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第5章
11.天に還る(2)
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ふう、と珍しく疲れたような吐息を漏らして、もう一度祭壇の写真を眺めた。
「…もういよいよってあたりまで、結構喋れてたんだ、あの人」
「…」
「俺はあんたを呼ぼうとした。婚約者が居ようが、そんなことどうでもいい。有沢さんは死ぬんだから、それぐらいのワガママは良いですよって説得したんだ」
背けたままの顔が、どんな表情をしているのか、美並達には見えない。
「なのに、呼ばないでくれって」
「……」
「呼ばないでくれって、頼むんだ、あの人」
真崎が伊吹の側に近寄った。そっと手に触れて来る。
「あんたに見られたくないんだって、死ぬのが怖くて引きつってる顔」
「……」
「あんたの前ではずっとカッコいいままで居たいんだって」
真崎が握りしめて来る手を、美並は静かに握り返す。
「笑うよなあ、生前墓参りに車椅子押させて出かけたくせに、何バカなこと言ってんだか。カッコつけても無駄だよなあ」
けどさ。
「あれが、惚れるってことなんだよなあ」
「…」
真崎が身体中を尖らせた気配が伝わった。指先が冷える。きっと振り捨てられるような気持ちで居るに違いない。美並の目に浮かぶ涙を、伝い始めた雫を、罵倒して詰りたい気分に違いない。
「バカじゃねえの、俺が頼んだのは、刑事として気持ちいい死に様だったはずだろ。なのに、何教えてんだか」
檜垣が堪えかねたのだろう、俯いた。やがて、振り絞るように、
「……オカルト巫女さんっ」
背中を向けたまま、続ける。
「嘘でいいから、今だけでいいから、有沢さんのこと、好きだって言ってやってくれよ、これが最後だ、もう二度と頼まねえから、俺じゃできない、あんたの気持ちで送ってやってくれよ!」
悲痛な懇願に、真崎の指が緩んだ。
「…美並」
静かな声が耳元で囁く。
「僕は…」
「わかりました」
美並は真崎の指を離した。諦めたようにそのまま手を下ろす相手を後ろに、ハンカチで涙を拭き、俯いたままの檜垣の背中から、祭壇の有沢の顔に視線を移す。
穏やかな顔だった。少し前の写真だとわかる、それとも加工してあるのか。
高校の頃に覗き込んだ顔を思い出した。車の中で近づいた表情も思い出した。車椅子から見上げてきた目も思い出した。
「有沢さん…お疲れ様でした」
痛みを堪え走り続けた時間だった。
「ありがとうございました」
孤独に向き合い自分の意味を疑った。
「……お世話に、なりました」
夢も持てず希望も抱かず、ただ毎日を生き延びていた。
有沢と美並は、ある意味表裏一体だった。
だからこそ、有沢の最後のことばが別の意味で響き渡る。
美並に真崎が居たように、有沢には檜垣が居たことを、最後は理解したに違いない。
呼ばないでいい。
たぶん、そう呟いたはずだ。
納得しない檜垣に苦笑して、カッコつけたいんだと話しただろう。
看取って欲しければ、墓参りの時に望んだだろう。
有沢の最期の視界には、檜垣が写っていたはずだ。
病に伏す自分のために、署内での評価も警察官としての未来も投げ捨てて、まだ足りないまだ足りないと唸りながら駆け続ける部下。
感謝を伝えたかっただろう。成果は上がった。有沢の疑いは事件終着を導いた。その結果をもたらしてくれたのは、美並ではない、檜垣だったと、ようやく気づいたことだろう。
有沢が望んだのは、美並と作る家庭ではなく、事件を思いのままに追い続けること、そのために脇目も振らずに伴走してくれる相棒だった。
だからこそ、美並はこれを伝える必要がある。
「…檜垣さん」
「……なんすか、まだ途中でしょ」
「有沢さんは、病室で、檜垣ならビールを買ってきてくれたって言ってましたよ」
ぐうっ、と檜垣が唸った。
「私じゃ、ありませんでした」
「……オカルト…巫女さん……非道…すぎ……っう、ぉおあああああ!」
檜垣が崩れ落ちる。祭壇に向かって吠える。
「馬鹿野郎うううううう!」
「…行きましょう、京介」
美並は振り向いた。白い顔の真崎に微笑む。
「私の仕事は、終わりました」
「…もういよいよってあたりまで、結構喋れてたんだ、あの人」
「…」
「俺はあんたを呼ぼうとした。婚約者が居ようが、そんなことどうでもいい。有沢さんは死ぬんだから、それぐらいのワガママは良いですよって説得したんだ」
背けたままの顔が、どんな表情をしているのか、美並達には見えない。
「なのに、呼ばないでくれって」
「……」
「呼ばないでくれって、頼むんだ、あの人」
真崎が伊吹の側に近寄った。そっと手に触れて来る。
「あんたに見られたくないんだって、死ぬのが怖くて引きつってる顔」
「……」
「あんたの前ではずっとカッコいいままで居たいんだって」
真崎が握りしめて来る手を、美並は静かに握り返す。
「笑うよなあ、生前墓参りに車椅子押させて出かけたくせに、何バカなこと言ってんだか。カッコつけても無駄だよなあ」
けどさ。
「あれが、惚れるってことなんだよなあ」
「…」
真崎が身体中を尖らせた気配が伝わった。指先が冷える。きっと振り捨てられるような気持ちで居るに違いない。美並の目に浮かぶ涙を、伝い始めた雫を、罵倒して詰りたい気分に違いない。
「バカじゃねえの、俺が頼んだのは、刑事として気持ちいい死に様だったはずだろ。なのに、何教えてんだか」
檜垣が堪えかねたのだろう、俯いた。やがて、振り絞るように、
「……オカルト巫女さんっ」
背中を向けたまま、続ける。
「嘘でいいから、今だけでいいから、有沢さんのこと、好きだって言ってやってくれよ、これが最後だ、もう二度と頼まねえから、俺じゃできない、あんたの気持ちで送ってやってくれよ!」
悲痛な懇願に、真崎の指が緩んだ。
「…美並」
静かな声が耳元で囁く。
「僕は…」
「わかりました」
美並は真崎の指を離した。諦めたようにそのまま手を下ろす相手を後ろに、ハンカチで涙を拭き、俯いたままの檜垣の背中から、祭壇の有沢の顔に視線を移す。
穏やかな顔だった。少し前の写真だとわかる、それとも加工してあるのか。
高校の頃に覗き込んだ顔を思い出した。車の中で近づいた表情も思い出した。車椅子から見上げてきた目も思い出した。
「有沢さん…お疲れ様でした」
痛みを堪え走り続けた時間だった。
「ありがとうございました」
孤独に向き合い自分の意味を疑った。
「……お世話に、なりました」
夢も持てず希望も抱かず、ただ毎日を生き延びていた。
有沢と美並は、ある意味表裏一体だった。
だからこそ、有沢の最後のことばが別の意味で響き渡る。
美並に真崎が居たように、有沢には檜垣が居たことを、最後は理解したに違いない。
呼ばないでいい。
たぶん、そう呟いたはずだ。
納得しない檜垣に苦笑して、カッコつけたいんだと話しただろう。
看取って欲しければ、墓参りの時に望んだだろう。
有沢の最期の視界には、檜垣が写っていたはずだ。
病に伏す自分のために、署内での評価も警察官としての未来も投げ捨てて、まだ足りないまだ足りないと唸りながら駆け続ける部下。
感謝を伝えたかっただろう。成果は上がった。有沢の疑いは事件終着を導いた。その結果をもたらしてくれたのは、美並ではない、檜垣だったと、ようやく気づいたことだろう。
有沢が望んだのは、美並と作る家庭ではなく、事件を思いのままに追い続けること、そのために脇目も振らずに伴走してくれる相棒だった。
だからこそ、美並はこれを伝える必要がある。
「…檜垣さん」
「……なんすか、まだ途中でしょ」
「有沢さんは、病室で、檜垣ならビールを買ってきてくれたって言ってましたよ」
ぐうっ、と檜垣が唸った。
「私じゃ、ありませんでした」
「……オカルト…巫女さん……非道…すぎ……っう、ぉおあああああ!」
檜垣が崩れ落ちる。祭壇に向かって吠える。
「馬鹿野郎うううううう!」
「…行きましょう、京介」
美並は振り向いた。白い顔の真崎に微笑む。
「私の仕事は、終わりました」
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