『闇を闇から』

segakiyui

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第5章

11.天に還る(8)

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 ずいぶんと深く長く眠ったと思ったのに、目が覚めたのは早朝だった。
 薄く目を開け、習慣で枕元の時計を確認し、5:28の文字を眺めた京介は、小さく息を吐いて、もう一度伊吹の髪に顎を埋める。
 朝のひんやりした気配、静まり返った空間に規則正しい寝息が響いている。
「…」
 一人そっと微笑んだ。
 昨夜、伊吹は結婚式の話題を逸らさなかった。今から準備で1年後、なんて呟いていたけれど、京介としては少しでも早く一緒に暮らしたいし、伊吹を正式に自分のものだと公言したい。 
 この4日の休みに伊吹と、どんな形のどんな式にしていくか、話し合っておこう。伊吹はウェディングドレスと和装どちらも似合うだろうし、お色直しは何度あってもいいと思っている。それとももっと静かな式を好むだろうか。教会での式、神前での式、ああ招待客リストも作ろう。
 新婚旅行はどこがいいだろう。海外もいいけど、桜木通販の業務的には数日が限度、それなら国内でのんびり羽を伸ばせるところがいいか。景色の美しい場所、イベントが楽しめる場所、今まで経験したことのないことを2人で初体験するのも捨て難い。
 ふと、自分が独り言を呟いていないのに気づく。
 伊吹も眠っているだけで、何も話していないのに、何もかもが十分に満ち足りているというのはこういうことか。
 腕の中に、胸の上に、愛しい人を抱えるというのは、これほど不安がなくなるものか。
 目を閉じて、伊吹の匂いを吸い込んだ。
 少し前なら、目を覚まして京介を見つめてくれないか、夢うつつで京介の名前を読んでくれないかと願っただろう。その甘い指先で触れて、切なくて鋭い快感を引き出してくれないか、熱っぽい温もりに誘い込んで、痛みも苦しみも全て忘れさせてくれないかと望んだことだろう。
 けれど今京介が祈るのは、この静かで安らかな眠りを妨げたくないということだけだ。
 目が覚めれば伊吹は京介に微笑んでくれる。名前を呼び、話しかけてくれるから、今はこの腕の中で休んでくれていい。
 この眠りを守れるのは京介だけ、そう思うのが例えようもなく嬉しい。
「…これを…愛……って、呼ぶのかな…」
 ならば京介は今まで感じたことがないし、与えられたこともない。
 経験したことがないのに、それを再現できるのは、きっと伊吹マジックだろう。
「ん…」
「…あ」
 伊吹が身動きして、なお甘えるように胸に潜り込んで来て、さすがに少し腰が動いた。
「んー」
 伊吹を起こしたくない。まだ朝早いしぐっすり眠ってるし疲れ切ってるし。
 でも。
「…男って…困るなあ…」
 知らなければ外らせるだろうに、知っているから煽られる。今まで穏やかに楽しんでいた匂いも、もっと切なげな焦ったくなるような香りを重ねてしまって、落ち着かなくなってくる。
「…くそぉ」
 小さくぼやいて、京介は伊吹の体を離した。不安そうに寄る眉にいろんな意味でずきりとして、髪にキスを落とす。そろりと抜け出しても伊吹は目覚めない。本当に疲れ切っているらしい。部屋の隅に座らせたいつぞやのぬいぐるみのくまをそうっと伊吹の前に置いてやる。
「今だけだからな」
 じろりと睨みつけながら言い聞かせてベッドを降り、着替えを掴んで部屋を出る。取り急ぎ、なぜ離れるのかと騒ぎ立てる体の始末にトイレに飛び込み、一段落して着替え、冷蔵庫を覗き込む。
「朝から鍋焼きうどんはあんまりだし」
 土日は伊吹のためにあれやこれやと冷蔵庫を満たしておくが、平日、しかも水曜木曜の冷蔵庫はほとんど空っぽだ。目覚めた伊吹にせめて温かいクロワッサンとスープ、ミニサラダぐらいは準備しておきたい。
 財布を手に京介は部屋を出た。
 
 空気は冷えていた。
 そこまでだからと軽くジャケットを羽織っただけの皮膚が粟立つ。
「ずいぶん人間らしくなったよ」
 体を震わせながら苦笑いして、京介は急ぎ足になる。
 早朝のコンビニは眠そうな店員1人がレジに立っていて、商品棚も空きが目立った。もう少し後で荷物が届くのだろう。
「んーと」
 それでも外よりうんと暖かい店内にほっとしてかごを手に棚を見て回る。
「かぼちゃのスープとコーンポタージュ…両方買っておこう」
 そんなにたくさんは必要がない。また伊吹と買い物にくればいいし、今は朝の分だけでいい。
「ロールパンだけか……ハムとチーズ挟もうか」
 サラダはどうしよう、と見て回っている間に目に止まったものに一瞬考え込む。そのままゆっくり歩いてミニサラダを買い、再び同じ棚に戻る。
「……足りない、よね」
 これから4日、伊吹と一緒に居る。
 並んだ数種類のものを眺めつつ、在庫計算をして数個掴んでレジに向かう。
「まあ…足りなければ買い足せばいいし…」
 正直に熱くなる体に溜め息をつく。品物を受け取ってコンビニを出ると、外の冷気が気持ちいほどだった。
「結婚したら毎日一緒なんだよね…」
 すぐに出産育児というのもなんだし、しばらくは2人過ごしたいとなると。
「……通販でまとめ買いかな」
 桜木通販では扱いはなかったけれど、今後は検討課題かも知れないと考えながらマンションに戻ってくると、玄関の前をうろうろしている人影があった。
「…あ」
 気配がしたのか、相手がびくりとして振り返る。
「京ちゃん…良かった」
「…恵子さん」
 京介は自分の声が外の空気よりも冷えたのを感じた。
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