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第2章
4.ポーカー・フェイス(3)
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「はぁ…」
いろいろわかっていろいろ返って悲しくなって溜め息をついて、それでも気持ちを引き立ててレジに向かおうとした美並の横からふいに人影が動いた。
「?」
美並のかごからペットボトルを掴み出し、さっさと元の棚に戻しに行く。
「あ、の?」
「これじゃないの」
くる、と冷蔵庫の棚の前で振り返ったのは牟田相子。
「京介の飲むのはこれじゃなくて、こっちよ」
冷蔵庫を開けて『露を含んだ谷の水』を出して戻ってきた。
「それしか飲まないから」
「あ、ありがとうございます」
つい頭を下げてしまったのは、その口調が職場で初めて仕事を教えてくれたものそっくりだったからだ。
「……一緒に暮らしてるのね」
「あ、いえ」
今ちょっと風邪を引いて動けないから、代わりに来たんです、そう答えながら、真崎を寝取ったとかあることないこと大石に告げたこの女性が、それほど不愉快に感じないのは、結局美並も真崎の中ではそれほど違う立場じゃないなと思ったせいで。
美並はたまたまよく見えた。
牟田は普通に見えなかった。
大輔や恵子と違って真崎の中まで踏みにじらなかったのは押しが弱かっただけかもしれないが、それでも真崎を愛していたからでもあるのだろう。
そうだよね、この人も京介をうんと好きなんだ。
「むかつく」
「はい?」
「何澄ましてるのよ」
「え?」
「……圭吾と逢ったんでしょう?」
「…はい」
「私が何を言ったか、聞いてるんでしょう?」
「……はい」
「なのに、どうしてまだここに居るのよ」
「……」
理由を応えられないわけじゃない、今確かめたばかりだから。でも、応えたくない、それこそ美並のささやかな意地だけど。
「…なんで圭吾とよりを戻さないの」
「……ああ」
そうか、と気付いた。
牟田が大石にあれこれ吹き込んだのは、大石に美並を連れ戻させようという魂胆だったのだ。大石のところへ行ったのは偶然かもしれないが、噂には敏感な人だったから、大石の過去の話も耳にしていたのだろう。奈保子との結婚話が盛り上がる中で、そこに至る経過も聞いたのかもしれない。
「私も聞きたいことがあります」
「え?」
「なぜ、大石さんをけしかけたんですか」
「……けしかけてなんかいない」
レジを済ませてコンビニを出る美並に、牟田も煙草を買って外に出てくる。
「煙草…」
「吸うの。止めてたけれど」
「ひょっとして、課長、のために?」
「……」
牟田はかちりとライターを鳴らして火をつけ、側の公園を顎で示す。
「話しましょうよ、それとも部屋まで連れてってくれる?」
「……少しだけなら」
「……むかつく」
牟田は繰り返して先に立った。
「……なんで、って言ったわよね」
「はい」
「あなたなら諦められる、あれだけの男」
「っ」
どきりとした。
今コンビニで考えたばかりだ、このまま行けば、美並は最後には真崎から離れることになる、それを受け入れられるのか、と。
「頭が切れて、仕事ができて、優しくて、卒がなくて、かっこよくて、スマートで」
牟田は深く煙草を吸った。
「顔も良くて、身体も綺麗で……きっと気持ちよくしてくれる」
「……」
「……もう抱いてもらったの?」
「…いえ」
「……抱けないのよ、京介は」
牟田は唇を歪めた。
「トラウマだか何だか、とにかくそういうことは無理なの。だから、そういうことを期待して付き合ってるなら諦めなさい」
「……」
「だんまり?」
牟田が睨み付けてくるのに小さく溜め息をつく。
そりゃ、こういう調子でこられたら無理だっただろう。真崎は自分の中の虚ろを埋めるものを望んでいるのに、牟田もまた大きな虚ろしか持ち合わせないのだから。
「……勃たないの。いくらその気にさせようとしても駄目だって……嘘よね」
きり、と牟田は歯を噛みしめた。
「そんなこと、あるわけないわ。そんな小説みたいなこと、起こるわけがない」
「………」
「私が嫌なら、そう言って断ってくれればよかったのよ」
断っても同意はしなかっただろうな、と美並は思った。
「そうしたら私だってちゃんとわかったわ。治るように努力したし、協力したし、もし、もしもよ、どうしてもだめなら、諦めもした」
牟田は悔しそうにニ本目を銜える。
「あなたにその覚悟があるの?」
くす、と思わず美並は笑ってしまった。
いろいろわかっていろいろ返って悲しくなって溜め息をついて、それでも気持ちを引き立ててレジに向かおうとした美並の横からふいに人影が動いた。
「?」
美並のかごからペットボトルを掴み出し、さっさと元の棚に戻しに行く。
「あ、の?」
「これじゃないの」
くる、と冷蔵庫の棚の前で振り返ったのは牟田相子。
「京介の飲むのはこれじゃなくて、こっちよ」
冷蔵庫を開けて『露を含んだ谷の水』を出して戻ってきた。
「それしか飲まないから」
「あ、ありがとうございます」
つい頭を下げてしまったのは、その口調が職場で初めて仕事を教えてくれたものそっくりだったからだ。
「……一緒に暮らしてるのね」
「あ、いえ」
今ちょっと風邪を引いて動けないから、代わりに来たんです、そう答えながら、真崎を寝取ったとかあることないこと大石に告げたこの女性が、それほど不愉快に感じないのは、結局美並も真崎の中ではそれほど違う立場じゃないなと思ったせいで。
美並はたまたまよく見えた。
牟田は普通に見えなかった。
大輔や恵子と違って真崎の中まで踏みにじらなかったのは押しが弱かっただけかもしれないが、それでも真崎を愛していたからでもあるのだろう。
そうだよね、この人も京介をうんと好きなんだ。
「むかつく」
「はい?」
「何澄ましてるのよ」
「え?」
「……圭吾と逢ったんでしょう?」
「…はい」
「私が何を言ったか、聞いてるんでしょう?」
「……はい」
「なのに、どうしてまだここに居るのよ」
「……」
理由を応えられないわけじゃない、今確かめたばかりだから。でも、応えたくない、それこそ美並のささやかな意地だけど。
「…なんで圭吾とよりを戻さないの」
「……ああ」
そうか、と気付いた。
牟田が大石にあれこれ吹き込んだのは、大石に美並を連れ戻させようという魂胆だったのだ。大石のところへ行ったのは偶然かもしれないが、噂には敏感な人だったから、大石の過去の話も耳にしていたのだろう。奈保子との結婚話が盛り上がる中で、そこに至る経過も聞いたのかもしれない。
「私も聞きたいことがあります」
「え?」
「なぜ、大石さんをけしかけたんですか」
「……けしかけてなんかいない」
レジを済ませてコンビニを出る美並に、牟田も煙草を買って外に出てくる。
「煙草…」
「吸うの。止めてたけれど」
「ひょっとして、課長、のために?」
「……」
牟田はかちりとライターを鳴らして火をつけ、側の公園を顎で示す。
「話しましょうよ、それとも部屋まで連れてってくれる?」
「……少しだけなら」
「……むかつく」
牟田は繰り返して先に立った。
「……なんで、って言ったわよね」
「はい」
「あなたなら諦められる、あれだけの男」
「っ」
どきりとした。
今コンビニで考えたばかりだ、このまま行けば、美並は最後には真崎から離れることになる、それを受け入れられるのか、と。
「頭が切れて、仕事ができて、優しくて、卒がなくて、かっこよくて、スマートで」
牟田は深く煙草を吸った。
「顔も良くて、身体も綺麗で……きっと気持ちよくしてくれる」
「……」
「……もう抱いてもらったの?」
「…いえ」
「……抱けないのよ、京介は」
牟田は唇を歪めた。
「トラウマだか何だか、とにかくそういうことは無理なの。だから、そういうことを期待して付き合ってるなら諦めなさい」
「……」
「だんまり?」
牟田が睨み付けてくるのに小さく溜め息をつく。
そりゃ、こういう調子でこられたら無理だっただろう。真崎は自分の中の虚ろを埋めるものを望んでいるのに、牟田もまた大きな虚ろしか持ち合わせないのだから。
「……勃たないの。いくらその気にさせようとしても駄目だって……嘘よね」
きり、と牟田は歯を噛みしめた。
「そんなこと、あるわけないわ。そんな小説みたいなこと、起こるわけがない」
「………」
「私が嫌なら、そう言って断ってくれればよかったのよ」
断っても同意はしなかっただろうな、と美並は思った。
「そうしたら私だってちゃんとわかったわ。治るように努力したし、協力したし、もし、もしもよ、どうしてもだめなら、諦めもした」
牟田は悔しそうにニ本目を銜える。
「あなたにその覚悟があるの?」
くす、と思わず美並は笑ってしまった。
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