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第3章
7.恋愛(3)
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「写メも性能よくなってますよね。デジカメも?」
二度同じ不愉快な状況にぶつかる気はない。大輔にも京介にも、これより後はないと知らせたい。
自分の身さえ晒す覚悟の人間がどこまで踏み込めるのか、それに対抗できる何があるのか見せてもらう。もっとも、そこで引く気などない、見極めてより確実な一歩をなお踏み込むだけだ。
脳裏に過る野犬の眼。
腕一本を引き換えに生き延びるつもりをしていたあの日。
無意識に唇が釣り上がったのを感じた。
「あなたが今何をしていたか、遠くからでも写せますよね?」
「く」
「画像と会話を揃えて公開されると、いつかはお子さんの眼にも触れてしまうかもしれませんね」
苛立った大輔の顔に、ふいにあの山の家が蘇った。
おとうさん。
それでもあなたはあの子ども達にそう呼ばれていた。
自分達を守り愛しむ大切な人として見上げた顔を、大輔は思い出せるのだろうか。思い出せてもなお、京介に執着してこんな場所できわどいことを仕掛けるのだろうか。
「お子さんの人生も一緒に引き換えにされますか」
一瞬口を噤んだ大輔に期待した。
怯んで欲しい。
しまったと思ってほしい。
少なくとも、自分を信じている眼のあることを思い出して欲しい。
だが。
「脅迫するのか」
美並は切ない息を吐いた。
「警告です。あるいは交換条件」
そうだ、ここまで来てしまうと、人は一番大事なものは自分になってしまう。自分の安全、自分の安楽、自分の未来のために、本当に失ってはならないものを切り捨ててしまう。自分が自分であるための、そのよりどころを。
「あなたが京介に強いたような」
止まって欲しかった。
顧みて欲しかった。
無言でもいい、この場から立ち去って、大事な人のところへ戻って欲しかった。
けれどぎらぎら滾る光を満たして美並を見返す大輔は、忙しく京介のほうにも視線を泳がせる。まだ微かに震えている京介に煽られるように唇を舐め、眼を細め、自分が得られたはずのものを京介に探して視線を這わせる。
戻れない、のだろう。
京介が断たない限り。
きっと虚ろにしか聞こえないはず、けれど美並は伝えるべきことを伝えた。
「再び同じようなことをされるなら、今の情報はただちに発信されると考えて頂けますか?」
視線を上げ、明に合図する。明が頷き、するりと身を翻してホテルを出て行くのを見送った。固い表情でホテルマンが、数人の客が、明の掲げていた携帯を不安そうに見遣りながら顔を背ける。
大輔がぎりっ、と歯を鳴らした。
そうだ、大輔は必死に考えている。あの男が何をする気なのか、どうしたらあの情報を取り返せるのか。
だがすぐに、その表情が疲れたやりきれないものに変わっていく。
いつか恵子が京介に使った罠そのまま、大輔が京介を脅迫し心身ともに被害を与えようとした情報は、大輔が明に迫るよりも早く、夜闇を駆けて安全な場所に送信される、大輔はそう考えているのだ。自分ならそうするから。自分ならそれを決定打として使うために保存するから。
けれど。
美並はそれを、残さない。
ボイスレコーダーの声も、携帯の会話も、全て消去し削除してしまうつもりだ。
大輔は死に物狂いで探すかもしれない。見つけようとするかもしれない。美並が消したと言っても信じないだろう、美並を脅しても手にしようとするかもしれない。
だがそれは見つからない。
永久に。
なぜなら、そんなもの、どこにもないからだ。
あるとすれば、大輔が美並がそうするはずだと信じている心の内側だけに、その記録は存在し、見つからなければ見つからないほど、大輔はあると信じ、美並がいつかそれを持ち出すと確信するだろう。見つからないのに焦れて、行方を追って、そうして大輔は京介に手を出せなくなり、美並に手を出せなくなる。明が居たからこそ、美並に万が一のことがあった場合、今もこの会話を録音しているかもしれない明が、何を晒してくるかわからないから。
大輔が自分自身を殺すつもりにならなければ、その呪縛からは逃れられない。
そして、自分を殺すほど自分の闇に踏み込めるなら、そもそも京介を追い詰めて弄ぶことなどなかったのだ。
自分は傷つかずに昏い欲望を満たし続けようとした、それゆえの行動。一番可愛くて大事で傷つけたくない自分あっての虐待。
だから大輔は自分が傷つき死ぬような行動を取ることはできないだろう。
何よりも誰よりも大切な自分を守るために、京介や美並に手を出せなくなるだろう。
それに、何よりこの大掛かりなやりとりが必要だったのは。
「伊吹さん……僕は…」
色を失った唇を震わせながら、京介が掠れた声で呟いたのに振り向いた。
二度同じ不愉快な状況にぶつかる気はない。大輔にも京介にも、これより後はないと知らせたい。
自分の身さえ晒す覚悟の人間がどこまで踏み込めるのか、それに対抗できる何があるのか見せてもらう。もっとも、そこで引く気などない、見極めてより確実な一歩をなお踏み込むだけだ。
脳裏に過る野犬の眼。
腕一本を引き換えに生き延びるつもりをしていたあの日。
無意識に唇が釣り上がったのを感じた。
「あなたが今何をしていたか、遠くからでも写せますよね?」
「く」
「画像と会話を揃えて公開されると、いつかはお子さんの眼にも触れてしまうかもしれませんね」
苛立った大輔の顔に、ふいにあの山の家が蘇った。
おとうさん。
それでもあなたはあの子ども達にそう呼ばれていた。
自分達を守り愛しむ大切な人として見上げた顔を、大輔は思い出せるのだろうか。思い出せてもなお、京介に執着してこんな場所できわどいことを仕掛けるのだろうか。
「お子さんの人生も一緒に引き換えにされますか」
一瞬口を噤んだ大輔に期待した。
怯んで欲しい。
しまったと思ってほしい。
少なくとも、自分を信じている眼のあることを思い出して欲しい。
だが。
「脅迫するのか」
美並は切ない息を吐いた。
「警告です。あるいは交換条件」
そうだ、ここまで来てしまうと、人は一番大事なものは自分になってしまう。自分の安全、自分の安楽、自分の未来のために、本当に失ってはならないものを切り捨ててしまう。自分が自分であるための、そのよりどころを。
「あなたが京介に強いたような」
止まって欲しかった。
顧みて欲しかった。
無言でもいい、この場から立ち去って、大事な人のところへ戻って欲しかった。
けれどぎらぎら滾る光を満たして美並を見返す大輔は、忙しく京介のほうにも視線を泳がせる。まだ微かに震えている京介に煽られるように唇を舐め、眼を細め、自分が得られたはずのものを京介に探して視線を這わせる。
戻れない、のだろう。
京介が断たない限り。
きっと虚ろにしか聞こえないはず、けれど美並は伝えるべきことを伝えた。
「再び同じようなことをされるなら、今の情報はただちに発信されると考えて頂けますか?」
視線を上げ、明に合図する。明が頷き、するりと身を翻してホテルを出て行くのを見送った。固い表情でホテルマンが、数人の客が、明の掲げていた携帯を不安そうに見遣りながら顔を背ける。
大輔がぎりっ、と歯を鳴らした。
そうだ、大輔は必死に考えている。あの男が何をする気なのか、どうしたらあの情報を取り返せるのか。
だがすぐに、その表情が疲れたやりきれないものに変わっていく。
いつか恵子が京介に使った罠そのまま、大輔が京介を脅迫し心身ともに被害を与えようとした情報は、大輔が明に迫るよりも早く、夜闇を駆けて安全な場所に送信される、大輔はそう考えているのだ。自分ならそうするから。自分ならそれを決定打として使うために保存するから。
けれど。
美並はそれを、残さない。
ボイスレコーダーの声も、携帯の会話も、全て消去し削除してしまうつもりだ。
大輔は死に物狂いで探すかもしれない。見つけようとするかもしれない。美並が消したと言っても信じないだろう、美並を脅しても手にしようとするかもしれない。
だがそれは見つからない。
永久に。
なぜなら、そんなもの、どこにもないからだ。
あるとすれば、大輔が美並がそうするはずだと信じている心の内側だけに、その記録は存在し、見つからなければ見つからないほど、大輔はあると信じ、美並がいつかそれを持ち出すと確信するだろう。見つからないのに焦れて、行方を追って、そうして大輔は京介に手を出せなくなり、美並に手を出せなくなる。明が居たからこそ、美並に万が一のことがあった場合、今もこの会話を録音しているかもしれない明が、何を晒してくるかわからないから。
大輔が自分自身を殺すつもりにならなければ、その呪縛からは逃れられない。
そして、自分を殺すほど自分の闇に踏み込めるなら、そもそも京介を追い詰めて弄ぶことなどなかったのだ。
自分は傷つかずに昏い欲望を満たし続けようとした、それゆえの行動。一番可愛くて大事で傷つけたくない自分あっての虐待。
だから大輔は自分が傷つき死ぬような行動を取ることはできないだろう。
何よりも誰よりも大切な自分を守るために、京介や美並に手を出せなくなるだろう。
それに、何よりこの大掛かりなやりとりが必要だったのは。
「伊吹さん……僕は…」
色を失った唇を震わせながら、京介が掠れた声で呟いたのに振り向いた。
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