『闇を闇から』

segakiyui

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第5章

7.夢見たものは(5)

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 これは見込み違いで、断られる方だったか。
 視線をPC画面に走らせ、鳴海工業の品物が来なかった場合の動きを考え始めた矢先、
『あっ、おいっ』
 突然電話の向こうががたがたした。
『こらっ、待てお前、下手なこと言って』
『酷いことだと思ってますよ!』
 突然飛び込んだ叫び声に京介は目を見開いた。どう聞いても、それはいつも鳴海の後ろで縮こまっていた鳴海の妻の声、必死の響きを載せて再び繰り返される。
『私は酷いことだって思ってます! あんな酷いこと、許しとくなんて親じゃないですよ!』
『おいこらっ、勝手に』
『私は真崎さんの、お兄さんじゃなくて、あんたの味方ですよ! 子どもを一回でも可愛いと思って抱っこした親は、絶対あんたの味方ですよ! それだけ言いたかったんです、それだけ…あっ』
 がたがたがたっっ!
 響いた音に真崎は息を呑む。受話器の向こうで言い争う声が続き、やがてわああっ、と激しく泣く声が響いて遠去かり、しばらくの沈黙の後、疲れた声が聞こえた。
『…すまん。とんでもないことを』
「…いえ。……僕を心配して下さったんですね?」
 応じながら、ぽわりと胸に浮かんだ温かいものに瞬いた。
 そうだ、この電話は注文の支払いが滞ることへの不安ではなく、醜聞を抱えた企業と取引している苦情でもない。事の渦中に居る真崎が無事かどうかの安否確認だ。
『…言い訳になるが……息子を、亡くしててな』
「え…」
『……あんたぐらいの時に、得意先回りしていた時の事故で、な』
 鳴海が囁くように呟いた。
『ずっと…忙しかったんだ。やりくりできてなくてな……寝る間も惜しんで営業に回っててくれて……』
 後でわかったんだが、断って来た得意先で俺みたいな小さな工場を相手にできるかって嗤われたらしい。疲れてるのに、ムキになって次の得意先まで足を伸ばして、一瞬寝ちまったんだろうなあ。
『ガードレールに突っ込んだんだ。……誰も傷つけなかったのがせめてもの幸運だったと言ったら、初めてあいつにぶっ叩かれてよ』
 育てもしてなかったくせに、偉そうなことを言わないでくれって。あの子をあそこまで追い詰めたのは、一言も褒めなかったあんたのせいだって。誰に何を言われても、お前には俺がついてるって言ってやってくれてれば、無茶しなかったのにって。
『男親ってのは、よう…』
 深い息を吐く。
『褒め方なんて…わからねえよ』
 飯、食ってかないか。
 鳴海工業を訪ねた時、突然誘われた夕飯を思い出した。
 あれは京介に向けられていた。
 けれども同時に、居なくなった息子、いつかは同じように工場を隣で切り盛りしてくれたはずの息子に向けられたものだったのか。
「ありがとう…ございます」
 気がつくと、そう答えていた。
 妻に頭が上がらないのも道理だろう、これだけの負い目を抱えて、それでも工場を保たせていた気概に頭が下がる。それは、これから先、桜木通販を背負う京介にとって、こちらでいいと示す一里塚のようなものだ。
「ご心配を、ありがとうございます」
 京介は一人じゃない。
「支えに……なりました」
 退くわけにはいかない、この思いを裏切らないためだけでも。
 思った瞬間、銀杏の風を薙ぎ払った伊吹の姿を思い出した。
 ああ、伊吹さん。
『そうか………そうか』
 受話器の向こうで鳴海の声が潤む。
 君はきっと、いつもこんな気持ちで立ってるんだね。
 以前は自分が死なせた大石のために。それより昔は自分を慕う明のために。
 そうして今はきっと、京介のために。
 ここで、退くわけには、いかない。
『…頑張れよ、兄ちゃん』
 滲んだ低い笑いが続く。
『あんたには、鳴海工業がついてるぜ』
「…はい」
 京介は背筋を伸ばして頭を垂れた。
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