『闇を闇から』

segakiyui

文字の大きさ
上 下
477 / 503
第5章

9.祝宴(10)

しおりを挟む
 有沢を病院へ送り届けると、帰院時間を超えていたのだろう、少し窘められた。
 病室へ運ばれ、血圧や脈拍を測られるマスクを外した有沢の顔は薄赤くなっていて、険しい顔の看護師から微熱が出ていると知らされた。壁に付けられた装置から伸びたチューブで、横になった有沢に酸素マスクが、用心のためと説明されながら、寝巻きに着替えさせられた胸にモニターがつけられる。
 それらの動きをじっと見つめる有沢が、壁際に立つ美並に微笑む。赤く染まった目元、まだ潤んでいる瞳がゆっくり瞬きする。
 部屋を整えた看護師が壁から伸びたコードを有沢の手元に置いた。
「もし苦しくなったらこれを押して下さいね」
「はい」
 ナースコールに触れ、頷いて部屋を出て行く看護師を見送り、有沢は呼ぶように美並を見る。
「なんですか?」
「ビールが欲しいな」
「無理ですね」
「無理だなあ」
 檜垣なら買ってきてくれたかな。
 にやりと笑う顔は憑き物が落ちたような明るさだ。
「苦しいですか」
「ちょっと……呼吸するのに力が要る感じ」
 話しながら、軽く呼吸を弾ませる。
「さっきよりは…楽かな…」
「…では、帰りますね」
「…うん」
 うとうとしかけていたのか、有沢は瞬いて目を開けた。
「また来てくれますか」
「京介と一緒に」
「…ひどいな」
 苦笑いする。
「あなたはずっと容赦がない」
「ごめんなさい」
「……だから俺は安心して逝ける」
 ぽつりと吐かれたことばは脅しには聞こえなかった。
「…あなたは…憐れまない……俺が何をしても……どれだけ…甘えても…」
 目を閉じる。ふう、ふう、と数回息を大きく繰り返す。
「同僚だったら……楽しかっただろう…なあ…」
 囁くような声で続けた。
「あなたと……俺で………事件を……追って……」
 しゅーと聞こえる酸素の音に、ともすれば声は消されそうになる。
「……張り込んで……上と……揉めて……」
「……問題児だったでしょうね」
「ああ…違いない……」
 くすくす、と有沢は小さく笑った。
「……太田さんに……叱られて………毎日……歩き回って……靴底減らして……」
 けれど。
「…帰りに……寄って……明日こそ……とっかかり……見つけるって………大騒ぎ…して…」
 次、は。
 蕩けるように眉を緩める。
「有沢さん?」
 モニターは警告音を鳴らさない。薄赤くなっている頬はそのままだが、呼吸は穏やかに続いている。
「……あら」
 入って来た看護師が素早くモニターに目を走らせ、美並を振り向く。
「眠られたみたいね」
 ずっと病室におられたから疲れたんでしょう。
「そうですね」
 美並は立ち上がった。ナースコールの側に投げ出された有沢の手に触れる。頬の赤みを裏切る冷たさにそっと布団の中に手を入れてやった。
 看護師が検温し、モニターを確認し、静かに一礼し、部屋を出て行く。
「おやすみなさい」
 美並もまた小さく呟いて、病室を後にした。

 吹き付ける風のせいばかりではなかっただろう。
 体がひどく寒くて、美並は会社に向かった。
 真崎はまだしばらくマンションに戻らない。昼は過ぎていて、ひょっとすると久しぶりの外回りにも出ているかと思ったが、一目顔を見て帰ろうと思った。
「あれ?」
 確かにここ数日桜木通販は何かと慌ただしかったが、今日は違う雰囲気で落ち着かなげだ。
「…お疲れ様です」
「あら、今日は休みじゃなかった?」
「はい、けど、あの」
「ああ、課長ね」
 開発管理課の中には石塚しかおらず、忙しそうに書類の山を積み上げている。
「今はちょっと無理だと思うわよ。富崎課長と防犯カメラの設置にうろうろしてるから」
「防犯カメラですか」
「そう。ひょっとすると手放すかもしれない社屋にねえ」
 石塚が苦笑いする、その指に。
「?」
「っ」
 美並の視線を感じたのか、一瞬うろたえた顔で石塚が左手を隠そうとし、やがて溜め息をついた。
「もう…相変わらず変なところで鋭いんだから」
「すみません」
 笑いながら、扉を閉めていつもの席に座る。
「それって結婚指輪ですよね?」
「そう」
「お相手は…高山課長?」
「そう」
「すみません、ここからは私もわかりません、いつご結婚されたんですか?」
 それとも今日ご飯行きます?
 確認すると、石塚がふるふると首を振った。かっちりした眼鏡も気がつくと、赤とオレンジの混じった可愛らしいものになっている。
「忙しいから無理。引越し途中だし」
「高山課長のお家に?」
「そう」
 美並の視線に諦めたように笑う。
「11月22日。役所に届けを提出するだけだったから簡単よ」
「新婚2日目ですね」
 さすがに驚いてしまった。
「…今回のことでいろいろと考えたんだってさ」
 放り投げるような口調で、それでも耳たぶを染めながら石塚が口を尖らせる。
「いつ何があるかわからんからなって。それがプロポーズってどう思う?」
「ひどいですね」
「ひどいわよ」
 微笑みながら美並の脳裏に高山の家に行った時の光景が浮かぶ。結構長い付き合いはあったのだろう。緑川の一件があったから、妻を失った後で同僚と再婚するのに抵抗があったのかもしれない、お互いに。けれども、桜木通販が消え失せるかも知れないとなったら、二人の間の約束が何もないことに気づいたのかも知れない。
「…課長が阿倍野さんに襲われたって」
「…はい」
「……考えたらしいの、それだけで収まるんだろうかって」
「ああ……」
 高山は案じたのだ、真崎に係わりのある人間に向かう波紋を。
「目の届くところに来いって」
 緑川の事件に関わり、情報を隠していた高山は、自分が野放しにしてしまったかも知れない殺人者に警戒した。ひょっとすると、高山は石塚を守るために桜木通販から退くつもりかも知れない。
「とっちめてやろうと思ってるのよ、『ニット・キャンパス』が終わったら」
 石塚は指輪を眺めた。
「会社がガタガタしている時に、無駄遣いしちゃいけないでしょって」
「高山課長は無駄遣いなんてされませんよ」
 美並は微笑んだ。
「…私もそう思う……さ、仕事仕事」
 石塚のはにかんだ微笑は、照れ隠しの声とともに書類の向こうに伏せられた。
 
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

えっ「可愛いだけの無能な妹」って私のことですか?~自業自得で追放されたお姉様が戻ってきました。この人ぜんぜん反省してないんですけど~

村咲
恋愛
ずっと、国のために尽くしてきた。聖女として、王太子の婚約者として、ただ一人でこの国にはびこる瘴気を浄化してきた。 だけど国の人々も婚約者も、私ではなく妹を選んだ。瘴気を浄化する力もない、可愛いだけの無能な妹を。 私がいなくなればこの国は瘴気に覆いつくされ、荒れ果てた不毛の地となるとも知らず。 ……と思い込む、国外追放されたお姉様が戻ってきた。 しかも、なにを血迷ったか隣国の皇子なんてものまで引き連れて。 えっ、私が王太子殿下や国の人たちを誘惑した? 嘘でお姉様の悪評を立てた? いやいや、悪評が立ったのも追放されたのも、全部あなたの自業自得ですからね?

【電子書籍化進行中】声を失った令嬢は、次期公爵の義理のお兄さまに恋をしました

八重
恋愛
※発売日少し前を目安に作品を引き下げます 修道院で生まれ育ったローゼマリーは、14歳の時火事に巻き込まれる。 その火事の唯一の生き残りとなった彼女は、領主であるヴィルフェルト公爵に拾われ、彼の養子になる。 彼には息子が一人おり、名をラルス・ヴィルフェルトといった。 ラルスは容姿端麗で文武両道の次期公爵として申し分なく、社交界でも評価されていた。 一方、怠惰なシスターが文字を教えなかったため、ローゼマリーは読み書きができなかった。 必死になんとか義理の父や兄に身振り手振りで伝えようとも、なかなか伝わらない。 なぜなら、彼女は火事で声を失ってしまっていたからだ── そして次第に優しく文字を教えてくれたり、面倒を見てくれるラルスに恋をしてしまって……。 これは、義理の家族の役に立ちたくて頑張りながら、言えない「好き」を内に秘める、そんな物語。 ※小説家になろうが先行公開です

【完結】どうかその想いが実りますように

おもち。
恋愛
婚約者が私ではない別の女性を愛しているのは知っている。お互い恋愛感情はないけど信頼関係は築けていると思っていたのは私の独りよがりだったみたい。 学園では『愛し合う恋人の仲を引き裂くお飾りの婚約者』と陰で言われているのは分かってる。 いつまでも貴方を私に縛り付けていては可哀想だわ、だから私から貴方を解放します。 貴方のその想いが実りますように…… もう私には願う事しかできないから。 ※ざまぁは薄味となっております。(当社比)もしかしたらざまぁですらないかもしれません。汗 お読みいただく際ご注意くださいませ。 ※完結保証。全10話+番外編1話です。 ※番外編2話追加しました。 ※こちらの作品は「小説家になろう」、「カクヨム」にも掲載しています。

王が気づいたのはあれから十年後

基本二度寝
恋愛
王太子は妃の肩を抱き、反対の手には息子の手を握る。 妃はまだ小さい娘を抱えて、夫に寄り添っていた。 仲睦まじいその王族家族の姿は、国民にも評判がよかった。 側室を取ることもなく、子に恵まれた王家。 王太子は妃を優しく見つめ、妃も王太子を愛しく見つめ返す。 王太子は今日、父から王の座を譲り受けた。 新たな国王の誕生だった。

もう一度あなたと?

キムラましゅろう
恋愛
アデリオール王国魔法省で魔法書士として 働くわたしに、ある日王命が下った。 かつて魅了に囚われ、婚約破棄を言い渡してきた相手、 ワルター=ブライスと再び婚約を結ぶようにと。 「え?もう一度あなたと?」 国王は王太子に巻き込まれる形で魅了に掛けられた者達への 救済措置のつもりだろうけど、はっきり言って迷惑だ。 だって魅了に掛けられなくても、 あの人はわたしになんて興味はなかったもの。 しかもわたしは聞いてしまった。 とりあえずは王命に従って、頃合いを見て再び婚約解消をすればいいと、彼が仲間と話している所を……。 OK、そう言う事ならこちらにも考えがある。 どうせ再びフラれるとわかっているなら、この状況、利用させてもらいましょう。 完全ご都合主義、ノーリアリティ展開で進行します。 生暖かい目で見ていただけると幸いです。 小説家になろうさんの方でも投稿しています。

死を回避したい悪役令嬢は、ヒロインを破滅へと導く

miniko
恋愛
お茶会の参加中に魔獣に襲われたオフィーリアは前世を思い出し、自分が乙女ゲームの2番手悪役令嬢に転生してしまった事を悟った。 ゲームの結末によっては、断罪されて火あぶりの刑に処されてしまうかもしれない立場のキャラクターだ。 断罪を回避したい彼女は、攻略対象者である公爵令息との縁談を丁重に断ったのだが、何故か婚約する代わりに彼と友人になるはめに。 ゲームのキャラとは距離を取りたいのに、メインの悪役令嬢にも妙に懐かれてしまう。 更に、ヒロインや王子はなにかと因縁をつけてきて……。 平和的に悪役の座を降りたかっただけなのに、どうやらそれは無理みたいだ。 しかし、オフィーリアが人助けと自分の断罪回避の為に行っていた地道な根回しは、徐々に実を結び始める。 それがヒロインにとってのハッピーエンドを阻む結果になったとしても、仕方の無い事だよね? だって本来、悪役って主役を邪魔するものでしょう? ※主人公以外の視点が入る事があります。主人公視点は一人称、他者視点は三人称で書いています。 ※連載開始早々、タイトル変更しました。(なかなかピンと来ないので、また変わるかも……) ※感想欄は、ネタバレ有り/無しの分類を一切おこなっておりません。ご了承下さい。

イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?

すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。 「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」 家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。 「私は母親じゃない・・・!」 そう言って家を飛び出した。 夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。 「何があった?送ってく。」 それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。 「俺と・・・結婚してほしい。」 「!?」 突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。 かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。 そんな彼に、私は想いを返したい。 「俺に・・・全てを見せて。」 苦手意識の強かった『営み』。 彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。 「いあぁぁぁっ・・!!」 「感じやすいんだな・・・。」 ※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。 ※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。 それではお楽しみください。すずなり。

悪魔だと呼ばれる強面騎士団長様に勢いで結婚を申し込んでしまった私の結婚生活

束原ミヤコ
恋愛
ラーチェル・クリスタニアは、男運がない。 初恋の幼馴染みは、もう一人の幼馴染みと結婚をしてしまい、傷心のまま婚約をした相手は、結婚間近に浮気が発覚して破談になってしまった。 ある日の舞踏会で、ラーチェルは幼馴染みのナターシャに小馬鹿にされて、酒を飲み、ふらついてぶつかった相手に、勢いで結婚を申し込んだ。 それは悪魔の騎士団長と呼ばれる、オルフェレウス・レノクスだった。

処理中です...