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第5章
10.アウト・ドロー(9)
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「……大丈夫、伊吹さん」
京介は、ドアの向こうに檜垣と共に消え去っていく赤来を見つめていた伊吹に声をかける。
「…大丈夫です」
答えは返ってきたものの、そのままふわりと後ろに倒れてきそうに思えて、思わず背後から抱きかかえる。冷えた体、暖房一つも入れていないこの部屋で、身震いするような攻防を一人で成し遂げた愛しい相手に胸が詰まる。
土曜日に防犯カメラの設置は終えていた。見積もりの台数と場所を書類で赤来に知らせたのは罠だ。会社の手順としてはおかしくない。赤来が自分がまだ疑われていないと思っているのなら、そのカメラのないところで仕掛けてくるだろう。
京介ならば、お祝いの席など設けない。あからさまに自分が関わる場所で仕掛けなどしない。
いつも通り、何事も起こっていないかのような日常で仕掛け、相手の油断を誘い、致命傷を負わせる、大輔と同じような遣り口で。
「しかし、これはやり過ぎだろう」
同意した富崎は京介が密かに設置したカメラの配置と数に呆れ返った。
深夜2人で画像を切り替えて点検しながら、眉を寄せる。
「こんな状況、株主連中も納得しないんじゃないのか」
「それほど長くはないと思うよ、仕掛けるまで」
京介は昼間見た赤来のデスク周りを思い出す。
「片付けを始めている気がする。ぎりぎりまで残るような顔をして、ある日突然いなくなっている気もするんだ」
「…それは同感だ」
経理の書類、この状況なのに処理が速くなっている。
「捌く件数が減っているだけじゃない、ちょっと聞いてみると、かなりの数を赤来が引き受けて回しているらしい。周囲には負担を減らすためと話していて、評判は悪くない」
「この1週間内だね。早ければ、月曜日」
「早すぎないか?」
「赤来課長は伊吹さんを高く買ってるんだよ」
京介は苦笑いした。
「それほど大人しくはしていないって思ってる」
「ふうん」
俺も伊吹さんは買ってるけれど、そこまで焦るかなあ。
富崎のことばにひくりと顔が引き攣った。
「他から見るのと相手にするのとは違うよ」
「相手にすると違う、ねえ」
じろりと見遣った瞬間、富崎が笑う。
「ああ気にしなくていい、僕は相性的に伊吹さんは無理だから。怖いしね」
「…ならいいけど」
本当に君は伊吹さん相手だと『外れる』なあ。
富崎の顔に夜の痴態を思い出して顔が熱くなった。
読みは外れてないとわかったのは月曜日の昼前だ。
『…動いたぞ』
社長室に引き継ぎ業務で出向いていた時、富崎からの連絡があった。元子と顔を見合わせ、行動に移る。
試運転中ということで、総務の隅に並べられたモニターの操作管理は富崎一人が関わっている。少し早めの昼を申し渡された職員は、社長と真崎が揃ってモニター前に陣取ったことに、管理上の調整と考えたらしく、部屋には誰もいなくなっている。
「会議が終わった後別れてから、伊吹さんに話しかけたから、ひょっとしたらとモニターしていた」
指先で叩く画面には、廊下で2人話し込みながら、赤来が何かを手渡すのが見える。
「パンフレット? 居酒屋のチラシみたいね」
「伊吹さん、あれを確保しておいてとか考えないだろうね」
不安そうな富崎の声に真崎は第2会議室に画像を切り替える。先ほどのカメラから、第2会議室に入るまでは一瞬画像が入らない死角がある。もちろん、『羽鳥』ならば、それも確認しているだろう。
「座ったな」
「はい」
会社で設置した防犯カメラは音声を拾わないが、京介が個人で設置したものは音声を拾う。伊吹と向かい合って座った赤来にきりきりしたものを這い上がってくるのを堪えながら睨みつける。
今すぐ飛び込んで引き剥がしたい、例えドアが少し開いていても、あの場所からは逃げられない。逃げても誰かが駆けつける前に、伊吹が殺されてしまうかもしれない。
伊吹が倒れている第2会議室を何事もなかったようにドアを閉め、淡々と周囲と会話しつつ廊下を歩み去っていく赤来の姿が想像できる。一般社員は第2会議室は使わない。管理者だけが知っているが、社内で防音性が一番高い部屋だ。
『「Brechen」が結構桜木通販にテコ入れしてるからって、岩倉産業の社長があまりよく思っていないとか』
「ちっ」
ことさら響いた声は伊吹にどう伝わっただろう。舌打ちしながら、赤来の卑劣さに苛立つ。
確かに『Brechen』の最近の動きは岩倉産業とずれている気がする。『ニット・キャンパス』に労力を割き過ぎ、商品展開が不十分だ。もっとも、力をつけ伸びてきた『Brechen』の面々を、岩倉産業の古参連中が煙たがっているとの噂もある。『ニット・キャンパス』が終われば、岩倉産業から独立するのかもしれない。
『「さわやかルーム」? 懐かしいでしょ』
『…懐かしいですね』
赤来の嫌味に伊吹は動じない。静かな顔に惚れ惚れする。
「…伊吹さんの前の職場?」
「ええ。大変だったと聞いています」
富崎の声に京介は唸る。
「調べたんですね、赤来さんは」
『扉は少し開いている。君は閉じ込められてなんかいない。後ろを振り向き、逃げ出せばいいだけだ』
響いた声に薄く笑った。なんて馬鹿馬鹿しい理屈だろう、そんな正論があるものか。
「賢いな」
富崎が冷ややかに呟いた。
「抵抗しなかったと論証できるぞ」
「え」
京介は思わず画面を凝視している富崎を見遣る。
「抵抗できるタイミングに抵抗しなかったことが、同意したと判断される事例は幾つもある」
「そんな」
「赤来はほんと、素人じゃないな」
京介は、ドアの向こうに檜垣と共に消え去っていく赤来を見つめていた伊吹に声をかける。
「…大丈夫です」
答えは返ってきたものの、そのままふわりと後ろに倒れてきそうに思えて、思わず背後から抱きかかえる。冷えた体、暖房一つも入れていないこの部屋で、身震いするような攻防を一人で成し遂げた愛しい相手に胸が詰まる。
土曜日に防犯カメラの設置は終えていた。見積もりの台数と場所を書類で赤来に知らせたのは罠だ。会社の手順としてはおかしくない。赤来が自分がまだ疑われていないと思っているのなら、そのカメラのないところで仕掛けてくるだろう。
京介ならば、お祝いの席など設けない。あからさまに自分が関わる場所で仕掛けなどしない。
いつも通り、何事も起こっていないかのような日常で仕掛け、相手の油断を誘い、致命傷を負わせる、大輔と同じような遣り口で。
「しかし、これはやり過ぎだろう」
同意した富崎は京介が密かに設置したカメラの配置と数に呆れ返った。
深夜2人で画像を切り替えて点検しながら、眉を寄せる。
「こんな状況、株主連中も納得しないんじゃないのか」
「それほど長くはないと思うよ、仕掛けるまで」
京介は昼間見た赤来のデスク周りを思い出す。
「片付けを始めている気がする。ぎりぎりまで残るような顔をして、ある日突然いなくなっている気もするんだ」
「…それは同感だ」
経理の書類、この状況なのに処理が速くなっている。
「捌く件数が減っているだけじゃない、ちょっと聞いてみると、かなりの数を赤来が引き受けて回しているらしい。周囲には負担を減らすためと話していて、評判は悪くない」
「この1週間内だね。早ければ、月曜日」
「早すぎないか?」
「赤来課長は伊吹さんを高く買ってるんだよ」
京介は苦笑いした。
「それほど大人しくはしていないって思ってる」
「ふうん」
俺も伊吹さんは買ってるけれど、そこまで焦るかなあ。
富崎のことばにひくりと顔が引き攣った。
「他から見るのと相手にするのとは違うよ」
「相手にすると違う、ねえ」
じろりと見遣った瞬間、富崎が笑う。
「ああ気にしなくていい、僕は相性的に伊吹さんは無理だから。怖いしね」
「…ならいいけど」
本当に君は伊吹さん相手だと『外れる』なあ。
富崎の顔に夜の痴態を思い出して顔が熱くなった。
読みは外れてないとわかったのは月曜日の昼前だ。
『…動いたぞ』
社長室に引き継ぎ業務で出向いていた時、富崎からの連絡があった。元子と顔を見合わせ、行動に移る。
試運転中ということで、総務の隅に並べられたモニターの操作管理は富崎一人が関わっている。少し早めの昼を申し渡された職員は、社長と真崎が揃ってモニター前に陣取ったことに、管理上の調整と考えたらしく、部屋には誰もいなくなっている。
「会議が終わった後別れてから、伊吹さんに話しかけたから、ひょっとしたらとモニターしていた」
指先で叩く画面には、廊下で2人話し込みながら、赤来が何かを手渡すのが見える。
「パンフレット? 居酒屋のチラシみたいね」
「伊吹さん、あれを確保しておいてとか考えないだろうね」
不安そうな富崎の声に真崎は第2会議室に画像を切り替える。先ほどのカメラから、第2会議室に入るまでは一瞬画像が入らない死角がある。もちろん、『羽鳥』ならば、それも確認しているだろう。
「座ったな」
「はい」
会社で設置した防犯カメラは音声を拾わないが、京介が個人で設置したものは音声を拾う。伊吹と向かい合って座った赤来にきりきりしたものを這い上がってくるのを堪えながら睨みつける。
今すぐ飛び込んで引き剥がしたい、例えドアが少し開いていても、あの場所からは逃げられない。逃げても誰かが駆けつける前に、伊吹が殺されてしまうかもしれない。
伊吹が倒れている第2会議室を何事もなかったようにドアを閉め、淡々と周囲と会話しつつ廊下を歩み去っていく赤来の姿が想像できる。一般社員は第2会議室は使わない。管理者だけが知っているが、社内で防音性が一番高い部屋だ。
『「Brechen」が結構桜木通販にテコ入れしてるからって、岩倉産業の社長があまりよく思っていないとか』
「ちっ」
ことさら響いた声は伊吹にどう伝わっただろう。舌打ちしながら、赤来の卑劣さに苛立つ。
確かに『Brechen』の最近の動きは岩倉産業とずれている気がする。『ニット・キャンパス』に労力を割き過ぎ、商品展開が不十分だ。もっとも、力をつけ伸びてきた『Brechen』の面々を、岩倉産業の古参連中が煙たがっているとの噂もある。『ニット・キャンパス』が終われば、岩倉産業から独立するのかもしれない。
『「さわやかルーム」? 懐かしいでしょ』
『…懐かしいですね』
赤来の嫌味に伊吹は動じない。静かな顔に惚れ惚れする。
「…伊吹さんの前の職場?」
「ええ。大変だったと聞いています」
富崎の声に京介は唸る。
「調べたんですね、赤来さんは」
『扉は少し開いている。君は閉じ込められてなんかいない。後ろを振り向き、逃げ出せばいいだけだ』
響いた声に薄く笑った。なんて馬鹿馬鹿しい理屈だろう、そんな正論があるものか。
「賢いな」
富崎が冷ややかに呟いた。
「抵抗しなかったと論証できるぞ」
「え」
京介は思わず画面を凝視している富崎を見遣る。
「抵抗できるタイミングに抵抗しなかったことが、同意したと判断される事例は幾つもある」
「そんな」
「赤来はほんと、素人じゃないな」
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