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番外編
2.女子(2)
しおりを挟む――魅力的なのはやっぱり瑛士君だ、と改めて思う。
塾の帰り道、いつもはバスを使うけど今日は頑張ったから「歩いて帰るならコンビニスイーツ買っても良いよ」って神の声が聞こえた気がした。徒歩でもバス停三つ分くらいなのだ。
体型維持にも気を配らないといけないけれど、たまには良いだろうって珍しくコンビニに寄った先で、あの神の声は本当は別のご褒美を用意してくれてたんだって思った。
「瑛士君だー。偶然だね」
コンビニで立ち読みしている瑛士君に会えた。声を掛けてはみたものの、見慣れた制服じゃないラフな姿に心臓はバクバクだった。黒のTシャツに黒のスウェットなのに、キャップとかゴツめのブレスレットとか時計とかの小物がいちいちオシャレでときめく。
「おー、おつかれ。塾とかの帰り?」
「そうそう。瑛士君は何してるの」
「帰りにマック寄ったら食いすぎてさ。夕飯要らねーけどそれ言うとキレられるから消化中」
まだまだ家には帰れないらしい。残念ながら一緒に帰るなんて夢のような展開は望めそうにないか。学外で二人きりで話せただけでも幸せだ。このコンビニにはよく来るのーなんて会話を長引かせつつ情報収集をする私に抜かりはない。
引き際だって心得ている。付き合ってるみたいに並んで立って、ガラスに映る自分たちに満足したら、名残惜しいけれど手を振ってスイーツコーナーに移動した。
あんな彼氏欲しいなぁ。
すごく思うけど、きっと付き合っては貰えない。少なくとも今は。告白する子は後を絶たないけど、見事に全員玉砕している。瑛士君に付き合う気がないっていうのは本当だと思う。
「美味しそうな物って何でカロリー高いんだろ……」
今は自分磨きに専念するべきだ、と思うのに。瑛士君に見合うように、ここはスムージーとかで我慢しておくべきなんだろう。
「うわーそれ分かるわー」
しかし未練がましくスイーツを眺めていた私の独り言に、予期しない返事があって驚く。
「――田中君?!」
「あ、おつかれ。やっぱ塾帰りはコンビニ寄るよね」
「びっくりしたー。全然気づかなかった」
「山田さんスイーツに魅了されてたもんね」
揶揄われているようでムカつく。そういう田中君はスイーツではなく、見るからにカロリー過剰なおかずと大盛りチャーハンをよだれを垂らす勢いで眺めている。
「晩ごはん?」
「いや、帰る前に食べ歩きたい。持って帰ると弟達と分ける羽目になるし……」
「なら、それは不向きじゃない?」
男子中学生がいかにも好みそうではあるけれど。私の正論に田中君は哀れみを誘う悲しげな顔を向けてきた。もし耳が生えてたらぺしょんと垂れてしまっていただろう。
「片手で食べられる物にしたら?」
「色々食べたいのに……手が足りない」
年齢を疑いたくなるくらい阿呆な事を真剣に悩む田中君は、ちゃんと中学生だと主張するように制服を着ている。あれこれ目移りしながら唸る姿は不覚にもちょっと可愛く思えた。
見た目に気を使わないから地味なだけで、容姿はそんなに悪くないと思うのだ。ふにゃっとした覇気のない表情と年下っぽい雰囲気から男って感じがあまりしない。良くて少年だろう。
恋愛対象として見てくれる子は多くないだろうけど、きっと田中君にはしっかりした子が似合う……たとえば私みたいな?
「――手伝ってやろっか?」
突然、背後から瑛士君が現れてドキッとした。
「え、え、瑛士君!」
「こっちは入って来た時から気づいてんのに、田中全然見ねーのな。普通ちょっと見るだろ」
驚く田中君を見る瑛士君は、何だかとても楽しそうだった。唐揚げとかアイスとか、片手で食べられる物を提案しつつ、当たり前みたいに田中君以外の手の存在を想定して話している事に違和感を抱く。
「俺も帰るとこ。持ってやるから途中まで一緒に帰ろ」
遠慮する田中君に、つまみ食いさせてもらうから気にするなーなんて事を言っている。さっきはお腹を空かせる為にぶらついてるって言ってたのに。
単なる社交辞令かもしれないけれど、瑛士君のこれは優しさとか思いやり……の範囲内なんだろうか。田中君はむしろ恐縮して本当に困っていそうなんだけど。
「俺ら先帰るから。じゃあなー」
「山田さん、また学校で!」
私はほんの少し生まれかけていた妙な感情に蓋をした。何となくむしゃくしゃした気持ちで、でっかいシュークリームを二種類両手に鷲づかんでレジに行き、食べ歩きながら帰った。すごく美味しかった。
――私はきっと瑛士君を好きではなかったんだと思う。
今まで生きてきた中で間違いなく一番格好良い人だから。ドキドキしたり、キュンってしたり……そんな事は多々あったけれど、彼と仲良くする事が自分の格上げになる気がしていたのは確かだ。
中学生の私たちは大人になった今では笑えるほど幼かった。
自分の気持ちに向き合うなんて事が上手く出来ずに、色んな事に惑わされてしまう。とにかく不器用で下手くそだった。
中学の卒業式に見た、二人の姿が今でも忘れられない。
やはりというか瑛士君は別れを惜しむ大勢の人に見送られていた。同じ格好の人たちに囲まれていても、瑛士君だけそこから浮き上がっているみたいに遠くからでもすぐに見つけられる。
私はそれを恋をしているからだと思っていた。思うようには距離を縮められなくて、連絡する手段だけ必死に手に入れても少し虚しかった。輪の中の彼を眺めても悔しさだけが湧いてきた。
親しい友人達と集まっている田中君を見つけた。笑い合って楽しげに、私と同じように遠くから瑛士君を眺めている。阿呆っぽい姿につい目元が緩んだ――けれど、クラスメイトがその場から移動していく中で田中君だけがいつまでも瑛士君を見つめていた。
欲しいと言い出せずに泣き出しそうな子供の顔で。
言えばいいのに、と思った。見ているこっちが辛くなるような目で見ている癖に……いや、普段の田中君の様子を思えば、自分で気づいてもいないのかもしれない。
「……田中君はずるいなぁ」
半笑いで呟くとポロッと涙が溢れた。悲しい事に自分で気づいていないから、ああやってギリギリ涙を流さず立っていられる――なんで代わりに私が泣いてあげなきゃいけないんだろう。
私だって、あんなに世話が焼ける男の相手は御免だ。
泣き顔を見られたくない私はしばらくの間、校舎内に隠れていた。段々と人が減っていくのが音と気配で分かる。そろそろ帰っても良いかな。帰った後、また出掛ける予定もあるし。
教室を通りがかったのは本当に偶然で、物音が聞こえたのが自分のクラスだった場所でなかったら気にも止めなかったと思う。何気なく覗いて、音の原因を探ったら――見てしまった。
さっきまで華やかに輪の中心に居た彼が、教室に一人きりで項垂れていた。顔が地面に付きそうなほど深く俯き、しゃがみ込んで、その手だけが縋るように机を掴んでいる。
感情の波に合わせてか、机をガタガタと揺らす。先ほど目にしていた姿とのあまりの違いに息を呑んだ。悔しさだけが強く伝わってくる。何を考え、どんな気持ちなのかは分からない。
それでも――その机が誰の物かは知っている。
偶然かもしれないけれど、偶然ではないと私は思った。本当に馬鹿みたいだ。田中君も、瑛士君も、そして私も。表面ばかりで全然上手く出来ないから失敗ばかりしている。
私はその後の彼らを知らない。
ただ思い起こせば、苦く……少しだけ甘かった青春時代は私を強くしてくれた大切な時間だったと思う。彼らがどこかで誰かと幸せになっていてくれたら良いな、と本心から願うばかりだ。
【おわり】
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