言ではない。そんな人間が他の女に取られたという状況を作れるはずがない。
もし仮に自分から断ったという話を広めたとしてもコンラッドがティファニーと親しくしている姿を見れば『コンラッドはマリエットではなくティファニーを選んだのでは?』と思う者は必ず出てくる。それはあっという間に取り巻きの耳に入り、腫れ物に触るような態度を取られる事をマリエットは侮辱と感じるだろう。
ティファニーが十年間も悪役令嬢を装ってきたように、マリエットも十年間という時間をヒロインになるために費やしてきた。今更その努力を水の泡にするとは思えなかった。
だからこそコンラッドは楽しみだった。何がなんでも婚約者の座を勝ち取りたいマリエットには今回、二つの選択肢が与えられた。
〝性悪な本性を見せる〟
〝品行方正を貫く〟
品行方正に対して嫌悪を見せたコンラッドのために変わるか否か———
どっちに転んでも面白い事になると肩を揺らして笑うコンラッドの目にティファニーが瞬きをする姿が映った。
「ああ、起きたのか。残念」
「目覚めなければよかったとでも言いたいんですの?」
「王子のキスで目覚めさせたかったって意味だ」
「けっこうですわ。それよりこうなってるということは……またやってしまいましたのね」
「ああ。でも倒れる前に俺が受け止めたから問題にはならなかった」
まさかパーティー会場で寝てしまうとは思っていなかっただけに失態だと溜息をつくも髪で遊ぶ手を鬱陶しいと払った。
身体を起こそうとするティファニーの肩を押さえてまた寝かせるコンラッドの行動が理解出来ず、不愉快そうに眉を寄せて睨み付けると張り付けたような不気味ともいえる笑みで顔が近付いてくる。
「ちょ、ちょっとなんですの!?」
「一緒にいた男は誰だ?」
「は?」
「一緒に踊ってた男だ」
「知りませんわよ。名前も聞いてませんもの。どこかの公子だと思いますけど」
「俺といるより楽しそうに見えたのは見間違いか?」
思い出すと胸がまたドキドキと音を立てて高鳴る。
「君には協力者が必要だということを忘れてないよな?」
「……ええ」
脅しにも聞こえる言葉に不快感を露わにするも事実であるため返事はしたが、笑顔は見せなかった。
肩に置かれた手を払って起き上がるとそのまま立ち上がって腕を組み、コンラッドを見下ろす。
「今日の計画が上手くいかなかったのはあなたがパーティーに遅れたせいだというのをお忘れ?」
「抜けられない用事があったんだ」
「他の女性とイチャこいてたせいですの?」
「おいおい、さすがに俺でもパーティーの前に他のレディと遊ぶ約束はしないさ。大事な勝負の前だからな」
嘘くさいと顔を背けるティファニーはコンラッドを信用していなかった。コンラッドの協力は必要だが、それ以外はどうでもいい存在としてしか見ていないため、どこで誰と遊ぼうと興味はない。しかし、大事なイベントに遅れられては全てが台無しになってしまう。
自分の人生を賭けた抵抗に失敗は許されないのに今日、ティファニーは失敗した。コンラッドが遅れなければ成功していたはずの事が全て台無しになってしまったと責めたいのを堪えていた。
「そんな顔で睨まないでくれ。君が眠り姫になっている間、俺が代わりにマリエットに言っておいた」
「……余計なこと言ってませんわよね?」
「品行方正はクソくらえだって言っておいた。君が性悪女だから気に入っているのだともな」
信じられない言葉に絶句するティファニーの目には『イイ事をした』と言わんばかりの得意げな顔が映っているが、ティファニーの中に「よくやった」という言葉が一ミリも出てこない。
「……やっぱり、王子が傍にいると悪役令嬢にはなれない気がしますの」
「急にどうした?」
「とてもじゃありませんけど今回の発言は褒められたものではありませんのよ」
「何故だ?」
何もわかっていないコンラッドに自由行動をされるとティファニーの計画が狂ってしまう。協力してくれるのはありがたく、協力は必要不可欠だ。しかし、勝手な事をされては意味がない。
協力者か、破壊者かわからないのであればコンラッドの存在にティファニーは疑問を感じてしまうから。
「わたくしがマリエットに与えたいのは嫉妬や怒り、焦りですわ。でもあなたが与えたのは絶望。もしマリエットがあなたを諦めたらどうしてくれるおつもりですの?」
「君のファーストキスを奪った責任を取って婚約する」
頼る相手を間違えたかと後悔さえ感じ、額に手を当てながら溜息をついて首を振る。
「わたくしの麗しの唇を奪った事は水に流してさしあげますわ。あなたがマリエットと婚約する気がないように、わたくしはあなたと婚約する気などありませんので」
「怒ってるのか?」
呆れすぎて笑顔以外出すものがなくなってしまった。
「とりあえず今日はもう帰りますわ。わたくしの貴重な時間をムダにしてくださってありがとう」
「俺への当てつけであの男と踊ったのか?」
「わたくしがあなたへ当てつけをする理由は?」
「俺がマリエットとしか踊らなかったから」
「わたくしがそれに嫉妬し、踊ったのはあなたへの当てつけだと?」
「そうだ」
目がなくなるほど笑みが深まるティファニーの中にある言葉は『コイツ頭おかしい』という暴言。
何をどうすればそんな考えに至るのかがわからなかった。
「君のような一匹狼は当てつけでもない限り、男と踊ったりしないだろう」
「素敵な誘われ方をすればわたくしだって踊りますわ」
「素敵な誘われ方ねぇ?」
「踊りませんわよ」
立ち上がったコンラッドに先に断ればすぐに座った。
「本当にあの男が誰か知らないのか?」
「知りませんわよ。友人をこっぴどくフったマリエットがどんな女なのか見に来たと言ってましたわね」
「それで君をダンスに誘うのか?」
「ええ。まあ、わたくしの魅力にかかれば公子の一人や二人オトすぐらいなんてことありませんのよ」
縦ロールを後ろに払っては頬に手の甲を当てて目を細める姿にコンラッドはニコッと笑顔を見せた。それはティファニーが浮かべる張り付けた笑みと同じだった。
「喧嘩でしたら買いますわよ」
「伯爵令嬢に買えるか?」
挑発めいた言葉にティファニーの額に青筋が浮かび、手は拳を作る。
「帰りますわ」
「送ろう」
「結構ですわ」
「馬車もないのに?」
「向こうで待機して……ない?」
いつもティファニーが来るまで待っている馬車の姿はなく、あるのは王室専用の絢爛豪華な馬車だけ。
「帰らせた」
当たり前のように言うコンラッドに目を見開くティファニー。
「どうして!?」
「いつ起きるかわからないのに待たせるのは可哀相だろう」
「起こしてくださればよかったのに!」
「キスで?」
「揺らして!」
「心を?」
「身体を!」
「イヤラシイな」
「何がですの!?」
完全に遊ばれている事に気付いていないティファニーの必死の反論に肩を揺らして笑うコンラッドに思いきり眉を寄せるも笑いはなかなか収まらない。
遊び人を相棒に選んだのが間違いだったと激しい後悔に襲われながら馬車に向かって歩き出した。
「馬車の中で何しようか?」
「ゲームをしましょう」
「お、いいな。ゲームは得意だ。どんなゲームかな?」
隣に立って肩を抱くコンラッドの脇腹に肘鉄をくらわすとニッコリ笑って言い放つ。
「だんまりゲーム」
何が言いたいのかわかったコンラッドは両手を上げて軽く首を振る。
ドスンッと音を立てて座ったティファニーは令嬢にあるまじきドレスの下で足を組むというはしたない姿を見せながら腕を組んで窓の外を見つめるも表情は怒りというよりどこか不安げで、コンラッドはその顔に手を伸ばした。
「なんですの?」
触られないように顔を遠ざけ、怪訝な顔で見るとコンラッドの顔から笑みは消えていた。
「遅くなって怒られないか?」
「どうでしょう。父はわたくしがルールを守った悪役令嬢を演じきれれば何も言いませんもの。今日はあなたと踊りませんでしたけど、あなたがマリエットに余計な事を言ったせいでマリエットはウインクル公爵に告げ口をし、ウインクル公爵が父にお叱りの電話をかけ、わたくしはそれについてのお叱りを受ける。あなたの勝手な行動のおかげで」
容易に想像がついてしまう事に肩を竦めるティファニーの嫌味に謝罪はなく『ふむ』と呟いて顎に手を当てて考え込むコンラッドがどうかまた余計な事を考えているのではないかと眉に寄ったシワが消えない。
「もし酷い叱られ方をするならこう言えばいい」
「何ですの?」
二人きりの馬車で何故内緒話のように耳打ちをするのかわからなかったが、これ以上話を余計な口を開きたくないため耳を貸した。
「……よろしいの?」
「使えるものは王子でも使えって言うだろ?」
「……まあ、そうですわね」
実際使えると思ったからコンラッドに全てをバラして協力を頼んでいるのだから今更常識ぶって否定する事でもないと頷いたティファニーは帰る気分が少しだけ軽くなった。
少しだけ。
「部屋まで送っていこうか?」
「わたくしに死ねと言ってますの?」
「ヘザリントン伯爵もおかしな人だ。娘が王子に気に入られれば普通は喜ぶべきだろうに」
生まれた時から王子の座を手にしている者に苦労はわからないだろうとティファニーは首を振る。
「王子一人に気に入られても他の貴族が敵では肩身が狭いでしょう? あなたに気に入られたからといって王族に気に入られた事にはなりませんもの」
「確かにな」
「縦の繋がりより横の繋がりの方が強いんですの。貴族の世界で生き残るのは簡単じゃありませんのよ」
「そうなのか」
真剣な顔で話を受け止める姿に意外だと思うも
「でも俺は君を気に入っている。君を妻にすれば楽しい毎日が送れそうだ」
「あなたはそうでしょうね」
「俺は次男だ。同居はない」
心底どうでもいい会話だと返事はせず手を振って馬車を降りるティファニーの髪飾りを取ったコンラッドに慌てて振り向くもすぐにドアが閉められ窓が開いた。
「だんまりゲームは君の負けだ」
「は? あれはあなたが手を伸ばしてきたからですわ!」
「でも黙って払う事も出来た。君の負けだ」
「……くたばれ」
大人の対応をしようと思ったが、笑顔を浮かべるのが精一杯で、言葉まで大人になるのはムリだった。
べらべらと喋ったのは自分だと自覚があるだけに指摘されたのは異常に腹の立つ事だと表情が歪む。
「いい子だからさっさと寝るんだぞ」
「わかってますわ。あなたこそママのおっぱい吸いながら寝ないようお気を付けを」
「気をつけよう」
笑いながらドアをバンバンと叩くとコンラッドを乗せた馬車は走っていく。
一人になった玄関でティファニーは一度深呼吸をする。
父親が起きてなければいい。マリエットが泣きついていなければいい。お叱りがなければいい。
願う事がありすぎて踏み出す一歩が重すぎる。
「ティファニー、部屋に来なさい」
「はい」
ドアを開けて中に入るとティファニーの願いはあっけなく散った。
待ち構えていた父親の表情から見るにマリエットの父親から報告があったのは確かだろうと確信する。
溜息もつけないままティファニーは覚悟を決めて階段を上がっていく。
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