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第3章
1.白黒(2)
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『ニット・キャンパス』の企画本部は、駅からかなり山の方へ向かった高台の大辻美術専門学校に設置されている。地元に古くからある学校で、辻美と呼ばれて他の専門校とは一線を画しているけれど、規模も評価も羽須美芸術大学の足元にも及ばないのも確かだ。
なのに、そこに本部が設置されているのは、この『ニット・キャンパス』の発案者がその在校生、弱冠18歳の渡来晴だったからだ。
源内の代わりに説明をしてくれるというのは、おそらくその少年だろう、と京介はあたりをつけた。
「さて、どんな人間か」
坂道を昇り切ったところで駐車場に回り込み、桜木通販の名前が入った車を降りれば、意外に広々とした敷地にぽつぽつと校舎が建っている。あちこちで点々と絵筆を握るもの、大きな石の塊を睨み付けているもの、長い布を幾重にも何かに巻きつけているものと、ここの生徒なのだろう、それぞれに創作に夢中になっていて、京介が運動場を横切っていってもたいして気に止めていない様子だ。
正面の古ぼけた木製の、けれど凝ったレリーフが施された押し戸を開けると右手には事務の受付、そこからひょいと覗いた女性ににっこり笑いかけながら名刺を差し出した。
「お忙しいところ、申し訳ありません」
「…あ」
一瞬ぽかんとした顔で京介を見上げた相手が、我に返って慌てて手元のノートを開く。
「いらっしゃいませ、何の御用でしょうか」
明らかに慣れない口調で棒読みしたところを見ると、『ニット・キャンパス』がらみの客のために取急ぎ整えられたマニュアルなのだろう、ちらちらノートに目を落としてやや引きつり気味に笑った。
「……江口さん、でしょうか」
「あ、はい!」
どきっとした顔で大きく頷く。胸元の名札を見てとってのことなのだが、僅かに江口は赤くなった。
「桜木通販の真崎京介、と申します。『ニット・キャンパス』のことで、渡来さんとお約束してまして」
「新聞社の方ですか?」
「あ、いえ」
うろたえた相手はばたばたと別のノートを確認し始める。
「桜木通販、です」
「あ、ああ、はい、聞いております、ちょっとお待ち下さい」
ぴんぽんぱんぽぉん、といささか調子の外れたチャイムが鳴った。
『ニット・キャンパス、渡来くん、至急受付まで来て下さい、渡来…』
「来てる」
ふいに真後ろで声が響き、京介は振り返って瞬きした。
上から下まで真っ白だ。白い長そでTシャツ、白いジーパン、白いデッキシューズ、肌もかなり白い、というかやや青いぐらいだ。髪と瞳が黒い。真っ黒で零れ落ちそうなほど大きな目でじっと京介を見て立っている。
「ああ、渡来くん、この方が『ニット・キャンパス』について」
「来て」
説明しかけた江口を軽く無視して渡来はくるりと背中を向けた。体の線は細いが脆い感じはしない。むしろ、京介がついてくるかどうかも確かめずにどんどん歩いていく動きには、傲岸不遜、唯我独尊、そういった不敵さがある。
「ありがとうございました」
「あ、いえ~」
相変わらず引きつった顔で頭を下げる江口に会釈を返して、京介は出しかけた名刺をポケットに片付け、急いで渡来の後を追う。
芸術家肌、そう言えばそうなのだろうけど、たぶん肩書きとか名刺とかは興味のない類だよね。
入ってきた入り口を再び抜けて運動場を通り抜けていく渡来は振り返ることもない。
やがて、校庭の隅にコンクリート二階建ての建物が見えてきた。正面からは少し入り込んでいてわからなかったが、良く見ると真緑のドアの横に『ニット・キャンパス本部』と書かれた紙が張り付けてある。墨汁で描いた跳ね飛ぶような文字だ。
「へえ…」
勢いあるなあ、と思わずそれを眺めた京介に、渡来が初めてちら、と視線をよこした。
「ゲンナイ」
「え?」
一言言い捨てただけで、真緑のドアを開け、京介が入るのを待っている。
「げんない? ……ああ、なるほど、これは源内さんが書いたんですね」
察して京介が、エネルギッシュですね、と笑うと、渡来は微かに頷いた。
中には、コンクリートの床に直に置かれたテーブルと折り畳み椅子が数脚、ホワイトボードと黒板を備えた会議室が一つ、その横に一段高くなって3畳ほどの畳の間がある。隅に布団が折り畳まれて積まれているから、寝泊まりできるようになっているのだろう。畳の間のはしっこに小さなレンジと流しの設備があって、畳の上には今掌サイズほどの色とりどりの紙が散らばっている。
「折り紙?」
「タイル」
「は?」
京介が振り返っても渡来はそれ以上説明する気はなかったようだ。テーブルに数枚の書類を置き、椅子を引いて座り、促すように京介を見上げる。
「説明して下さるんですね? ありがとうございます。お願いします」
京介は頷いて書類の前に腰を降ろした。何だか自分一人がしゃべっているみたいな気がするが、渡来にはいつものことなのだろう、淡々と書類を指先で示した。
「申込書」
「あ、はい」
「内容説明」
「えーと、はい」
『ニット・キャンパス概要』と書かれた書類に京介は素早く目を通す。
それによると、『ニット・キャンパス』はホールイベント、オープンイベント、屋台、ソーシャルイベントの四つで構成されていた。
ホールイベントは市役所裏の市民ホールで、舞台演出、服飾デザイン、身体表現などの舞台を中心として展開されるイベント。
オープンイベントは市役所横の公園で行われるイベント。同じ敷地で屋台も企画されるらしい。
「ソーシャルイベント?」
「世界」
京介が目を上げると、渡来はこくんと頷いた。
どうもこの少年は一度に一言しか話さない習性があるらしいな、と苦笑しながらことばを補ってみる。
「えーと、社会的、世界に対して何か働きかけようっていうこと?」
「……ああ、ま、そういうもんですよ、向田市の社会連絡協議会が関わってる」
がちゃん、と鉄扉が重い音をたてて開き、面倒くさそうな声が説明を付け加える。
「それと、そこに書いてあると思うけど、向田市くらしと世界を結ぶ会、ってのも」
「おかえり」
「ハル、ちゃんと説明しろって言ったろ?」
「した」
ハル、なるほどねえ、確かにこの子はコンピューターみたい。
思わず出がけに伊吹と交わした会話を思い出して微笑しながら振り返った京介は、また呆気に取られる。
今度は真っ黒だ。
黒い髪、黒いシャツ、黒いスラックス、黒い靴、黒いオールバック。まっすぐで太い眉の下には意志の強い瞳、だが今はぐったり疲れてへたっている。
「遅れてすみません、源内頼起です」
源内は、のっそりと大きな手を差し出した。
なのに、そこに本部が設置されているのは、この『ニット・キャンパス』の発案者がその在校生、弱冠18歳の渡来晴だったからだ。
源内の代わりに説明をしてくれるというのは、おそらくその少年だろう、と京介はあたりをつけた。
「さて、どんな人間か」
坂道を昇り切ったところで駐車場に回り込み、桜木通販の名前が入った車を降りれば、意外に広々とした敷地にぽつぽつと校舎が建っている。あちこちで点々と絵筆を握るもの、大きな石の塊を睨み付けているもの、長い布を幾重にも何かに巻きつけているものと、ここの生徒なのだろう、それぞれに創作に夢中になっていて、京介が運動場を横切っていってもたいして気に止めていない様子だ。
正面の古ぼけた木製の、けれど凝ったレリーフが施された押し戸を開けると右手には事務の受付、そこからひょいと覗いた女性ににっこり笑いかけながら名刺を差し出した。
「お忙しいところ、申し訳ありません」
「…あ」
一瞬ぽかんとした顔で京介を見上げた相手が、我に返って慌てて手元のノートを開く。
「いらっしゃいませ、何の御用でしょうか」
明らかに慣れない口調で棒読みしたところを見ると、『ニット・キャンパス』がらみの客のために取急ぎ整えられたマニュアルなのだろう、ちらちらノートに目を落としてやや引きつり気味に笑った。
「……江口さん、でしょうか」
「あ、はい!」
どきっとした顔で大きく頷く。胸元の名札を見てとってのことなのだが、僅かに江口は赤くなった。
「桜木通販の真崎京介、と申します。『ニット・キャンパス』のことで、渡来さんとお約束してまして」
「新聞社の方ですか?」
「あ、いえ」
うろたえた相手はばたばたと別のノートを確認し始める。
「桜木通販、です」
「あ、ああ、はい、聞いております、ちょっとお待ち下さい」
ぴんぽんぱんぽぉん、といささか調子の外れたチャイムが鳴った。
『ニット・キャンパス、渡来くん、至急受付まで来て下さい、渡来…』
「来てる」
ふいに真後ろで声が響き、京介は振り返って瞬きした。
上から下まで真っ白だ。白い長そでTシャツ、白いジーパン、白いデッキシューズ、肌もかなり白い、というかやや青いぐらいだ。髪と瞳が黒い。真っ黒で零れ落ちそうなほど大きな目でじっと京介を見て立っている。
「ああ、渡来くん、この方が『ニット・キャンパス』について」
「来て」
説明しかけた江口を軽く無視して渡来はくるりと背中を向けた。体の線は細いが脆い感じはしない。むしろ、京介がついてくるかどうかも確かめずにどんどん歩いていく動きには、傲岸不遜、唯我独尊、そういった不敵さがある。
「ありがとうございました」
「あ、いえ~」
相変わらず引きつった顔で頭を下げる江口に会釈を返して、京介は出しかけた名刺をポケットに片付け、急いで渡来の後を追う。
芸術家肌、そう言えばそうなのだろうけど、たぶん肩書きとか名刺とかは興味のない類だよね。
入ってきた入り口を再び抜けて運動場を通り抜けていく渡来は振り返ることもない。
やがて、校庭の隅にコンクリート二階建ての建物が見えてきた。正面からは少し入り込んでいてわからなかったが、良く見ると真緑のドアの横に『ニット・キャンパス本部』と書かれた紙が張り付けてある。墨汁で描いた跳ね飛ぶような文字だ。
「へえ…」
勢いあるなあ、と思わずそれを眺めた京介に、渡来が初めてちら、と視線をよこした。
「ゲンナイ」
「え?」
一言言い捨てただけで、真緑のドアを開け、京介が入るのを待っている。
「げんない? ……ああ、なるほど、これは源内さんが書いたんですね」
察して京介が、エネルギッシュですね、と笑うと、渡来は微かに頷いた。
中には、コンクリートの床に直に置かれたテーブルと折り畳み椅子が数脚、ホワイトボードと黒板を備えた会議室が一つ、その横に一段高くなって3畳ほどの畳の間がある。隅に布団が折り畳まれて積まれているから、寝泊まりできるようになっているのだろう。畳の間のはしっこに小さなレンジと流しの設備があって、畳の上には今掌サイズほどの色とりどりの紙が散らばっている。
「折り紙?」
「タイル」
「は?」
京介が振り返っても渡来はそれ以上説明する気はなかったようだ。テーブルに数枚の書類を置き、椅子を引いて座り、促すように京介を見上げる。
「説明して下さるんですね? ありがとうございます。お願いします」
京介は頷いて書類の前に腰を降ろした。何だか自分一人がしゃべっているみたいな気がするが、渡来にはいつものことなのだろう、淡々と書類を指先で示した。
「申込書」
「あ、はい」
「内容説明」
「えーと、はい」
『ニット・キャンパス概要』と書かれた書類に京介は素早く目を通す。
それによると、『ニット・キャンパス』はホールイベント、オープンイベント、屋台、ソーシャルイベントの四つで構成されていた。
ホールイベントは市役所裏の市民ホールで、舞台演出、服飾デザイン、身体表現などの舞台を中心として展開されるイベント。
オープンイベントは市役所横の公園で行われるイベント。同じ敷地で屋台も企画されるらしい。
「ソーシャルイベント?」
「世界」
京介が目を上げると、渡来はこくんと頷いた。
どうもこの少年は一度に一言しか話さない習性があるらしいな、と苦笑しながらことばを補ってみる。
「えーと、社会的、世界に対して何か働きかけようっていうこと?」
「……ああ、ま、そういうもんですよ、向田市の社会連絡協議会が関わってる」
がちゃん、と鉄扉が重い音をたてて開き、面倒くさそうな声が説明を付け加える。
「それと、そこに書いてあると思うけど、向田市くらしと世界を結ぶ会、ってのも」
「おかえり」
「ハル、ちゃんと説明しろって言ったろ?」
「した」
ハル、なるほどねえ、確かにこの子はコンピューターみたい。
思わず出がけに伊吹と交わした会話を思い出して微笑しながら振り返った京介は、また呆気に取られる。
今度は真っ黒だ。
黒い髪、黒いシャツ、黒いスラックス、黒い靴、黒いオールバック。まっすぐで太い眉の下には意志の強い瞳、だが今はぐったり疲れてへたっている。
「遅れてすみません、源内頼起です」
源内は、のっそりと大きな手を差し出した。
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