『闇を闇から』

segakiyui

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第5章

9.祝宴(2)

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「…どうした?」
「…いえ」
 源内の手の場所を眺める。京介の腰に添えられている手はしっかり当てられているが、それだけだ。
「……ああ…」
「ん?」
「いえ……わかりました。体の動きを意識しつつ、掃除にも集中するんですね」
「そう言うことだ」
 笑って離れる源内は、別の場所を雑巾がけし始める。
 たぶん、これも初めて理解することだ。
 雑巾を濯ぎに戻る。水がかなり汚れてきたので入れ替えて、もう一度濯ぎながら、自分が微笑んでいるのに気づく。
 これは何だろう。安心? 安堵?
 源内の触れ方には性的なものがない。比較するとよくわかる。源内に比べると、今までが京介と接した人間のほとんどが、少なからず性的なものを含んで京介に触れていたのだ。抱きたい抱かれたいと言った露骨なものから、綺麗だから触れて見たい、そう言う類のささやかな欲望まで。仕事中の伊吹や高崎、富崎と言ったごく少数の人間だけが、その気配を発さない。
 そのことに、無意識に緊張していたと、ようやく気づいた。
 今、京介には緊張がない。相手の出方に警戒を向ける必要がなく、源内の指示通り、自分の体の動きだけに十分な注意を向けることができ、していることにより深い意識を向けることができる。自分のことだけを考えていられる。
 気持ちが良かった。
 体も意識も、今していることだけに集中できることが、これほど気持ちいいとは思わなかった。
 腕を伸ばす。指を一番奥まで届かせようとして、脇腹も背中も伸びていく。肩を動かす、ゆっくりと大きく限界まで。微かな汚れを見つけ、拭き方を工夫しながら擦り落としていく。
 朝の鍛錬と同じだと気づいて、低い棚をしゃがみ込み体を深く曲げながら拭いた。手を変え、向きを変え、呼吸を穏やかに繰り返しながら、掃除をしつつ身体中を曲げ伸ばししていく。
「……ふ…」
 体を起こすのも体の中心を意識しながら動いていくと、感覚が澄み渡っていく気がした。
 視界の端に同じように、丁寧に丁寧に掃除を続けていく源内の姿があった。まるで棚一つ一つに祈りを捧げていくようだと思い、また不思議な感覚に囚われた。
 もし、単に『ニット・キャンパス』だけの関わりならば、こんな光景には出くわさなかっただろう。もし、孝の事件だけの繋がりならば、ここまで距離を詰めることはなかっただろう。
 源内も京介も、違う関わり方だったら、全く別の世界に居ただろう。
 京介は、大輔への恨みを抱え、伊吹を食い尽くし、世界を呪いつつ一人で生きたかも知れない。
 源内は、師匠とともに合気道を葬り、自信のないままハルを手放し、小さな町で一人やさぐれていたかも知れない。
 視界がきらきらとした光に覆われている。
 これは何だろう。
 雑巾をまた絞り直す。
 いろんなものが、よく見える。
 定められていたかのような、この感覚は何だろう。
 今度は奥まった棚を拭き始める。隅に額縁のようなものが積み重ねられて埃を溜めていたから、触ってもいいか迷ったが、源内が丁寧に、と言ったことばを思い出し、そうっと引きずりだした。
「…っ」
 覗き込んだ瞬間に息を詰めた。
 埃を被った額縁は数枚、その一番上はクレヨンで描いたと思われる子どもの絵だ。
 画面一杯に描かれた新幹線とその側に立つ、子どもと両親。旅行に行くのか、両親は大きな鞄を持ち、子どもはリュックサックを背負っている。満面の笑顔。
『おじいちゃんへ』
 ぐいぐいと引かれた幼い文字は、下の方に名前を刻む。
『はおりゆたか』
 うるさく跳ね上がる心臓、手にした雑巾で京介はそうっと古めかしい額縁のガラスの表面を拭き取る。
 間違いない。
 これは『羽鳥』の絵だ。
 祖父へ送った家族旅行の絵、ひょっとすると、『羽鳥』と祖父、あるいは家族の数人しか触っていないかも知れない絵。額縁に収められていたなら、それほど傷んでもいないだろう。
 残されているのでないか、決定的な指紋が。
「っ」
 気配に振り返ると、源内が無言で見下ろしていた。
「……師匠の絵だ」
 静かで重い声だった。
「そんなところに片付けていたのか」
 手を伸ばしてきたのに、差し上げて渡すと、
「家に置けなくなったからって持ってきていたのは見てたんだがな」
 両手で支えて源内はしみじみと眺めた。
 喉から手が出るほど欲しいのは確かだ。けれど、同時にそれは、もう居なくなってしまった師匠の思い出を、罪の立証のために差し出せと言うことだ。
 京介は無言のまま源内を見上げた。
「……欲しがらないのか」
 ぼそりと源内が唸る。
「…欲しいですよ」
 小さく笑う。
「けれど、あなたを傷つけて奪い取ったら、伊吹さんは僕を許さないだろうし」
 それでもいいけど。またいじめてもらえるなら。
 ちらっと走ったあやうい想像を、さすがに源内は気づかなかったらしい。
「…俺にさ」
 今にもどさりと座り込むのかと思ったが、源内は踏み止まった。深い溜め息を一つ、それから、
「来いって言うんだ、ハルが」
「はい」
「…服飾、やりたかったんだよな」
「……はい?」
「イタリアなら楽しいだろうって」
「……ああ…」
 なるほど、それで『ニット・キャンパス』を引き受けているのか。
 小規模なイベンターが仕切るには難しい案件を、苦労も厭わず引き受けているのは、ハルのためばかりでもなかったのか。
「男がひらひらしたの楽しんでちゃいけないだろうって、どっかで思ってたの、見抜かれてたよ」
 合気道も本当はさ。
「動きが綺麗なんだ」
 深く深く息を吐き出す。
「技よりも翻る裾や袖の動きに目がいってしまってな」
 不肖の弟子だったんだ、ずっとずっと。
「離れることで守ったつもりになってたんだな」
 それが合気道のことなのか、ハルのことなのかは、京介にはわからなかった。けれど、離れることで、大事なものを侵さずに済むと考えたとは伝わった。
 源内は、しばらく黙って『羽鳥』の絵を眺めた後、
「…今更だが……本当に、今更なんだが」
 ぼそぼそと続けた。
「ハルを守るために、どんなことでもやろうと思ってる」
 この絵を警察に渡してこよう。
 京介に目を合わせた源内は、少し情けなさそうに笑った。
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