『闇を闇から』

segakiyui

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第1章

8.開かれた過去(4)

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 新年一週間たって、ようやく美並の気持ちが決まった。
 大石となら頑張っていけるかもしれない、温かな笑顔を思い出しながら、そう思った。
 年末から連絡はずっとなかったけれど、忙しいのだろうと美並も連絡しなかった。どきどきしながら電話をかけると、携帯が通じなくなっていた。
 出勤して初めて事態を理解した。
 実は大石の話していた取り引きはもっと前から動いていて、詰めを会長と打ち合わせるために大石は『さわやかルーム』にやってきていた。だが、その取り引きが潰れたらしい。
 立て直しに奔走する会長は『さわやかルーム』に来ないまま、もちろん大石とも連絡が取れず、やがて二月も中旬になったころ、美並は一人の女性に呼び出された。
『圭吾は自殺しました』
『…え』
 何の冗談、そうとしか思えなかった。
 けれど、相手の女性は、自分は大石と結婚する予定だったのだ、それを仕事の失敗で胃炎を悪化させて入院し、会長も時同じくして脳硬塞で倒れ、親族から責められて大石は発作的に自殺してしまったのだ、と泣きながら訴えた。
『返してっ。圭吾を返してっっ』
 泣きじゃくる相手に、美並は無言で頭を下げて、ほどなく『さわやかルーム』を辞めた。
 大石との付き合いに引っ掛かった同僚の嫌がらせもあったが、自分がまともに使えもしない能力で人を自殺に追いやったのだと、それが苦しくてもたなかった。
 もう人には関わるまい、と思った。
 自分の能力なんて意味がない、と。
 何よりも、夜中に夢で飛び起きて必死に握りしめるのは、失ってしまった大石の掌だったり、焼き芋だったり、抱き締めた体の温もりだったり、つまりはもう二度と戻らないものばかりで。
 失いたくなかった。
 大石と居ると安心した。
 自分のふわふわとした存在が、しっかりした地面に引き降ろされていくような安定感にほっとした。
 それを自分の手で壊してしまった。

 そうか、と美並は指を止めたまま気付いた。
 あの時からずっと、どこに降りればいいのかわからなくなってしまっていたのだ。
 何をやっても幻のような、何を感じても嘘のような、自分の感覚も現実も信じられないような時期を過ぎて、それでも何とか自分を信じようとあがいて、今こうやって人と少し距離をおいて接することで、ようやく僅かな安堵を得ていた。
『伊吹さん?』
 ふいに耳に戻ってきたのは、大石の声ではなかった。
 淡々とどこか冷笑するような静けさのある声。
 脳裏に広がってくるのは、あの深い山の奥に並べられた石の群れ。
 明るい月光、濡れた草、背中から被さってきた引き込まれるような熱さ。
『いぶき……』
 堪えかねて呼びかける切ない響き。抱き締めてくる温かな匂い。
 僕、壊れてるんだよね。
 くすりと笑う悪戯っぽい台詞を裏切る、深い深い傷の色。
 壊れてるから、どこまで壊しても大丈夫だよ……。
 そんなことは言っていないはずなのに、想像の真崎が瞳を潤ませて笑う。
 もっと、壊して…?
「………」
 まずい。
 思わず眉を寄せて目を閉じてしまった。
 どうして真崎の気配というのは、こう扇情的というか蠱惑的というか、心を揺さぶってくるんだろう、と何もかもを真崎の責任に押しつけながら、熱くなった顔を振る。
 それは大石の持っていた柔らかな安定感とは全く違う。
 今にも崩れ落ちそうなガラスの粉で作った城を掌に盛られたような感覚、ずっと支えていられるほど自信はないのに、かと言って誰かに渡してしまえば、その時点で形が残らなくなるのは明らかで。
 今は手放せない。
 思いつつ、どんどん距離を縮めてしまっていて、気がつけばこんなところまでどっぷり真崎に浸っている。
「う」
「どうしたの?」
「あ、いえ、何でも」
 ちょっと今、なおさらまずいことを自覚してしまったような、とは付け加えられずに、慌ただしく瞬きしてデータを覗き込み、また固まった。
『愛 100%』
 よく見れば、『藍 100%』だったのだが、煮詰まった脳みそはあっさり認識を指摘してくれた。
 間違ってるでしょう。
 思わず心の中で繰り返す。
 世の中にはいろいろな人間が居るって言うのに、よりにもよってなぜあんなぶっ飛んだ過去と性格の男を。
「伊吹、さん」
「うわっ!」
 ぼそりと背後から囁かれて、思わず目一杯悲鳴を上げた。
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