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第5章
8.ウォーク・イン・ポーカー(6)
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ほとんど口をつけずに、冷めきってしまったコーヒーを、伊吹が再度淹れ直しに行ってくれる。
「美並」
唐突にハルが口を開いた。
「お茶で」
「…ええ」
伊吹の気遣わしげな視線は京介に向けられる。呼び捨てにされたことに抵抗しなかったのを謝る視線かと思ったが、そうでもないようだ。何かを案じているのは確かなので、大丈夫、と笑ってみせると、ほっとした顔で出て行った。
「時間?」
ハルが鋭い視線を投げてくる。
「ああ…そうでしたか」
なるほど、ハルがわざわざ茶を希望したのは、伊吹を遠ざける意図があったのか、しかもそれはハル側に必要だったと言うよりは、京介に必要ではないかと考えてくれたと気づく。
「すみません、ありがとうございます」
確かに伊吹の前で話しにくいことがある。
「何だ? 彼女はメインの関係者だろう?」
源内が訝しげに尋ねるのに、
「心配性なので。実は」
京介は昨日の阿倍野の一件を話した。
「さすがに関係のない人間にまで、何かしてくるとは思えないけれど」
緊張した顔に戻る源内と相変わらず無表情なハルに続ける。
「ひょっとすると」
「赤来、じゃない、『羽鳥』が煽った可能性もあるってことか」
「たぶん」
「美並?」
「話しません」
ハルが再度質すのに首を振る。
「伊吹さんにはもう檜垣さんや有沢さん達が注意を向けている。手を出してくることはないでしょう。余計な心配を掛けたくない」
無事だったしね、と笑ってみせると、ふん、と鼻を鳴らされた。
「仕掛けてくるとしたら、ガードのない方ってか」
源内は厳しい顔のまま、もう一度、溜め息を重ねた。
「溜め息」
ハルが気づいて指摘する。
「ああ、一生分溜め息吐きそうだ」
まあ、体の方は心配してないけど、とハルに視線を向ける。
「?」
今度はハルが訝しそうに源内を振り向いて、京介は頷く。
「ああ」
「だろ」
確かにハルに手を出されて稀代の才能を潰されるようなことになったら、源内は自分を二度と許せないだろう。
「…どうしたもんだかな」
「出す」
ぽつりとハルが言い放った。鋭い視線で源内を射抜く。
「…え?」
考え込んでいたのだろう、珍しく源内の反応が遅れる。
「問題ない」
「いや、ハル、それはな」
「死ぬだけ」
さらりと言い放ったことばにざわりと源内の気配が逆立った。
「ハル」
今何言った。
京介が目の前に居るのを忘れてしまったように、源内がハルに向き直る。
「死ぬだけ」
淡々とハルが繰り返す。
「いつか必ず」
ぶっつりと音を立てて源内の何かが切れた。穏やかな表情が見る見る憤怒に染まる。ゆっくりと椅子から立ち上がる。その源内を、椅子に座ったままのハルが見上げる。
「僕も」
「そんなことは言われなくともわかってる」
「わかってない」
「わかってる」
「わかってない」
「わかってるって言ってるだろうが!」
あれ?
京介は目の前で始まったやりとりに置き去られて戸惑う。
何か見えない部分での問題が浮かび上がってきてしまったらしい。
「源内」
「ガキが死ぬとか口にするんじゃねえっ」
ハルの声に源内が吐き捨てた。
「ああ、ああわかってる、確かにお前も俺もいつか死ぬだろう、だがそれは今じゃない、明日でもない明後日でもない、ましてや事件に巻き込まれて殺されるってこととは全然違う!」
ああそうか。
京介は瞬く。
確かに源内は悩んでいた、ハルの才能を自分が付き添い関わることで潰さないかと。もっと広い世界、もっと高い場所で評価されるべきものを、こんな小さな町、こんな人脈一つない企画会社の男が閉じ込めてしまっていないかと。
それはつまり、ハルの才能を失いたくないあまりの悩みだったのだと今更気づく。
ハルの身に危険が及ぶかも知れないと言う可能性を提示されて、一気に表面に現れたのか。
「いいか、お前は今注目されてきてる、世界がようやくお前の才能を評価し始めてるんだ、今ここでか関わらなくても、もっと他の手が」
「出す」
「お前が出さなくていい、見つかる、さっきのタイルみたいに、何か別の方法が」
「源内」
ハルが目を細めた。
「彼はもう気づいたよ」
「…え?」
いきなりの滑らかな口調に源内が真っ赤になった顔を凍らせた。
「彼はもう、僕があの時の子どもだって気がついた」
「いやだって、そんなはずがないだろう、お前が絵を破かれたのはうんと小さな頃だし、向こうだって名乗らなくちゃ覚えてなんか…………っ」
いきなり源内の顔が真っ白になった。
「お前……まさか」
「ごめん」
ハルが微笑む。大人びた、悲しげな笑みだ。
「決めてた」
「まさか、お前、そんな、つもりで…」
よろめくように足を引き、椅子に崩れ込む。
「俺に、話も、しないで?」
掠れた声は泣くようだ。
「謝ってばかりだな、新しい世界に行く時は」
低く呟いたハルが苦笑した。
「誰一人、幸せにできない」
「…お待たせしました」
戻ってきた伊吹が部屋の空気に眉を寄せる。
「課長?」
「…ごめん。僕にも何が起こってるのか、よくわからない」
京介は正直に伝えた。
「ただ、彼は昔『羽鳥』に会っていることで、赤来課長に何か仕掛けたらしいよ」
「美並」
唐突にハルが口を開いた。
「お茶で」
「…ええ」
伊吹の気遣わしげな視線は京介に向けられる。呼び捨てにされたことに抵抗しなかったのを謝る視線かと思ったが、そうでもないようだ。何かを案じているのは確かなので、大丈夫、と笑ってみせると、ほっとした顔で出て行った。
「時間?」
ハルが鋭い視線を投げてくる。
「ああ…そうでしたか」
なるほど、ハルがわざわざ茶を希望したのは、伊吹を遠ざける意図があったのか、しかもそれはハル側に必要だったと言うよりは、京介に必要ではないかと考えてくれたと気づく。
「すみません、ありがとうございます」
確かに伊吹の前で話しにくいことがある。
「何だ? 彼女はメインの関係者だろう?」
源内が訝しげに尋ねるのに、
「心配性なので。実は」
京介は昨日の阿倍野の一件を話した。
「さすがに関係のない人間にまで、何かしてくるとは思えないけれど」
緊張した顔に戻る源内と相変わらず無表情なハルに続ける。
「ひょっとすると」
「赤来、じゃない、『羽鳥』が煽った可能性もあるってことか」
「たぶん」
「美並?」
「話しません」
ハルが再度質すのに首を振る。
「伊吹さんにはもう檜垣さんや有沢さん達が注意を向けている。手を出してくることはないでしょう。余計な心配を掛けたくない」
無事だったしね、と笑ってみせると、ふん、と鼻を鳴らされた。
「仕掛けてくるとしたら、ガードのない方ってか」
源内は厳しい顔のまま、もう一度、溜め息を重ねた。
「溜め息」
ハルが気づいて指摘する。
「ああ、一生分溜め息吐きそうだ」
まあ、体の方は心配してないけど、とハルに視線を向ける。
「?」
今度はハルが訝しそうに源内を振り向いて、京介は頷く。
「ああ」
「だろ」
確かにハルに手を出されて稀代の才能を潰されるようなことになったら、源内は自分を二度と許せないだろう。
「…どうしたもんだかな」
「出す」
ぽつりとハルが言い放った。鋭い視線で源内を射抜く。
「…え?」
考え込んでいたのだろう、珍しく源内の反応が遅れる。
「問題ない」
「いや、ハル、それはな」
「死ぬだけ」
さらりと言い放ったことばにざわりと源内の気配が逆立った。
「ハル」
今何言った。
京介が目の前に居るのを忘れてしまったように、源内がハルに向き直る。
「死ぬだけ」
淡々とハルが繰り返す。
「いつか必ず」
ぶっつりと音を立てて源内の何かが切れた。穏やかな表情が見る見る憤怒に染まる。ゆっくりと椅子から立ち上がる。その源内を、椅子に座ったままのハルが見上げる。
「僕も」
「そんなことは言われなくともわかってる」
「わかってない」
「わかってる」
「わかってない」
「わかってるって言ってるだろうが!」
あれ?
京介は目の前で始まったやりとりに置き去られて戸惑う。
何か見えない部分での問題が浮かび上がってきてしまったらしい。
「源内」
「ガキが死ぬとか口にするんじゃねえっ」
ハルの声に源内が吐き捨てた。
「ああ、ああわかってる、確かにお前も俺もいつか死ぬだろう、だがそれは今じゃない、明日でもない明後日でもない、ましてや事件に巻き込まれて殺されるってこととは全然違う!」
ああそうか。
京介は瞬く。
確かに源内は悩んでいた、ハルの才能を自分が付き添い関わることで潰さないかと。もっと広い世界、もっと高い場所で評価されるべきものを、こんな小さな町、こんな人脈一つない企画会社の男が閉じ込めてしまっていないかと。
それはつまり、ハルの才能を失いたくないあまりの悩みだったのだと今更気づく。
ハルの身に危険が及ぶかも知れないと言う可能性を提示されて、一気に表面に現れたのか。
「いいか、お前は今注目されてきてる、世界がようやくお前の才能を評価し始めてるんだ、今ここでか関わらなくても、もっと他の手が」
「出す」
「お前が出さなくていい、見つかる、さっきのタイルみたいに、何か別の方法が」
「源内」
ハルが目を細めた。
「彼はもう気づいたよ」
「…え?」
いきなりの滑らかな口調に源内が真っ赤になった顔を凍らせた。
「彼はもう、僕があの時の子どもだって気がついた」
「いやだって、そんなはずがないだろう、お前が絵を破かれたのはうんと小さな頃だし、向こうだって名乗らなくちゃ覚えてなんか…………っ」
いきなり源内の顔が真っ白になった。
「お前……まさか」
「ごめん」
ハルが微笑む。大人びた、悲しげな笑みだ。
「決めてた」
「まさか、お前、そんな、つもりで…」
よろめくように足を引き、椅子に崩れ込む。
「俺に、話も、しないで?」
掠れた声は泣くようだ。
「謝ってばかりだな、新しい世界に行く時は」
低く呟いたハルが苦笑した。
「誰一人、幸せにできない」
「…お待たせしました」
戻ってきた伊吹が部屋の空気に眉を寄せる。
「課長?」
「…ごめん。僕にも何が起こってるのか、よくわからない」
京介は正直に伝えた。
「ただ、彼は昔『羽鳥』に会っていることで、赤来課長に何か仕掛けたらしいよ」
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