『闇を闇から』

segakiyui

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第5章

11.天に還る(11)

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 有沢の通夜を終えて、真崎のマンションに戻って来たのは覚えている。鍋焼きうどんを買って、先に行っていいよと言われてシャワーを浴びて部屋着に着替え、真崎がシャワーに向かったのも。
 けれど、その後はもう、美並の意識は深い深い夜の中に沈んでいた。
 とぷりと滑り込み、落ち込んでいく闇の中。
 誰も踏んでいない白雪が光っている上に、ふわりと降り立つ。
 沈んだ爪先が傷つけたように薄紅が浸み出してきて、紅い花を咲かせた。
 やはり。
 胸の傷みに呟く。
 やはり、ここに居てはいけなかった。
 唇を噛み、俯いて竦みながら歩き出す。
 雪の上に孤独な足跡が点々と連なる。
 風が吹き寄せた。
 ちりん。
 涼やかな音に顔を上げる。
 どこかの軒先、二階の窓、小さく張り出した出窓に登った細い足が見えた。手を伸ばす、吊り下がっている風鈴を取ろうとして。
『もうちょっと』
『危ないよ』
『もうちょっとだから』
『やめとけ、落ちる』
『でも、もうちょっと』
 あ。
 声を上げたのは美並だけではなかった。
 いつの間にか真隣に一人の男性が立っている。
 見上げて横顔に気づいた。
 赤城課長。
『落ちると思っていなかった。支えきれると思ってたんだ』
 赤来は出窓から落ちた小さな少女の体の下から広がる紅をじっと見下ろす。
『本当に?』
 尋ねたのもまた美並ではない。
『本当に落ちないと思っていたのかな』
 赤来は首を傾げる。
『落ちて欲しくないと思っていたのかな』
 瞬きもしない大きく見開いた瞳は何も見ていないようにも見える。
『それとも落ちて欲しかったのかな』
 少女の体から広がる紅は赤来の足に忍び寄る。どす黒く濁りながらひたひたと。
『わからないな』
 赤来はもう一度落ちた少女を眺めた。
 少女はぴくりとも動かない。怪奇小説のように起き上がって迫ることもなければ、薄い靄を立ち上らせもしない。
 激しい足音が響いた。戸口から飛び出してきた少年が、悲鳴を上げながら駆け寄り、抱き上げる。血で汚れるのも御構いなしだ。
 わわわわわ。わわわわわわ。わわわわわわ。
 少年の頬が赤く染まった、頬ずりして嘆くから。
『わからないな』
 赤来は繰り返す。
『どうしてあんなに泣いたんだろう』
 死んだ者は戻って来ないのに。
 自分が突き落としたのかも知れないのに。
『何をしたかったんだろう』
 わわわわわわわ。
 泣き声がもう一つ、闇から上がる。
 赤来が顔を向ける方向に、薄暗闇に沈むベッドがある、その上で、数人の男が喘ぎながら押さえつけて、手足を捻って、体を開いて、押し込んでいる。あちこちに紅が散っていた。ベッドにも、開かれた体にも、押し込んだ姿にも。
『わからないな』
 赤来が首を傾げる。
『何が楽しいんだろう』
 なんであんなことに夢中になっているんだろう。
 ベッドから滴った血が、やはり赤来の足元に這い寄ってくる、腐臭を放ちながら。
 わわわわわ。わわ、わわわわわ。
 別の泣き声がまた上がる。今度は入り乱れて響き渡る。
 赤来が呼ばれたように視線を上げると、小学生の一群がコンビニの中に閉じ込められていた。真っ赤な顔で開かないガラス扉を叩き、背後に迫る店員を振り返っては我先に出ようと隣の仲間を蹴り叩く。
『なんで慌ててるんだろう』
 赤来は首を傾げる。
『わからないな』
 盗んだんだから捕まるのは当たり前。
 ガラス扉が衝撃に砕け、子ども達が手足を伸ばして肌を切り裂かれた。流れる赤、鮮血の、絵の具のように粘稠な、地面に広がって消えない光。
『わからないこと、ばかりだ』
 赤来は呟いて、困りきったように息を吐いた。
『全てわかればいいのに』
 泣き声は闇の中そこら中で上がり続け響き続けている。
 けれど、そのどれ一つとして、赤来はうるさいとさえ感じていないようだ。
『どうしたらわかるのかな』
 これはいいこと。
 これは悪いこと。
『どうしたら』
 ちりん。
 再び風鈴の音が聞こえて、赤来がはっと顔を上げた。
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