451 / 503
第5章
7.夢見たものは(5)
しおりを挟む
これは見込み違いで、断られる方だったか。
視線をPC画面に走らせ、鳴海工業の品物が来なかった場合の動きを考え始めた矢先、
『あっ、おいっ』
突然電話の向こうががたがたした。
『こらっ、待てお前、下手なこと言って』
『酷いことだと思ってますよ!』
突然飛び込んだ叫び声に京介は目を見開いた。どう聞いても、それはいつも鳴海の後ろで縮こまっていた鳴海の妻の声、必死の響きを載せて再び繰り返される。
『私は酷いことだって思ってます! あんな酷いこと、許しとくなんて親じゃないですよ!』
『おいこらっ、勝手に』
『私は真崎さんの、お兄さんじゃなくて、あんたの味方ですよ! 子どもを一回でも可愛いと思って抱っこした親は、絶対あんたの味方ですよ! それだけ言いたかったんです、それだけ…あっ』
がたがたがたっっ!
響いた音に真崎は息を呑む。受話器の向こうで言い争う声が続き、やがてわああっ、と激しく泣く声が響いて遠去かり、しばらくの沈黙の後、疲れた声が聞こえた。
『…すまん。とんでもないことを』
「…いえ。……僕を心配して下さったんですね?」
応じながら、ぽわりと胸に浮かんだ温かいものに瞬いた。
そうだ、この電話は注文の支払いが滞ることへの不安ではなく、醜聞を抱えた企業と取引している苦情でもない。事の渦中に居る真崎が無事かどうかの安否確認だ。
『…言い訳になるが……息子を、亡くしててな』
「え…」
『……あんたぐらいの時に、得意先回りしていた時の事故で、な』
鳴海が囁くように呟いた。
『ずっと…忙しかったんだ。やりくりできてなくてな……寝る間も惜しんで営業に回っててくれて……』
後でわかったんだが、断って来た得意先で俺みたいな小さな工場を相手にできるかって嗤われたらしい。疲れてるのに、ムキになって次の得意先まで足を伸ばして、一瞬寝ちまったんだろうなあ。
『ガードレールに突っ込んだんだ。……誰も傷つけなかったのがせめてもの幸運だったと言ったら、初めてあいつにぶっ叩かれてよ』
育てもしてなかったくせに、偉そうなことを言わないでくれって。あの子をあそこまで追い詰めたのは、一言も褒めなかったあんたのせいだって。誰に何を言われても、お前には俺がついてるって言ってやってくれてれば、無茶しなかったのにって。
『男親ってのは、よう…』
深い息を吐く。
『褒め方なんて…わからねえよ』
飯、食ってかないか。
鳴海工業を訪ねた時、突然誘われた夕飯を思い出した。
あれは京介に向けられていた。
けれども同時に、居なくなった息子、いつかは同じように工場を隣で切り盛りしてくれたはずの息子に向けられたものだったのか。
「ありがとう…ございます」
気がつくと、そう答えていた。
妻に頭が上がらないのも道理だろう、これだけの負い目を抱えて、それでも工場を保たせていた気概に頭が下がる。それは、これから先、桜木通販を背負う京介にとって、こちらでいいと示す一里塚のようなものだ。
「ご心配を、ありがとうございます」
京介は一人じゃない。
「支えに……なりました」
退くわけにはいかない、この思いを裏切らないためだけでも。
思った瞬間、銀杏の風を薙ぎ払った伊吹の姿を思い出した。
ああ、伊吹さん。
『そうか………そうか』
受話器の向こうで鳴海の声が潤む。
君はきっと、いつもこんな気持ちで立ってるんだね。
以前は自分が死なせた大石のために。それより昔は自分を慕う明のために。
そうして今はきっと、京介のために。
ここで、退くわけには、いかない。
『…頑張れよ、兄ちゃん』
滲んだ低い笑いが続く。
『あんたには、鳴海工業がついてるぜ』
「…はい」
京介は背筋を伸ばして頭を垂れた。
視線をPC画面に走らせ、鳴海工業の品物が来なかった場合の動きを考え始めた矢先、
『あっ、おいっ』
突然電話の向こうががたがたした。
『こらっ、待てお前、下手なこと言って』
『酷いことだと思ってますよ!』
突然飛び込んだ叫び声に京介は目を見開いた。どう聞いても、それはいつも鳴海の後ろで縮こまっていた鳴海の妻の声、必死の響きを載せて再び繰り返される。
『私は酷いことだって思ってます! あんな酷いこと、許しとくなんて親じゃないですよ!』
『おいこらっ、勝手に』
『私は真崎さんの、お兄さんじゃなくて、あんたの味方ですよ! 子どもを一回でも可愛いと思って抱っこした親は、絶対あんたの味方ですよ! それだけ言いたかったんです、それだけ…あっ』
がたがたがたっっ!
響いた音に真崎は息を呑む。受話器の向こうで言い争う声が続き、やがてわああっ、と激しく泣く声が響いて遠去かり、しばらくの沈黙の後、疲れた声が聞こえた。
『…すまん。とんでもないことを』
「…いえ。……僕を心配して下さったんですね?」
応じながら、ぽわりと胸に浮かんだ温かいものに瞬いた。
そうだ、この電話は注文の支払いが滞ることへの不安ではなく、醜聞を抱えた企業と取引している苦情でもない。事の渦中に居る真崎が無事かどうかの安否確認だ。
『…言い訳になるが……息子を、亡くしててな』
「え…」
『……あんたぐらいの時に、得意先回りしていた時の事故で、な』
鳴海が囁くように呟いた。
『ずっと…忙しかったんだ。やりくりできてなくてな……寝る間も惜しんで営業に回っててくれて……』
後でわかったんだが、断って来た得意先で俺みたいな小さな工場を相手にできるかって嗤われたらしい。疲れてるのに、ムキになって次の得意先まで足を伸ばして、一瞬寝ちまったんだろうなあ。
『ガードレールに突っ込んだんだ。……誰も傷つけなかったのがせめてもの幸運だったと言ったら、初めてあいつにぶっ叩かれてよ』
育てもしてなかったくせに、偉そうなことを言わないでくれって。あの子をあそこまで追い詰めたのは、一言も褒めなかったあんたのせいだって。誰に何を言われても、お前には俺がついてるって言ってやってくれてれば、無茶しなかったのにって。
『男親ってのは、よう…』
深い息を吐く。
『褒め方なんて…わからねえよ』
飯、食ってかないか。
鳴海工業を訪ねた時、突然誘われた夕飯を思い出した。
あれは京介に向けられていた。
けれども同時に、居なくなった息子、いつかは同じように工場を隣で切り盛りしてくれたはずの息子に向けられたものだったのか。
「ありがとう…ございます」
気がつくと、そう答えていた。
妻に頭が上がらないのも道理だろう、これだけの負い目を抱えて、それでも工場を保たせていた気概に頭が下がる。それは、これから先、桜木通販を背負う京介にとって、こちらでいいと示す一里塚のようなものだ。
「ご心配を、ありがとうございます」
京介は一人じゃない。
「支えに……なりました」
退くわけにはいかない、この思いを裏切らないためだけでも。
思った瞬間、銀杏の風を薙ぎ払った伊吹の姿を思い出した。
ああ、伊吹さん。
『そうか………そうか』
受話器の向こうで鳴海の声が潤む。
君はきっと、いつもこんな気持ちで立ってるんだね。
以前は自分が死なせた大石のために。それより昔は自分を慕う明のために。
そうして今はきっと、京介のために。
ここで、退くわけには、いかない。
『…頑張れよ、兄ちゃん』
滲んだ低い笑いが続く。
『あんたには、鳴海工業がついてるぜ』
「…はい」
京介は背筋を伸ばして頭を垂れた。
0
お気に入りに追加
79
あなたにおすすめの小説
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
性欲の強すぎるヤクザに捕まった話
古亜
恋愛
中堅企業の普通のOL、沢木梢(さわきこずえ)はある日突然現れたチンピラ3人に、兄貴と呼ばれる人物のもとへ拉致されてしまう。
どうやら商売女と間違えられたらしく、人違いだと主張するも、兄貴とか呼ばれた男は聞く耳を持たない。
「美味しいピザをすぐデリバリーできるのに、わざわざコンビニのピザ風の惣菜パンを食べる人います?」
「たまには惣菜パンも悪くねぇ」
……嘘でしょ。
2019/11/4 33話+2話で本編完結
2021/1/15 書籍出版されました
2021/1/22 続き頑張ります
半分くらいR18な話なので予告はしません。
強引な描写含むので苦手な方はブラウザバックしてください。だいたいタイトル通りな感じなので、少しでも思ってたのと違う、地雷と思ったら即回れ右でお願いします。
誤字脱字、文章わかりにくい等の指摘は有り難く受け取り修正しますが、思った通りじゃない生理的に無理といった内容については自衛に留め批判否定はご遠慮ください。泣きます。
当然の事ながら、この話はフィクションです。
【R-18】クリしつけ
蛙鳴蝉噪
恋愛
男尊女卑な社会で女の子がクリトリスを使って淫らに教育されていく日常の一コマ。クリ責め。クリリード。なんでもありでアブノーマルな内容なので、精神ともに18歳以上でなんでも許せる方のみどうぞ。
寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい
白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。
私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。
「あの人、私が
【R18】淫乱メイドは今日も乱れる
ねんごろ
恋愛
ご主人様のお屋敷にお仕えするメイドの私は、乱れるしかない運命なのです。
毎日のように訪ねてくるご主人様のご友人は、私を……
※性的な表現が多分にあるのでご注意ください
マッサージ師にそれっぽい理由をつけられて、乳首とクリトリスをいっぱい弄られた後、ちゃっかり手マンされていっぱい潮吹きしながらイッちゃう女の子
ちひろ
恋愛
マッサージ師にそれっぽい理由をつけられて、乳首とクリトリスをいっぱい弄られた後、ちゃっかり手マンされていっぱい潮吹きしながらイッちゃう女の子の話。
Fantiaでは他にもえっちなお話を書いてます。よかったら遊びに来てね。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる