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242話 悪意の表面化

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「だからやっていません!」
「君ねぇ。そろそろ認めたらどう?」

 何度も繰り返される押し問答。
 狭く息苦しい個室の中で数人に囲まれながら俺は頭を悩ませていた。

 やっていないことは、やっていない。
 ただ、それだけ。

 それ以外の答えはないのだ。
 しかし、それとは逆の答えを言うように詰められる。

 世の中は不条理だ。
 このような状況になった時、どうすればよいかわからない。

 このままでは、皆に迷惑がかかる。
 そして、俺自身の人生も——。



 ◇ ◇ ◇



 夏服をスタートさせてからの翌日。

 今日は一人で学校へ向かう。
 いつもは一緒になる冬矢はたまたま今日に限って寝坊しそうだから先に行ってとメッセージで伝えてきた。

 俺はしょうがないなと思いながら、一人で電車に乗り込んだ。

 秋皇学園に向かう電車は、やはり朝ともあって学生やサラリーマンで混み合う。
 満員とまではいかないが、なかなか座ることは難しい。

 ただ、家からの距離はそれほど遠くないため、電車に乗っている時間は少ない。
 そう考えているうちにも、もうすぐ秋皇学園の最寄り駅に到着だ。

 俺は電車のドア近くに移動し、すぐに降りれるように準備をした。
 そんな、いつも通りの行動——だったのに、それは唐突に起こった。

「——きゃあああああ! こ、この人痴漢ですっ!!」

 俺の目の前にいた女子高生が急に声を上げた。

 あまりの大声に俺は驚き飛び退いた。
 しかし、俺は飛びのけていなかった。なぜなら、目の前の女子高生が俺の右手首をガッチリと掴んで離さなかったから。

 その瞬間、体中からおびただしい汗が吹き出すのを感じた。
 同時に電車に乗る全ての人から集まる視線。何が起きているのか理解できず、俺は気が動転してしまった。

「は、はぁ!?」

 俺が右手首を掴まれたということは、痴漢の犯人が俺だということだ。
 しかし、絶対にそんなことはしていない。

 そもそも今の今まで目の前に女子高生がいるだなんて気づかなかったし、入口近くまで移動してすぐのことだった。
 痴漢する時間などあり得るはずもなかったのだ。なのに、急に叫ばれた。
 けど、それを証明する手立ては俺にはなかったのだ。

「だ、誰か男の人! 押さえてください!」
「は!? やってない! ちょ!? いたっ!? 何するんだ!」

 その女子高生の声に反応したのか、近くにいたサラリーマンらしき男たちに取り囲まれ、腕や肩を掴まれた。
 痛い。逃げないようになのか、思い切り俺の至る所を掴み離さない。

 さすがに筋肉がある俺でも複数人相手にはどうしようもなかった。

 どこかで聞いたことがある。
 痴漢冤罪に遭った時にはまず逃げること。一度警察に突き出されれば、そこからはもうほとんど有罪が確定するという。

「るりか!? 大丈夫!?」

 男たちに掴まれている間、俺を痴漢の犯人に仕立て上げた女子高生に近づくもう一人の女子高生がいた。
 名前を呼んでいる辺り、友達だと思われた。

 そして今になって気づいた。
 彼女たち二人は、俺と同じ秋皇学園の制服を着ていたことに——。

「な、那実……私……」
「うん……うん……大丈夫。もう心配しないで……」

 近づく友達にその女子高生——るりかは顔を両手で覆って、涙声を出していた。
 その様子を見たもう一人の女子高生——那実が俺の方を向くと、鋭い目で睨みつけた。

 二人の会話を不自然に思った。
 この二人は最初から近くに隣にいたわけではない。いつの間にか那実が俺の背後から現れたのだ。

 そして、普通であれば最初に声をかけるべき言葉は『大丈夫?』ではなく『何があったの?』ではないだろうか。
 まるで何が起きるのか初めからわかっていたような問いかけに聞こえたのだ。

 そう考えているうちに駅に到着。目の前のドアがプシューっと開いた。
 すると電車の中で起きていた異様な様子に、ホームに並んでいた電車を待っていた人々が一斉に俺に視線を集めた。

「助けてください! 冤罪です!」

 俺は逃れようと必死になって力を入れた。しかしサラリーマンからの拘束は外れない。
 声を出して助けを求めるも、誰も助けてはくれなかった。
 それもそうだ。朝っぱらからこんなトラブル、誰も関わりたくない。関わったら最後、学校にも会社にも遅れる可能性が出てくるのだ。

 結局、俺は駅員室まで連れていかれ、学生証の提示を求められた。



 ◇ ◇ ◇



「うっ……うっ……」
「るりか……少しずつで良いから……どんなことされたか、話してみて? 言えなかったら私から話すから……」

 駅員室に入ってからは、二人の女子高生と二人の駅員に囲まれた。
 サラリーマンの男たちは既にこの場にはいない。駅員に俺を引き渡してからすぐに会社へと向かったようだった。

 すぐ目の前で泣いている様子を見せているのがるりか。
 背中を撫でながら、どう痴漢されたのかを話させようとしているのが那実だ。

 俺にはそれが演技だとわかっていた。

 あの時、どう考えても痴漢できるような環境ではなかった。
 近くには男は俺くらいしかいなかったし、誰も彼女には触れられる距離ではなかったはず。

 ここから考えられることはターゲットは俺だったということだ。
 しかも同じ学校の生徒。俺は彼女たちのことは知らないが、彼女たちは何かしら俺に恨みがあったのかもしれない。
 しかし俺には彼女たちに恨まれることについて全く心当たりがなかった。

「お尻……いきなり、触られて……私……勇気を振り絞って……声出したんです」

 白々しいことだ。
 あんなにはっきりと大声で叫んでおきながら、今は弱々しい自分を見せるようにして泣く演技をしている。
 こんなバレバレな演技、焔村火恋じゃなくたって見抜ける大根役者だ。

 しかし、その状況を見ていなかった駅員にはそれがわからない。

「……駅員さん。とりあえず、すぐに警察呼んでください」
「ちょっと待ってください! 本当に俺はしていないんです!」

 るりかの話を聞くと那実が駅員にそう告げる。
 警察を呼ばれたら、それこそもう終わりだ。俺はなりふりかまっていられなかった。

 しかし、暴力沙汰を起こしてここから逃げても、意味はない。

 最悪なのは、ここが秋皇学園の最寄り駅ということだ。
 俺はこれからも何度もこの駅を使う。もしかするとここに連れてこられるまでのやりとりだって、誰か秋皇の生徒に見られていた可能性もあるのだ。

「私見ました! この子が言ってる通りです!」
「だからやっていません!」
「君ねぇ。そろそろ認めたらどう?」

 駅員からの最初の言葉は俺を突き放すような冷たい言葉だった。
 その言葉があまりにもショックで、心が痛くなった。
 なぜ、証拠もなく決めつけて話せるのだろうかと。

 この後も何度かやってるやってないの押し問答が繰り返され、俺に自供するように促した駅員。
 このやりとりを見て、俺はそういうマニュアルになっているんだろうなと感じたくらいだった。

 そんな中ただ一人、他の皆とは違う反応を見せた駅員がいた。
 それは俺と彼女たちの学生証を眺めていた駅員で——、

「廣井るりかさんに横里那実さん。そして君は九藤光流くん……」

 学生証の名前を読み上げ。
 それぞれの名前が明らかになる。

 俺は初めてこの時、彼女たちのフルネームを知った。

 そして、そんな時だった。
 突如、駅員室に外部からの電話が鳴り響いたのだ。

「——はい」

 その電話を取ったのは俺の学生証を眺めていた駅員だった。
 真面目そうなその駅員は、しばらく頷いているばかりだったが、最後に「わかりました」と呟くとそのまま電話を切った。

「今のは警察ですか?」

 そう聞いたのは、るりかの肩を支えている那実だ。

「いや、このような事案でいきなり警察から連絡してくることはないだろう。そもそもこの件のことをまだ知らないのだから」
「あ、そっか……そうですよね」

 どうやっても早く警察を呼びたいのか、その気持ちが透けて見えた。

「——九藤光流くんで間違いないね?」

 すると、その駅員が俺に学生証を返しながら、名前を確認した。

「はい。九藤光流ですけど……」

 聞かれた通りに本人だと返した。
 そして、俺が逃げないようにか奥に預けられていたカバンを手に取ると、そのまま俺の目の前の机に置いてきて——、

「解放だ。ここから出て行っても問題ない」
「え?」

 俺はその駅員からの言葉で呆けた声を出した。
 そのまま警察に連れて行かれると思っていたのに、なぜか解放を宣言されたのだ。

 まだ起きた状況が理解できず、目の前の机に置かれたカバンを持てずにいた。

「え!? どういうことですか!? この人痴漢したんですよ!」
「ちょ、ちょっと先輩? さすがに僕もどういうことなのかよくわかりません。通常ならすぐに警察に連絡するはずですけど……」

 那実と最初に俺を詰めてきた駅員が、その先輩駅員に説明を求めた。

「詳しいことは説明できない。ただ、その九藤光流くんは解放しても良い。どうしても連れていきたいなら、直接警察に九藤光流くんを連れて行くといい。鉄道会社としてやれることはもうない」

 説明できないという言葉はさらに俺を混乱させた。
 しかし、俺以上に混乱したのは女子高生の二人だろう。

 るりかの方は一度泣いた演技をしてしまった手前、いきなり大声を出すことなんてできなかった。
 ただ、ぶら下げていた拳は強く握られていて、自分の思い通りにならなかったと悔しがっているように見えた。

「意味がわかりません! なんで痴漢した側が許されるんですか!?」
「…………」

 しかし那実の言葉に反応せず、先輩駅員が歩き出し、駅員室の扉の鍵を開けた。
 そうして扉を開けると、無理矢理にるりかと那実を駅員室から放り出したのだ。

「えっ……えっ……!?」
「ちょ、ちょっと!?」

 さすがのるりかももう演技できなかったのか、顔を上げて驚いていた。

「九藤光流くん。君もだ。行っていいぞ」
「え……はい……」

 まだ頭が混乱するなか、俺はカバンを持って駅員室の外に出た。
 そして、そのまま扉を閉められたのだ。

 鳴り響くのは電車の発車音や改札を通り人々が行き交う足音。
 その場にポツンと残された俺と二人の女子高生は一定の距離を取っていた。

「絶対に許さない……」
「私も、あんたを絶対に許さないから……」

 鋭い目線で強い怒りを二人から向けられた。

 そんな時、俺はふいに思い出したのだ。
 なぜ、今思い出したのかわからない。

 遠い記憶のはずなのに、なぜ……今。

 でも、俺は忘れないために、スマホのメモにずっと残していた。
 いつか来るかも知れないその時の為に。

 そうはあってほしくないと願いながら、彼女たちの前でスマホを開いた。
 スマホ画面には学校に遅れた俺を心配してくれたのか、ルーシーや冬矢たちからのメッセージや着信が複数件入っていたが、そのメッセージに目もくれずメモを開いた。

 そしてスクロールしていき、メモ欄のうちから一つのメモをタップして開いた。

「廣井るりか、横里那実……」

 俺は小さく名前を呟いた。

「私たちの名前がなんだっていうのよ!」
「許さないのは……許さないのは俺の方だ……! お前らは俺が絶対に許さないっ!!」

 那実の言葉に対し、俺は強く大きな声で言い返した。

「な、なによっ!?」
「突然意味わかんないんだけど!?」

 俺の大声に驚いたのか、那実もるりかも一歩後ずさる。

「………………」

 ただ、俺が今できることはもうなかった。
 できることがあるとすれば、すぐにでも学校へ行ってルーシーたちを安心させること。

 だから俺はカバンを持って秋皇学園に向かって走り出した。

「お、おい! 逃げるな!!」
「逃げるな! この痴漢野郎!!」

 二人からそんな言葉を背中越しに浴びせられるも俺は振り返らずに走った。
 既に改札からはでているため、そのまま駅を出るだけだった。

 そうして、俺はその場から急いで立ち去った。



 ◇ ◇ ◇



「ちょっと先輩。どういうことなのか説明してくださいよ」

 駅員室に残された、二人の駅員。
 後輩駅員が先程の出来事に納得できていないようで、それを先輩駅員に問いただす。

 いつもなら、このような事象が起きた時はまず警察に連絡する手筈だった。
 しかし今回はなぜかそうはしなかったのだ。当然の疑問だった。

「ああ、お前は聞いていなかったよな。実はな以前から言われていたんだ。ある人物がトラブルを持ってきた時、それは冤罪だと。そのまま解放しろという話だ」
「え……? そんな……誰の指示なんですか?」

 突拍子もないことを言われ、後輩駅員は困惑する。
 そしてそんな指示を出した相手が誰なのか気になった。

「上だよ。ついでに……これは言えないな」
「上って……それだけじゃよくわかりません!」

 そう会話をするなか、先輩駅員は駅員室の机の上に置かれていたタバコを一つ手に取り、それに火を点けた。
 吸い込み、ふぅっと白い煙を吐いて、一言。

「世の中には知らない方が良いことがたくさんあるってことだ……」
「そ、そんなの……理由になってません!」
「理由にならないからこそ、そういう状況も存在するんだ。良いから今のことは忘れておけ。あと、これからも九藤光流のことはスルーしろ」
「犯罪も見逃せってことですか?」

 出した名前は九藤光流。
 なぜただの高校生がそんな優遇をされなければいけないのか、後輩駅員は納得できていなかった。

「そうだ」
「…………本当に冤罪ってことですか?」
「ああ。まず百パーセントそうだな」
「意味がわかりません」

 まだ納得していない後輩駅員。
 犯罪の善し悪しは駅員が判断することではない。このあとやってくるはずだった警察に任せるべき判断なのだ。
 後輩駅員はいつも通りにそうしただけ。有罪だと決めつける発言はよくなかったが、連れて来られる大半が見た目からして捕まりそうなおじさんばかりだったため、そう詰めてしまった。

「はは。今日は勤務終わったら飯奢ってやるから、世渡りを覚えておけ。真面目なだけじゃ見えないことってあるもんだぞ」
「天丼! 三千円の天丼で手を打ちましょう!」
「お前なぁ……まあ良いだろう、今日くらいは」
「おし! じゃあ今のことは水に流しますね!」
「そうしてくれ……」

 後輩駅員は現金な性格だった。
 納得できないことだとしても、天丼一つで買収される。これだけで後輩をコントロールできるのなら先輩としても願ったり叶ったりだった。

「それにしても。あの女子高生、どうなるかな……ふぅ……」
「先輩、何か言いました?」
「いいや……」

 意味深なことを呟き、先輩駅員は天井に向かってタバコを吹かした。


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