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8.暗躍(6)
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「ひ…」
「答えろ、何者だ」
ぱふっ、と気の抜けた音を立てて、毛玉はアシャを射損ねて脇を過ぎ、泥土の上に落ちた。瞬間に細い撚り糸が解け、毛皮の包みが口を開く。黄色の鮮やかな粉が再び現れた月に照り映える。粉がわずかに舞い上がるのと、喉元に突きつけられた剣の切っ先に、浅黒い肌の刺客は掠れた音を立てて息を吸い込んだ。
「わ…我…ら……我らは…」
「答えろ。あの音が……聞こえるな?」
アシャは男の耳元で低く囁いた。剣を引き、男がはっと身を躱す間も無く、右腕を太い猪首に巻きつける。赤く熱を持った手首に力を込め、首を軽く締めながら目を細めた。
そのアシャの耳にも、足元に散った『飢粉(シイナ)』に吸い寄せられて来る泥獣(ガルシオン)の体の周りの襞が、ぴちゃぴちゃと音をたてているのが聞こえている。
「…泥獣(ガルシオン)…」
「そうだ。お前達の好きな泥獣(ガルシオン)だよ」
「…」
「仕方ないな」
「…ひ…いっ」
今度は確実に、男はひりついた喉を無理矢理しごくように悲鳴を上げた。アシャの左手の短剣が、男の背の革袋を小さく切り裂いたのだ。
もちろん、裂いたのは外の革袋だけではなかった。中に一杯詰まった『飢粉(シイナ)』の皮包みも裂かれ、隙間から黄色い死の粉が少しずつ少しずつ零れ始める。その粉は舞い落ちながら、男やアシャの脚に腰にまとわりつき、そのままじっとしていれば『飢粉(シイナ)』に侵されて死ななくとも、引き寄せられた泥獣(ガルシオン)に貪り喰われることを暗示していた。
だが、アシャは表情を変えなかった。静かに沈黙したまま、抱えた男の怯えた顔を見守りながら、穏やかに囁く。
「『飢粉(シイナ)』が体に降りかかっているぜ。このまま粘って黙っていても、遅かれ早かれ死ぬのは間違いない。一体どこのどいつにそれだけの義理立をしてるんだ?」
「お…お前も……一緒に喰われるんだぞ!」
「ああ、そうだな」
くすり、と甘い笑い声を響かせて、アシャは続けた。
「俺かお前か、どちらが早いかと言う問題さ、そうだろう?」
「っ」
また僅かにアシャの短剣が男の背中の革袋を切り裂いた。さら…と『飢粉(シイナ)』が霧のように舞い落ちる。男の腰のあたりは既に黄色に染まり、その意味を知り過ぎるほど知っている男は体を細かく震わせた。
「何者だ?」
アシャは冷ややかに尋ねた。最後通告、そう言う気配を滲ませる。
「わ…わ…ひ…」
「悲鳴を上げる前に答えてくれ。背中の袋を一気に切り刻みたくなる」
「わかった! 言う! 言う! だから助けてくれっ!」
男は身悶えた。こんな『泥土』のど真ん中、頭から『飢粉(シイナ)』を浴びれば、万が一にも助かる術などない。
「お、俺達は王、シダルナンの元……ぎゃひっ!!」
「ちいいっ!!」
言いかけた男が喉を裂かれたような声を上げたのも無理はない。どこからか飛んできた毛玉が、男の顔面を直撃したのだ。同時に、間近に迫っていた泥獣(ガルシオン)が男の足に飛びついて動きを封じる。顔面を押さえて仰け反った男ーおそらくは目が潰れ、口からも大量の『飢粉(シイナ)』を吸い込み気管も肺も灼け爛れ、まずは助からないだろうーが泥獣(ガルシオン)のただ中に倒れこむ。
瞬間、アシャは男を手放し剣を一閃、男の革袋を切り裂いて、地面を蹴って飛び上がっていた。足元の不安定な泥土のこと、いつもの1/3は力を削られる。それでも軽々空中に身を浮かせたアシャの眼下で、倒れ込んだ男にたちまち泥獣(ガルシオン)が濡れた音を立てて群がり寄るのが見えた。泥に汚れた体が必死に身もがく。だが。
「ぎゃ、ああああああっっ!!」
断末魔の絶叫とともに血の臭いが広がった。
しばらくは男が背負っていた『飢粉(シイナ)』に惹きつけられ、泥獣(ガルシオン)はアシャの方まで狙うまい。計算していたことではあったが、逆に言えば、この辺りの泥獣(ガルシオン)を引き寄せてしまうこともわかっている。飛び降りるや否や走り出す。
(シャイラは?)
周囲を見回したが、それらしい影はない。捕縛されたか、泥獣(ガルシオン)の餌食になってしまったか。何れにしても、ぐずぐずしていれば、アシャも同じ目に会うのは間違いない。
(王シダルナン……グルセトの奴らか)
走り続けるアシャの足元に、まだどこからか狙っているのだろう、『飢粉(シイナ)』の毛玉は続けさまに落ちてくる。狙いのあまりの正確さに、アシャは不審を覚えた。
(おかしい…どうしてこれほど正確に?)
「!」
何気なく足元を見たアシャはぎくりとした。脚に巻きつけている皮が微かに光を放っている。昼間ならば陽光の眩さで気づかない。夜でも、明るい月夜ならばわからないだろう。泥に汚れぐっしょり濡れているその皮は、それでも紛れもなくはっきりと薄白い光を放っている。
(白光皮(ジュラ)か!)
アシャは泥で汚れて『飢粉(シイナ)』の落ちた足元の紐を手早く解いた。おそらくは、この光を目当てにグルセトの射手はアシャ達に狙いを定めているのだ。
白光皮(ジュラ)。
平穏な世界では婦人達の飾りマントや胸飾り、短靴のあしらいなどに使われる程度だが、昔、敵方の兵士にそれとなく水袋や小物に細工して送りつけられ、暗夜の戦いの目印として戦略家が愛用していた。
一見ただの毛皮でしかないが、カイレーンの樹液を染み込ませると、淡い月光に似た白い光を放つことから、そう呼ばれる。革紐そのものも微かに光を放っているところから見て、樹液が染み込んでいたのはこの革紐で、白光皮(ジュラ)は革紐から樹液が移ってから発光し始めたのだろう。
(一体、誰が)
「ふ…」「!」
考え込んだ一瞬、鋭い殺気に身を引いた。
今の今まで体があった空間を、煌めく光芒が一筋走り、アシャの金褐色の髪を切り落とす。『飢粉(シイナ)』で埒が明かないと見た相手が手勢を繰り出してきたらしい。引いたアシャを待ち構えたように、背後から剣が振り下ろされる。短剣でかろうじて防いだアシャの胴を狙って突きが繰り出され、一気になだれ込まれ襲いかかられ、アシャは男達の囲みに沈んだ。
「答えろ、何者だ」
ぱふっ、と気の抜けた音を立てて、毛玉はアシャを射損ねて脇を過ぎ、泥土の上に落ちた。瞬間に細い撚り糸が解け、毛皮の包みが口を開く。黄色の鮮やかな粉が再び現れた月に照り映える。粉がわずかに舞い上がるのと、喉元に突きつけられた剣の切っ先に、浅黒い肌の刺客は掠れた音を立てて息を吸い込んだ。
「わ…我…ら……我らは…」
「答えろ。あの音が……聞こえるな?」
アシャは男の耳元で低く囁いた。剣を引き、男がはっと身を躱す間も無く、右腕を太い猪首に巻きつける。赤く熱を持った手首に力を込め、首を軽く締めながら目を細めた。
そのアシャの耳にも、足元に散った『飢粉(シイナ)』に吸い寄せられて来る泥獣(ガルシオン)の体の周りの襞が、ぴちゃぴちゃと音をたてているのが聞こえている。
「…泥獣(ガルシオン)…」
「そうだ。お前達の好きな泥獣(ガルシオン)だよ」
「…」
「仕方ないな」
「…ひ…いっ」
今度は確実に、男はひりついた喉を無理矢理しごくように悲鳴を上げた。アシャの左手の短剣が、男の背の革袋を小さく切り裂いたのだ。
もちろん、裂いたのは外の革袋だけではなかった。中に一杯詰まった『飢粉(シイナ)』の皮包みも裂かれ、隙間から黄色い死の粉が少しずつ少しずつ零れ始める。その粉は舞い落ちながら、男やアシャの脚に腰にまとわりつき、そのままじっとしていれば『飢粉(シイナ)』に侵されて死ななくとも、引き寄せられた泥獣(ガルシオン)に貪り喰われることを暗示していた。
だが、アシャは表情を変えなかった。静かに沈黙したまま、抱えた男の怯えた顔を見守りながら、穏やかに囁く。
「『飢粉(シイナ)』が体に降りかかっているぜ。このまま粘って黙っていても、遅かれ早かれ死ぬのは間違いない。一体どこのどいつにそれだけの義理立をしてるんだ?」
「お…お前も……一緒に喰われるんだぞ!」
「ああ、そうだな」
くすり、と甘い笑い声を響かせて、アシャは続けた。
「俺かお前か、どちらが早いかと言う問題さ、そうだろう?」
「っ」
また僅かにアシャの短剣が男の背中の革袋を切り裂いた。さら…と『飢粉(シイナ)』が霧のように舞い落ちる。男の腰のあたりは既に黄色に染まり、その意味を知り過ぎるほど知っている男は体を細かく震わせた。
「何者だ?」
アシャは冷ややかに尋ねた。最後通告、そう言う気配を滲ませる。
「わ…わ…ひ…」
「悲鳴を上げる前に答えてくれ。背中の袋を一気に切り刻みたくなる」
「わかった! 言う! 言う! だから助けてくれっ!」
男は身悶えた。こんな『泥土』のど真ん中、頭から『飢粉(シイナ)』を浴びれば、万が一にも助かる術などない。
「お、俺達は王、シダルナンの元……ぎゃひっ!!」
「ちいいっ!!」
言いかけた男が喉を裂かれたような声を上げたのも無理はない。どこからか飛んできた毛玉が、男の顔面を直撃したのだ。同時に、間近に迫っていた泥獣(ガルシオン)が男の足に飛びついて動きを封じる。顔面を押さえて仰け反った男ーおそらくは目が潰れ、口からも大量の『飢粉(シイナ)』を吸い込み気管も肺も灼け爛れ、まずは助からないだろうーが泥獣(ガルシオン)のただ中に倒れこむ。
瞬間、アシャは男を手放し剣を一閃、男の革袋を切り裂いて、地面を蹴って飛び上がっていた。足元の不安定な泥土のこと、いつもの1/3は力を削られる。それでも軽々空中に身を浮かせたアシャの眼下で、倒れ込んだ男にたちまち泥獣(ガルシオン)が濡れた音を立てて群がり寄るのが見えた。泥に汚れた体が必死に身もがく。だが。
「ぎゃ、ああああああっっ!!」
断末魔の絶叫とともに血の臭いが広がった。
しばらくは男が背負っていた『飢粉(シイナ)』に惹きつけられ、泥獣(ガルシオン)はアシャの方まで狙うまい。計算していたことではあったが、逆に言えば、この辺りの泥獣(ガルシオン)を引き寄せてしまうこともわかっている。飛び降りるや否や走り出す。
(シャイラは?)
周囲を見回したが、それらしい影はない。捕縛されたか、泥獣(ガルシオン)の餌食になってしまったか。何れにしても、ぐずぐずしていれば、アシャも同じ目に会うのは間違いない。
(王シダルナン……グルセトの奴らか)
走り続けるアシャの足元に、まだどこからか狙っているのだろう、『飢粉(シイナ)』の毛玉は続けさまに落ちてくる。狙いのあまりの正確さに、アシャは不審を覚えた。
(おかしい…どうしてこれほど正確に?)
「!」
何気なく足元を見たアシャはぎくりとした。脚に巻きつけている皮が微かに光を放っている。昼間ならば陽光の眩さで気づかない。夜でも、明るい月夜ならばわからないだろう。泥に汚れぐっしょり濡れているその皮は、それでも紛れもなくはっきりと薄白い光を放っている。
(白光皮(ジュラ)か!)
アシャは泥で汚れて『飢粉(シイナ)』の落ちた足元の紐を手早く解いた。おそらくは、この光を目当てにグルセトの射手はアシャ達に狙いを定めているのだ。
白光皮(ジュラ)。
平穏な世界では婦人達の飾りマントや胸飾り、短靴のあしらいなどに使われる程度だが、昔、敵方の兵士にそれとなく水袋や小物に細工して送りつけられ、暗夜の戦いの目印として戦略家が愛用していた。
一見ただの毛皮でしかないが、カイレーンの樹液を染み込ませると、淡い月光に似た白い光を放つことから、そう呼ばれる。革紐そのものも微かに光を放っているところから見て、樹液が染み込んでいたのはこの革紐で、白光皮(ジュラ)は革紐から樹液が移ってから発光し始めたのだろう。
(一体、誰が)
「ふ…」「!」
考え込んだ一瞬、鋭い殺気に身を引いた。
今の今まで体があった空間を、煌めく光芒が一筋走り、アシャの金褐色の髪を切り落とす。『飢粉(シイナ)』で埒が明かないと見た相手が手勢を繰り出してきたらしい。引いたアシャを待ち構えたように、背後から剣が振り下ろされる。短剣でかろうじて防いだアシャの胴を狙って突きが繰り出され、一気になだれ込まれ襲いかかられ、アシャは男達の囲みに沈んだ。
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