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1話 包帯の少女

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「うっ……うっ……なんで……私だけ、なんで……」

 小学四年生、十歳のとある日。
 灰色の空からは大粒の雨が落ちてきていた。
 
 学校からの帰り道。傘を差しながら一人で歩道を歩いていると、いつも通る公園の奥から啜り泣くような声が聞こえた。

 地面と傘を打ちつける雨粒の強い音で、聞こえるはずもなかった小さな声。

 でも、この時の俺は、なぜかその声が耳元まで届き、自然と公園の入口で足を止めた。
 水分を含みぐちゃぐちゃになっていた土。歩くのもはばかれるようなその場所を、水たまりも避けず靴を汚しながら進んでいった。

 声の元を探して歩くと、目の前には大きなドーム型遊具があった。

 横に複数の穴が空いているその遊具は、中に入ることができ、天井に穴がないせいか雨から身を守ることにうってつけの場所だった。


「————」


 中を覗き込む。

 するとそこには、俺と同じくらいの歳の子が体育座りの状態で、空から降り注いでいる雨の如く、目と思われる部分から涙を流していた。

「ぁ…………」

 そして俺はいつの間にか彼女に目を奪われていた。

 ツルツルでサラサラで綺麗な金髪の髪に、日本人らしからぬサファイアのような碧眼。寒い季節に合わせた上等そうな服——厚めのアウターとスカートの下には黒のタイツを履いていて、近くには皮のカバン型リュックが置かれていた。
 雨で体が濡れてしまったのか、全身がびっしょりになっていることが見て取れた。

 そして、彼女の顔全体には、白い包帯がぐるぐるに巻かれてあった。
 先程、"目と思われる部分"と言ったのはこの包帯が原因だ。よく見ると視界を塞がないためなのか目の部分だけ包帯が巻かれていなかった。

「ねぇ、そこの君。どうしたの?」
「うっ……ううっ……」

 声をかけたものの俺の声が聞こえていないのか、彼女は泣き続ける。

「ねぇってば! ——大丈夫?」
「え? ……はぁっ!? 何!? こっち来ないでっ!?」

 少し大きな声を出すと、やっと彼女が気づいた。
 しかし、心配したはずが、近寄ることを拒否されてしまう。

「いきなりごめん。でも、泣いてたから……」
「あっ……うう……いいの。これはしょうがないことなの。私はこの先ずっと泣いてばっかりなんだ……」

 どうしてか、彼女はまだ俺と同じ子供のはずなのに、人生を諦めたような悲しいことを言う。

「なんで? ……もしかして、その包帯が原因なの?」

 この頃の俺は純粋だった。それが相手の傷を深く抉るものだとしても、好奇心でそのまま気になったことを口に出してしまっていた。

「見ればわかるでしょっ! 私は……私はっ! ずっとこの包帯がとれないのっ!!」

 吐き出す彼女の言葉から、悲痛な気持ちが伝わってくる。

「そうなんだ……なんで包帯とっちゃいけないの?」

 成長した俺ならこんなデリカシーのない発言はしなかっただろう。

「それは……」
「君のこと、知りたいんだ」

 なんて恥ずかしいセリフを言っていたんだろう。
 ただ、彼女の綺麗な髪と青い瞳が気になり、その下にある顔も見てみたいというのが本心だった。

「——ぜったい私のこと、嫌いにならない?」

 俺の言葉が通じたのか、彼女は涙を拭い、こちらに視線を向ける。

「うん……。俺さ、君と会ったばっかだし、嫌いになることなんてあるわけないよ。その綺麗な髪、素敵だなって思った。うちの学校じゃ見たことないよ!」

 俺が通う小学校では、こんなにツヤツヤでサラサラな髪の女子は見たことがなかった。
 だから最初に彼女の金の糸のような綺麗な髪を見た時、惹き寄せられるように話しかけてしまったんだと思う。

「私の髪……ほんとに、ほんと……? 学校の子は私のこと、変だとか汚いとか言ってくるのに?」
「——っ。うん、絶対だ」

 その言葉を信じてくれたのか、彼女は少しずつ顔面全体に巻いていた包帯をゆっくりと解いていく。

 少し包帯が解けるだけで、彼女が悲しんでいた理由がよくわかった。
 でも俺はそれ以上になぜか、彼女の別のところに目を奪われてしまっていた。

 そしてついに、はらりと全ての包帯が解け、それが地面へと落ちる。
 彼女はゆっくりと青い双眸をこちらに向けた。


「————っ」


 俺は驚き、そして息を呑んだ。
 こんな女の子がいるのかと。この世にこんな女の子が存在して良いものなのかと。

「ほら……やっぱり、君も他の子と一緒なんだね。その顔見ればわかるよ……」

 俺の表情を見てか、諦めたような顔をした彼女。
 瞳が揺れ、再び包帯に手をかけようとしていた。


「——綺麗だ」


「……え?」


 俺の言葉で彼女の表情が驚きのものへと変わる。戸惑いを隠せず、一瞬両手を頬に当てて可愛い仕草をする。

「そ、それは……ど、どういう……?」
「君のこと、綺麗だって言ったんだ」

 彼女の目を見ればわかる。「この人何を言ってるんだ?」と、そう思っている表情だ。

「うそ……うそだ……だって! だって!! 私こんな酷い顔なんだよ!? こんなぶつぶつだらけで、もう治らないって言われた!! こんな顔じゃ友達なんてできるわけない! できたこともない!」
「それで、泣いてたんだね……」

 彼女の顔を見れば、誰でも一瞬にして理解する。顔は目と唇を除いて肌全体が全てニキビのような赤黒い吹き出物で埋め尽くされていた。普通の人ならとてもじゃないが彼女に対して綺麗とは言えないだろう。

「そうだよ! こんな顔になっちゃったから……友達なんてできないっ!! 悔しい……私だって仲の良い友達を作って一緒に遊びたいっ! 楽しいことしたい! でも、私にはそんなの許されないことなのっ!!」

 青い瞳から涙を零し、泣き叫びながらも自分の願望を演説してみせた。
 確かに彼女の顔を見て、大変な病気なのだろうと思った。でも俺は、それ以上に気になったことがあったのだ。

「ねえ、君の顔、ほんとに綺麗だよ? 嘘じゃないよ? だって……こんなに……とにかく綺麗なんだっ!!」

 まだ成長途上の顔なのに筋の通った少し高い鼻。最初に綺麗だと思った金に艶めく長い髪、宝石のような青く大きな瞳に、その上にある長いまつ毛。ぷっくりと潤った薄ピンクの唇に少しだけ彫りの深い骨格。

 そして……同じ小学生でもわかる、まだ子供だがベビーフェイスと言われそうなほど、お人形さんのように小さな顔。

 この時の俺は、もちろんこんな表現をできるはずもなかったが、今彼女を見ればこう表現しただろう。

「うそ……うそだ……! お父さんやお母さんみたいに……思ってもないことを言うんでしょっ! だって、誰が見てもこんなの綺麗なわけがないっ!!」
「じゃあ俺は他の人とは違うってことだね。君が他の人と違うなら俺と同じじゃん。仲間だねっ! へへっ」

 俺はにかっと笑顔を見せて彼女に笑いかける。すると、彼女は少しずつ怒りに任せていた表情を和らげていく。

「仲間……?」
「そう、仲間っ! 俺たち仲間なら、友達みたいなもんでしょ? そういや君、友達いないって言ってたよね? なら俺が今日から友達だっ!!」

 すると彼女の表情が激変した。
 表情と言っても、彼女の顔は吹き出物ばかりで読み取りづらいだろう。それでも俺は口や眉の動きさえわかれば、十分に彼女の感情が予想がついたし、今までのやりとりで表情がコロコロと変わる子だとも、少ない時間で理解した。

「とも、だち……? わたしに? ともだち……?」
「あぁ、俺が君の友達第一号! これは俺だけの特別だねっ! 他のやつに渡さないぞ!」

 彼女は両手で顔を隠した。
 顔を見られたくないから? いや、彼女が隠したのは別のものだった。

「うっ……ううっ……ともだち……ともだちっ……わたしに、はじめての……っ」
「お、おい……どうしたんだよ? そこは喜ぶところだろ?」
「だって……だって、そんなこと言ってくれた子……君が、はじめてで……っ」

 彼女は大粒の涙を目に溜めて、それが頬から顎先にかけて流れていく。両手だけでは隠しきれない大量の涙は、俺にも分かる形でついには地面に落ちていった。

「ほら、よしよし……俺たち友達だろ? なら、これからできるだけ毎日ここで会おう! そんで、お互いのこと話そう!」

 彼女の頭を優しく撫でて、未来のことを話す。
 ここで友達だと言うだけなら誰でもできる。でも、会って話して遊んでこそ、本当の友達だ。

「いいの? また会って……」
「ったりまえだろ! 友達なんだから! 友達はお互いのこと知らなきゃならない! 俺は君のことまだ全然知らない! だから教えてほしい!」
「うん……うん……私も、君のこと知りたい……っ」

 彼女の涙が止まると、声をひくつかせながらも、前向きになったように俺へと興味を見せた。

「——ねぇ、君の名前は?」
「私の名前は……宝条ほうじょう・ルーシー・凛奈りんなっていうの」

 初めて聞いた名前だった。日本人は普通もっと短いはずだった。
 それに、中には英語が混じっていた。

「すっげ~!!! カッコ良すぎる!! ゲームの主人公みたい!! それ、外人さんがつける名前みたいなやつ!?」
「うん……ミドルネームていうんだけど。私、ハーフってやつなの。お父さんが日本人で、お母さんがイギリス人」

 この時の俺は彼女に外国人っぽい名前が入っていたことに、これ以上ないほど興奮していた。こんな子と友達になれるなんてと、嬉しさが爆発した。

「いや、すっげぇ! 最高の名前だな! 羨まし~っ」
「というか、名前聞くなら先に教えてよ……」

 確かに。こういう時は先に名乗った方がいいんだった。
 アニメとかでも戦う時の礼儀みたいな感じだった気がする。

 そう思った俺はやっと自分の名前を名乗った。

「あ、悪い悪い。——俺の名前は九藤光流くどうひかるっていうんだ! よろしくね!」
「くどう……ひかる、くん……。あれ、ひかる……ひかるくんってもしかして、電気が光るの光って漢字書く?」
「おお! すごいな! そうだよ! 光と流れるって漢字繋げて『ひかる』っていうんだけど、その光って漢字が入ってる!」

 その瞬間、彼女——宝条・ルーシー・凛奈の表情が激変した。
 俺はその顔が喜びの表情だと理解した。

「ね、ねえ!! すごい……わたし、私のルーシーってミドルネーム、意味は『光』って言うんだよっ!!」
「ええっ!? 光って俺と同じじゃん! すげぇ!! 俺たち運命じゃんっ!! これすげえよルーシー!!」
「うんっ……うんっ……すごいよ、すごい……!!」

 互いに"光"という意味を持つ名前が入っていることが判明し、興奮しながら二人して喜び合った。

「ねぇ、ルーシーって呼んでいい? 俺たち光って字で繋がってるなら、呼ぶならそれがいいだろ? だから君も俺のこと光流って呼んでほしい」
「うんっ!! いいよ。ひかる……光流っ!!」

 もう先程まで悲しんでいた彼女はそこにはいなかった。俺は彼女の笑顔が見れただけで、もう満足だった。

「なぁ、スマホ持ってるか? ちょっと貸してくれない?」
「え? 持ってるけど……」

 するとルーシーは、ゴソゴソとカバンの中からスマホを取り出して、俺へと渡してくれる。

「これ、こうか? ……俺まだスマホ買ってもらってないからさ、ちょっと借りるね?」
「何をするつもりなの?」
 
 俺はルーシーから借りたスマホを操作し、試行錯誤の上、カメラモードを起動した。

「今日は俺たちの友達記念日っ! だから、一緒に写真撮ろっ!!」
「えっ!? でも私、こんな顔映したく、ないよ……」

 確かに彼女の気持ちを思えばそうだろう。
 自分の顔がまだ完全に好きになれていないのだから、当たり前だ。

「それなら、手で隠してもいい。包帯を巻き直してもいい。でも俺はルーシーと一緒に撮りたいんだ!」
「隠しても、いいなら……」
「よしっ、ありがと!」

 俺は彼女が自分の顔に対して酷いコンプレックスを持っているのにもかかわらず、写真を撮ろうと迫った。なんてデリカシーのない酷い行動だったろう。でも、ルーシーは怒ることはなく、写真を撮ることを了承してくれた。

 使い慣れていないスマホ操作でインカメ状態にする。
 そして、まだ短い手をドーム型遊具の天井へと伸ばして二人を一緒の画面に収めた。

「ほら、もっとこっち近寄って!」
「え……でも……きゃあっ!」

 俺は強引にルーシーの肩を抱き寄せて、体を密着させる。
 ルーシーは両手で顔を隠し、誰なのかわからない状態になる。でもこの写真に映っているのが誰なのか、自分だけがわかれば良かった。

「じゃあいくよ~っ……はい、パシャっ」
「お、終わった……?」
「うん、ばっちり!! じゃあ返すね。スマホありがと! 写真消しちゃだめだよ~」
「うん。消さないよ。……だって、二人の記念日……だもんね」

 嬉しそうに微笑むルーシー。
 いつか自分がスマホを買ってもらった時、その写真を送ってもらおうと思った。

 ルーシーがスマホをカバンにしまうと、包帯を顔に巻き直していった。
 そんな時、ドーム型遊具に誰かが近づいてきて——、

「——お嬢様っ! こんなところにいらして……あ……そちらのお坊ちゃんは?」

 スーツを着込んだ老齢の優しそうなおじいさんがドーム型遊具の穴から顔を覗かせる。
 そして、ちらりと俺の方へと視線を向けた。

「あ、氷室……もう来ちゃったのね。ええと、光流……この男の子のことは……あとで話すっ」

 氷室と呼ばれた男性。今の短いやりとりでルーシーの家の関係者だとわかった。
 お金持ちの家はこういう執事のような人がいるとアニメで見たことがある。本当に存在するんだと、その事実に少しだけ驚いた。

「あ、はじめまして。ぼく九藤光流って言います。ええと、ルーシーさんをたまたまここで見つけて、ちょっとお話してました」

 俺は使い慣れない敬語で、これまでの経緯を話した。
 氷室さんは一瞬訝しげに俺を見つめると、その後すぐに優しい表情に戻した。

「そうでしたか。それはそれは——お嬢様の面倒を見ていただきありがとうございました。お嬢様の表情を見るに、とても良きお話相手になられたのでしょう」
「氷室……あなた……私の表情、わかってたのね……」
「ええ、もちろんです。そちらの九藤様も恐らくわかってらしたのでしょうね……」

 それはわかるだろ。
 もしかして、ルーシーの表情の変化が他の人にはわからないのか。こんなに泣いたり喜んだりわかりやすいのに。

「では、もうこんなお時間です。行きましょうか。公園の入口に車を停めてあります」
「うん、その前に一つお願い! 光流とお話するのに、また明日もここに同じ時間に来たいのっ! お願いっ!」

 氷室さんは手を顎に当てて、少し考える。
 ルーシーは自由に行動できるわけではないのかな。ルーシーを探しに来たことを考えると、どこからか逃げ出してきた可能性もあった。

「わかりました。まずは旦那様と奥様にお話しましょう。私の一存では決めかねます。ただ、九藤様もこちらに同じ時間に来られるというなら、無駄足にならないよう最低でも私がこちらへ足を運ぶとお約束しましょう」
「ありがとうございます! じゃあ明日も学校が終わった頃の同じ時間に、ここにきます!」

 氷室さんの言葉に俺も喜びを見せ、明日も必ずこの場所に来ると約束した。

「ええ、ご理解ありがとうございます。良いお坊ちゃんですね……」

 そうして、ルーシーはドーム型遊具の穴から外に出る。
 氷室さんが傘を差して、ルーシーに雨がかからないように車まで誘導していった。

 俺も外に出ると傘を差して二人の背中を見送る。
 そして、車へと乗り込むルーシーの、その背中に向かって——、


「——ルーシーっ! 明日、楽しみにしてるからっ!!」
「うん! わたしもっ!!」


 そうして俺たちは別れ、互いに帰路についた。



 ——このルーシーとの出会いが数年後、思いも寄らない未来に繋がることに、この時の俺はまだ知る由もなかった。


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