『闇を闇から』

segakiyui

文字の大きさ
上 下
76 / 503
第1章

11.イン・ジ・エアー(4)

しおりを挟む
 何があったのだろう。
 運ばれてきた前菜を、綺麗だね、と嬉しそうに覗き込む真崎に伊吹は眉をしかめる。
「伊吹さん、ワイン呑む?」
「いえ、結構です」
「僕は少し呑もうかな……メインが魚だけど、今は赤が欲しいな」
 ワインリストを開いて考え込む相手の表情は明るいし、仕草も滑らかでことばもはっきりしている。傍目から見れば、何も問題はないどころか、むしろ上機嫌と言っていい。
「課長?」
「ん? へえ、伊吹さん、これ牛蒡のスープだって」
「何がありました?」
 おいしそうだね、と掬って口に運ぶ真崎は、伊吹が続けたことばに一瞬動きを止めた。
「何も」
 こくん、とスープを呑んだ唇が平然と動く。
「どうして?」
 早く呑まないと冷めちゃうよ。
 次の一さじを掬いながら、
「……何があった、って聞くんだね」
「え?」
「何かあった、じゃないんだ」
 俯いたままの顔を上げずにくすりと真崎は笑った。
「凄いや」
「……別にたいしたことじゃないですよ」
 伊吹はスプーンを取り上げてスープを掬った。見かけよりコクがあって熱いのに気付いて、また改めて真崎を見る。
「スープ熱くなかったですか?」
「そう? 大丈夫だけど」
「……」
 もう一さじ掬っても、やっぱり十分熱い。見つめると、真崎の唇も僅かに赤くなっている。
「……どうして」
 パンを千切ってマーガリンを塗る、それでも真崎は視線を上げない。
「そんなこと聞くの」
 上げないままに尋ねてくる。
「何を焦ってるの?」
「……っ」
 びく、と真崎が体を震わせて手を止めた。そろそろと見返してくる目が眼鏡の向こうで煙っているように見える。
「焦ってる?」
「今日はゆっくり付き合いますから」
「……」
「コーヒーまでちゃんと付き合いますから」
「………うん…」
 ふ、と真崎の力が抜けた。同時に瞳に光が戻ってきて、小さく息を吐いてパンを置く。
「……僕、焦ってた?」
「少しですけど」
「……そう」
 そのままぼんやりと今度は身動きしなくなってしまう。
 まるで真崎の中にある割れ砕けたガラスが、今真崎自身に突き刺さっているようだ。尖った針の上でゆらゆら揺れながら、少しずつ傷が増えていく。
「メイン来ましたよ」
「……」
「おいしそうですね」
「……うん」
 魚は軽く蒸されてコンソメの薫りを立ち上らせている。色鮮やかなソースが皿と魚を絵のように飾っていた。添えられたブロッコリーも豊かな味を含んでいて、魚の淡白な軽さを楽しませる。
 真崎はゆっくりと料理を片付けていった。時々自分が何処に居るのかわからなくなったように、瞬きして周囲を見回すのが怯えたように見える。
「誰か来るんですか」
「え」
「……誰かを探してるの?」
「あ、いや」
 ぎくりとして振り返る目が不安定に揺れた。
「ごめん、僕、もう」
 お腹いっぱいになっちゃったみたいで。
 メインの途中でフォークとナイフを置き、その代わりのようにワインを口にした。伊吹が食事を進めていくのが待ち切れないような様子で苛立った顔でコースのコーヒーを放置する。次第に絞り上げられるようにきりきりしていく真崎に溜め息をついて、伊吹はごちそうさま、と手を合わせた。
 今日は割り勘にしましょう、そう言っても真崎は聞かなかった。追い立てるように店を出てタクシーを拾い、すぐに自分のマンションへ向かおうとするのを止める。
「あ、すいません、玄翁町へお願いします」
「え?」
 きょとんと真崎が振り返った。
「伊吹さんとこに行くの?」
 知ってんのかよ、と突っ込みかけたが、ひどくへたっているようでもあるし手控える。
「おいしいコーヒー淹れてもらえるなら、試したいものがあるんです」
 ふぅん、と首を傾げた真崎が少し浮上して伊吹はほっとした。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

[R18] 激しめエロつめあわせ♡

ねねこ
恋愛
短編のエロを色々と。 激しくて濃厚なの多め♡ 苦手な人はお気をつけくださいませ♡

性欲の強すぎるヤクザに捕まった話

古亜
恋愛
中堅企業の普通のOL、沢木梢(さわきこずえ)はある日突然現れたチンピラ3人に、兄貴と呼ばれる人物のもとへ拉致されてしまう。 どうやら商売女と間違えられたらしく、人違いだと主張するも、兄貴とか呼ばれた男は聞く耳を持たない。 「美味しいピザをすぐデリバリーできるのに、わざわざコンビニのピザ風の惣菜パンを食べる人います?」 「たまには惣菜パンも悪くねぇ」 ……嘘でしょ。 2019/11/4 33話+2話で本編完結 2021/1/15 書籍出版されました 2021/1/22 続き頑張ります 半分くらいR18な話なので予告はしません。 強引な描写含むので苦手な方はブラウザバックしてください。だいたいタイトル通りな感じなので、少しでも思ってたのと違う、地雷と思ったら即回れ右でお願いします。 誤字脱字、文章わかりにくい等の指摘は有り難く受け取り修正しますが、思った通りじゃない生理的に無理といった内容については自衛に留め批判否定はご遠慮ください。泣きます。 当然の事ながら、この話はフィクションです。

寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい

白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。 私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。 「あの人、私が

【R18】淫乱メイドは今日も乱れる

ねんごろ
恋愛
ご主人様のお屋敷にお仕えするメイドの私は、乱れるしかない運命なのです。 毎日のように訪ねてくるご主人様のご友人は、私を…… ※性的な表現が多分にあるのでご注意ください

Take me out~私を籠から出すのは強引部長?~

霧内杳/眼鏡のさきっぽ
恋愛
「俺が君を守ってやる。 相手が父親だろうが婚約者だろうが」 そう言って私に自由を与えてくれたのは、父の敵の強引部長でした――。 香芝愛乃(かしば よしの) 24歳 家電メーカー『SMOOTH』経営戦略部勤務 専務の娘 で IoT本部長で社長の息子である東藤の婚約者 父と東藤に溺愛され、なに不自由なく育ってきた反面、 なにひとつ自由が許されなかった 全てにおいて、諦めることになれてしまった人 × 高鷹征史(こうたか まさふみ) 35歳 家電メーカー『SMOOTH』経営戦略部部長 銀縁ボストン眼鏡をかける、人形のようにきれいな人 ただし、中身は俺様 革新的で社内の改革をもくろむ 保守的な愛乃の父とは敵対している 口、悪い 態度、でかい でも自分に正直な、真っ直ぐな男 × 東藤春熙(とうどう はるき) 28歳 家電メーカー『SMOOTH』IoT本部長 社長の息子で次期社長 愛乃の婚約者 親の七光りもあるが、仕事は基本、できる人 優しい。 優しすぎて、親のプレッシャーが重荷 愛乃を過剰なまでに溺愛している 実は……?? スイートな婚約者とビターな上司。 愛乃が選ぶのは、どっち……?

孕ませねばならん ~イケメン執事の監禁セックス~

あさとよる
恋愛
傷モノになれば、この婚約は無くなるはずだ。 最愛のお嬢様が嫁ぐのを阻止? 過保護イケメン執事の執着H♡

車の中で会社の後輩を喘がせている

ヘロディア
恋愛
会社の後輩と”そういう”関係にある主人公。 彼らはどこでも交わっていく…

処理中です...