『闇を闇から』

segakiyui

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第5章

5.過去からのトロフィ(2)

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「…伊吹さん」
 病院の一室に、有沢は薄緑の寝間着のようなものを着て横たわっていた。窓が開け放されていて、晴れ上がった空を眺めていたらしい。気配に振り向いた顔が微かに笑う。風に乱れもしないしっとりとした髪の毛が長患いを予感させる。
「…大丈夫ですか」
「もう退院できないそうです」
 さっくりと答えた。
「…」
「昨日のことでしたよね……あなたに手がかりを頂いたのは」
 なんだか急に時間がすごく速く経っていく気がする。
 呟きながら有沢は、もう一度彼方へ視線を投げる。空を見ていたのではなく、右手に繋がれた点滴を見上げていたのだと気づいた。
 ポトリ、ポトリ、ポトリ。
 明るい日差しの中、一定間隔で刻まれる時間、じりじりと減っていく袋の中身。
「もうちょっと居たかったな、外界に」
 軋るような声で唸る。
「倒れられたんですね」
「苦しいのはいつもだったから、見くびりました」
 自嘲する声音だった。
「…檜垣は?」
「車を置いたらすぐに来るとおっしゃってましたが」
「…話は聞きましたか?」
「はい」
 目線で促されて近くのパイプ椅子に座る。枕元にナースコール、触れるものかと言いたげに放り出されたボタンのオレンジもまた明るい。ベッドの上には緊急時に使うものか、二つの器械が取り付けられている。
「おそらく、真崎大輔には実刑判決が出ます」
 明後日の方向を向いたまま、他人事のように有沢が言った。
「…はい」
「家族からの訴えもあって、DVに関しても情報が集められている。守秘義務はあるが…」
 難しい顔で美並を振り向いた。用心深くことばを継ぐ。
「有る事無い事、かなり酷い事を話している、真崎京介さん、に関して」
「…」
 有る事無い事。
 もちろん、大輔のことだから、自分に都合よく事実を脚色し捻じ曲げているだろう。恵子からも情報は集められているだろうが、恵子もまた不利な事を隠し、正当化することだけを話しているだろう。
 ただ、それだけではなく。
 有沢の頭の中に、欲望のためだけに弟の体を蹂躙し続ける兄という存在はあり得るのだろうか。成長しても過去に捕まり囚われて、自分から体を差し出し続ける被害者は想像できるのだろうか。
 有る事無い事、の中には、大輔恵子の嘘だけではなく、有沢の想像外と言うこともある。
「…伊吹さんはご存知ですか」
「…はい」
 頷いた美並に有沢が目を見開いた。
「知っていても?」
「知ったことから、知り合ったんです」
「……そう…なのか…」
 苦い笑みが広がった。
「そういう、繋がりなのか」
 同情なのかと聞こえた。同情もまたあっただろう、けれど今はもう、背中を守るただ一人の人としか思いつかない。
「そういう繋がりです」
 にっこり笑うと、有沢は大きく息を吐いた。
「…勝てないわけだ」
 少し押し黙った後、
「檜垣は遅いですね」
 身を震わせた有沢に立ち上がって窓を閉める。椅子に戻ろうとした時、微かに動いたドアに気づいた。檜垣は戻って来ているが、部屋に入らないつもりらしい。
 ふと、何か懐かしいような、悲しいような気がして、美並は戸惑った。ベッドに寝ている有沢、落ちる点滴、閉めた窓、ドアの外に立つ人の気配。
「…過去から届いた褒美、ってなんですか?」
 ドアを見たまま尋ねた。
「え?」
「来る途中、檜垣さんがそこまで話して止めました」
「あいつ……」
 苦笑した有沢が座るよう促して、もう一度腰を下ろす。
「実は先日のホテルの近くにコンビニがあるんです」
 有沢が話し出して注意を戻した。
「周囲には他に店がなく、ホテルを利用する人間もコンビニに入る。そして、コンビニにはカメラがあります」
「でも…5年以上前です、映像は」
 確か一定期間ごとに上書きするように保存されると聞いたことがあるのだが。
「普通ならば」
 有沢が目を細めて皮肉な笑みで振り向く。
「残っていないはずなんですが」
 そのコンビニには残っていたんですよ。
「なぜですか」
「過去からの、褒美」
 有沢が頷いた。
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