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第1章
5.ショーダウン(4)
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月が明るく昇っていた。
先に立つ真崎が、道の上に差し出した枝を押し退けつつ振り返る。
「怒ってる?」
「………」
「怒ってるの?」
「……」
「怒ってるんだ」
「……怒ってません」
「………やっぱり怒ってる」
「怒ってない」
「その口調が怒ってるでしょ」
「………」
あのやりとりのどこで怒らずにいられる部分があったんだ。
思わずそう言いかけたけれど、きっと適当にあしらわれ、流されてしまうんだろう。おまけに今は曲がりくねった山道の最中、妙に臍を曲げられて置いていかれても一層困る、と美並が口を噤んだとたん、
「あ」
足下がぬるりと滑った。倒れかけたのを待ち構えていたように、伸びてきた手が腕をしっかり捕まえる。
「赤土だから滑るんだ」
柔らかな口調で言いながら真崎が身を寄せてきた。
冷えた夜気に温かな、真崎の身体の温度がはっきり伝わってきて、美並は緊張する。
「ほら、手、貸してごらん?」
呼ぶように差し出された白い掌に美並は首を振った。
「大丈夫です」
「ふぅん」
意固地になった美並に相手は軽く唇を尖らせたが、悪戯っぽい目になってくすくす笑い、
「伊吹さんは風呂上がりにまた上から下までどろどろになりたいんだ?」
「う」
まさか、それも計算ずくでお風呂の後にでかけようとか言い出したんじゃないだろうな。
思わず眉をしかめて、絶対にすがらない、そう構えた矢先に、またスニーカーの爪先がずるりと不安定に流れ、ついついとっさに差し出された手を握ってしまった。
「ふふ」
真崎が嬉しそうに笑って握り締める。むっとして手を離そうとしたが、
「あれ?」
違和感に瞬きした。
何だこれ。
「何」
「………おっきい……」
「………そりゃ、男だもの」
思いきり広げて握ったはずの自分の手が真崎のこぶしの中にあっさり隠れてしまってちょっと驚いた。真崎の指は長めだから、それで掌が大きく見えるのだと思っていたが、違ったらしい。包み込まれた美並の手がひどく脆く華奢に見える。
「その気になれば、伊吹さん一人ぐらい担いでいけるよ」
「まさか」
ひょろりとした真崎の全身を思い出して笑うと、より強く手を握り込まれる。
「冗談だと思う?」
振り返る真崎の髪が月光を浴びて白く翻る。立ち止まって覗き込むように美並を見下ろす。
眼鏡が光を跳ね返し瞳を隠して表情が読めない。効果を十分に考えてのことらしく、真崎は追い込むように唇を片端上げて笑ってみせた。
「こんな山の中に男と二人居て、怖くない?」
「え?」
「きっと誰もここを通らないよ?」
今にも握った手を引き寄せて美並を抱き込みそうな気配で、真崎がじわりと身体を近付ける。
「声を上げても聞こえない……どれだけ啼いても」
優しい声できわどいニュアンスを操ってみせる。
美並はじっと真崎を見上げた。
確かにそうだ。
今真崎が美並を襲うと決めたなら、美並に抵抗する術はない。きっと助けも来ないだろう。
けれど。
「………男の人が一番無防備な瞬間って知ってます?」
「え?」
「ヤろうとした瞬間ですって」
にっこり笑って目を細めた。
「どんなに頑丈な人でも弱いところが晒されっぱなし」
「……」
「確かに無事には済まないでしょうけど、万に一つの機会を逃すつもり、ないですよ」
「…………殴るの」
真崎は顔を引き、面白そうに目を細めた。
「蹴ります、そこを目一杯」
「足を押さえたら」
「言ったでしょ、無事には済まないだろうけど、って」
突然襲われるんじゃなくて、警告されてんですもんね、ならそれなりの心づもりはしておきます、と笑って美並は続けた。
「相打ち、にはします」
「…………無敵だね」
しまったなあ、今すぐ抱き込んで押し倒しちゃったらよかったな、と真崎は本気とも冗談とも取れない顔で苦笑いして、再び今度は美並の手を引きながら、ゆっくり山道を登りだした。
先に立つ真崎が、道の上に差し出した枝を押し退けつつ振り返る。
「怒ってる?」
「………」
「怒ってるの?」
「……」
「怒ってるんだ」
「……怒ってません」
「………やっぱり怒ってる」
「怒ってない」
「その口調が怒ってるでしょ」
「………」
あのやりとりのどこで怒らずにいられる部分があったんだ。
思わずそう言いかけたけれど、きっと適当にあしらわれ、流されてしまうんだろう。おまけに今は曲がりくねった山道の最中、妙に臍を曲げられて置いていかれても一層困る、と美並が口を噤んだとたん、
「あ」
足下がぬるりと滑った。倒れかけたのを待ち構えていたように、伸びてきた手が腕をしっかり捕まえる。
「赤土だから滑るんだ」
柔らかな口調で言いながら真崎が身を寄せてきた。
冷えた夜気に温かな、真崎の身体の温度がはっきり伝わってきて、美並は緊張する。
「ほら、手、貸してごらん?」
呼ぶように差し出された白い掌に美並は首を振った。
「大丈夫です」
「ふぅん」
意固地になった美並に相手は軽く唇を尖らせたが、悪戯っぽい目になってくすくす笑い、
「伊吹さんは風呂上がりにまた上から下までどろどろになりたいんだ?」
「う」
まさか、それも計算ずくでお風呂の後にでかけようとか言い出したんじゃないだろうな。
思わず眉をしかめて、絶対にすがらない、そう構えた矢先に、またスニーカーの爪先がずるりと不安定に流れ、ついついとっさに差し出された手を握ってしまった。
「ふふ」
真崎が嬉しそうに笑って握り締める。むっとして手を離そうとしたが、
「あれ?」
違和感に瞬きした。
何だこれ。
「何」
「………おっきい……」
「………そりゃ、男だもの」
思いきり広げて握ったはずの自分の手が真崎のこぶしの中にあっさり隠れてしまってちょっと驚いた。真崎の指は長めだから、それで掌が大きく見えるのだと思っていたが、違ったらしい。包み込まれた美並の手がひどく脆く華奢に見える。
「その気になれば、伊吹さん一人ぐらい担いでいけるよ」
「まさか」
ひょろりとした真崎の全身を思い出して笑うと、より強く手を握り込まれる。
「冗談だと思う?」
振り返る真崎の髪が月光を浴びて白く翻る。立ち止まって覗き込むように美並を見下ろす。
眼鏡が光を跳ね返し瞳を隠して表情が読めない。効果を十分に考えてのことらしく、真崎は追い込むように唇を片端上げて笑ってみせた。
「こんな山の中に男と二人居て、怖くない?」
「え?」
「きっと誰もここを通らないよ?」
今にも握った手を引き寄せて美並を抱き込みそうな気配で、真崎がじわりと身体を近付ける。
「声を上げても聞こえない……どれだけ啼いても」
優しい声できわどいニュアンスを操ってみせる。
美並はじっと真崎を見上げた。
確かにそうだ。
今真崎が美並を襲うと決めたなら、美並に抵抗する術はない。きっと助けも来ないだろう。
けれど。
「………男の人が一番無防備な瞬間って知ってます?」
「え?」
「ヤろうとした瞬間ですって」
にっこり笑って目を細めた。
「どんなに頑丈な人でも弱いところが晒されっぱなし」
「……」
「確かに無事には済まないでしょうけど、万に一つの機会を逃すつもり、ないですよ」
「…………殴るの」
真崎は顔を引き、面白そうに目を細めた。
「蹴ります、そこを目一杯」
「足を押さえたら」
「言ったでしょ、無事には済まないだろうけど、って」
突然襲われるんじゃなくて、警告されてんですもんね、ならそれなりの心づもりはしておきます、と笑って美並は続けた。
「相打ち、にはします」
「…………無敵だね」
しまったなあ、今すぐ抱き込んで押し倒しちゃったらよかったな、と真崎は本気とも冗談とも取れない顔で苦笑いして、再び今度は美並の手を引きながら、ゆっくり山道を登りだした。
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