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ブエン・ビアッヘ 中
ブエン・ビアッヘ 中
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その後、オスタルに戻った三池はシャワーを浴びながら、山本が自分に関して言った言葉が心の中で澱のように沈殿し、沈着していくのを感じた。
と同時に、役員になれずに、定年退職を迎えた自分に内心は忸怩たる思いを感じていること、役員になっている同期の仲間に対する嫉妬めいた感情も併せ持っていることに気付き、少し暗澹たる気分に陥った。
悟りきったつもりでいても、そうそう、悟りきることなんか、なかなかできやしないものだなあ、畢竟俺も俗物に過ぎない、とつくづく思った。
ふと、香織の方を見たら、香織は成田からの飛行機で貰った週刊誌を所在無げに見ていた。
もし、彼女と結婚していれば、もう少し違った人生になったかも知れない。
三池はそんなことを思いながら、バルコニーから暮れていく通りを眺めた。
五日目 五月十三日(木曜日)
目が覚めたら、八時を過ぎていた。
香織もつい、寝過ぎてしまったようだ。
二人はお互いの寝坊振りを冷やかしながら、オステルを出た。
昨日は、少し食べ過ぎたせいか、お腹が空かず、朝食は抜くこととした。
サグラダ・ファミーリアをもう一度訪れてから、ガウディの建築群を集中的に観るためにアシャンプラ地区周辺を観ることとした。
リセウ駅から地下鉄・三号線のトリニタート・ノバ方面の電車に乗り、ディアゴナル駅で地下鉄・五号線のオルタ方面の電車に乗り換え、サグラダ・ファミーリア駅で下車した。
サグラダ・ファミーリアの中を観てから、外に出て、ベンチに腰を下ろして教会の尖塔を見上げながら、三池は思った。
もう六十になった、俺はあと何年生きるのだろうか、今は一人ぼっちでこれからも一人ぼっちだ、覚悟はしているが、どうにも遣りきれない、ガウディが不慮の死を遂げた時、この教会の塔は一本しか建っていなかったと云う、今はこのように八本建っている、最初に始めた人が死んだ後も歴史は確実に時を刻み、その仕事を完遂していく、ガウディは今あの世で幸福な時を迎えている、さて、俺は何をこの世に残すことになるのだろうか。
サグラダ・ファミーリア駅から地下鉄・五号線のコルネッリャ・セントロ方面の電車に乗り、ディアゴナル駅に戻り、地下鉄・三号線のトリニタート・ノバ方面の電車に乗り、レセップス駅で降りて、少し歩いて、グエル公園を見物した。
中央広場へ続く大階段には有名なイグアナのタイル像があり、その前で記念写真を撮る観光客で一杯だった。
その後、ガウディ博物館を見学して、レセップス駅に戻り、地下鉄・三号線のソナ・ウニベルシターリア方面の電車に乗り、ディアゴナル駅で降りて、カサ・ミラを見物した。
レセップス駅で電車に乗り込もうとした際、数人の男女に囲まれた日本人と思しき夫婦連れを見た。
その夫婦は電車の奥に入ろうとしたが、数人の男女に囲まれてなかなか奥には入れない様子であった。
それでも、何とか制止を振り切って奥に入った夫婦に舌打ちしながら、その数人の男女は電車の扉が閉まる間際に電車から降りて小走りにホームを去って行った。
これが噂に聞いた集団スリでしょうかねえ、と三池は香織に囁いた。
びっくりしました、と言って香織は大きく溜息を吐いた。
二人はカサ・ミラに入った。
直線を徹底的に排除し、歪んだ曲線を主調とするカサ・ミラという建物は結構高い入場料を取っていたが、屋根裏のようなところが博物館風な展示構成になっており、見どころは豊富であった。
その後、ディアゴナル駅から、地下鉄・三号線のソナ・ウニベルシターリア方面の電車に乗り、パセジ・ダ・グラシア駅で降りて、カサ・バトリョを観た。
この建物も高い入場料を取って内部を見せていたが、観る人を幻惑させる蠱惑的な魅力に満ちていた。
それから、パセジ・ダ・グラシア駅に戻り、地下鉄・三号線のソナ・ウニベルシターリア方面の電車に乗り、カタルーニャ駅で降りて、二百メートルほど歩いて、『フレスコ』というサラダ中心のビュッフェ・レストランで少し遅めの昼食を摂った。
店内は広かったが、人気のあるレストランらしく、ほとんど満員という盛況であった。
「時に、香織さん、今の貴女の暮らしを聴かせてください。昨日は僕の今の生活を話しました。今日は、貴女の番です」
「別に、とりたてて、お話しするほどのことはありませんわ。私も結構することが多く、時間を持て余すことはございません。ステンドグラスの習いごとに関しては先日お話ししましたわね。その他、五年ほど前から、お茶も習っております。また、住んでいる文京区にはいくつか図書館があり、私がよく行く茗荷谷駅近くの図書館にはレコードとかCDが結構沢山あります。CDは貸し出されますが、レコードはその図書館の中でヘッドフォーンによって聴くんです。私も時々、レコードを聴きます。この間なんか、サラサーテのツィゴイネルワイゼンが収録されているレコードを五枚ほど借りて、全部聴き比べをしたくらいです。その他、二十分ほど歩いて後楽園に行くとか、三十分ほど歩いて池袋に行くとか、私も帽子を被ってウォーキングに励んでいるんですよ」
「香織さんもウォーキングをするんですか。それなら、僕と共通の趣味になりますね」
三池は、帽子の下から長い髪を垂らして、颯爽と歩いている香織の姿を想像した。
それは、三池の気持ちを和ませる悪くない想像だった。
一方、香織は香織で、今の三池の暮らしの中に自分が果たして割り込んでいけるものか、話しながら想像していた。
そして、そのように想像している自分に気付き、驚いた。
まあ、香織ったら、三池さんと結婚するなんて、お前は何と言う想像をしているの。
「このフレスコという店はチェーン店なのか、マドリッドにもあるらしいですよ。あそこのポスターに書いてありますから。なかなかいい店ですから、マドリッドに行った時も食べてみましょうか」
「賛成。マドリッドと言わず、いろんな街で野菜も大いに食べましょう。だって、この数日で私、確実に肥りましたから」
フレスコを出て、二十分ほど歩いて、オスタルに戻り、部屋で少し休んだ。
三池がぼんやりとバルコニーから街の通りを見下ろしていると、香織がお茶目な顔をして、三池に提案した。
「ねえ、三池さん、さっきは私、この数日で肥ったから野菜を今後どんどん食べましょうと言ったばかりで、こんなことを言うのはちょっと変なんですが、・・・。まだ、私たち、パエーリャを食べていませんよねえ。今夜の夕食、パエーリャにしません」
女の髪の毛は象をも繋ぐ、と言われる。
三池に抗する術は当然無く、八時頃、二人はバルセロナ現代美術館の近くにある『オリヒナル』というレストランまでオステルから歩いて行き、念願のパエーリャを食べた。
香織の好みで、シーフードのパエーリャを注文したが、魚介類がたっぷりと入っており、少し塩気が強かったが、結構美味しかった。
飲みものはカーニャと呼ばれる生ビールをジョッキで飲んだ。
塩辛いパエーリャにはビールがよく合う、と三池は思った。
「どうも、会社を退職すると、情報が入らなくなります。何か、変わったことでもありましたか」
「あまり、財務内容としては良くないようです。まあ、世の中全体が不景気ですから、しょうがないですが。三池さんの後に部長になった方、ご存じでしょうが、三池さんとは全然タイプが違う人です。はっきり言って、人望が無い人です」
三池は少し驚いた。
おとなしく、柔和そうに見えていた香織の意外な面を見たような気がした。
分かっていたようでも、俺は案外分かっていなかった、香織は激しさを内に秘めている女性であった、ということを三池は知った。
しかし、その発見は不愉快な発見では無く、一種爽快さを伴っていた。
「三池さんが部長のままだったら、私は会社を辞めずにそのまま居たかも知れません。同僚の雅子さんも言っていました。私の気持ちが分かるって。実は、雅子さんも私と同じ齢なんですよ。私に辞めないで欲しいって、かなり言っていました。お局さまが三人から二人になってしまうからって、言って。勝手ですよねえ」
香織が噴き出しながら、明るい口調で言った。
夕食の後、泊まっているオスタル近くにある『ロス・タラントス』という店でフラメンコ・ショーを観た。
かなり安い料金で、三十分ほどのショーであったが、若手ダンサーの迫力あるフラメンコを観ることができ、二人は大いに満足してオスタルに戻った。
何だか知らないけど、三池さんには何でも言える、と香織は歩きながら思っていた。
普段ならとても言えないようなことまで、三池さんには自然と話せてしまう、でも、三池さんには少し嫌われたみたい、今の部長の悪口を聞いた時の三池さんは少し不愉快そうな顔をしていたもの、何であんなことを言ってしまったのかしら、でも、構わない、今後は少し、情熱的に生きてみたいと思っているの、今夜観たフラメンコのせいかしら。
六日目 五月十四日(金曜日)
七時に、四泊したオスタルをチェックアウトして、タクシーで北バス・ターミナルへ向かった。
五日前の夜、三池たちを迎えた若い娘が「ブエン・ビアッヘ」と送り出してくれた。
ターミナルの中にあるカフェテリアに入り、いつものようにコーヒーとクロワッサンという簡単な朝食を摂った。
八時半出発の長距離バスに乗って、バレンシアに向かった。
「さて、四時間から五時間のバスの旅です。僕はメキシコでかなりバスを利用しました。住んでいたメリダという街は交通の便がよく、大きなバス・ターミナルを持っていました。バスでいろんなマヤ文明の遺跡を訪れました。今は国際的リゾート地として有名なカンクーンにも行きました。と、言っても、当時、カンクーンはまだ開発途上で、ホテルもできていませんでしたし、当時の最終目的地はカンクーン周辺の浜辺から船で行く、コスメル島とかイスラ・ムヘーレスといったカリブ海の島だったんですが。地中海の海もなかなか綺麗ですが、カリブ海はもっと綺麗な海です。第一、海の色が違います。地中海よりもずっと淡い色をしていて、日中はエメラルドグリーンに輝き、夕方はメキシカン・オパールの虹色の光を放つのです。機会があったら、一度貴女を連れていってあげたいと思います。きっと、感激するはずです」
「お願いします。是非、連れていってください」
目を輝かせる香織を見ながら、三池は昔見た情景を思い出していた。
日本からメキシコのメリダに来て三ヶ月ほど経った十月の或る日、漸く長かった雨季が終わろうとしていた頃、俺はメリダからチチェンイッツァというマヤの遺跡見物に出掛けた。
片言のスペイン語でも何とか、長距離バスの往復切符を買うことができ、俺はうきうきとしていた。
ユカタン半島の東の端にあるメリダ周辺の夏は雨季で、すごく蒸し暑い。
七月にメキシコシティから飛行機でメリダの空港に降り立った俺たち研修生は真夜中だったにもかかわらず、あまりの蒸し暑さに驚いた。
メリダは嫌だ、快適なシティに帰ろう、とひょうきんな研修生の一人が叫び、みんなで大笑いしたものだ。
しかし、世の中うまくできたもので、十月になると、それまでのスコールがおさまり、乾季の春が翌年三月まで続く。
四月から九月までの地獄の夏と十月から三月までの快適な春、メリダという街にはこの二つの季節しか無い。
バスは一直線の道を青空の地平線を目指して快適なスピードで飛ばして進む。
途中、小さな村の停留所で休憩となった。
一番暑い時間帯だった。
俺はバスから降りて、レフレスコと一般的に呼ばれる炭酸飲料を休憩所の売店で買って飲んだ。
冷たい。
半端な冷たさでは無く、ビンの中味が半ば凍りかかっているほどの冷たさだった。
冷たければ冷たいほどいい、と思いながら飲んだ。
ふと、周りを見たら、一人の女が売店のベンチに座っていた。
真っ赤な服を着ていた。
凄い美人だった。
齢は少し食っており、目に少し険があったが、びっくりするくらい美貌の女だった。
男が売店の奥から出てきて、彼女にレフレスコを渡した。
男はくたびれた感じのする初老の男で、レフレスコのビンの中味は赤色をしていた。
気が付かなかったが、彼女の傍らには古びたギター・ケースが立てかけてあった。
ドサまわりの年増のダンサーと連れのギター弾き、と俺は勝手に思った。
記憶というのは不思議なものだ。
三十年以上も前の記憶だが、今でも鮮明に覚えている。
その女が初老の男から渡されて飲んでいたレフレスコの色の赤さまで覚えているのだ。
なぜだろう?
バレンシアはマドリッド、バルセロナに次ぐスペイン第三の都市です、と三池は言った。
バレンシア・オレンジと、パエーリャ発祥の地でもあります、と付け加えた。
メキシコで食べたパエーリャには、わざわざ、パエーリャ・ア・ラ・バレンシアーナ(バレンシア風パエーリャ)とメニューに書いてあったくらい、バレンシアはパエーリャでは有名だ、と三池は思った。
「香織さん。パエーリャの発音ですが、日本ではパエーリャという発音でなされていますが、スペイン語ではどちらかと言えば、パエージャという風に発音されます。リャはLLAと書かれますが、発音としてはジャの方に近いんです」
途中、地中海の蒼い海が見えた。
今回の旅は、カタルーニャから始まり、バレンシア、アンダルシア、ラ・マンチャ、カスティーリャと廻る。
アンダルシアまで、この海は見えているはずだ、と三池は思い、気持ちが自然と昂揚してくるのを覚えた。
五時間後、バスはバレンシアのバス・ターミナルに到着した。
歩いてもたかが知れている距離ではあったが、長時間のバスで少し疲れていたので、タクシーに乗り、市庁舎広場近くのホテルに向かった。
ホテルにチェックインし、荷物を部屋に放り込んで、早速市内見物に出掛けた。
国立陶器博物館脇を通って、中央市場に入り、スーモ・デ・ナランハ・ナテュラルと注文して、有名なバレンシア・オレンジの生搾りジュースを飲みながら、パエーリャを食べて昼食とした。
パエーリャの注文は二人前からであった。
「これは、パエーリャ・ミスタ、つまり、ミックス・パエーリャで魚介類、肉、野菜が入っている具沢山のパエーリャですが、パエーリャ・バレンシアーナとメニューに書いてあれば、そのパエーリャには必ず兎の肉が入っています。兎の肉が特徴なんです」
三池はムール貝を香織の皿に取り分けながら言った。
その後、ラ・ロンハ、ミゲレテの塔、カテドラルを見物しながら、市内を散策した。
ミゲレテの塔に登ると、バレンシアの街が一望できた。
「気持ちのいい眺めですねえ。日本を発つ前に、スペインに関する雑誌を図書館で読んでいたら、泥棒とか掏りの被害に遭った人でも、スペインにはまた行きたいと書いてありました。この風景を見ていたら、私、その人の気持ちが分かるような気がします。本当に、魅力ある街並みですよねえ」
香織が遠くをかざすような仕草をしながら、呟いた。
カテドラルからレイナ広場に出て、ベンチに腰を下ろした。
「レイナという言葉は、女王という意味の言葉ですが、ラ・レイナとあり、ラという女性の定冠詞まで付いています。果たして誰のことを指しているのでしょうか。一番有名な、イサベル女王、のことでしょうかね。夫のフェルナンドと共に、レコンキスタを成し遂げ、コロンブスのパトロンとなり、イサベル・ラ・カトリカと尊称されたイサベル女王を指しているかも」
三池は、ふと、香織の今後が気になった。
「ところで、香織さん、日本に帰ったら、何か予定でもあるんですか?」
「予定、と申しますと?」
「就職とか、・・・、ご結婚、とか」
「結婚の予定はありません。就職も少し間をおいてから考えることにしているんです。文京区あたりで、正規社員が難しければ、派遣のお仕事でも探そうかと」
結婚の予定が無い、ということを聞いて、三池は何となく安心した。
しかし、安心した自分の気持ちに少し驚かされ、狼狽した。
結婚の予定が無い、ということを聞いて、安心したお前の精神構造はどうなっているのか?
香織と結婚するつもりも無いくせに、また、香織も二十歳も齢が離れたお前を結婚相手に選ぶはずは無いのだ、これは絶対あり得ないことだから、と三池は思い、憂鬱になった。
俺は、思いもよらぬことであったが、いつしか、香織という女性を生涯の伴侶として考え始めているのだろうか?
二人はホテルに戻り、荷物を整理してから、再び市内見物に出た。
国立陶器博物館を見学した。
香織はこのような焼き物に興味があるらしく、じっくりと時間をかけて観て廻った。
丁度、Mという日本人陶芸家の作品展が開催されていた。
金・銀をふんだんに使った蒔絵風の作品が展示されており、スペイン人含め、大勢の人が熱心に鑑賞していた。
侘び・寂びといった風情は無かったが、作品が醸し出す芸術性はかなり高いものと三池の眼には映った。
「三池さん、リャドロってご存じ?」
「ああ、知っていますよ。でも、随分と高い陶器というか磁器です」
「バレンシア出身のリャドロ三兄弟が始めたポーセリンアートなんです。実は、私、今回のスペイン旅行の中で一つはリャドロを買い求めるつもりなんです」
博物館を出て、ぶらぶらと歩いていたら、リャドロの店があった。
リャドロはロマンティックな磁器であるが、値段もとてもロマンティックだ、と三池は思った。
数万円から数百万円まで、大きさとデザインの精巧さで値段が決められる。
一瞬、香織にプレゼントしてもいいかな、と思ったが、価格が三池を躊躇させた。
こんな高価なものを貰ういわれが無い、と言うだろうし。
リャドロの店を出て暫く散策した後で、観光案内書に掲載されていた『ラ・リウア』というレストランで、ワインを飲みながらパエーリャを食べた。
豚肉、鶏肉、海老、ムール貝、ピーマンなどが入ったパエーリャでそれぞれの具材が醸し出す奥深い味が楽しめた。
「香織さん、このパエーリャは今日昼食で食べた、ミックス・パエーリャですよねえ。でも、味が昼食のパエーリャと違い、それほど塩辛くは無いですね。とても美味しい」
「塩辛いと言えば、三池さん、その後、血圧の方はいかがですか?」
「それが、不思議なもので、退職して田舎に引っ込んだ途端、正常値に近くなりました。もっとも、体重の増加には気を付けていますし、ウォーキングにもせっせと励んでいますから、それも功を奏しているのかも知れませんね」
「それはいいですね。うちの母が心配していました。お父さんのせいで、まあ、お酒のせいで、という意味なんですが、三池さんが高血圧になってしまったのでは、と心配していましたので。今の良い状態を継続してください。継続は力、ですよ、三池さん」
言いながら、香織は三池の体を心配する自分に気付き、意外に感じていた。
まるで、三池さんの奥さんみたい、私って、と思っていた。
でも、それも悪くない、但し、三池さんがノーと言えば、それまでだけれど。
七日目 五月十五日(土曜日)
朝食はホテルの料金の中に含まれていた。
簡単なビュッフェ形式の朝食で、二人は簡単に済ませて、ホテルを出た。
午前中は、二十分ほど歩いて、バレンシア美術館を見学した。
エル・グレコ、ベラスケス、リベーラ、ゴヤ、そして、ソローリャといった幅広いジャンルの絵画が展示されていた。
午後は火祭り博物館とバレンシア・ノルド駅を見物した。
火祭り博物館は街外れの少し分かりにくい場所にあったが、何人かの通行人に訊いて、何とか辿り着くことが出来た。
火祭り博物館には、三月中旬に開催される火祭りで、投票で一位となった人形だけが焼かれずにこの博物館に陳列される。
それ以外は全て惜しげも無く焼かれ、灰になる。
一年をかけて製作され、何千万円もかけた人形の寿命は一つを除き、この祭りの期間中、一週間という命で終る。
燃やし、灰になっていく人形を見詰める人々の暗い情熱を感じざるを得ない、と三池は香織に語った。
形あるものを永遠に残そうとする意志と、その瞬間に全てを賭け、燃焼し尽くし、その後の残滓、祭りの残滓は一切残さないという意志、どちらもこのスペインには色濃く在る、と三池は思った。
信仰と官能、この二つの異質なものがこのスペインという国の謎解きをするキーワードかも知れない、とも思った。
バレンシア・ノルド駅、この駅はいかにもバレンシア風だ、至るところにオレンジの装飾が施されている、面白い、と三池は思った。
この日は昼食も夕食も、中央市場で食べた。
イベリコ豚のサラミのようなソーセージ、タコのオリーブオイル炒め、海老の鉄板焼きが美味しかった。
「市場には、独特なにおいがあります。臭気と言ってもいいんですが、少し黴臭いような、饐えたような臭いがどんな市場でもしますね。きつい、弱いの違いはあるにしても。ただ、臭いって、慣れますね。慣れてしまえば、そう悪い臭いでも無くなる。時には、懐かしい臭いの一つとなることだってあります」
「懐かしいにおい。私にとっては、シッカロールがそうかしら。小さい頃、お風呂の都度、汗疹防止ということで母がパタパタと付けてくれました。時々、懐かしくなります。ちゃんと、鼻腔の奥で記憶しているんでしょうね」
「時に、香織さんは料理はしますか?」
「あら、いやだ、ちゃんとしますわよ。料理は、どちらかと言えば、好きなほうです。父がお酒飲みで、中学生の頃から私、父のお酒の肴を作っていたんです。父はお世辞かも知れませんが、母より私が作ったほうが美味しいと言っていました」
「それはそうです。父親ならば、娘が作ってくれるものならば、たとえ不味くても、美味しいと言うに決まっていますよ」
まあ、ひどい、と香織は三池をぶつ真似をした。
八日目 五月十六日(日曜日)
今夜は夜行バスに乗って、グラナダに行きます、と三池は朝食の席で香織に言った。
ホテルをチェックアウトして、タクシーでバス・ターミナルに向かった。
バス・ターミナルの近くに、エル・コルテ・イングレスという大型デパートがある。
「このデパートはスペインでは最大のデパートで、観光客にとってはお土産となりそうなものもたくさん売られているという話です。勿論、マドリッドにもありますので、帰る間際あたりで、一度覗いてみましょうか」
二人は、ターミナルのコイン・ロッカーに荷物を預けて身軽なスタイルになって、地下鉄を乗り継ぎ、地下鉄・コロン駅に行き、そこから三号線・ラフェルブニョル方面の電車に乗って、終点のパルマレト駅に向かった。
「インターネット情報によれば、パルマレト駅近くのレストランでパエーリャ名物の店があるらしいです。行ってみましょう」
珍しく、三池がパエーリャを食べたがった。
パルマレト駅は海岸地区で、海沿いにはパエーリャの専門店が目白押しといった状態で林立していた。
「三池さん、この頃はパエーリャばっかりですね」
香織が海沿いの道を歩きながら、笑って言った。
バレンシアの海はあくまで蒼く、空の青さと砂浜の白さを際立たせていた。
ハワイのワイキキ海岸もそうだったが、世の中には、まるで絵に描いたような、と表現される風景がある、まさにこのバレンシアの海辺の風景がそうだ、と三池は思った。
アルロース・ネグロという名前のイカ墨のパエーリャを食べた。
見た目は真っ黒でびっくりするが、オリーブオイルとイカ墨のコンビネーションが抜群の味を引き出していた。
味も見た目とは違って、塩辛く無く、まろやかであった。
食事の後、暫く浜辺に座り、のんびりとした優雅な時間を過ごした。
そして、夕方頃、地下鉄に乗って、バレンシアの中心部に戻り、賑やかな通りをウインドウ・ショッピングをしながら歩いたり、カフェテリアでお茶を飲んだりして時を過ごした。
夜、十時頃、地下鉄・トゥーリア駅に戻り、隣接したバス・ターミナルのカフェテリアで十一時発のバスを待った。
「香織さん、夜行バスは初めてですか」
「いえ、日本では東京から京都まで結構夜行バスを利用しています」
「ふーん、京都へ夜行バスで。京都も千二百年の歴史を持つ古都ですが、これから訪れるグラナダも古都です。グラナダが陥落し、レコンキスタが完了したというスペインでは歴史と郷愁を誘う街です」
「確か、アルハンブラの思い出、というギターの名曲もありました」
「そうです。よく、ご存じで。大学の頃、知り合った理学部・数学科の博士課程の人がなかなかのギターの名手で、よくこの曲を弾いて聴かせてくれました」
「スペインらしい、郷愁を誘うロマンティックな曲で、私も好きな曲です」
十一時、バスはほぼ定刻通り、六割程度の乗客を乗せて、グラナダに向けて発車した。
これから、九時間ほどのバス旅行となる、少し寝ておいた方が明日のためだ、と三池は車窓から夜の闇の中を点滅するように灯っている家々の灯りを見ながら思った。
一方、香織は日本から持参したニットのカーディガンを首筋まで羽織りながら、三池の隣で、私に青春なんてあったのかしら、と思っていた。
二年間の短大時代はあっという間に過ぎ去り、会社に入ってからも、懐かしく思い出すに価するロマンスも無く、家と会社の往復だけに、あるべき青春が無駄に費やされた気がする。
私の青春って、一体何だったのかしら、と香織は砂を噛むような気持で思った。
バスは何ヶ所か停留所に停まり、乗客たちはざわめき、三池たちもその都度、バスから降りて、トイレに行ったり、飲み物を飲んだりした。
途中、バスの運転手も何人か替わり、バス自体も乗り換えとなった。
荷物を新しく乗り換えるバスに運びながら、これでは、のんびりと眠ってはおれませんねえ、と三池は笑って、香織に言った。
九日目 五月十七日(月曜日)
九時間のバス旅行を経て、二人を乗せたバスは漸くグラナダのバス・ターミナルに到着した。
グラナダはイベリア半島での最後のイスラム王国として、イスラム文化の精髄が香り高く残っている古都である。
「千四百九十二年、コロンブスの新大陸発見の年ですが、イスラムの最後の砦であるグラナダが陥落し、アルハンブラ宮殿をカトリック両王、イサベルとフェルナンデス、に明け渡した上で、退去を余儀なくされた当時のイスラムの王様が嘆き悲しむのを見た王様のおっかさんが、お前は男のように戦わず、女のように泣いている、となじったという話も伝わっています」
「おっかない、おっかさんだったんですね」
香織は笑いながら言った。
「グラナダはスペイン語では『石榴(ざくろ)』という意味で、いろんなところで石榴のレリーフ或いは模様が見ることができますよ」
七時半、少し眠い目をこすりながら、バスを降りた三池たちの眼に南国アンダルシアの太陽はあくまで眩しかった。
バス・ターミナルのカフェテリアで、コーヒーとパンといったコンチネンタル風な簡単な朝食を摂った。
いろんなコース・メニューはあったが、長い乗車時間だったので、あまり食欲は無かった。
「今回は、私の退職記念旅行なんです。きちんとお支払いしたいと思っていますので、後で精算のほう、宜しくお願いします。三池さんに負担をおかけするつもりはございませんので」
「ああ、そうですか。分かりました。香織さんに負担して戴く分は纏めておきますよ」
香織の気持は分かるが、そうは、いかない、と三池は思っていた。
「僕の場合は、退職記念旅行としては別にしませんでした。引越しをして、落ち着いたところで、ハワイとか上海に行っては来ましたが。ああ、そうそう、一度僕の家に遊びに来ませんか。勿論、お母様も連れて。近くにいい温泉があるんです。また、スパ・リゾートという温泉センターもあり、東京から来る人で連日混んでいます。お母様にも久し振りにお会いしたいと思っていますし」
香織は微笑んでいた。
「実を言いますと、ここグラナダではアルハンブラ宮殿に隣接しているパラドールに泊まりたかったんです。パラドールというのは国営のホテルで、歴史的建造物を改築してホテルにしているので、宿泊料金は結構高いのですが、贅沢で優雅な時間を味わえるということで世界的にも有名な宿泊設備なんです。ただ、僕がインターネットでアクセスした時には既に満室となっており、予約は叶いませんでした。その代わり、アルハンブラ宮殿に、これまた隣接しているホテルがありましたので、ここを予約したわけです。小さなホテルですが、なかなか評判がいいホテルです。何と言っても、宮殿の隣です。でも、料金は今回の旅の中で一番高い料金です」
朝食後、タクシーでホテルに向かった。
チェックインは午後一時です、と言われた。
それで、チェックインまでの時間、荷物だけ預けて、市内見物に出掛けることとした。
ホテルのロビーの隅に、フラメンコ・ショーの案内書が置かれてあった。
バルセロナで観た店の名前と同じ、『ロス・タラントス』という名前の店で行なわれるフラメンコ・ショーで、三池はホテルの担当に話をして、明日の分を予約して貰った。
ホテルの担当は愛想良く、このショーは素晴らしいですよ、と言っていた。
ホテルの近くに、グラナダ名物の観光バス、アルハンブラ・バスの停留所があり、そこから市内に向かうアルハンブラ・バスに乗った。
運転手から、『ボーノ』と呼ばれる七回回数券を買って乗り込んだ。
日本人の観光客が目立った。
多くは、三池と同じくらいの年輩の旅行者だった。
俺たち、団塊の世代は皆元気がいい、旅行は無形の財産だと思っている、子供や孫に金を残してもしょうがないと思っている世代だ、一杯旅をして、その思い出だけを冥土の土産にして旅立とうと思っている世代だ、と三池は思った。
バスはヌエバという名前の広場に着いた。
そして、バスを乗り換えて、アルバイシンに向かった。
アルバイシンのサン・ニコラス展望台からのアルハンブラ宮殿の眺めは評判通りの美しさであった。
暫く、景色を楽しんだ後で、またバスに乗り、ヌエバ広場に戻り、そこからは歩いて市内の名所を訪れることとした。
二百メートルほど歩いたところに、王室礼拝堂があり、隣接してカテドラルがあった。
王室礼拝堂には、二組の夫婦の遺骸が安置されている。
レコンキスタを完了させたカトリック両王、イサベルとフェルナンドの遺骸と、両王の娘、フアナとその夫フェリーペの遺骸である。
フアナはあのフアナ・ラ・ロカ(狂女フアナ)と美公・フェリーペと言われた美男子フェリーペのことか、と三池は思った。
フェリーペは美男子でよく女にもて、フアナは嫉妬で精神に変調をきたし、フェリーペが若死にしてからは完全に狂い、狂王として死ぬまで幽閉された、と云われている。
但し、本当に狂っていたかどうか、陰謀説も渦巻いている。
しかし、女が、愛した男の早過ぎる死に直面して狂ってしまう、それほど、女は哀しいものなのか、と三池は思った。
カテドラルは、ステンドグラスの見事さと煌びやかな黄金の主祭壇で有名だ。
メキシコでもそうだ、と三池は思った。
メキシコでも黄金を惜しみなく使った祭檀は多く、数百年を経た今も当時の煌びやかな輝きは少しも失ってはいない。
その祭檀に向かって、インディオの子孫たちは敬虔な祈りを捧げている光景を何度も見た。
征服者である白人の凄まじい搾取の結果として建造されたカテドラルの黄金に彩られた祭壇の前で、被搾取者のインディオの子孫たちが与えられた宗教の信仰を捧げているのだ。
三池はグラナダのカテドラルの中、黄金祭檀を前にして、何とも遣りきれない怒りを感じていた。
しかし、その反面、時代を越えた美しさというものは確かにある、美しいものはいつの時代でも美しいものだ、たとえ、それが如何に醜悪な搾取に基づいていたとしても、と三池は思った。
二人はカテドラルを出て歩いた。
近くに、日本語情報センターがあった。
そのセンターはビルの三階にあり、狭い階段を登り、『日本語情報センター』という貼り紙が貼られているドアをノックした。
中から、中年の男性が現われ、三池たちを室内に招じ入れた。
三池たちはスペイン滞在二十七年というOさんと暫く雑談し、いろんな観光パンフレットを貰った。
センターを出て、少し南の方向に歩くと、左手の方にエル・コルテ・イングレスの大型店が見えた。
もっと南に下ると、ガルシア・ロルカ記念館があるという話であったが、行かなかった。
「ガルシア・ロルカはスペイン内戦勃発時、フランコ軍に捕まり、銃殺されたんです。それも、自分の死体を埋葬するための穴を掘らされた挙句、銃殺されたという話です」
三池は香織に話をしながら、大学の頃を思い出していた。
三池が大学に入学したのは、昭和四十三年、千九百六十八年だ。
全共闘が一番盛り上がった頃だ。
その頃、反帝学評という全学連組織があった。
何かの集会で、その反帝学評のメンバーが歌っていた歌があった。
インターナショナルとか、ワルシャワ労働歌という歌はかなり有名だったが、彼らが歌っていたその歌は知らなかった。
周りの者に訊いてみた。
国際旅団の歌だ、と言っていた。
内容はこんな感じだった。
おいらの生まれはここではないが、おいらの夢はここにある、国際旅団の行くところ、ファシストは倒る、・・・、といった歌詞だったように思う。
彼らは、「国際旅団」というところを「反帝学評」という言葉に変えて歌っていた。
スペイン内戦勃発時、フランコ軍に対抗する共和国軍に多くの若者が国を越えてスペインに集結し、銃を取って戦った。
彼らの組織を「国際旅団」と言った。
銃を取るよりは、ペンを取る方が似合っていた若者ばかりであった。
その内の一人に、アーネスト・ヘミングウェイが居た。
彼はこの時の経験を基にした小説を発表した。
『誰がために鐘は鳴る』という小説である。
スペイン内戦は多くの悲劇を生んだ。
ガルシア・ロルカもその一人だ。
古都は古都故に、つまり古い歴史を持っているが故に、多くの悲劇を見て来た、このグラナダも例外ではないだろう、と思いながら、三池は石の敷石舗道を歩いていた。
昼食はエル・コルテ・イングレス近くのベラクルスというレストランで摂った。
ランチ定食で安く、結構美味しかった。
定食もフルコース並みの構成で結構安い値段で食べられるものなんですね、と香織が言っていた。
飲みもの、パン、プリメーロ・プラト(一番目の料理)、セグンド・プラト(二番目の料理)、デザートという構成であり、日本人には量が多く、十分満腹になった。
プリメーロ(第一の皿)、セグンド(第二の皿)と二つともかなりの量の料理であり、男はともかく、食の細い女性ではとても食べきれない量となる。
昼食の後、ヌエバ広場に戻り、アルハンブラ・バスに乗ってホテルに行き、チェックインを済ませた。
ここでも、香織はセニョーラと呼ばれた。
香織は少し複雑な表情をしたが、誤解を楽しんでいるようにも見えた。
部屋に通され、窓を開けると、アルハンブラ宮殿の外壁がすぐそこに見え、小鳥の囀りと共に、少し涼しい風が吹き込んできた。
季節は初夏であり、スペインはともかく、日本ならば一年で一番いい季節だ、と三池は思った。
香織がシャワーを浴び、その後で三池もシャワーを浴び、昨夜からの汗を流した。
ベッドに横になったら、気が緩んだせいか、そのまま少し眠ってしまった。
目が覚めた時は既に八時を過ぎていた。
外はまだ明るかったが、香織を誘って軽い夕食を摂ることとした。
百メートルほど離れたところにあるパラドール・デ・グラナダに行き、そこのカフェテリアでワインを飲みながら、サンドウィッチをつまんだ。
カフェテリアは屋外にあり、前方に、アルハンブラ宮殿のヘネラリフェ離宮が見えていた。
カフェテリアに入る際、レストランが目に入った。
レストランは正装に近い、キチンとした服を着こなした男女でほとんど満員の状態で、予約無しで普通の観光客が入れるような雰囲気では無かった。
カジュアルな服装の観光客はカフェテリアに入るしか無いようにも思われた。
九時を過ぎ、ようやく夕暮れが忍び寄って来た。
十時になって、夜が来た。
前方のヘネラレフェ離宮にも照明が灯され、美しい夜景を見せていた。
三池はふと、メキシコのタスコの丘の上のホテルから見た街の夜景を思い出した。
タスコは『慕情の街』と言われる。
二十九歳の三池は或る女性のことを想っていた。
メリダのユカタン州立大学に留学していた女子学生だった。
三池は企業から派遣された研修生であったが、彼女は留学生試験を合格して来ていた学生留学生であった。
三池はその女の子に淡い恋心を抱いていたが、想いが通じることは無かった。
その女の子は、同学年の男子留学生と恋仲となっていた。
その女の子が或る晩、三池のアパートを訪れた。
三池はドキドキしながら、その女の子を室内に招じ入れた。
だが、訪問の意を知って、三池は何かロマンスを期待した自分を嗤った。
女の子は、その男子留学生に体を許したのに、この頃冷たい態度を取られてしまう、どうしてなの、と年長の三池に相談に来ただけであった。
三池の恋はこうしてあっさりと葬り去られた。
三池はタスコのホテルのベランダから山沿いの街の夜景を見ながら、恋の痛みに耐えていた。
あの時の俺は二十九歳、今の俺は六十歳、何にも変わっていない、少し分別らしいものが付いているだけだろう、邪魔な分別かも知れないが、と三池は思った。
ふと、傍らの香織を見た。
彼女も三池を見ていた。
微かに微笑んでいた。
「明日は、午後の時間で、アルハンブラ宮殿見物を予約してあります。実は、明後日も、午前の時間でアルハンブラ宮殿の予約を入れてあるんです。この際、徹底的に観たいと思いましてね。満喫しましょう」
三池は笑いながら、香織に言った。
十日目 五月十八日(火曜日)
ホテルの食堂で朝食を食べた。
小さなホテルであったが、アルハンブラ宮殿に隣接したこのホテルの人気は高く、満室となっており、食堂のテーブルもほぼ満席といった状態であった。
フランス語、ドイツ語、英語と、いろんな言語が飛び交っていた。
ホテルを出て、アルハンブラ・バスに乗り、サクロモンテ洞窟博物館に行った。
最寄りのバス停で降りて歩きだしたところ、ロス・タラントスという看板が目に入った。
今夜のフラメンコ・ショーで訪れる予定の洞窟劇場であった。
クエバと呼ばれる洞窟住居を見物した。
洞窟住居は、冬は暖かく、夏は涼しいと言われる。
香織はいろいろと興味を抱いたらしく、洞窟での生活の様子など細かく観察していた。
見物を終え、バスに乗ってヌエバ広場に戻った。
そして、アラブ街として有名なカルデリア・ヌエバ通りをウインドウ・ショッピングしながら歩いた。
ウインドウ・ショッピングに飽いたのか、香織は時々、店に入り、少し買っていたようだった。
行きずりのレストランで昼食を済ませ、ホテルに一旦帰った。
アルハンブラ・バスから降りてホテルに向って歩いていると、空から白いものがフワフワと落ちてきた。
綿毛のような白い物体であった。
何かな、と思い、宮殿を警備するガードマンに訊いてみた。
アラモの種子だ、と言う。
「香織さん、これはアラモ、つまり、ポプラの綿毛です。日本でも、丁度今頃から六月の上旬にかけて、ポプラから綿毛のような種子が空中に飛散するということを聞いたことがあります」
「アラモって、ポプラのことなんですか?」
「香織さん、ご存知ですか、アラモの砦を?」
「あの西部劇で有名なアラモの砦、ですか?」
「そうです。その、アラモですよ。デビー・クロケットを始めとするテキサス義勇軍がアラモの砦に立て籠もり、メキシコ正規軍と一戦を交え、全滅したと言われる、あのアラモですよ」
アラモの砦での戦いはアメリカ合衆国軍を勇気付け、「アラモを忘れるな」という言葉がその後のメキシコ軍との戦いでの合言葉となり、テキサスの独立を果たし、その後の米墨戦争をアメリカ合衆国軍の圧倒的な勝利に結びつけた。
どこか、「真珠湾を忘れるな」というスローガンと似ているな、と三池は思った。
アラモの砦がアメリカ合衆国軍を奮い立たせた悲話ならば、どっこい、メキシコ軍にも悲話がある。
アラモの砦を忘れるな、とばかり、アメリカ合衆国軍がメキシコに攻めて来て、首都メキシコシティのチャプルテペック城に迫った時のことだ。
この城に立て籠もったメキシコ軍には、士官学校の生徒たちも居た。
生徒であるから、まだ少年と言っていい年齢の若者たちばかりだ。
当時の慣例で、士官学校に学ぶ士官候補生はまだ軍人とは見なされず、戦闘に参加する義務は無かった。
士官候補生の多くはチャプルテペック城から去った。
しかし、祖国の危機を迎え、司令官の説得にも応じず、六人の士官候補生が残留し、戦闘に加わった。
彼らは実に勇敢に戦い、全員が戦死した。
十三歳から二十歳までの若者であった。
三池はこの話を日墨交換研修生としてメキシコに来た時に聞いた。
白虎隊、或いは、二本松少年隊のような悲話として、三池の胸を打った。
今、彼らはチャプルテペックの森の中に、『英雄少年たち』として讃えられ、記念碑も建てられている。
また、メキシコ国歌の中でも彼らのことは触れられており、メキシコ人の心の中にいつまでも生き続けている。
午後二時、アルハンブラ宮殿の入場門を潜った。
驚くほど、観光客で溢れかえっていた。
本命であるナスル朝宮殿への入場は時間が指定されており、とりあえず、三池と香織はヘネラリフェ離宮の庭園から見物することとした。
庭園は、噎せかえるほどの香気に満ちていた。
丁度、薔薇が咲き誇る季節だったのだ。
赤、白、黄、ピンクの薔薇が一斉に咲き誇り、観光客を迎えていた。
三池と香織は薔薇の艶やかさと香りに包まれて、陶然とした気分で庭園を散策した。
素晴らしいひとときとなった。
ぞろぞろと続く行列に混じってヘネラリフェ離宮とアルカサルと呼ばれる要塞砦を見物し、午後五時にナスル朝宮殿に入った。
入場制限を行っているにも拘わらず、ここも観光客で溢れ返っていたが、二人は優雅なひとときを味わった。
壁面を飾る精緻な漆喰、色とりどりの色彩と文様に彩られたタイルは三池たちを陶然とさせ、幻惑させた。
午後七時にアルハンブラ宮殿を出て、ホテルで暫く休憩した後、昨夜と同じく、パラドール・デ・グラナダのカフェテリアに入り、夕食を摂った。
相変わらず、カフェテリアから眺めるヘネラリフェ離宮の夜景は美しく、見ている内に、三池は思わず涙が零れ落ちそうになった。
暖かい色の街灯は郷愁を誘う。
タスコもそうだったが、このヘネラリフェ離宮の夜の照明はオレンジ色の暖かさを感じる色に統一されている。
赤、青、緑といったどぎついイルミネーションは一切無い。
どこか、懐かしいランプの色が人の郷愁を誘うのだ。
生きていることは、ただ、それだけで素晴らしい、と三池は思っていた。
ホテルに戻り、フラメンコ・ショー見物ツアーのバスを待った。
夜九時に迎えのマイクロバスが来て、二人は乗り込んだ。
バスは途中、アルバイシンに立ち寄り、サン・ニコラス展望台からのアルハンブラ宮殿の夜景を見せた上で、ロス・タラントスへ向かった。
ドリンク付きのショー見物であり、二人は壁際の椅子に座り、ワインを飲みながら、ショーの開演を待った。
午後十時半、フラメンコ・ショーが始まり、たっぷり一時間のショーを楽しんだ。
観客と触れんばかりの近さで踊るフラメンコは観客を圧倒するものであり、さすがに評判通りの感動を与えた。
踊り手は男性が二人、女性が三人という構成でそれぞれが十分程度踊った。
最後に踊った女性は少し年配の女性であったが、お決まりのカスタネットを両手に付け、貫禄たっぷりに踊った。
三池と香織は臨場感溢れる踊りを心から堪能した。
零時を少しまわった頃、ホテルに戻った。
香織も感激冷めやらぬ風情で、シャワーを浴びながら、フラメンコのカンテ(唄)を鼻歌で唄っていた。
歌なぞ歌いそうもない娘のように見えた彼女の意外な一面に、三池は戸惑いを感じていた。
俺は、香織のことを知っているようで、実はあまり知ってはいない、と三池は思った。
しかし、その思いと同時に、香織はこの旅行の中で、山本さんの娘さんで、部下の女子事務員から、成熟した一人の女性へ変貌を遂げつつあった。
それは、危険な変貌ではあるものの、どこか甘美な変貌であるようにも思えた。
十一日目 五月十九日(水曜日)
少し遅めの朝食を摂った。
隣のテーブルに座っていた米国人夫婦から話し掛けられた。
香織が主役となって、会話が弾んだ。
スペイン語文化圏では小さくなっていた香織にすれば、得意な英語を話すことができるということは喜びであった。
時々、マイ・ハズバンドという単語が出てきた。
どうやら、自分に言及する時は、この単語を使っているようだ、と三池は思った。
朝食を済ませ、部屋に戻った香織は、断りも無しに、ハズバンドと言ったことを遠慮勝ちに三池に詫びた。
外国人との会話の中で、ユア・ハズバンドと言われ、話の成り行きでそう言ったんでしょう、僕の方こそ恐縮していますよ、と三池が言った。
香織は少し安堵したような感じで嬉しそうな表情を浮かべた。
八時半にアルハンブラ宮殿に入場した。
九時半にナスル朝宮殿に入場した。
何回観ても素晴らしいところであり、このような形で実際に観ることができる、何という幸せか、と三池は感謝した。
アラブの模様で統一された漆喰の壁面は眺める者全てを千夜一夜の世界に誘う。
スペイン旅行の前に予備知識として読んだ、ワシントン・アービングの名著、『アルハンブラ物語』の断章が所々で三池の脳裏を過ぎり、三池を陶然とざせた。
アービングが訪れた時のアルハンブラ宮殿はほとんど廃墟に近い状況であったと云われている。
しかし、彼が書いた『アルハンブラ物語』はベストセラーとなり、アルハンブラ宮殿を窮状から救えという動きが全世界的な運動となり、莫大な寄付が寄せられた。
その結果、アルハンブラ宮殿は往時の優美な姿に復旧した。
アルハンブラ宮殿にとって、アービングという米国人は恩人であり、宮殿で実際アービングが住んだ部屋には、そのことを示すプレートが扉に掲げられており、街から宮殿に行く坂道の途中には、アービングの銅像も建立されている。
宮殿見物の中で、三池はグラナダの名前の由来を案内人に尋ねてみた。
柘榴を意味するグラナダとは関係無く、昔、この土地はガルラナタと呼ばれていたらしいが、それがいつの間にか、グラナダという発音に変化して、定着してしまった、という話をその案内人はしていた。
午後一時頃、アルハンブラ宮殿を退場して、パラドール・デ・グラナダのカフェテリアに入り、前方にのびのびと広がる眺望を楽しみながら、昼食を摂った。
その後、ホテルに戻り、明日に備え、少し荷物の整理をした。
夜、市内に行き、カテドラル近くのレストラン、エル・アグアドールでパエーリャ・デ・マリスコス(シーフード・パエーリャ)を食べた。
海老、浅利、ムール貝がふんだんに入り、レモンを振りかけて味をキリッとしめて食べた。
その後、バルに入り、クロケッタと呼ばれるコロッケと、エンサラダ・デ・アルロースと呼ばれる野菜が入ったお米のリゾットのようなものを一人前ずつ注文し、地元のビールを飲みながら食べた。
「私たち、これまでいろんなタパを食べましたね」
「いや、まだまだ序の口。これからも話の種にいろんなタパを食べましょう。何と言っても、百種類以上、あるという話ですから。日本に帰って、ああ、これ、食べ忘れたと言って、後悔しないように」
三池が気合を込めて言った。
その気合を込めた口調がよほど面白かったのか、香織は珍しく声を上げて笑った。
十二日目 五月二十日(木曜日)
ホテルでゆっくりと朝食を摂り、タクシーでバス・ターミナルに向かった。
タクシーの中から振り返りながら、三池はアルハンブラ宮殿になぜか強い郷愁を感じた。
意外な郷愁だった。
再会時の郷愁ならば分かるが、初めて訪れたところに対する別離時の郷愁なんてあり得ないものだ。
なぜ、去り行くアルハンブラ宮殿に郷愁を感じたのか。
三池は暫く考えていた。
かつて暮らしたメキシコで経験した風景と似たような感じがあったのかも知れない。
タスコで観た夜景をパラドールのカフェテリアから観た夜景が思い出させたのかも知れない。
或いは、還暦を迎えた初老の独身の男のような孤独な佇まいをアルハンブラ宮殿に感じたのかも知れない。
俺は過度に感傷的になっている、と三池は思った。
バス・ターミナルではカフェテリアで時間を潰し、十時のバスに乗って、マラガに向かった。
マラガという名前は『ラ・マラゲーニャ(マラガ娘)』という歌で有名だ。
あの歌の舞台は果たして、今バスで向かっているマラガなのだろうか?
三池はふと疑問を覚えた。
歌はトリオ・ロス・パンチョスというメキシコのグループが唄っていたが。
舞台はスペインのマラガであるにしても、メロディーは間違い無く、メキシコのものだ。
「香織さん、『ラ・マラゲーニャ』という歌を知っていますか?」
三池が言い、ケ・ボニートス・オホス・ティエネス・・・と軽くハミングした。
「知っていますわ。確か、アイ・ジョージさんが歌っていたラテンの曲でしょう」
「そうです。マラガの娘さん、という名前の歌なんですが、これから行く、マラガがこの歌の舞台だと思いますよ。歌の歌詞はこんな感じです。君は何と美しい眼を持っているの、二つの眉の下に、君の瞳は僕を見詰めたがっているのに、君はまばたきをすることさえ許さないんだ、小粋なマラガの娘さん、君の唇にキスをしたいと思っているんだ、そして君に言いたい、君は薔薇の花のように綺麗で魅惑的だ、と、もし僕を貧しさ故に蔑むならば、それでもよいさ、君に富はあげられないけれど、僕の心をあげるよ、僕の貧しさの代わりに僕の心を君にあげるよ」
「わあ、素敵。そんな歌詞だったんですか。知りませんでした。そんなロマンティックな歌詞だったなんて。もし、そんなことを言われたら、私、クラッとしてしまいます」
「昔、メキシコに居た頃、結構暇がありましてね。その時、暇にまかせて、メキシコの歌の歌詞を日本語に訳したことがあるんです。甘いですよ。ケーキのように甘い殺し文句が並べられています。ほとんどの歌がこのラ・マラゲーニャの歌詞のように、甘く囁くような文句が連ねられています。それに引き換え、日本の男は駄目ですね。好きな女が居ても、知らんぷりをしてしまう。その結果、他の男に奪われて、後悔するといった図式が多いですね」
「三池さんも、そのような経験がありました?」
「まあ、若い頃は・・・。僕だって、男ですから、そういうロマンスの一つや二つは」
三池は笑いながら、香織に言った。
十二時、バスはマラガに着いた。
「マラガって、ピカソの生まれ故郷なんです。ピカソ自身及び親族から寄贈された絵で、近年、ピカソ美術館がオープンし、マラガの新名所となり始めているのだそうです。でも、今回は、マラガは残念ながら通過するだけです」
マラガのバス・ターミナルに隣接するRENFEのマラガ・マリア・サンブラーノ駅からフエンヒーロ行きの『C-1』と呼ばれるセルカニアス電車に乗って、トレモリーノスという駅で降りた。
トレモリーノス駅は地下にあった。
電車に乗った時間は三十分足らずだった。
マラガからトレモリーノスまで、地下を走る区間が多いせいか、アンダルシアの海はあまり見えなかった。
「ビーチ沿いのホテルですから、終日水着で暮らせるところです。香織さん、貴女の水着姿も堪能させて戴くことになりますよ」
三池が冗談めかして言った。
「あらっ、そんなことをすると、罰が当って、目が潰れますよ」
香織も笑って言い返した。
いつの間にか、悪い冗談も言える仲になったのかな、と三池は思った。
トレモリーノス駅からホテルまで、三百メートルという距離だった。
タクシーに乗るまでもありませんね、と三池たちは歩くこととした。
しかし、この判断は間違っていた。
ホテルまでの最短距離は長い階段の坂道を通る道だったのだ。
下り道だから、何とかなるが、帰りは登り道になる、重い荷物を持っては到底無理だ、と三池は汗を拭きながら思った。
ホテルにチェックインしてから、お昼を食べに、駅の方まで戻った。
駅近くのカフェテリアで軽く昼食を済ませて、周辺を歩いていたら、意外な看板を見た。
『NOZOMI』という名の日本食レストランの看板だった。
駅から五分ばかりのところで、郵便局の裏手にそのレストランはあった。
瀟洒な感じが漂うレストランであった。
夕食はここにしましょうか、久し振りに日本食もいいでしょう、と三池が言うと、香織が大きく頷いた。
香織も正直者だ、スペインに来て、もう十日が過ぎ、そろそろ日本食が恋しくなったかな、と三池は思った。
ホテルに戻り、ホテルの大きなカフェテリアでお茶を飲んでから、ビーチを散策することとした。
ホテルの前のビーチはバホンディーリョ・ビーチと呼ばれる。
砂は少し褐色を帯びており、それほど美しい砂浜では無かった。
「ここら辺りは、夏の繁忙期となると観光客ですごい賑わいを見せるとインターネット情報にはありましたが、今はまだ初夏の走りということで、それほどでもありませんね」
人はそれほどでも無かったが、浜辺には開放的な雰囲気を感じさせるカラフルなパラソル、ビーチ・チェアが溢れんばかりに置いてあり、のんびりと日光浴を楽しむ人々も見掛けた。
欧米の人の日光浴にかける執念はすごい。
三池は、メキシコのカンクーンを思い出させる光景だ、と思った。
会社には勤続三十年を迎えた従業員には特典が与えられる。
昔は、ハワイ旅行であったが、今は簡便に旅行クーポンを渡すだけとなっている。
クーポン券もそれなりに有り難いものであるが、もっと有り難いのは一週間という休暇も支給されることだ。
一週間などという長期の休暇は盆・暮れ以外には取れなかったからだ。
三池はそのクーポンと休暇特権を利用して、一週間ばかりカンクーンを訪れた。
三池が日墨交換研修制度でメキシコに行った時には、カンクーンという国際リゾート地は未だ無く、建設途中の田舎の村でしか無かった。
若い三池たちはホテルのビル建設を尻目にして、カンクーンを素通りして、近くの浜辺から遊覧船に乗り、イスラ・ムヘーレス、コスメルといった島に渡り、数日を過ごした。
その後、カンクーンはメキシコ政府の支援もあって、一大国際リゾート地となった。
そのカンクーンを五十五歳の三池は訪れたのである。
二十七年振りに訪れたカンクーンは三池を圧倒した。
巨大ホテルが長い浜辺にぎっしりと建ち並び、欧米からの観光客で溢れかえっていた。
メキシコ人の観光客はほとんど居ない。
カンクーンは物価が高過ぎると敬遠され、メキシコ人観光客はアカプルコに行くのだそうだ。
アカプルコもかつてはメキシコを代表する国際リゾート地であったが、今はその座をカンクーンに奪われて、メキシコ人専用の観光地の地位に甘んずるようになった。
三池は研修生の頃、アカプルコも訪れている。
海に関しては、太平洋はカリブ海には敵わない。
カリブ海は沖縄の海よりも美しい。
この地中海の海もカリブ海には敵わない、と三池はホテルの前のビーチを歩きながら思った。
日光浴を楽しむ人々が話す言葉で、スペイン語は少数派であった。
さまざまな言語が飛び交っていた。
フランス語がどちらかと言えば、多かった。
南西の方角に歩いた。
途中、少し高い塔が見えた。
観光案内書で確認したら、ピメンテル塔と書いてあった。
その塔を過ぎ、カリウエラ・ビーチというビーチを歩いた。
海岸から五百メートルばかり離れたところに、ラ・ルナ・ブランカという名前のホテルがあることを三池は思い出し、香織に話した。
「このホテルにも、食べに来ましょうか。名前が気に入りました」
ラ・ルナ・ブランカという言葉は、そのまま直訳すれば、白い月、となりますが、あの小説ドン・キホーテにも、この言葉が出てくるんです。ルナ・ブランカでは無く、語順を変えて、ブランカ・ルナとなってはいますが。カバジェーロ・デ・ラ・ブランカ・ルナ、邦訳では、銀月の騎士、と訳されています、白い月、よりも、銀月、の方がずっとロマンティックでいいですね、と三池は語った。
銀月の騎士の正体は実は、ドン・キホーテが住んでいる村の住人で大学を出た、インテリ学士のサンソン・カラスコで、ドン・キホーテの出奔を心配した村の司祭とか床屋の親方、家政婦、姪に頼まれて連れ戻しに来た人なんです、なにせ相手は騎士道遍歴物語で狂った郷士ですから、連れ戻すには騎士の格好をして打ち負かし、村に帰ると約束させなければならない、ということで騎士に変装してドン・キホーテの前に現われたという次第です、と付け加えた。
「で、騎士道に基づく勝負の結果はどうでしたの?」
「実は、サンソン・カラスコは以前に、鏡の騎士としてドン・キホーテの前に現われ、その時は敗北しているのです。今回は、銀月の騎士として出現し、ドン・キホーテを見事打ち負かし、雪辱を果たします。そして、村に帰ることをドン・キホーテに約束させて意気揚揚と村に帰ります」
三池の話は続いた。
「その後、ドン・キホーテは村に帰り、すぐ病気になって死んでしまうんですが、最後は遍歴の愁い顔の騎士ドン・キホーテでは無く、正気に戻り、ただの郷士、善人アロンソ・キハーノとして死にます。ドン・キホーテの死後、サンソン・カラスコが墓碑銘を書きます。その文の中の一節が僕にはなかなかいいんですよ。『正気になって死に、狂気に生きた』という一節です。語順としてはこの順ですが、逆に読んで、狂気に生きたが、正気になって死んだ、とか、生きている時は狂っていたが、死ぬ時は正気になって死んだ、という方が言葉の順番としては分かりやすいです。モリール・クエルド・イ・ビビール・ロコと書かれています。しかし、著者のセルバンテスが狂気のまま、ドン・キホーテを死なせなかったのはなぜでしょうかねえ。カトリックという宗教が、人を狂ったまま死なせるということを禁じていたのでしょうか。僕は何か腑に落ちないものを感じていますがねえ」
香織は三池の話を黙って聴いていた。
三池は海に眼を遣った。
アンダルシアの海は午後の太陽に熱く輝いていた。
人に訊きながら歩き、ラ・ルナ・ブランカというホテルを確認してから、またぶらぶらと歩いて、ホテルに戻った。
随分と歩いたような気がしたが、往復で一時間と少しという時間だった。
ビーチに腰を下ろし、明るく輝く海を眺めた。
遠くを、白亜の客船がゆったりと動いて行く。
風は少し涼しくなったようだ。
南国のアンダルシアの浜辺にけだるげな夕方が忍び寄ってきた。
人生は楽しい、今、生きていることをお前はもっと感謝しなければならない、お前は幸せだろう、という声が耳元で囁かれている、そんな気持ちを三池は感じていた。
暫く、ビーチで寛いだ後で、「NOZOMI」に行き、寿司定食を食べて夕食とした。
結構、日本人も居た。
夫婦にしては年齢が違い過ぎる二人はどうしても好奇の目に曝される。
「僕たちはどのような目で見られているんでしょうかねえ」
三池は思い切って香織に訊いてみた。
「さあ、年齢が離れた夫婦に見られているか、愛人を連れて旅行している羨ましい男とその愛人と見られているかも知れませんわ」
香織は三池の問いに、澄まし顔で答えた。
その顔は、私はどう思われようと、別に気にしていません、と三池に語っているように思われた。
十三日目 五月二十一日(金曜日)
朝食はホテルのビュッフェで済ました。
大きなホテルだったので、かなりの宿泊者がおり、レストランの中は混雑していた。
ビュッフェの料理は多岐にわたり、ハムとかチーズといったものも各種盛り付けられており、香織も何種類か皿に取り、生ハムはやはり美味しいです、と喜んでいた。
午前中は、水着姿となって、ホテルのプライベート・ビーチで日向ぼっこをして過ごした。
アンダルシアの太陽も眩しかったが、それにもまして、三池の眼には香織の水着姿がやけに眩しかった。
グラマラスでは無かったが、スレンダーな肢体の伸びやかさは三池をどぎまぎさせた。
午後は昨日目星をつけておいてホテル・ラ・ルナ・ブランカに行き、和食の定食を食べた。
スペインのオリーブオイルたっぷりの食事にいささか食傷気味であった胃袋にとって、日本のご飯は何と言っても優しい。
二人が美味しそうに食べていると、日本人と思われる中年の婦人がお茶を携えて近づいてきた。
日本の方ですか、と柔和な口調で訊いてきた。
暫く、話した。
香織が、失礼します、と言って席を立ち、トイレに行った。
どうも、三池と香織の齢の差が気になっていたようだ、若くて綺麗な奥さんですね、と三池に言った。
そうですか、と三池は曖昧な微笑を浮かべて言った。
その店を出て、カリウエラ・ビーチを歩き、腹ごなしです、と言いながら、ピメンテル塔にも登ってみた。
塔からはホテルがあるバホンディーリョ・ビーチが左手に見え、カラフルなパラソルがアンダルシアの青く澄みきった空と地中海の蒼い海に華やかな彩りを添えていた。
塔を下りて、浜辺に降り立ち、腰を下ろして、波打ち際で戯れる男女を眺めた。
ふと、三池の脳裏を過去のいろいろな思い出がよぎった。
俺の青春はどのようなものであったのか、その思い出の中に見出そうとした。
しかし、その努力は徒労に終わった。
青春と呼ぶもの、呼ぶのに値するもの、眩しくキラキラと輝くものは、実は無かったのかも知れない、と三池は思った。
メキシコで暮らした、あの豊饒な十ヶ月、あれが青春だったのかも知れない、と思った。
それは、寂しい思いであった。
夜は、サン・ミゲル通りという繁華街のバルでタパスをつまんで夕食とした。
イカのリング揚げ、小海老のガーリック炒め、ムール貝の白ワイン煮などが美味しかった。
十四日目 五月二十二日(土曜日)
朝食は昨日と同じくホテルのビュッフェで済ませた。
午前中は水着に着替えてビーチで過ごしたり、ホテル近くのカフェテリアでお茶を飲んだりして過ごした。
午後はカリウエラ・ビーチにあるカサ・フアンというレストランの屋外の席で、ガスパーチョとかシーフード料理を食べて昼食とした。
海岸通りの綺麗に整備されている歩道を歩きながら眺める地中海は素晴らしく、カンクーンの海を思い出させた。
香織をいつか、カンクーン、イスラ・ムヘーレス、コスメルに連れて行って、カリブ海を見せてやりたいと思った。
この海も素晴らしいが、カリブの海はもっと人を幻惑させる。
人はその幻惑の中で、きっと自分の人生を振り返る。
振り返って、発見するものは何だろう。
充実した人生だったと思うか、まあ、ほどほどの人生だったと思うか、少し虚しかった人生だったと思うか。
俺の場合はどうであろうか。
俺の人生は、・・・。
「前も、言いましたけど、香織さん、貴女にいつかカリブの海を見せてやりたい、そう思っているんです。昼間のあのエメラルド・グリーンの海を見たら、夕方のあのメキシカン・オパールの虹色に輝く海を見たら、きっと、人生に対する見方まで変わります。きっと、人生と言うものは味わい、楽しむべきものだと思いますよ。決して、悲しむべきものでは無く、まして、憂鬱なものでも決して無く、後悔すべきものでも決して無い、ということを知るはずです。今、生きていることの素晴らしさを実感として抱くはずです」
香織は三池が話す口調の若々しさに少し驚きながらも、その若々しさに思わず好感を抱いた。
還暦の人が話す口調じゃない。
だんだん、この人が好きになってきたのかなあ、と香織は思った。
ひょっとすると、これは『愛』に発展するかも、とも思った。
それと共に、自分の心の中に、諦め、忘れようとしていた願望が次第に強くなってくるのを感じた。
結婚願望、と呼ばれている願望。
ヤバイかも、と香織は思った。
二人は、チリンギートと呼ばれる海に面して建てられている店の一つに入り、ビールを飲みながら暫く海を眺めた。
黄昏が迫り、海は次第に夕陽の輝きを受けて、オレンジ色に輝き始めた。
カンクーンの場合はメキシカン・オパールを惜しげも無く、ぶちまけたようなゴージャスな輝きだったが、今観ている地中海の夕焼けの海の色はアンダルシアの熱い太陽のかけらをふんだんに散り嵌めたような色をしている、と三池は思った。
夕焼けは人をいつも過度に感傷的にさせる、人はいつか、必ず死んでいく、俺は父親、母親をそれぞれ見送ってきた、しかし、俺を見送る人はいない、その覚悟はできているつもりだが、何だか寂しいものだ、と三池は思った。
ふと、傍らで黄昏の海を見詰めている香織の横顔が目に入った。
二十歳も齢は離れているが、この女性に見送られたら、と一瞬思った。
しかし、すぐ打ち消した。
それは本当にあり得ない想像だ、いや、妄想でしか無い、と思った。
傷つくのは嫌だ、この齢になって恋をするなんて、馬鹿げている。
どこからか、ギターの寂しげな音色が聞こえてきた。
今の俺の気持ちと似合い過ぎている、と苦笑いした。
十五日目 五月二十三日(日曜日)
朝食を済ませた上で、朝九時にホテルをチェックアウトし、歩いてRENFEのトレモリーノス駅に行った。
階段の坂道は避けて、二人で一ユーロという有料のエレベーターを利用した。
九時二十分頃のセルカニアス(近郊)電車に乗って、マラガ・マリア・サンブラーノ駅に行き、隣接するバス・ターミナルのカフェテリアで時間を潰してから十二時発の長距離バスに乗って、セビーリャに向かった。
そして、バスは定刻通り、午後三時頃にセビーリャのプラド・デ・サン・セバスティアンと呼ばれるバス・ターミナルに到着した。
そのバス・ターミナルで昼食を摂った。
メヌ・デル・ディアと言われる日替わり定食を食べた。
観光案内書を見たら、ホテルまでは一キロメートル足らずだったので、街の風景を見ながらのんびりと歩いて行くこととした。
紫色の花をつけた街路樹を見かけた。
並木となって、鮮やかな紫の花を一杯つけている様子はまさに圧巻であった。
「まあ、綺麗!」
香織が感嘆したような声を挙げた。
「本当に綺麗な花ですね。丁度、今が満開といったところですね」
三池も香織に同調した。
「この花をつけた木、かなり大きな木ですが、はて、どこかで見たことがあるような気がします」
と言って、三池は記憶の糸を辿った。
その内、思い当ったように、三池が語り始めた。
「そう。これは、ハカランダという木ですよ。昔、メキシコのクエルナバカという街に行った時、見た木です。思い出しました。世界の三大花木と言われる木です。日本の櫻に匹敵する木ですよ」
「あらっ、三大花木なら、知っています。他に、カエンボク、ホウオウボクでしたわね。でも、実物は見たことがありませんでした」
バス・ターミナルを出て、メネンデス・ペラヨ通りという大きな通りを、左手に鬱蒼と繁った森を見ながら歩き、ムリーリョ公園の入口で左に折れて三百メートルほど歩いたところに予約したホテルがあった。
このホテルから三百メートル足らずのところに、カテドラル、ヒラルダの塔、アルカサルといった観光名所があることがホテルを選んだ理由であった。
ホテルにチェックインをして、早速、アルカサルの見物に出掛けた。
今日は日曜日であり、カテドラルには入れない、明日の月曜日はアルカサルに入れないということを前もって、三池は調べていた。
アルカサルは壮麗なイスラム風の宮殿であり、イスラム勢力が強かったここアンダルシアには至るところにアルカサルとかアルカサバと呼ばれる宮殿とか要塞がある。
漆喰細工のアーチが美しい『乙女の中庭』で暫く佇んだ。
この宮殿はどこか、グラナダのアルハンブラ宮殿を彷彿とさせる趣がある、と三池は思った。
二人はアルカサルを出て、ホテルがあるサンタ・クルス街という一帯を散策した。
迷路のように入り組んだ細い道と白い家といった街並みは観光客の目を楽しませる趣向に満ちていた。
諺には、語呂合わせの諺がたくさんあります、と三池が香織に言った。
スペイン語にもあります、セビーリャを見ずして、マラビーリャ(素晴らしい、という意味の言葉)と言う勿れ、がその代表ですかねえ、つまり、セビーリャはそれほどマラビーリャである、と。
香織が道の敷石に少し躓いた。
三池は思わず、香織の手を取った。
二人の手はすぐに離れたが、三池の掌に香織の手の柔らかな感触が暫く残った。
それは、三池にとって、胸が疼くような切なさを感じさせる感触であった。
黄昏が迫って来た。
三池は『パティオ・サン・エロイ』というバルを探した。
インターネット情報によれば、なかなか評判の良い店であった。
歩きながら、時折道端の人に訊いて探した。
サルバドール教会を過ぎ、エル・コルテ・イングレスデパートの近くにあった。
中に入り、ビールを飲みながら、七皿のタパスが付くコンビネーション定食を食べた。
その店のカマレロ(ボーイ)はとても愛想のいい男で、香織をセニョリータと呼び、通り過ぎる度、いろいろとピロポ(お世辞)を陽気な口調で言った。
日本人は彼らの目から見たら、一様に若く見える。
自分はともかく、香織はひょっとすると二十代のお嬢さんのように見えたのかも知れない、と三池は笑いながら思った。
分かった範囲で、カマレロのピロポを翻訳して香織に話してやった。
東洋の美しい真珠、セビーリャに美しい花が一本増えた、とか言っていますよ。
香織は無邪気に笑っていた。
店を出た。
夜の道は迷いやすい。
少し酔った三池は歩いてホテルに戻れる自信が無かった。
少し歩きだしたところに、流しのタクシーが通りかかった。
ホテルの名前を言ったら、運転手はバレ(OK)と言った。
バレという言葉はこのスペインでよく聞いた言葉だ。
英語で言えば、OKという意味で使われているらしい。
この言葉は、ドン・キホーテの後篇の最後に使われている。
『さらば』という意味で使われているのだ。
三池は香織の後にタクシーに乗り込みながら、俺の人生も、バレ、バレ、だと思った。
ホテルに戻り、少し窓辺の椅子に腰を下ろし、二人は軽口を叩きながら寛いだ。
窓から眺める通りは街灯に照らされ、人々が影絵のように揺らめいて見えていた。
ふと、三池は気付いた。
元来、無口である自分がこの頃、かなりのお喋りになっていることに気付いた。
香織と話していると、妙に口が軽くなり、言いたいことが自然と素直に口に出てしまうのだ。
こんなことは今までに無かった。
相性がいい、ということか。
それと同時に、彼女も随分とお喋り好きな女性であることも判った。
香織もお喋りなたちかも知れない。
会社で話した時とか、今回の成田では口数の少ない女性だと思っていたが、自分は案外香織のことを見損なっていたのかもしれない、これが彼女の『地』なのかも知れない、と三池は思った。
と同時に、役員になれずに、定年退職を迎えた自分に内心は忸怩たる思いを感じていること、役員になっている同期の仲間に対する嫉妬めいた感情も併せ持っていることに気付き、少し暗澹たる気分に陥った。
悟りきったつもりでいても、そうそう、悟りきることなんか、なかなかできやしないものだなあ、畢竟俺も俗物に過ぎない、とつくづく思った。
ふと、香織の方を見たら、香織は成田からの飛行機で貰った週刊誌を所在無げに見ていた。
もし、彼女と結婚していれば、もう少し違った人生になったかも知れない。
三池はそんなことを思いながら、バルコニーから暮れていく通りを眺めた。
五日目 五月十三日(木曜日)
目が覚めたら、八時を過ぎていた。
香織もつい、寝過ぎてしまったようだ。
二人はお互いの寝坊振りを冷やかしながら、オステルを出た。
昨日は、少し食べ過ぎたせいか、お腹が空かず、朝食は抜くこととした。
サグラダ・ファミーリアをもう一度訪れてから、ガウディの建築群を集中的に観るためにアシャンプラ地区周辺を観ることとした。
リセウ駅から地下鉄・三号線のトリニタート・ノバ方面の電車に乗り、ディアゴナル駅で地下鉄・五号線のオルタ方面の電車に乗り換え、サグラダ・ファミーリア駅で下車した。
サグラダ・ファミーリアの中を観てから、外に出て、ベンチに腰を下ろして教会の尖塔を見上げながら、三池は思った。
もう六十になった、俺はあと何年生きるのだろうか、今は一人ぼっちでこれからも一人ぼっちだ、覚悟はしているが、どうにも遣りきれない、ガウディが不慮の死を遂げた時、この教会の塔は一本しか建っていなかったと云う、今はこのように八本建っている、最初に始めた人が死んだ後も歴史は確実に時を刻み、その仕事を完遂していく、ガウディは今あの世で幸福な時を迎えている、さて、俺は何をこの世に残すことになるのだろうか。
サグラダ・ファミーリア駅から地下鉄・五号線のコルネッリャ・セントロ方面の電車に乗り、ディアゴナル駅に戻り、地下鉄・三号線のトリニタート・ノバ方面の電車に乗り、レセップス駅で降りて、少し歩いて、グエル公園を見物した。
中央広場へ続く大階段には有名なイグアナのタイル像があり、その前で記念写真を撮る観光客で一杯だった。
その後、ガウディ博物館を見学して、レセップス駅に戻り、地下鉄・三号線のソナ・ウニベルシターリア方面の電車に乗り、ディアゴナル駅で降りて、カサ・ミラを見物した。
レセップス駅で電車に乗り込もうとした際、数人の男女に囲まれた日本人と思しき夫婦連れを見た。
その夫婦は電車の奥に入ろうとしたが、数人の男女に囲まれてなかなか奥には入れない様子であった。
それでも、何とか制止を振り切って奥に入った夫婦に舌打ちしながら、その数人の男女は電車の扉が閉まる間際に電車から降りて小走りにホームを去って行った。
これが噂に聞いた集団スリでしょうかねえ、と三池は香織に囁いた。
びっくりしました、と言って香織は大きく溜息を吐いた。
二人はカサ・ミラに入った。
直線を徹底的に排除し、歪んだ曲線を主調とするカサ・ミラという建物は結構高い入場料を取っていたが、屋根裏のようなところが博物館風な展示構成になっており、見どころは豊富であった。
その後、ディアゴナル駅から、地下鉄・三号線のソナ・ウニベルシターリア方面の電車に乗り、パセジ・ダ・グラシア駅で降りて、カサ・バトリョを観た。
この建物も高い入場料を取って内部を見せていたが、観る人を幻惑させる蠱惑的な魅力に満ちていた。
それから、パセジ・ダ・グラシア駅に戻り、地下鉄・三号線のソナ・ウニベルシターリア方面の電車に乗り、カタルーニャ駅で降りて、二百メートルほど歩いて、『フレスコ』というサラダ中心のビュッフェ・レストランで少し遅めの昼食を摂った。
店内は広かったが、人気のあるレストランらしく、ほとんど満員という盛況であった。
「時に、香織さん、今の貴女の暮らしを聴かせてください。昨日は僕の今の生活を話しました。今日は、貴女の番です」
「別に、とりたてて、お話しするほどのことはありませんわ。私も結構することが多く、時間を持て余すことはございません。ステンドグラスの習いごとに関しては先日お話ししましたわね。その他、五年ほど前から、お茶も習っております。また、住んでいる文京区にはいくつか図書館があり、私がよく行く茗荷谷駅近くの図書館にはレコードとかCDが結構沢山あります。CDは貸し出されますが、レコードはその図書館の中でヘッドフォーンによって聴くんです。私も時々、レコードを聴きます。この間なんか、サラサーテのツィゴイネルワイゼンが収録されているレコードを五枚ほど借りて、全部聴き比べをしたくらいです。その他、二十分ほど歩いて後楽園に行くとか、三十分ほど歩いて池袋に行くとか、私も帽子を被ってウォーキングに励んでいるんですよ」
「香織さんもウォーキングをするんですか。それなら、僕と共通の趣味になりますね」
三池は、帽子の下から長い髪を垂らして、颯爽と歩いている香織の姿を想像した。
それは、三池の気持ちを和ませる悪くない想像だった。
一方、香織は香織で、今の三池の暮らしの中に自分が果たして割り込んでいけるものか、話しながら想像していた。
そして、そのように想像している自分に気付き、驚いた。
まあ、香織ったら、三池さんと結婚するなんて、お前は何と言う想像をしているの。
「このフレスコという店はチェーン店なのか、マドリッドにもあるらしいですよ。あそこのポスターに書いてありますから。なかなかいい店ですから、マドリッドに行った時も食べてみましょうか」
「賛成。マドリッドと言わず、いろんな街で野菜も大いに食べましょう。だって、この数日で私、確実に肥りましたから」
フレスコを出て、二十分ほど歩いて、オスタルに戻り、部屋で少し休んだ。
三池がぼんやりとバルコニーから街の通りを見下ろしていると、香織がお茶目な顔をして、三池に提案した。
「ねえ、三池さん、さっきは私、この数日で肥ったから野菜を今後どんどん食べましょうと言ったばかりで、こんなことを言うのはちょっと変なんですが、・・・。まだ、私たち、パエーリャを食べていませんよねえ。今夜の夕食、パエーリャにしません」
女の髪の毛は象をも繋ぐ、と言われる。
三池に抗する術は当然無く、八時頃、二人はバルセロナ現代美術館の近くにある『オリヒナル』というレストランまでオステルから歩いて行き、念願のパエーリャを食べた。
香織の好みで、シーフードのパエーリャを注文したが、魚介類がたっぷりと入っており、少し塩気が強かったが、結構美味しかった。
飲みものはカーニャと呼ばれる生ビールをジョッキで飲んだ。
塩辛いパエーリャにはビールがよく合う、と三池は思った。
「どうも、会社を退職すると、情報が入らなくなります。何か、変わったことでもありましたか」
「あまり、財務内容としては良くないようです。まあ、世の中全体が不景気ですから、しょうがないですが。三池さんの後に部長になった方、ご存じでしょうが、三池さんとは全然タイプが違う人です。はっきり言って、人望が無い人です」
三池は少し驚いた。
おとなしく、柔和そうに見えていた香織の意外な面を見たような気がした。
分かっていたようでも、俺は案外分かっていなかった、香織は激しさを内に秘めている女性であった、ということを三池は知った。
しかし、その発見は不愉快な発見では無く、一種爽快さを伴っていた。
「三池さんが部長のままだったら、私は会社を辞めずにそのまま居たかも知れません。同僚の雅子さんも言っていました。私の気持ちが分かるって。実は、雅子さんも私と同じ齢なんですよ。私に辞めないで欲しいって、かなり言っていました。お局さまが三人から二人になってしまうからって、言って。勝手ですよねえ」
香織が噴き出しながら、明るい口調で言った。
夕食の後、泊まっているオスタル近くにある『ロス・タラントス』という店でフラメンコ・ショーを観た。
かなり安い料金で、三十分ほどのショーであったが、若手ダンサーの迫力あるフラメンコを観ることができ、二人は大いに満足してオスタルに戻った。
何だか知らないけど、三池さんには何でも言える、と香織は歩きながら思っていた。
普段ならとても言えないようなことまで、三池さんには自然と話せてしまう、でも、三池さんには少し嫌われたみたい、今の部長の悪口を聞いた時の三池さんは少し不愉快そうな顔をしていたもの、何であんなことを言ってしまったのかしら、でも、構わない、今後は少し、情熱的に生きてみたいと思っているの、今夜観たフラメンコのせいかしら。
六日目 五月十四日(金曜日)
七時に、四泊したオスタルをチェックアウトして、タクシーで北バス・ターミナルへ向かった。
五日前の夜、三池たちを迎えた若い娘が「ブエン・ビアッヘ」と送り出してくれた。
ターミナルの中にあるカフェテリアに入り、いつものようにコーヒーとクロワッサンという簡単な朝食を摂った。
八時半出発の長距離バスに乗って、バレンシアに向かった。
「さて、四時間から五時間のバスの旅です。僕はメキシコでかなりバスを利用しました。住んでいたメリダという街は交通の便がよく、大きなバス・ターミナルを持っていました。バスでいろんなマヤ文明の遺跡を訪れました。今は国際的リゾート地として有名なカンクーンにも行きました。と、言っても、当時、カンクーンはまだ開発途上で、ホテルもできていませんでしたし、当時の最終目的地はカンクーン周辺の浜辺から船で行く、コスメル島とかイスラ・ムヘーレスといったカリブ海の島だったんですが。地中海の海もなかなか綺麗ですが、カリブ海はもっと綺麗な海です。第一、海の色が違います。地中海よりもずっと淡い色をしていて、日中はエメラルドグリーンに輝き、夕方はメキシカン・オパールの虹色の光を放つのです。機会があったら、一度貴女を連れていってあげたいと思います。きっと、感激するはずです」
「お願いします。是非、連れていってください」
目を輝かせる香織を見ながら、三池は昔見た情景を思い出していた。
日本からメキシコのメリダに来て三ヶ月ほど経った十月の或る日、漸く長かった雨季が終わろうとしていた頃、俺はメリダからチチェンイッツァというマヤの遺跡見物に出掛けた。
片言のスペイン語でも何とか、長距離バスの往復切符を買うことができ、俺はうきうきとしていた。
ユカタン半島の東の端にあるメリダ周辺の夏は雨季で、すごく蒸し暑い。
七月にメキシコシティから飛行機でメリダの空港に降り立った俺たち研修生は真夜中だったにもかかわらず、あまりの蒸し暑さに驚いた。
メリダは嫌だ、快適なシティに帰ろう、とひょうきんな研修生の一人が叫び、みんなで大笑いしたものだ。
しかし、世の中うまくできたもので、十月になると、それまでのスコールがおさまり、乾季の春が翌年三月まで続く。
四月から九月までの地獄の夏と十月から三月までの快適な春、メリダという街にはこの二つの季節しか無い。
バスは一直線の道を青空の地平線を目指して快適なスピードで飛ばして進む。
途中、小さな村の停留所で休憩となった。
一番暑い時間帯だった。
俺はバスから降りて、レフレスコと一般的に呼ばれる炭酸飲料を休憩所の売店で買って飲んだ。
冷たい。
半端な冷たさでは無く、ビンの中味が半ば凍りかかっているほどの冷たさだった。
冷たければ冷たいほどいい、と思いながら飲んだ。
ふと、周りを見たら、一人の女が売店のベンチに座っていた。
真っ赤な服を着ていた。
凄い美人だった。
齢は少し食っており、目に少し険があったが、びっくりするくらい美貌の女だった。
男が売店の奥から出てきて、彼女にレフレスコを渡した。
男はくたびれた感じのする初老の男で、レフレスコのビンの中味は赤色をしていた。
気が付かなかったが、彼女の傍らには古びたギター・ケースが立てかけてあった。
ドサまわりの年増のダンサーと連れのギター弾き、と俺は勝手に思った。
記憶というのは不思議なものだ。
三十年以上も前の記憶だが、今でも鮮明に覚えている。
その女が初老の男から渡されて飲んでいたレフレスコの色の赤さまで覚えているのだ。
なぜだろう?
バレンシアはマドリッド、バルセロナに次ぐスペイン第三の都市です、と三池は言った。
バレンシア・オレンジと、パエーリャ発祥の地でもあります、と付け加えた。
メキシコで食べたパエーリャには、わざわざ、パエーリャ・ア・ラ・バレンシアーナ(バレンシア風パエーリャ)とメニューに書いてあったくらい、バレンシアはパエーリャでは有名だ、と三池は思った。
「香織さん。パエーリャの発音ですが、日本ではパエーリャという発音でなされていますが、スペイン語ではどちらかと言えば、パエージャという風に発音されます。リャはLLAと書かれますが、発音としてはジャの方に近いんです」
途中、地中海の蒼い海が見えた。
今回の旅は、カタルーニャから始まり、バレンシア、アンダルシア、ラ・マンチャ、カスティーリャと廻る。
アンダルシアまで、この海は見えているはずだ、と三池は思い、気持ちが自然と昂揚してくるのを覚えた。
五時間後、バスはバレンシアのバス・ターミナルに到着した。
歩いてもたかが知れている距離ではあったが、長時間のバスで少し疲れていたので、タクシーに乗り、市庁舎広場近くのホテルに向かった。
ホテルにチェックインし、荷物を部屋に放り込んで、早速市内見物に出掛けた。
国立陶器博物館脇を通って、中央市場に入り、スーモ・デ・ナランハ・ナテュラルと注文して、有名なバレンシア・オレンジの生搾りジュースを飲みながら、パエーリャを食べて昼食とした。
パエーリャの注文は二人前からであった。
「これは、パエーリャ・ミスタ、つまり、ミックス・パエーリャで魚介類、肉、野菜が入っている具沢山のパエーリャですが、パエーリャ・バレンシアーナとメニューに書いてあれば、そのパエーリャには必ず兎の肉が入っています。兎の肉が特徴なんです」
三池はムール貝を香織の皿に取り分けながら言った。
その後、ラ・ロンハ、ミゲレテの塔、カテドラルを見物しながら、市内を散策した。
ミゲレテの塔に登ると、バレンシアの街が一望できた。
「気持ちのいい眺めですねえ。日本を発つ前に、スペインに関する雑誌を図書館で読んでいたら、泥棒とか掏りの被害に遭った人でも、スペインにはまた行きたいと書いてありました。この風景を見ていたら、私、その人の気持ちが分かるような気がします。本当に、魅力ある街並みですよねえ」
香織が遠くをかざすような仕草をしながら、呟いた。
カテドラルからレイナ広場に出て、ベンチに腰を下ろした。
「レイナという言葉は、女王という意味の言葉ですが、ラ・レイナとあり、ラという女性の定冠詞まで付いています。果たして誰のことを指しているのでしょうか。一番有名な、イサベル女王、のことでしょうかね。夫のフェルナンドと共に、レコンキスタを成し遂げ、コロンブスのパトロンとなり、イサベル・ラ・カトリカと尊称されたイサベル女王を指しているかも」
三池は、ふと、香織の今後が気になった。
「ところで、香織さん、日本に帰ったら、何か予定でもあるんですか?」
「予定、と申しますと?」
「就職とか、・・・、ご結婚、とか」
「結婚の予定はありません。就職も少し間をおいてから考えることにしているんです。文京区あたりで、正規社員が難しければ、派遣のお仕事でも探そうかと」
結婚の予定が無い、ということを聞いて、三池は何となく安心した。
しかし、安心した自分の気持ちに少し驚かされ、狼狽した。
結婚の予定が無い、ということを聞いて、安心したお前の精神構造はどうなっているのか?
香織と結婚するつもりも無いくせに、また、香織も二十歳も齢が離れたお前を結婚相手に選ぶはずは無いのだ、これは絶対あり得ないことだから、と三池は思い、憂鬱になった。
俺は、思いもよらぬことであったが、いつしか、香織という女性を生涯の伴侶として考え始めているのだろうか?
二人はホテルに戻り、荷物を整理してから、再び市内見物に出た。
国立陶器博物館を見学した。
香織はこのような焼き物に興味があるらしく、じっくりと時間をかけて観て廻った。
丁度、Mという日本人陶芸家の作品展が開催されていた。
金・銀をふんだんに使った蒔絵風の作品が展示されており、スペイン人含め、大勢の人が熱心に鑑賞していた。
侘び・寂びといった風情は無かったが、作品が醸し出す芸術性はかなり高いものと三池の眼には映った。
「三池さん、リャドロってご存じ?」
「ああ、知っていますよ。でも、随分と高い陶器というか磁器です」
「バレンシア出身のリャドロ三兄弟が始めたポーセリンアートなんです。実は、私、今回のスペイン旅行の中で一つはリャドロを買い求めるつもりなんです」
博物館を出て、ぶらぶらと歩いていたら、リャドロの店があった。
リャドロはロマンティックな磁器であるが、値段もとてもロマンティックだ、と三池は思った。
数万円から数百万円まで、大きさとデザインの精巧さで値段が決められる。
一瞬、香織にプレゼントしてもいいかな、と思ったが、価格が三池を躊躇させた。
こんな高価なものを貰ういわれが無い、と言うだろうし。
リャドロの店を出て暫く散策した後で、観光案内書に掲載されていた『ラ・リウア』というレストランで、ワインを飲みながらパエーリャを食べた。
豚肉、鶏肉、海老、ムール貝、ピーマンなどが入ったパエーリャでそれぞれの具材が醸し出す奥深い味が楽しめた。
「香織さん、このパエーリャは今日昼食で食べた、ミックス・パエーリャですよねえ。でも、味が昼食のパエーリャと違い、それほど塩辛くは無いですね。とても美味しい」
「塩辛いと言えば、三池さん、その後、血圧の方はいかがですか?」
「それが、不思議なもので、退職して田舎に引っ込んだ途端、正常値に近くなりました。もっとも、体重の増加には気を付けていますし、ウォーキングにもせっせと励んでいますから、それも功を奏しているのかも知れませんね」
「それはいいですね。うちの母が心配していました。お父さんのせいで、まあ、お酒のせいで、という意味なんですが、三池さんが高血圧になってしまったのでは、と心配していましたので。今の良い状態を継続してください。継続は力、ですよ、三池さん」
言いながら、香織は三池の体を心配する自分に気付き、意外に感じていた。
まるで、三池さんの奥さんみたい、私って、と思っていた。
でも、それも悪くない、但し、三池さんがノーと言えば、それまでだけれど。
七日目 五月十五日(土曜日)
朝食はホテルの料金の中に含まれていた。
簡単なビュッフェ形式の朝食で、二人は簡単に済ませて、ホテルを出た。
午前中は、二十分ほど歩いて、バレンシア美術館を見学した。
エル・グレコ、ベラスケス、リベーラ、ゴヤ、そして、ソローリャといった幅広いジャンルの絵画が展示されていた。
午後は火祭り博物館とバレンシア・ノルド駅を見物した。
火祭り博物館は街外れの少し分かりにくい場所にあったが、何人かの通行人に訊いて、何とか辿り着くことが出来た。
火祭り博物館には、三月中旬に開催される火祭りで、投票で一位となった人形だけが焼かれずにこの博物館に陳列される。
それ以外は全て惜しげも無く焼かれ、灰になる。
一年をかけて製作され、何千万円もかけた人形の寿命は一つを除き、この祭りの期間中、一週間という命で終る。
燃やし、灰になっていく人形を見詰める人々の暗い情熱を感じざるを得ない、と三池は香織に語った。
形あるものを永遠に残そうとする意志と、その瞬間に全てを賭け、燃焼し尽くし、その後の残滓、祭りの残滓は一切残さないという意志、どちらもこのスペインには色濃く在る、と三池は思った。
信仰と官能、この二つの異質なものがこのスペインという国の謎解きをするキーワードかも知れない、とも思った。
バレンシア・ノルド駅、この駅はいかにもバレンシア風だ、至るところにオレンジの装飾が施されている、面白い、と三池は思った。
この日は昼食も夕食も、中央市場で食べた。
イベリコ豚のサラミのようなソーセージ、タコのオリーブオイル炒め、海老の鉄板焼きが美味しかった。
「市場には、独特なにおいがあります。臭気と言ってもいいんですが、少し黴臭いような、饐えたような臭いがどんな市場でもしますね。きつい、弱いの違いはあるにしても。ただ、臭いって、慣れますね。慣れてしまえば、そう悪い臭いでも無くなる。時には、懐かしい臭いの一つとなることだってあります」
「懐かしいにおい。私にとっては、シッカロールがそうかしら。小さい頃、お風呂の都度、汗疹防止ということで母がパタパタと付けてくれました。時々、懐かしくなります。ちゃんと、鼻腔の奥で記憶しているんでしょうね」
「時に、香織さんは料理はしますか?」
「あら、いやだ、ちゃんとしますわよ。料理は、どちらかと言えば、好きなほうです。父がお酒飲みで、中学生の頃から私、父のお酒の肴を作っていたんです。父はお世辞かも知れませんが、母より私が作ったほうが美味しいと言っていました」
「それはそうです。父親ならば、娘が作ってくれるものならば、たとえ不味くても、美味しいと言うに決まっていますよ」
まあ、ひどい、と香織は三池をぶつ真似をした。
八日目 五月十六日(日曜日)
今夜は夜行バスに乗って、グラナダに行きます、と三池は朝食の席で香織に言った。
ホテルをチェックアウトして、タクシーでバス・ターミナルに向かった。
バス・ターミナルの近くに、エル・コルテ・イングレスという大型デパートがある。
「このデパートはスペインでは最大のデパートで、観光客にとってはお土産となりそうなものもたくさん売られているという話です。勿論、マドリッドにもありますので、帰る間際あたりで、一度覗いてみましょうか」
二人は、ターミナルのコイン・ロッカーに荷物を預けて身軽なスタイルになって、地下鉄を乗り継ぎ、地下鉄・コロン駅に行き、そこから三号線・ラフェルブニョル方面の電車に乗って、終点のパルマレト駅に向かった。
「インターネット情報によれば、パルマレト駅近くのレストランでパエーリャ名物の店があるらしいです。行ってみましょう」
珍しく、三池がパエーリャを食べたがった。
パルマレト駅は海岸地区で、海沿いにはパエーリャの専門店が目白押しといった状態で林立していた。
「三池さん、この頃はパエーリャばっかりですね」
香織が海沿いの道を歩きながら、笑って言った。
バレンシアの海はあくまで蒼く、空の青さと砂浜の白さを際立たせていた。
ハワイのワイキキ海岸もそうだったが、世の中には、まるで絵に描いたような、と表現される風景がある、まさにこのバレンシアの海辺の風景がそうだ、と三池は思った。
アルロース・ネグロという名前のイカ墨のパエーリャを食べた。
見た目は真っ黒でびっくりするが、オリーブオイルとイカ墨のコンビネーションが抜群の味を引き出していた。
味も見た目とは違って、塩辛く無く、まろやかであった。
食事の後、暫く浜辺に座り、のんびりとした優雅な時間を過ごした。
そして、夕方頃、地下鉄に乗って、バレンシアの中心部に戻り、賑やかな通りをウインドウ・ショッピングをしながら歩いたり、カフェテリアでお茶を飲んだりして時を過ごした。
夜、十時頃、地下鉄・トゥーリア駅に戻り、隣接したバス・ターミナルのカフェテリアで十一時発のバスを待った。
「香織さん、夜行バスは初めてですか」
「いえ、日本では東京から京都まで結構夜行バスを利用しています」
「ふーん、京都へ夜行バスで。京都も千二百年の歴史を持つ古都ですが、これから訪れるグラナダも古都です。グラナダが陥落し、レコンキスタが完了したというスペインでは歴史と郷愁を誘う街です」
「確か、アルハンブラの思い出、というギターの名曲もありました」
「そうです。よく、ご存じで。大学の頃、知り合った理学部・数学科の博士課程の人がなかなかのギターの名手で、よくこの曲を弾いて聴かせてくれました」
「スペインらしい、郷愁を誘うロマンティックな曲で、私も好きな曲です」
十一時、バスはほぼ定刻通り、六割程度の乗客を乗せて、グラナダに向けて発車した。
これから、九時間ほどのバス旅行となる、少し寝ておいた方が明日のためだ、と三池は車窓から夜の闇の中を点滅するように灯っている家々の灯りを見ながら思った。
一方、香織は日本から持参したニットのカーディガンを首筋まで羽織りながら、三池の隣で、私に青春なんてあったのかしら、と思っていた。
二年間の短大時代はあっという間に過ぎ去り、会社に入ってからも、懐かしく思い出すに価するロマンスも無く、家と会社の往復だけに、あるべき青春が無駄に費やされた気がする。
私の青春って、一体何だったのかしら、と香織は砂を噛むような気持で思った。
バスは何ヶ所か停留所に停まり、乗客たちはざわめき、三池たちもその都度、バスから降りて、トイレに行ったり、飲み物を飲んだりした。
途中、バスの運転手も何人か替わり、バス自体も乗り換えとなった。
荷物を新しく乗り換えるバスに運びながら、これでは、のんびりと眠ってはおれませんねえ、と三池は笑って、香織に言った。
九日目 五月十七日(月曜日)
九時間のバス旅行を経て、二人を乗せたバスは漸くグラナダのバス・ターミナルに到着した。
グラナダはイベリア半島での最後のイスラム王国として、イスラム文化の精髄が香り高く残っている古都である。
「千四百九十二年、コロンブスの新大陸発見の年ですが、イスラムの最後の砦であるグラナダが陥落し、アルハンブラ宮殿をカトリック両王、イサベルとフェルナンデス、に明け渡した上で、退去を余儀なくされた当時のイスラムの王様が嘆き悲しむのを見た王様のおっかさんが、お前は男のように戦わず、女のように泣いている、となじったという話も伝わっています」
「おっかない、おっかさんだったんですね」
香織は笑いながら言った。
「グラナダはスペイン語では『石榴(ざくろ)』という意味で、いろんなところで石榴のレリーフ或いは模様が見ることができますよ」
七時半、少し眠い目をこすりながら、バスを降りた三池たちの眼に南国アンダルシアの太陽はあくまで眩しかった。
バス・ターミナルのカフェテリアで、コーヒーとパンといったコンチネンタル風な簡単な朝食を摂った。
いろんなコース・メニューはあったが、長い乗車時間だったので、あまり食欲は無かった。
「今回は、私の退職記念旅行なんです。きちんとお支払いしたいと思っていますので、後で精算のほう、宜しくお願いします。三池さんに負担をおかけするつもりはございませんので」
「ああ、そうですか。分かりました。香織さんに負担して戴く分は纏めておきますよ」
香織の気持は分かるが、そうは、いかない、と三池は思っていた。
「僕の場合は、退職記念旅行としては別にしませんでした。引越しをして、落ち着いたところで、ハワイとか上海に行っては来ましたが。ああ、そうそう、一度僕の家に遊びに来ませんか。勿論、お母様も連れて。近くにいい温泉があるんです。また、スパ・リゾートという温泉センターもあり、東京から来る人で連日混んでいます。お母様にも久し振りにお会いしたいと思っていますし」
香織は微笑んでいた。
「実を言いますと、ここグラナダではアルハンブラ宮殿に隣接しているパラドールに泊まりたかったんです。パラドールというのは国営のホテルで、歴史的建造物を改築してホテルにしているので、宿泊料金は結構高いのですが、贅沢で優雅な時間を味わえるということで世界的にも有名な宿泊設備なんです。ただ、僕がインターネットでアクセスした時には既に満室となっており、予約は叶いませんでした。その代わり、アルハンブラ宮殿に、これまた隣接しているホテルがありましたので、ここを予約したわけです。小さなホテルですが、なかなか評判がいいホテルです。何と言っても、宮殿の隣です。でも、料金は今回の旅の中で一番高い料金です」
朝食後、タクシーでホテルに向かった。
チェックインは午後一時です、と言われた。
それで、チェックインまでの時間、荷物だけ預けて、市内見物に出掛けることとした。
ホテルのロビーの隅に、フラメンコ・ショーの案内書が置かれてあった。
バルセロナで観た店の名前と同じ、『ロス・タラントス』という名前の店で行なわれるフラメンコ・ショーで、三池はホテルの担当に話をして、明日の分を予約して貰った。
ホテルの担当は愛想良く、このショーは素晴らしいですよ、と言っていた。
ホテルの近くに、グラナダ名物の観光バス、アルハンブラ・バスの停留所があり、そこから市内に向かうアルハンブラ・バスに乗った。
運転手から、『ボーノ』と呼ばれる七回回数券を買って乗り込んだ。
日本人の観光客が目立った。
多くは、三池と同じくらいの年輩の旅行者だった。
俺たち、団塊の世代は皆元気がいい、旅行は無形の財産だと思っている、子供や孫に金を残してもしょうがないと思っている世代だ、一杯旅をして、その思い出だけを冥土の土産にして旅立とうと思っている世代だ、と三池は思った。
バスはヌエバという名前の広場に着いた。
そして、バスを乗り換えて、アルバイシンに向かった。
アルバイシンのサン・ニコラス展望台からのアルハンブラ宮殿の眺めは評判通りの美しさであった。
暫く、景色を楽しんだ後で、またバスに乗り、ヌエバ広場に戻り、そこからは歩いて市内の名所を訪れることとした。
二百メートルほど歩いたところに、王室礼拝堂があり、隣接してカテドラルがあった。
王室礼拝堂には、二組の夫婦の遺骸が安置されている。
レコンキスタを完了させたカトリック両王、イサベルとフェルナンドの遺骸と、両王の娘、フアナとその夫フェリーペの遺骸である。
フアナはあのフアナ・ラ・ロカ(狂女フアナ)と美公・フェリーペと言われた美男子フェリーペのことか、と三池は思った。
フェリーペは美男子でよく女にもて、フアナは嫉妬で精神に変調をきたし、フェリーペが若死にしてからは完全に狂い、狂王として死ぬまで幽閉された、と云われている。
但し、本当に狂っていたかどうか、陰謀説も渦巻いている。
しかし、女が、愛した男の早過ぎる死に直面して狂ってしまう、それほど、女は哀しいものなのか、と三池は思った。
カテドラルは、ステンドグラスの見事さと煌びやかな黄金の主祭壇で有名だ。
メキシコでもそうだ、と三池は思った。
メキシコでも黄金を惜しみなく使った祭檀は多く、数百年を経た今も当時の煌びやかな輝きは少しも失ってはいない。
その祭檀に向かって、インディオの子孫たちは敬虔な祈りを捧げている光景を何度も見た。
征服者である白人の凄まじい搾取の結果として建造されたカテドラルの黄金に彩られた祭壇の前で、被搾取者のインディオの子孫たちが与えられた宗教の信仰を捧げているのだ。
三池はグラナダのカテドラルの中、黄金祭檀を前にして、何とも遣りきれない怒りを感じていた。
しかし、その反面、時代を越えた美しさというものは確かにある、美しいものはいつの時代でも美しいものだ、たとえ、それが如何に醜悪な搾取に基づいていたとしても、と三池は思った。
二人はカテドラルを出て歩いた。
近くに、日本語情報センターがあった。
そのセンターはビルの三階にあり、狭い階段を登り、『日本語情報センター』という貼り紙が貼られているドアをノックした。
中から、中年の男性が現われ、三池たちを室内に招じ入れた。
三池たちはスペイン滞在二十七年というOさんと暫く雑談し、いろんな観光パンフレットを貰った。
センターを出て、少し南の方向に歩くと、左手の方にエル・コルテ・イングレスの大型店が見えた。
もっと南に下ると、ガルシア・ロルカ記念館があるという話であったが、行かなかった。
「ガルシア・ロルカはスペイン内戦勃発時、フランコ軍に捕まり、銃殺されたんです。それも、自分の死体を埋葬するための穴を掘らされた挙句、銃殺されたという話です」
三池は香織に話をしながら、大学の頃を思い出していた。
三池が大学に入学したのは、昭和四十三年、千九百六十八年だ。
全共闘が一番盛り上がった頃だ。
その頃、反帝学評という全学連組織があった。
何かの集会で、その反帝学評のメンバーが歌っていた歌があった。
インターナショナルとか、ワルシャワ労働歌という歌はかなり有名だったが、彼らが歌っていたその歌は知らなかった。
周りの者に訊いてみた。
国際旅団の歌だ、と言っていた。
内容はこんな感じだった。
おいらの生まれはここではないが、おいらの夢はここにある、国際旅団の行くところ、ファシストは倒る、・・・、といった歌詞だったように思う。
彼らは、「国際旅団」というところを「反帝学評」という言葉に変えて歌っていた。
スペイン内戦勃発時、フランコ軍に対抗する共和国軍に多くの若者が国を越えてスペインに集結し、銃を取って戦った。
彼らの組織を「国際旅団」と言った。
銃を取るよりは、ペンを取る方が似合っていた若者ばかりであった。
その内の一人に、アーネスト・ヘミングウェイが居た。
彼はこの時の経験を基にした小説を発表した。
『誰がために鐘は鳴る』という小説である。
スペイン内戦は多くの悲劇を生んだ。
ガルシア・ロルカもその一人だ。
古都は古都故に、つまり古い歴史を持っているが故に、多くの悲劇を見て来た、このグラナダも例外ではないだろう、と思いながら、三池は石の敷石舗道を歩いていた。
昼食はエル・コルテ・イングレス近くのベラクルスというレストランで摂った。
ランチ定食で安く、結構美味しかった。
定食もフルコース並みの構成で結構安い値段で食べられるものなんですね、と香織が言っていた。
飲みもの、パン、プリメーロ・プラト(一番目の料理)、セグンド・プラト(二番目の料理)、デザートという構成であり、日本人には量が多く、十分満腹になった。
プリメーロ(第一の皿)、セグンド(第二の皿)と二つともかなりの量の料理であり、男はともかく、食の細い女性ではとても食べきれない量となる。
昼食の後、ヌエバ広場に戻り、アルハンブラ・バスに乗ってホテルに行き、チェックインを済ませた。
ここでも、香織はセニョーラと呼ばれた。
香織は少し複雑な表情をしたが、誤解を楽しんでいるようにも見えた。
部屋に通され、窓を開けると、アルハンブラ宮殿の外壁がすぐそこに見え、小鳥の囀りと共に、少し涼しい風が吹き込んできた。
季節は初夏であり、スペインはともかく、日本ならば一年で一番いい季節だ、と三池は思った。
香織がシャワーを浴び、その後で三池もシャワーを浴び、昨夜からの汗を流した。
ベッドに横になったら、気が緩んだせいか、そのまま少し眠ってしまった。
目が覚めた時は既に八時を過ぎていた。
外はまだ明るかったが、香織を誘って軽い夕食を摂ることとした。
百メートルほど離れたところにあるパラドール・デ・グラナダに行き、そこのカフェテリアでワインを飲みながら、サンドウィッチをつまんだ。
カフェテリアは屋外にあり、前方に、アルハンブラ宮殿のヘネラリフェ離宮が見えていた。
カフェテリアに入る際、レストランが目に入った。
レストランは正装に近い、キチンとした服を着こなした男女でほとんど満員の状態で、予約無しで普通の観光客が入れるような雰囲気では無かった。
カジュアルな服装の観光客はカフェテリアに入るしか無いようにも思われた。
九時を過ぎ、ようやく夕暮れが忍び寄って来た。
十時になって、夜が来た。
前方のヘネラレフェ離宮にも照明が灯され、美しい夜景を見せていた。
三池はふと、メキシコのタスコの丘の上のホテルから見た街の夜景を思い出した。
タスコは『慕情の街』と言われる。
二十九歳の三池は或る女性のことを想っていた。
メリダのユカタン州立大学に留学していた女子学生だった。
三池は企業から派遣された研修生であったが、彼女は留学生試験を合格して来ていた学生留学生であった。
三池はその女の子に淡い恋心を抱いていたが、想いが通じることは無かった。
その女の子は、同学年の男子留学生と恋仲となっていた。
その女の子が或る晩、三池のアパートを訪れた。
三池はドキドキしながら、その女の子を室内に招じ入れた。
だが、訪問の意を知って、三池は何かロマンスを期待した自分を嗤った。
女の子は、その男子留学生に体を許したのに、この頃冷たい態度を取られてしまう、どうしてなの、と年長の三池に相談に来ただけであった。
三池の恋はこうしてあっさりと葬り去られた。
三池はタスコのホテルのベランダから山沿いの街の夜景を見ながら、恋の痛みに耐えていた。
あの時の俺は二十九歳、今の俺は六十歳、何にも変わっていない、少し分別らしいものが付いているだけだろう、邪魔な分別かも知れないが、と三池は思った。
ふと、傍らの香織を見た。
彼女も三池を見ていた。
微かに微笑んでいた。
「明日は、午後の時間で、アルハンブラ宮殿見物を予約してあります。実は、明後日も、午前の時間でアルハンブラ宮殿の予約を入れてあるんです。この際、徹底的に観たいと思いましてね。満喫しましょう」
三池は笑いながら、香織に言った。
十日目 五月十八日(火曜日)
ホテルの食堂で朝食を食べた。
小さなホテルであったが、アルハンブラ宮殿に隣接したこのホテルの人気は高く、満室となっており、食堂のテーブルもほぼ満席といった状態であった。
フランス語、ドイツ語、英語と、いろんな言語が飛び交っていた。
ホテルを出て、アルハンブラ・バスに乗り、サクロモンテ洞窟博物館に行った。
最寄りのバス停で降りて歩きだしたところ、ロス・タラントスという看板が目に入った。
今夜のフラメンコ・ショーで訪れる予定の洞窟劇場であった。
クエバと呼ばれる洞窟住居を見物した。
洞窟住居は、冬は暖かく、夏は涼しいと言われる。
香織はいろいろと興味を抱いたらしく、洞窟での生活の様子など細かく観察していた。
見物を終え、バスに乗ってヌエバ広場に戻った。
そして、アラブ街として有名なカルデリア・ヌエバ通りをウインドウ・ショッピングしながら歩いた。
ウインドウ・ショッピングに飽いたのか、香織は時々、店に入り、少し買っていたようだった。
行きずりのレストランで昼食を済ませ、ホテルに一旦帰った。
アルハンブラ・バスから降りてホテルに向って歩いていると、空から白いものがフワフワと落ちてきた。
綿毛のような白い物体であった。
何かな、と思い、宮殿を警備するガードマンに訊いてみた。
アラモの種子だ、と言う。
「香織さん、これはアラモ、つまり、ポプラの綿毛です。日本でも、丁度今頃から六月の上旬にかけて、ポプラから綿毛のような種子が空中に飛散するということを聞いたことがあります」
「アラモって、ポプラのことなんですか?」
「香織さん、ご存知ですか、アラモの砦を?」
「あの西部劇で有名なアラモの砦、ですか?」
「そうです。その、アラモですよ。デビー・クロケットを始めとするテキサス義勇軍がアラモの砦に立て籠もり、メキシコ正規軍と一戦を交え、全滅したと言われる、あのアラモですよ」
アラモの砦での戦いはアメリカ合衆国軍を勇気付け、「アラモを忘れるな」という言葉がその後のメキシコ軍との戦いでの合言葉となり、テキサスの独立を果たし、その後の米墨戦争をアメリカ合衆国軍の圧倒的な勝利に結びつけた。
どこか、「真珠湾を忘れるな」というスローガンと似ているな、と三池は思った。
アラモの砦がアメリカ合衆国軍を奮い立たせた悲話ならば、どっこい、メキシコ軍にも悲話がある。
アラモの砦を忘れるな、とばかり、アメリカ合衆国軍がメキシコに攻めて来て、首都メキシコシティのチャプルテペック城に迫った時のことだ。
この城に立て籠もったメキシコ軍には、士官学校の生徒たちも居た。
生徒であるから、まだ少年と言っていい年齢の若者たちばかりだ。
当時の慣例で、士官学校に学ぶ士官候補生はまだ軍人とは見なされず、戦闘に参加する義務は無かった。
士官候補生の多くはチャプルテペック城から去った。
しかし、祖国の危機を迎え、司令官の説得にも応じず、六人の士官候補生が残留し、戦闘に加わった。
彼らは実に勇敢に戦い、全員が戦死した。
十三歳から二十歳までの若者であった。
三池はこの話を日墨交換研修生としてメキシコに来た時に聞いた。
白虎隊、或いは、二本松少年隊のような悲話として、三池の胸を打った。
今、彼らはチャプルテペックの森の中に、『英雄少年たち』として讃えられ、記念碑も建てられている。
また、メキシコ国歌の中でも彼らのことは触れられており、メキシコ人の心の中にいつまでも生き続けている。
午後二時、アルハンブラ宮殿の入場門を潜った。
驚くほど、観光客で溢れかえっていた。
本命であるナスル朝宮殿への入場は時間が指定されており、とりあえず、三池と香織はヘネラリフェ離宮の庭園から見物することとした。
庭園は、噎せかえるほどの香気に満ちていた。
丁度、薔薇が咲き誇る季節だったのだ。
赤、白、黄、ピンクの薔薇が一斉に咲き誇り、観光客を迎えていた。
三池と香織は薔薇の艶やかさと香りに包まれて、陶然とした気分で庭園を散策した。
素晴らしいひとときとなった。
ぞろぞろと続く行列に混じってヘネラリフェ離宮とアルカサルと呼ばれる要塞砦を見物し、午後五時にナスル朝宮殿に入った。
入場制限を行っているにも拘わらず、ここも観光客で溢れ返っていたが、二人は優雅なひとときを味わった。
壁面を飾る精緻な漆喰、色とりどりの色彩と文様に彩られたタイルは三池たちを陶然とさせ、幻惑させた。
午後七時にアルハンブラ宮殿を出て、ホテルで暫く休憩した後、昨夜と同じく、パラドール・デ・グラナダのカフェテリアに入り、夕食を摂った。
相変わらず、カフェテリアから眺めるヘネラリフェ離宮の夜景は美しく、見ている内に、三池は思わず涙が零れ落ちそうになった。
暖かい色の街灯は郷愁を誘う。
タスコもそうだったが、このヘネラリフェ離宮の夜の照明はオレンジ色の暖かさを感じる色に統一されている。
赤、青、緑といったどぎついイルミネーションは一切無い。
どこか、懐かしいランプの色が人の郷愁を誘うのだ。
生きていることは、ただ、それだけで素晴らしい、と三池は思っていた。
ホテルに戻り、フラメンコ・ショー見物ツアーのバスを待った。
夜九時に迎えのマイクロバスが来て、二人は乗り込んだ。
バスは途中、アルバイシンに立ち寄り、サン・ニコラス展望台からのアルハンブラ宮殿の夜景を見せた上で、ロス・タラントスへ向かった。
ドリンク付きのショー見物であり、二人は壁際の椅子に座り、ワインを飲みながら、ショーの開演を待った。
午後十時半、フラメンコ・ショーが始まり、たっぷり一時間のショーを楽しんだ。
観客と触れんばかりの近さで踊るフラメンコは観客を圧倒するものであり、さすがに評判通りの感動を与えた。
踊り手は男性が二人、女性が三人という構成でそれぞれが十分程度踊った。
最後に踊った女性は少し年配の女性であったが、お決まりのカスタネットを両手に付け、貫禄たっぷりに踊った。
三池と香織は臨場感溢れる踊りを心から堪能した。
零時を少しまわった頃、ホテルに戻った。
香織も感激冷めやらぬ風情で、シャワーを浴びながら、フラメンコのカンテ(唄)を鼻歌で唄っていた。
歌なぞ歌いそうもない娘のように見えた彼女の意外な一面に、三池は戸惑いを感じていた。
俺は、香織のことを知っているようで、実はあまり知ってはいない、と三池は思った。
しかし、その思いと同時に、香織はこの旅行の中で、山本さんの娘さんで、部下の女子事務員から、成熟した一人の女性へ変貌を遂げつつあった。
それは、危険な変貌ではあるものの、どこか甘美な変貌であるようにも思えた。
十一日目 五月十九日(水曜日)
少し遅めの朝食を摂った。
隣のテーブルに座っていた米国人夫婦から話し掛けられた。
香織が主役となって、会話が弾んだ。
スペイン語文化圏では小さくなっていた香織にすれば、得意な英語を話すことができるということは喜びであった。
時々、マイ・ハズバンドという単語が出てきた。
どうやら、自分に言及する時は、この単語を使っているようだ、と三池は思った。
朝食を済ませ、部屋に戻った香織は、断りも無しに、ハズバンドと言ったことを遠慮勝ちに三池に詫びた。
外国人との会話の中で、ユア・ハズバンドと言われ、話の成り行きでそう言ったんでしょう、僕の方こそ恐縮していますよ、と三池が言った。
香織は少し安堵したような感じで嬉しそうな表情を浮かべた。
八時半にアルハンブラ宮殿に入場した。
九時半にナスル朝宮殿に入場した。
何回観ても素晴らしいところであり、このような形で実際に観ることができる、何という幸せか、と三池は感謝した。
アラブの模様で統一された漆喰の壁面は眺める者全てを千夜一夜の世界に誘う。
スペイン旅行の前に予備知識として読んだ、ワシントン・アービングの名著、『アルハンブラ物語』の断章が所々で三池の脳裏を過ぎり、三池を陶然とざせた。
アービングが訪れた時のアルハンブラ宮殿はほとんど廃墟に近い状況であったと云われている。
しかし、彼が書いた『アルハンブラ物語』はベストセラーとなり、アルハンブラ宮殿を窮状から救えという動きが全世界的な運動となり、莫大な寄付が寄せられた。
その結果、アルハンブラ宮殿は往時の優美な姿に復旧した。
アルハンブラ宮殿にとって、アービングという米国人は恩人であり、宮殿で実際アービングが住んだ部屋には、そのことを示すプレートが扉に掲げられており、街から宮殿に行く坂道の途中には、アービングの銅像も建立されている。
宮殿見物の中で、三池はグラナダの名前の由来を案内人に尋ねてみた。
柘榴を意味するグラナダとは関係無く、昔、この土地はガルラナタと呼ばれていたらしいが、それがいつの間にか、グラナダという発音に変化して、定着してしまった、という話をその案内人はしていた。
午後一時頃、アルハンブラ宮殿を退場して、パラドール・デ・グラナダのカフェテリアに入り、前方にのびのびと広がる眺望を楽しみながら、昼食を摂った。
その後、ホテルに戻り、明日に備え、少し荷物の整理をした。
夜、市内に行き、カテドラル近くのレストラン、エル・アグアドールでパエーリャ・デ・マリスコス(シーフード・パエーリャ)を食べた。
海老、浅利、ムール貝がふんだんに入り、レモンを振りかけて味をキリッとしめて食べた。
その後、バルに入り、クロケッタと呼ばれるコロッケと、エンサラダ・デ・アルロースと呼ばれる野菜が入ったお米のリゾットのようなものを一人前ずつ注文し、地元のビールを飲みながら食べた。
「私たち、これまでいろんなタパを食べましたね」
「いや、まだまだ序の口。これからも話の種にいろんなタパを食べましょう。何と言っても、百種類以上、あるという話ですから。日本に帰って、ああ、これ、食べ忘れたと言って、後悔しないように」
三池が気合を込めて言った。
その気合を込めた口調がよほど面白かったのか、香織は珍しく声を上げて笑った。
十二日目 五月二十日(木曜日)
ホテルでゆっくりと朝食を摂り、タクシーでバス・ターミナルに向かった。
タクシーの中から振り返りながら、三池はアルハンブラ宮殿になぜか強い郷愁を感じた。
意外な郷愁だった。
再会時の郷愁ならば分かるが、初めて訪れたところに対する別離時の郷愁なんてあり得ないものだ。
なぜ、去り行くアルハンブラ宮殿に郷愁を感じたのか。
三池は暫く考えていた。
かつて暮らしたメキシコで経験した風景と似たような感じがあったのかも知れない。
タスコで観た夜景をパラドールのカフェテリアから観た夜景が思い出させたのかも知れない。
或いは、還暦を迎えた初老の独身の男のような孤独な佇まいをアルハンブラ宮殿に感じたのかも知れない。
俺は過度に感傷的になっている、と三池は思った。
バス・ターミナルではカフェテリアで時間を潰し、十時のバスに乗って、マラガに向かった。
マラガという名前は『ラ・マラゲーニャ(マラガ娘)』という歌で有名だ。
あの歌の舞台は果たして、今バスで向かっているマラガなのだろうか?
三池はふと疑問を覚えた。
歌はトリオ・ロス・パンチョスというメキシコのグループが唄っていたが。
舞台はスペインのマラガであるにしても、メロディーは間違い無く、メキシコのものだ。
「香織さん、『ラ・マラゲーニャ』という歌を知っていますか?」
三池が言い、ケ・ボニートス・オホス・ティエネス・・・と軽くハミングした。
「知っていますわ。確か、アイ・ジョージさんが歌っていたラテンの曲でしょう」
「そうです。マラガの娘さん、という名前の歌なんですが、これから行く、マラガがこの歌の舞台だと思いますよ。歌の歌詞はこんな感じです。君は何と美しい眼を持っているの、二つの眉の下に、君の瞳は僕を見詰めたがっているのに、君はまばたきをすることさえ許さないんだ、小粋なマラガの娘さん、君の唇にキスをしたいと思っているんだ、そして君に言いたい、君は薔薇の花のように綺麗で魅惑的だ、と、もし僕を貧しさ故に蔑むならば、それでもよいさ、君に富はあげられないけれど、僕の心をあげるよ、僕の貧しさの代わりに僕の心を君にあげるよ」
「わあ、素敵。そんな歌詞だったんですか。知りませんでした。そんなロマンティックな歌詞だったなんて。もし、そんなことを言われたら、私、クラッとしてしまいます」
「昔、メキシコに居た頃、結構暇がありましてね。その時、暇にまかせて、メキシコの歌の歌詞を日本語に訳したことがあるんです。甘いですよ。ケーキのように甘い殺し文句が並べられています。ほとんどの歌がこのラ・マラゲーニャの歌詞のように、甘く囁くような文句が連ねられています。それに引き換え、日本の男は駄目ですね。好きな女が居ても、知らんぷりをしてしまう。その結果、他の男に奪われて、後悔するといった図式が多いですね」
「三池さんも、そのような経験がありました?」
「まあ、若い頃は・・・。僕だって、男ですから、そういうロマンスの一つや二つは」
三池は笑いながら、香織に言った。
十二時、バスはマラガに着いた。
「マラガって、ピカソの生まれ故郷なんです。ピカソ自身及び親族から寄贈された絵で、近年、ピカソ美術館がオープンし、マラガの新名所となり始めているのだそうです。でも、今回は、マラガは残念ながら通過するだけです」
マラガのバス・ターミナルに隣接するRENFEのマラガ・マリア・サンブラーノ駅からフエンヒーロ行きの『C-1』と呼ばれるセルカニアス電車に乗って、トレモリーノスという駅で降りた。
トレモリーノス駅は地下にあった。
電車に乗った時間は三十分足らずだった。
マラガからトレモリーノスまで、地下を走る区間が多いせいか、アンダルシアの海はあまり見えなかった。
「ビーチ沿いのホテルですから、終日水着で暮らせるところです。香織さん、貴女の水着姿も堪能させて戴くことになりますよ」
三池が冗談めかして言った。
「あらっ、そんなことをすると、罰が当って、目が潰れますよ」
香織も笑って言い返した。
いつの間にか、悪い冗談も言える仲になったのかな、と三池は思った。
トレモリーノス駅からホテルまで、三百メートルという距離だった。
タクシーに乗るまでもありませんね、と三池たちは歩くこととした。
しかし、この判断は間違っていた。
ホテルまでの最短距離は長い階段の坂道を通る道だったのだ。
下り道だから、何とかなるが、帰りは登り道になる、重い荷物を持っては到底無理だ、と三池は汗を拭きながら思った。
ホテルにチェックインしてから、お昼を食べに、駅の方まで戻った。
駅近くのカフェテリアで軽く昼食を済ませて、周辺を歩いていたら、意外な看板を見た。
『NOZOMI』という名の日本食レストランの看板だった。
駅から五分ばかりのところで、郵便局の裏手にそのレストランはあった。
瀟洒な感じが漂うレストランであった。
夕食はここにしましょうか、久し振りに日本食もいいでしょう、と三池が言うと、香織が大きく頷いた。
香織も正直者だ、スペインに来て、もう十日が過ぎ、そろそろ日本食が恋しくなったかな、と三池は思った。
ホテルに戻り、ホテルの大きなカフェテリアでお茶を飲んでから、ビーチを散策することとした。
ホテルの前のビーチはバホンディーリョ・ビーチと呼ばれる。
砂は少し褐色を帯びており、それほど美しい砂浜では無かった。
「ここら辺りは、夏の繁忙期となると観光客ですごい賑わいを見せるとインターネット情報にはありましたが、今はまだ初夏の走りということで、それほどでもありませんね」
人はそれほどでも無かったが、浜辺には開放的な雰囲気を感じさせるカラフルなパラソル、ビーチ・チェアが溢れんばかりに置いてあり、のんびりと日光浴を楽しむ人々も見掛けた。
欧米の人の日光浴にかける執念はすごい。
三池は、メキシコのカンクーンを思い出させる光景だ、と思った。
会社には勤続三十年を迎えた従業員には特典が与えられる。
昔は、ハワイ旅行であったが、今は簡便に旅行クーポンを渡すだけとなっている。
クーポン券もそれなりに有り難いものであるが、もっと有り難いのは一週間という休暇も支給されることだ。
一週間などという長期の休暇は盆・暮れ以外には取れなかったからだ。
三池はそのクーポンと休暇特権を利用して、一週間ばかりカンクーンを訪れた。
三池が日墨交換研修制度でメキシコに行った時には、カンクーンという国際リゾート地は未だ無く、建設途中の田舎の村でしか無かった。
若い三池たちはホテルのビル建設を尻目にして、カンクーンを素通りして、近くの浜辺から遊覧船に乗り、イスラ・ムヘーレス、コスメルといった島に渡り、数日を過ごした。
その後、カンクーンはメキシコ政府の支援もあって、一大国際リゾート地となった。
そのカンクーンを五十五歳の三池は訪れたのである。
二十七年振りに訪れたカンクーンは三池を圧倒した。
巨大ホテルが長い浜辺にぎっしりと建ち並び、欧米からの観光客で溢れかえっていた。
メキシコ人の観光客はほとんど居ない。
カンクーンは物価が高過ぎると敬遠され、メキシコ人観光客はアカプルコに行くのだそうだ。
アカプルコもかつてはメキシコを代表する国際リゾート地であったが、今はその座をカンクーンに奪われて、メキシコ人専用の観光地の地位に甘んずるようになった。
三池は研修生の頃、アカプルコも訪れている。
海に関しては、太平洋はカリブ海には敵わない。
カリブ海は沖縄の海よりも美しい。
この地中海の海もカリブ海には敵わない、と三池はホテルの前のビーチを歩きながら思った。
日光浴を楽しむ人々が話す言葉で、スペイン語は少数派であった。
さまざまな言語が飛び交っていた。
フランス語がどちらかと言えば、多かった。
南西の方角に歩いた。
途中、少し高い塔が見えた。
観光案内書で確認したら、ピメンテル塔と書いてあった。
その塔を過ぎ、カリウエラ・ビーチというビーチを歩いた。
海岸から五百メートルばかり離れたところに、ラ・ルナ・ブランカという名前のホテルがあることを三池は思い出し、香織に話した。
「このホテルにも、食べに来ましょうか。名前が気に入りました」
ラ・ルナ・ブランカという言葉は、そのまま直訳すれば、白い月、となりますが、あの小説ドン・キホーテにも、この言葉が出てくるんです。ルナ・ブランカでは無く、語順を変えて、ブランカ・ルナとなってはいますが。カバジェーロ・デ・ラ・ブランカ・ルナ、邦訳では、銀月の騎士、と訳されています、白い月、よりも、銀月、の方がずっとロマンティックでいいですね、と三池は語った。
銀月の騎士の正体は実は、ドン・キホーテが住んでいる村の住人で大学を出た、インテリ学士のサンソン・カラスコで、ドン・キホーテの出奔を心配した村の司祭とか床屋の親方、家政婦、姪に頼まれて連れ戻しに来た人なんです、なにせ相手は騎士道遍歴物語で狂った郷士ですから、連れ戻すには騎士の格好をして打ち負かし、村に帰ると約束させなければならない、ということで騎士に変装してドン・キホーテの前に現われたという次第です、と付け加えた。
「で、騎士道に基づく勝負の結果はどうでしたの?」
「実は、サンソン・カラスコは以前に、鏡の騎士としてドン・キホーテの前に現われ、その時は敗北しているのです。今回は、銀月の騎士として出現し、ドン・キホーテを見事打ち負かし、雪辱を果たします。そして、村に帰ることをドン・キホーテに約束させて意気揚揚と村に帰ります」
三池の話は続いた。
「その後、ドン・キホーテは村に帰り、すぐ病気になって死んでしまうんですが、最後は遍歴の愁い顔の騎士ドン・キホーテでは無く、正気に戻り、ただの郷士、善人アロンソ・キハーノとして死にます。ドン・キホーテの死後、サンソン・カラスコが墓碑銘を書きます。その文の中の一節が僕にはなかなかいいんですよ。『正気になって死に、狂気に生きた』という一節です。語順としてはこの順ですが、逆に読んで、狂気に生きたが、正気になって死んだ、とか、生きている時は狂っていたが、死ぬ時は正気になって死んだ、という方が言葉の順番としては分かりやすいです。モリール・クエルド・イ・ビビール・ロコと書かれています。しかし、著者のセルバンテスが狂気のまま、ドン・キホーテを死なせなかったのはなぜでしょうかねえ。カトリックという宗教が、人を狂ったまま死なせるということを禁じていたのでしょうか。僕は何か腑に落ちないものを感じていますがねえ」
香織は三池の話を黙って聴いていた。
三池は海に眼を遣った。
アンダルシアの海は午後の太陽に熱く輝いていた。
人に訊きながら歩き、ラ・ルナ・ブランカというホテルを確認してから、またぶらぶらと歩いて、ホテルに戻った。
随分と歩いたような気がしたが、往復で一時間と少しという時間だった。
ビーチに腰を下ろし、明るく輝く海を眺めた。
遠くを、白亜の客船がゆったりと動いて行く。
風は少し涼しくなったようだ。
南国のアンダルシアの浜辺にけだるげな夕方が忍び寄ってきた。
人生は楽しい、今、生きていることをお前はもっと感謝しなければならない、お前は幸せだろう、という声が耳元で囁かれている、そんな気持ちを三池は感じていた。
暫く、ビーチで寛いだ後で、「NOZOMI」に行き、寿司定食を食べて夕食とした。
結構、日本人も居た。
夫婦にしては年齢が違い過ぎる二人はどうしても好奇の目に曝される。
「僕たちはどのような目で見られているんでしょうかねえ」
三池は思い切って香織に訊いてみた。
「さあ、年齢が離れた夫婦に見られているか、愛人を連れて旅行している羨ましい男とその愛人と見られているかも知れませんわ」
香織は三池の問いに、澄まし顔で答えた。
その顔は、私はどう思われようと、別に気にしていません、と三池に語っているように思われた。
十三日目 五月二十一日(金曜日)
朝食はホテルのビュッフェで済ました。
大きなホテルだったので、かなりの宿泊者がおり、レストランの中は混雑していた。
ビュッフェの料理は多岐にわたり、ハムとかチーズといったものも各種盛り付けられており、香織も何種類か皿に取り、生ハムはやはり美味しいです、と喜んでいた。
午前中は、水着姿となって、ホテルのプライベート・ビーチで日向ぼっこをして過ごした。
アンダルシアの太陽も眩しかったが、それにもまして、三池の眼には香織の水着姿がやけに眩しかった。
グラマラスでは無かったが、スレンダーな肢体の伸びやかさは三池をどぎまぎさせた。
午後は昨日目星をつけておいてホテル・ラ・ルナ・ブランカに行き、和食の定食を食べた。
スペインのオリーブオイルたっぷりの食事にいささか食傷気味であった胃袋にとって、日本のご飯は何と言っても優しい。
二人が美味しそうに食べていると、日本人と思われる中年の婦人がお茶を携えて近づいてきた。
日本の方ですか、と柔和な口調で訊いてきた。
暫く、話した。
香織が、失礼します、と言って席を立ち、トイレに行った。
どうも、三池と香織の齢の差が気になっていたようだ、若くて綺麗な奥さんですね、と三池に言った。
そうですか、と三池は曖昧な微笑を浮かべて言った。
その店を出て、カリウエラ・ビーチを歩き、腹ごなしです、と言いながら、ピメンテル塔にも登ってみた。
塔からはホテルがあるバホンディーリョ・ビーチが左手に見え、カラフルなパラソルがアンダルシアの青く澄みきった空と地中海の蒼い海に華やかな彩りを添えていた。
塔を下りて、浜辺に降り立ち、腰を下ろして、波打ち際で戯れる男女を眺めた。
ふと、三池の脳裏を過去のいろいろな思い出がよぎった。
俺の青春はどのようなものであったのか、その思い出の中に見出そうとした。
しかし、その努力は徒労に終わった。
青春と呼ぶもの、呼ぶのに値するもの、眩しくキラキラと輝くものは、実は無かったのかも知れない、と三池は思った。
メキシコで暮らした、あの豊饒な十ヶ月、あれが青春だったのかも知れない、と思った。
それは、寂しい思いであった。
夜は、サン・ミゲル通りという繁華街のバルでタパスをつまんで夕食とした。
イカのリング揚げ、小海老のガーリック炒め、ムール貝の白ワイン煮などが美味しかった。
十四日目 五月二十二日(土曜日)
朝食は昨日と同じくホテルのビュッフェで済ませた。
午前中は水着に着替えてビーチで過ごしたり、ホテル近くのカフェテリアでお茶を飲んだりして過ごした。
午後はカリウエラ・ビーチにあるカサ・フアンというレストランの屋外の席で、ガスパーチョとかシーフード料理を食べて昼食とした。
海岸通りの綺麗に整備されている歩道を歩きながら眺める地中海は素晴らしく、カンクーンの海を思い出させた。
香織をいつか、カンクーン、イスラ・ムヘーレス、コスメルに連れて行って、カリブ海を見せてやりたいと思った。
この海も素晴らしいが、カリブの海はもっと人を幻惑させる。
人はその幻惑の中で、きっと自分の人生を振り返る。
振り返って、発見するものは何だろう。
充実した人生だったと思うか、まあ、ほどほどの人生だったと思うか、少し虚しかった人生だったと思うか。
俺の場合はどうであろうか。
俺の人生は、・・・。
「前も、言いましたけど、香織さん、貴女にいつかカリブの海を見せてやりたい、そう思っているんです。昼間のあのエメラルド・グリーンの海を見たら、夕方のあのメキシカン・オパールの虹色に輝く海を見たら、きっと、人生に対する見方まで変わります。きっと、人生と言うものは味わい、楽しむべきものだと思いますよ。決して、悲しむべきものでは無く、まして、憂鬱なものでも決して無く、後悔すべきものでも決して無い、ということを知るはずです。今、生きていることの素晴らしさを実感として抱くはずです」
香織は三池が話す口調の若々しさに少し驚きながらも、その若々しさに思わず好感を抱いた。
還暦の人が話す口調じゃない。
だんだん、この人が好きになってきたのかなあ、と香織は思った。
ひょっとすると、これは『愛』に発展するかも、とも思った。
それと共に、自分の心の中に、諦め、忘れようとしていた願望が次第に強くなってくるのを感じた。
結婚願望、と呼ばれている願望。
ヤバイかも、と香織は思った。
二人は、チリンギートと呼ばれる海に面して建てられている店の一つに入り、ビールを飲みながら暫く海を眺めた。
黄昏が迫り、海は次第に夕陽の輝きを受けて、オレンジ色に輝き始めた。
カンクーンの場合はメキシカン・オパールを惜しげも無く、ぶちまけたようなゴージャスな輝きだったが、今観ている地中海の夕焼けの海の色はアンダルシアの熱い太陽のかけらをふんだんに散り嵌めたような色をしている、と三池は思った。
夕焼けは人をいつも過度に感傷的にさせる、人はいつか、必ず死んでいく、俺は父親、母親をそれぞれ見送ってきた、しかし、俺を見送る人はいない、その覚悟はできているつもりだが、何だか寂しいものだ、と三池は思った。
ふと、傍らで黄昏の海を見詰めている香織の横顔が目に入った。
二十歳も齢は離れているが、この女性に見送られたら、と一瞬思った。
しかし、すぐ打ち消した。
それは本当にあり得ない想像だ、いや、妄想でしか無い、と思った。
傷つくのは嫌だ、この齢になって恋をするなんて、馬鹿げている。
どこからか、ギターの寂しげな音色が聞こえてきた。
今の俺の気持ちと似合い過ぎている、と苦笑いした。
十五日目 五月二十三日(日曜日)
朝食を済ませた上で、朝九時にホテルをチェックアウトし、歩いてRENFEのトレモリーノス駅に行った。
階段の坂道は避けて、二人で一ユーロという有料のエレベーターを利用した。
九時二十分頃のセルカニアス(近郊)電車に乗って、マラガ・マリア・サンブラーノ駅に行き、隣接するバス・ターミナルのカフェテリアで時間を潰してから十二時発の長距離バスに乗って、セビーリャに向かった。
そして、バスは定刻通り、午後三時頃にセビーリャのプラド・デ・サン・セバスティアンと呼ばれるバス・ターミナルに到着した。
そのバス・ターミナルで昼食を摂った。
メヌ・デル・ディアと言われる日替わり定食を食べた。
観光案内書を見たら、ホテルまでは一キロメートル足らずだったので、街の風景を見ながらのんびりと歩いて行くこととした。
紫色の花をつけた街路樹を見かけた。
並木となって、鮮やかな紫の花を一杯つけている様子はまさに圧巻であった。
「まあ、綺麗!」
香織が感嘆したような声を挙げた。
「本当に綺麗な花ですね。丁度、今が満開といったところですね」
三池も香織に同調した。
「この花をつけた木、かなり大きな木ですが、はて、どこかで見たことがあるような気がします」
と言って、三池は記憶の糸を辿った。
その内、思い当ったように、三池が語り始めた。
「そう。これは、ハカランダという木ですよ。昔、メキシコのクエルナバカという街に行った時、見た木です。思い出しました。世界の三大花木と言われる木です。日本の櫻に匹敵する木ですよ」
「あらっ、三大花木なら、知っています。他に、カエンボク、ホウオウボクでしたわね。でも、実物は見たことがありませんでした」
バス・ターミナルを出て、メネンデス・ペラヨ通りという大きな通りを、左手に鬱蒼と繁った森を見ながら歩き、ムリーリョ公園の入口で左に折れて三百メートルほど歩いたところに予約したホテルがあった。
このホテルから三百メートル足らずのところに、カテドラル、ヒラルダの塔、アルカサルといった観光名所があることがホテルを選んだ理由であった。
ホテルにチェックインをして、早速、アルカサルの見物に出掛けた。
今日は日曜日であり、カテドラルには入れない、明日の月曜日はアルカサルに入れないということを前もって、三池は調べていた。
アルカサルは壮麗なイスラム風の宮殿であり、イスラム勢力が強かったここアンダルシアには至るところにアルカサルとかアルカサバと呼ばれる宮殿とか要塞がある。
漆喰細工のアーチが美しい『乙女の中庭』で暫く佇んだ。
この宮殿はどこか、グラナダのアルハンブラ宮殿を彷彿とさせる趣がある、と三池は思った。
二人はアルカサルを出て、ホテルがあるサンタ・クルス街という一帯を散策した。
迷路のように入り組んだ細い道と白い家といった街並みは観光客の目を楽しませる趣向に満ちていた。
諺には、語呂合わせの諺がたくさんあります、と三池が香織に言った。
スペイン語にもあります、セビーリャを見ずして、マラビーリャ(素晴らしい、という意味の言葉)と言う勿れ、がその代表ですかねえ、つまり、セビーリャはそれほどマラビーリャである、と。
香織が道の敷石に少し躓いた。
三池は思わず、香織の手を取った。
二人の手はすぐに離れたが、三池の掌に香織の手の柔らかな感触が暫く残った。
それは、三池にとって、胸が疼くような切なさを感じさせる感触であった。
黄昏が迫って来た。
三池は『パティオ・サン・エロイ』というバルを探した。
インターネット情報によれば、なかなか評判の良い店であった。
歩きながら、時折道端の人に訊いて探した。
サルバドール教会を過ぎ、エル・コルテ・イングレスデパートの近くにあった。
中に入り、ビールを飲みながら、七皿のタパスが付くコンビネーション定食を食べた。
その店のカマレロ(ボーイ)はとても愛想のいい男で、香織をセニョリータと呼び、通り過ぎる度、いろいろとピロポ(お世辞)を陽気な口調で言った。
日本人は彼らの目から見たら、一様に若く見える。
自分はともかく、香織はひょっとすると二十代のお嬢さんのように見えたのかも知れない、と三池は笑いながら思った。
分かった範囲で、カマレロのピロポを翻訳して香織に話してやった。
東洋の美しい真珠、セビーリャに美しい花が一本増えた、とか言っていますよ。
香織は無邪気に笑っていた。
店を出た。
夜の道は迷いやすい。
少し酔った三池は歩いてホテルに戻れる自信が無かった。
少し歩きだしたところに、流しのタクシーが通りかかった。
ホテルの名前を言ったら、運転手はバレ(OK)と言った。
バレという言葉はこのスペインでよく聞いた言葉だ。
英語で言えば、OKという意味で使われているらしい。
この言葉は、ドン・キホーテの後篇の最後に使われている。
『さらば』という意味で使われているのだ。
三池は香織の後にタクシーに乗り込みながら、俺の人生も、バレ、バレ、だと思った。
ホテルに戻り、少し窓辺の椅子に腰を下ろし、二人は軽口を叩きながら寛いだ。
窓から眺める通りは街灯に照らされ、人々が影絵のように揺らめいて見えていた。
ふと、三池は気付いた。
元来、無口である自分がこの頃、かなりのお喋りになっていることに気付いた。
香織と話していると、妙に口が軽くなり、言いたいことが自然と素直に口に出てしまうのだ。
こんなことは今までに無かった。
相性がいい、ということか。
それと同時に、彼女も随分とお喋り好きな女性であることも判った。
香織もお喋りなたちかも知れない。
会社で話した時とか、今回の成田では口数の少ない女性だと思っていたが、自分は案外香織のことを見損なっていたのかもしれない、これが彼女の『地』なのかも知れない、と三池は思った。
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