上 下
46 / 47

『高野25時』(3)

しおりを挟む
行動力とたじろがぬ決断力とが、チンピラヤクザに奪われたということがどうしても信じられなかった。
 呆然と立ち竦む頭の奥で、初めて朝倉家へ来た時のこと、大悟と逢った時のこと、それから共に暮らしてきた数十
「坊っちゃま…」
「何?」
 打てば響くように返ってくる答えに、高野はことばに詰まった。
 周一郎は知っていたのかもしれない、大悟が決して自分を大切に思って保護してくれたのではない、と言うことを。高野さえも心のどこかで、周一郎を守る、と言うよりは、大悟の命(めい)を生かしたいばかりに、周一郎の世話を焼いていたと言えなくもないことを。そうして結局、周一郎はいつも一人で、誰からも真にその存在を望まれていたのではない、と言うことを。
 だからこうして、自分が崩壊する直前には、再び自分の中へと閉じこもってしまう。高野の介入さえも、真実の理由に気づいているんだよ、と言いたげに哀しく拒否して…。
(大悟様だけではない……結局、私も同じなのだ、坊っちゃまにとっては)
 同じように自己満足の中でしか周一郎を守っていないのだ。
「…もう少しお待ち下さい」
「?」
「必ず、滝様をお連れします」
 高野は吐いた。
 自分では駄目だ。滝でなければ救えない。
「高野が、必ず、お連れします」
「…うん…」
 一瞬、周一郎の瞳に浮かんだ切ないような哀願の色に、高野は一礼し、身を翻した。ドアを開け、見送る周一郎に頷いて、ドアを閉める。
(とにかく、何が何でも滝を捜して…)
 決意に強く唇を噛む。勢い込んで階段を降りかけた矢先に、
「いやー、参った、参った…」
「!!」
 真冬のひまわりでも、これほど脳天気ではあるまいと言うほど明るい声がしてぎょっとした。
「あれ、高野さん、ただいまァ…」
 声の主はいつものジーパン姿で階段の下まで来ると、にこにこ笑いながらひらひら高野に手を振る。
「いやー参ったよォ、帰れなくって…悪いけど、550円貸し……っ!!」
 高野はダッシュした。階段を駆け下り、のそのそ上って来ようとする相手の胸ぐらを引っ捕まえ、抵抗する間もあらばこそ、近くの小部屋に引きずり込み、ドアを閉め、壁へ押し付け……で、怒鳴りつけた。
「滝様!!」
「はいっ」
「一体、今の今まで、どうなさっていたんですかっ!!」
「どうなすってたって…え……いや…あの…」
「今、何時だとお思いですかっ!」
「え…今…えーと…8時…ぐらい…カナ…」
「今日は何日だとお思いなんですっ!!」
「えーと…えーと…えーと…」
「えーとじゃありませんよっ! どこへ行ってらしたんです!」
「あの…」
「坊っちゃまがどれほど…っ」
「…高野」
 背後から冷ややかな声が聞こえて、高野は思わず身を竦めた。相変わらず、胸ぐらを掴まれたままの滝が、にこにこ嬉しそうに報告する。
「あ、ただいま、周一郎」
 沈黙。
 バンムッ!!
「!」「ひえっ!」
 次の瞬間、思い切り派手にドアを閉める音が響き、高野は眉を寄せて目を閉じた。
 一体この状況の難しさを、どう話せばこの男に伝わるものか。
 悩む高野の耳に、ぼそぼそと、しかも如何にも何が何だかわからないと言う響きを宿して、
「え…? あの…あれ…? 高野さん…あいつ、何か、機嫌、悪くない?」
「………………」
 滝の問いかけに、高野は完全に思考を放棄した。

「でもまあ、良かったですよねえ…」
「ああ…」
 岩淵のことばに頷いて、高野は席を立った。1日で百ほど歳をとった気がする。
「坊っちゃまの食器を下げて来る。休んでていいよ」
「はい、おやすみなさい」
 滝が帰りそびれた理由と言うのは、ちょっとした話だった。
 友人と遊びに行って飲みに出た。飲めない酒をかなり呑まされて、帰りの電車を間違えた。終電で終着駅まで行ってしまい、そのまま一晩。次の朝の電車でこちらへ戻ろうとしたら、田舎から出て来た(?)と言う迷子を拾ってしまった。仕方なしに、付近にある家を捜して半日潰れ、昼飯を食べようと思って入った食堂でスリにあった。有り金盗られたと気づいたのが食事の後、夕方までラーメン2杯分の皿洗い、帰りの電車賃を借りてようよう戻ろうとしたら、帰りの駅で電車賃を失くしたというおばあさんに会った。手持ちから幾らか貸して、残ったお金で乗れるところまで乗ったら、その電車に飛び込んだ奴がいて、しばらく運行停止。電車待ちをしているときに、女にフラれた友人と出くわして絡まれ、そのまま一晩、愚痴を聞きに下宿に泊まることになった。翌朝、と言っても目を覚ましたのが昼近く、昼飯を食いに出て、忘れていたレポート課題を思い出し、大学へ取りに帰って納屋教授にとっ捕まり、ようやく脱け出せば今度は宮田に捕まり、と言う具合で、ついに電話も入れられなければ、帰れもしなかったのだと言う。
 夜の10時を過ぎて静まり返った屋敷の中、階段を上がり、周一郎の私室のドアを叩くと応えがあった。
「失礼いたします」
 用意した夜食はきれいに片付いていた。ソファで滝が寝っ転がっている。くうくうと気持ち良さそうな寝息を立て、毛布をかけてもらって熟睡しているようだ。
「高野」
 起こそうとした高野を、周一郎は優しい声で制した。それから、そう言う自分に照れたように、
「ほっといても風邪なんかひかないよ、バカだから」
「坊っちゃま」
「…」
 窘めるのに素知らぬ顔をする。横顔に、今夜は側に居て欲しいのだと読み取った高野は、僅かに微笑んで食器を取り上げた。出て行く前にふと気が付いて、
「坊っちゃま」
「?」
 無言で顔を上げるのに低く言う。
「気持ちは伝えるものですよ」
 高野にしては珍しい諭し口調に、周一郎はどこか淋しそうに笑った。
「…わかってる」

 わかっている。けれど、言えない。
 大切に想うからこそ……誰よりも失いたくないからこそ、伝えて自分を晒け出して、万が一に裏切られた時の痛みが怖い。
(けれど、坊っちゃま)
 23時、屋敷の中を見回りながら、高野は考える。
 大悟が死んだ時、あの直前、自分は大悟に魅かれていた、と……大悟の命(めい)は何があっても守ってみせると伝えていたならば、自分と大悟の距離はもう少し違っていただろうか。執事と主人、と言う枠を越えて。より何か近しい友人、として。
 24時。高野は大悟の書斎の前に立った。大悟の生存中、ついに高野は滝のように『私用』でここに入ることはなかった。大悟もそれを勧めなかった。夜の巡視の終わりに、高野はいつもここで足を止める。けれども死者は蘇らない。そうして、高野に許可を与えてはくれない。
 人生を重ねるに従って、高野には、それがどれほど大きな悔いになって来るのか、よくわかる。
 繋げる想いが全てなのだ。懸ける気持ちが唯一未来を約束し、過去を許してくれるのだ。
 だからこそ人は、その最後のためー他の誰でもない、己の安らかな最後のためにー心を伝えなくてはならないのだ。
(ですから、坊っちゃま)
 高野はゆっくり向きを変えて、自室へ向かった。
 滝を失ってしまう周一郎の痛みを、自分が大悟を逝かせてしまった時の痛みに重ねて、高野は周一郎に伝えようと思う。
 それこそ、他の誰でもない、高野の、この行き場のない真夜中の傷みを癒すために。

                                     終わり
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。 オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・ 「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」 「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

別に要りませんけど?

ユウキ
恋愛
「お前を愛することは無い!」 そう言ったのは、今日結婚して私の夫となったネイサンだ。夫婦の寝室、これから初夜をという時に投げつけられた言葉に、私は素直に返事をした。 「……別に要りませんけど?」 ※Rに触れる様な部分は有りませんが、情事を指す言葉が出ますので念のため。 ※なろうでも掲載中

王妃そっちのけの王様は二人目の側室を娶る

家紋武範
恋愛
王妃は自分の人生を憂いていた。国王が王子の時代、彼が六歳、自分は五歳で婚約したものの、顔合わせする度に喧嘩。 しかし王妃はひそかに彼を愛していたのだ。 仲が最悪のまま二人は結婚し、結婚生活が始まるが当然国王は王妃の部屋に来ることはない。 そればかりか国王は側室を持ち、さらに二人目の側室を王宮に迎え入れたのだった。

下っ端妃は逃げ出したい

都茉莉
キャラ文芸
新皇帝の即位、それは妃狩りの始まりーー 庶民がそれを逃れるすべなど、さっさと結婚してしまう以外なく、出遅れた少女は後宮で下っ端妃として過ごすことになる。 そんな鈍臭い妃の一人たる私は、偶然後宮から逃げ出す手がかりを発見する。その手がかりは府庫にあるらしいと知って、調べること数日。脱走用と思われる地図を発見した。 しかし、気が緩んだのか、年下の少女に見つかってしまう。そして、少女を見張るために共に過ごすことになったのだが、この少女、何か隠し事があるようで……

骸骨と呼ばれ、生贄になった王妃のカタの付け方

ウサギテイマーTK
恋愛
骸骨娘と揶揄され、家で酷い扱いを受けていたマリーヌは、国王の正妃として嫁いだ。だが結婚後、国王に愛されることなく、ここでも幽閉に近い扱いを受ける。側妃はマリーヌの義姉で、公式行事も側妃が請け負っている。マリーヌに与えられた最後の役割は、海の神への生贄だった。 注意:地震や津波の描写があります。ご注意を。やや残酷な描写もあります。

処理中です...