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「なんだかなー………あ」
瞬間にひやっとして思わず周囲をきょろきょろ見回し、あ、ここには『彼女』はいないんだっけ、と呟いて、正志はまたばふんとベッドに埋まり込む。
「まあ……何とか名前はわかったけれど」
片桐、桃花。
ももかって読むんだよ、可愛い?
そう子ども達に尋ねていた笑顔を思い出してにやつく。けれど、すぐにコンサートが終わっていそいそと三上の渡した花束を抱えて帰ってしまった桃花を思い出してため息が出た。
とにかく印象悪かったよなあ、僕。
ついでに風邪なんか引いちゃうしさ。
ぴぴぴっ、と鳴った体温計を脇から取り出してみると、37.8度。
「しっかり上がってやんの…」
ぼやいて体温計を枕元に放り出し、味気ない白い天井を見上げた。
木曜日に『彼女』のコンサートがあって、そこで「正志くん、婚約者のこと、そこまで大事に考えたことあったの?」なんて鋭い指摘を食らったせいか、はたまたそれが結構真実だと気づいてしまったせいか、金曜日の夕方から微熱が出て、本当なら代休交換で出勤するはずだった本日日曜日の仕事は急遽休み。
看護師ならこうはいかないよなあ。
ベッドの中でまた溜め息をつく。
勤務はシフトが組まれている。急な交代はできないから、看護師の仕事は自分の体調管理、つまり『自分が出るべき勤務の時に万全の体調を整えて出る』ことから始まるんだからね、とは、もうとうに離れてしまった母親の決まり文句だった。
「乳飲み子抱えてよくやってたよなあ…」
正志の母親が父親と死に別れたのが正志2歳の時。
病院の24時間体制の保育所に正志を入れて、奮闘すること18年、正志が成人すると同時に再婚して今は違う家庭を持っている。正志も来るかと聞かれたけれど、相手は初婚の、言わば新婚家庭に20歳の息子は邪魔でしょ、と相手に母をよろしくお願いします、とさっさと出てきた。
今では時々電話するぐらい、けれどさすがに涼子に婚約破棄されたとは伝えていない。
『涼子ちゃんならしっかりしてるから、お前も大丈夫よね』
笑った母親の顔が苦い気分と一緒に蘇ってきた。
「……しっかりしすぎて、ふられちゃいましたとさ」
はぁ、と熱っぽい息を吐いて、何かふっと懐かしい思いがしたと思ったら、初めて涼子と寝たときも風邪気味で熱っぽかったのを思い出した。
『大丈夫、正志くん?』
『え?』
キスしてて、いつも先に正志の熱に気づいたのは涼子の方だった。体熱いよ、と言われて、興奮してんのかなと苦笑いしたら、違うよ、きっと熱あるよ、そう言って体温計で熱を測ってくれた。
ほら、37.5度。
誇らしそうに見せてくれた細い指先を握って引き寄せて、
『もうキス駄目だね、今夜は帰る?』
そう尋ねた正志の額に額をくっつけて、赤い顔でむくれてみせた。
『今からどこにも行けないでしょう? 友達の所に泊まるって言ってきたもの』
『ごめん……じゃあ』
僕、ソファで寝ようか、そうベッドを滑り出ていこうとしたら、いいの、汗かいたら熱も引くよ、そう微笑まれて、どきどきしながら戻って。
後は夢中だった。
柔らかい肌。
細くてしなやかな手足。
長くていい匂いの髪。
高校・大学時代はバイトの合間の慌ただしいデートで、こんなふうに抱き合ってキスしたりするのはなかなかなかった。いつも別れ際に掠めるみたいに唇合わせて、それだけで結構楽しかったけれど、抱き合ってみれば、自分と全く違う体が不思議でわけがわからなくて。
壊しそうでいつもそっと怯みながら扱っていたように思う。
「…………それが……まずかったのかなあ………」
目を閉じると、そのままうとうとしてしまったらしい。
瞬間にひやっとして思わず周囲をきょろきょろ見回し、あ、ここには『彼女』はいないんだっけ、と呟いて、正志はまたばふんとベッドに埋まり込む。
「まあ……何とか名前はわかったけれど」
片桐、桃花。
ももかって読むんだよ、可愛い?
そう子ども達に尋ねていた笑顔を思い出してにやつく。けれど、すぐにコンサートが終わっていそいそと三上の渡した花束を抱えて帰ってしまった桃花を思い出してため息が出た。
とにかく印象悪かったよなあ、僕。
ついでに風邪なんか引いちゃうしさ。
ぴぴぴっ、と鳴った体温計を脇から取り出してみると、37.8度。
「しっかり上がってやんの…」
ぼやいて体温計を枕元に放り出し、味気ない白い天井を見上げた。
木曜日に『彼女』のコンサートがあって、そこで「正志くん、婚約者のこと、そこまで大事に考えたことあったの?」なんて鋭い指摘を食らったせいか、はたまたそれが結構真実だと気づいてしまったせいか、金曜日の夕方から微熱が出て、本当なら代休交換で出勤するはずだった本日日曜日の仕事は急遽休み。
看護師ならこうはいかないよなあ。
ベッドの中でまた溜め息をつく。
勤務はシフトが組まれている。急な交代はできないから、看護師の仕事は自分の体調管理、つまり『自分が出るべき勤務の時に万全の体調を整えて出る』ことから始まるんだからね、とは、もうとうに離れてしまった母親の決まり文句だった。
「乳飲み子抱えてよくやってたよなあ…」
正志の母親が父親と死に別れたのが正志2歳の時。
病院の24時間体制の保育所に正志を入れて、奮闘すること18年、正志が成人すると同時に再婚して今は違う家庭を持っている。正志も来るかと聞かれたけれど、相手は初婚の、言わば新婚家庭に20歳の息子は邪魔でしょ、と相手に母をよろしくお願いします、とさっさと出てきた。
今では時々電話するぐらい、けれどさすがに涼子に婚約破棄されたとは伝えていない。
『涼子ちゃんならしっかりしてるから、お前も大丈夫よね』
笑った母親の顔が苦い気分と一緒に蘇ってきた。
「……しっかりしすぎて、ふられちゃいましたとさ」
はぁ、と熱っぽい息を吐いて、何かふっと懐かしい思いがしたと思ったら、初めて涼子と寝たときも風邪気味で熱っぽかったのを思い出した。
『大丈夫、正志くん?』
『え?』
キスしてて、いつも先に正志の熱に気づいたのは涼子の方だった。体熱いよ、と言われて、興奮してんのかなと苦笑いしたら、違うよ、きっと熱あるよ、そう言って体温計で熱を測ってくれた。
ほら、37.5度。
誇らしそうに見せてくれた細い指先を握って引き寄せて、
『もうキス駄目だね、今夜は帰る?』
そう尋ねた正志の額に額をくっつけて、赤い顔でむくれてみせた。
『今からどこにも行けないでしょう? 友達の所に泊まるって言ってきたもの』
『ごめん……じゃあ』
僕、ソファで寝ようか、そうベッドを滑り出ていこうとしたら、いいの、汗かいたら熱も引くよ、そう微笑まれて、どきどきしながら戻って。
後は夢中だった。
柔らかい肌。
細くてしなやかな手足。
長くていい匂いの髪。
高校・大学時代はバイトの合間の慌ただしいデートで、こんなふうに抱き合ってキスしたりするのはなかなかなかった。いつも別れ際に掠めるみたいに唇合わせて、それだけで結構楽しかったけれど、抱き合ってみれば、自分と全く違う体が不思議でわけがわからなくて。
壊しそうでいつもそっと怯みながら扱っていたように思う。
「…………それが……まずかったのかなあ………」
目を閉じると、そのままうとうとしてしまったらしい。
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