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第5章
4.アングルシューター(5)
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ペットボトルは目覚めればすぐ気がつく場所に、体を起こして飲もうとすればちょうどいい場所に置かれていた。
だから京介は伊吹が京介のことを配慮してくれたのだと感じ、喉の渇きをペットボトルの水で癒そうとした、立ち上がってキッチンの水を汲みに行かずに。普段ならば、渇きをそのままにぼんやりと座っているか、のろのろ立ち上がって水を飲みに行くところだろうに。
行動が、支配される。
ベッドから体を起こす場所、腕の長さと伸ばす仕草、ペットボトルの高さと形。元気な時と疲れている時では動きが違う、好みも違う、望むものだって違うだろう。けれどそれさえも、データとして積み重ねられたとき、ペットボトル一つで京介の行動を制御できる。
脳裏を大輔の、恵子の、相子の言動が通り過ぎる。
身動きできなくなる感じ、動こうとする全てが遮られて、何も打つ手がない感じ、好き放題に貪られて、なのに、自分が悪いとしか感じられなくなる傾向。
『見えない』支配。
伊吹もまた、同じ力を京介に向けた、それがただ京介を守る方向だっただけで。
時々見せた悲しげな微笑。
あれは、このことを理解していたからだ。
幼い時から支配されることに慣れきっていて、支配されているとさえ考えなかった京介が、そこから抜け出るためには、別の支配下に置かれてからでないと難しいこと。
伊吹の支配下におかれて、そこから少しずつ手放されて、一人で立つ力を蓄えるようになって、初めて『見えた』自分の姿。
選択を放棄し、慣れた安心を得るために蹂躙されたがっている、幼い心。
「……そういうことだったのか…」
『え?』
恵子が必ずこういう時に連絡してくるのも、それを無視することもなく京介が受け入れてしまうのも、当たり前だ、京介が見えない場所で呼んでいたからだ。一人でいるのが辛い、誰か近くに寄り添って欲しい、これからどうなるのか不安で堪えきれない、未来を選ぶ責務を誰かに肩代わりして欲しい、と。
いつかの夜、恵子の訪れを拒めなかった、伊吹が悲しむとどこかでわかっていたはずなのに。
「京介はこれからもそうやって、大輔さんや恵子さんが京介に押し付けたものを支払う気ですか?」
怒りに煌いた冷たく暗い伊吹の瞳。
「私も、京介を、抱きに来たから」
あの時、伊吹は何を『見ていた』のだろう。
きっと今京介が『見ている』ものと同じもの、支配を望む体に付け入り、その手綱を握ろうとする自分。
片一方の手を余命僅かな有沢に握られ、もう片方の手を一人で立てない京介に握られ、その力を人を傷つける方向にも使える誘惑に揺さぶられながら吊り下げられて。
「…こんなものを……どうやって…」
吐き捨てる。
『何を話してるの?』
苛だたしそうな声に思わず嗤った。
恵子も同じなのだ、大輔に支配されて束縛を嫌がり逃げ出そうとしながら、それが外されきってしまうと不安で、別の鎖を求めている。
孝も重なる、一人で選び切れなくて誰かに委ねて考えないでいようとする姿。
伊吹が孝の事件を追うのは、自分との関わりだけじゃない、京介も同じ場所に落ち込みかねないとわかっていたから。
『聞こえないわ』
不安を響かせて恵子が問い正す。
『ちゃんと答えて』
京介もまた同じだっただろう、伊吹の声を聞かなかった、自分の望みを見ないために。
そんな男を。
「…どうやって…なんとかする気だったの……伊吹さん……あ」
記憶の中で声が閃く。
「私が、犯人ですよ、京介」
静かな微笑み。
皮膚が粟立った。
そうか。
伊吹は大輔側に立つことを決めたのだ。自分の支配力を引き受けて、責められても切り捨てられても、『犯人』側に立つことで、『羽鳥』を追い、赤来を捕まえることにした。惨い映像を直視し、誰一人わからない孤独を引き受け、奇異の目で見られ遠ざけられることを覚悟して、高山と石塚に全てを話した。
「私は、真崎課長の親友である、難波孝さんを殺したのが、赤来課長ではないかと疑っています」
震えていた伊吹。
「正気か」
高山の容赦ない糾弾にひるまなかった、予想していたことだから。
「信じられんな。とんでもないことを話しているという自覚はあるか」
きっと仕事も生活も何もかも失うことさえ飲み込んで。
京介が逃げきれないから。
京介が拒めないから。
ただ、京介を、守るために。
「…っ」
視界が潤んだ。
「愛…されてる…なあ……」
いつの間にか俯いていた。垂れ落ちた髪の毛を強く掴む。
「…僕……こんなに……」
伊吹さんに、愛されてた。
きっと今も伊吹は闘っている、一人で歩くしかない未来を片手に、京介のことを想いながら。
『…もちろんよ、京ちゃん』
携帯の向こうで恵子が含み笑いをする。
『ひょっとすると……大輔よりも、ね』
くすくすと優越感に満ちた笑い声を響かせる。
『京ちゃんのことを一番わかっているのは、私よ』
目を上げた。伝い落ちた涙を擦り取る。
誰が、誰を、わかっているって?
誰と京介を天秤にかけてるって?
目を閉じる。
伊吹は京介の中に割れたガラスがあると言った。砕けて刺々しい、近づくだけで人を傷つけてしまうようなものが。けれど伊吹は京介の中に踏み込んで、たぶん自分も傷つきながら、それ以外の『綺麗なもの』をいっぱい見つけてくれた。
抜き放て、ガラスを磨いて剣として。
自分を守るためじゃない、闘う伊吹の唯一無二の盾となるために。
やり方は十分知っているはずだ、幾度も身体で覚えさせられたはずだ。
携帯を持ち替えた。右手を開ける。
「…恵子さん?」
微笑んだ。
だから京介は伊吹が京介のことを配慮してくれたのだと感じ、喉の渇きをペットボトルの水で癒そうとした、立ち上がってキッチンの水を汲みに行かずに。普段ならば、渇きをそのままにぼんやりと座っているか、のろのろ立ち上がって水を飲みに行くところだろうに。
行動が、支配される。
ベッドから体を起こす場所、腕の長さと伸ばす仕草、ペットボトルの高さと形。元気な時と疲れている時では動きが違う、好みも違う、望むものだって違うだろう。けれどそれさえも、データとして積み重ねられたとき、ペットボトル一つで京介の行動を制御できる。
脳裏を大輔の、恵子の、相子の言動が通り過ぎる。
身動きできなくなる感じ、動こうとする全てが遮られて、何も打つ手がない感じ、好き放題に貪られて、なのに、自分が悪いとしか感じられなくなる傾向。
『見えない』支配。
伊吹もまた、同じ力を京介に向けた、それがただ京介を守る方向だっただけで。
時々見せた悲しげな微笑。
あれは、このことを理解していたからだ。
幼い時から支配されることに慣れきっていて、支配されているとさえ考えなかった京介が、そこから抜け出るためには、別の支配下に置かれてからでないと難しいこと。
伊吹の支配下におかれて、そこから少しずつ手放されて、一人で立つ力を蓄えるようになって、初めて『見えた』自分の姿。
選択を放棄し、慣れた安心を得るために蹂躙されたがっている、幼い心。
「……そういうことだったのか…」
『え?』
恵子が必ずこういう時に連絡してくるのも、それを無視することもなく京介が受け入れてしまうのも、当たり前だ、京介が見えない場所で呼んでいたからだ。一人でいるのが辛い、誰か近くに寄り添って欲しい、これからどうなるのか不安で堪えきれない、未来を選ぶ責務を誰かに肩代わりして欲しい、と。
いつかの夜、恵子の訪れを拒めなかった、伊吹が悲しむとどこかでわかっていたはずなのに。
「京介はこれからもそうやって、大輔さんや恵子さんが京介に押し付けたものを支払う気ですか?」
怒りに煌いた冷たく暗い伊吹の瞳。
「私も、京介を、抱きに来たから」
あの時、伊吹は何を『見ていた』のだろう。
きっと今京介が『見ている』ものと同じもの、支配を望む体に付け入り、その手綱を握ろうとする自分。
片一方の手を余命僅かな有沢に握られ、もう片方の手を一人で立てない京介に握られ、その力を人を傷つける方向にも使える誘惑に揺さぶられながら吊り下げられて。
「…こんなものを……どうやって…」
吐き捨てる。
『何を話してるの?』
苛だたしそうな声に思わず嗤った。
恵子も同じなのだ、大輔に支配されて束縛を嫌がり逃げ出そうとしながら、それが外されきってしまうと不安で、別の鎖を求めている。
孝も重なる、一人で選び切れなくて誰かに委ねて考えないでいようとする姿。
伊吹が孝の事件を追うのは、自分との関わりだけじゃない、京介も同じ場所に落ち込みかねないとわかっていたから。
『聞こえないわ』
不安を響かせて恵子が問い正す。
『ちゃんと答えて』
京介もまた同じだっただろう、伊吹の声を聞かなかった、自分の望みを見ないために。
そんな男を。
「…どうやって…なんとかする気だったの……伊吹さん……あ」
記憶の中で声が閃く。
「私が、犯人ですよ、京介」
静かな微笑み。
皮膚が粟立った。
そうか。
伊吹は大輔側に立つことを決めたのだ。自分の支配力を引き受けて、責められても切り捨てられても、『犯人』側に立つことで、『羽鳥』を追い、赤来を捕まえることにした。惨い映像を直視し、誰一人わからない孤独を引き受け、奇異の目で見られ遠ざけられることを覚悟して、高山と石塚に全てを話した。
「私は、真崎課長の親友である、難波孝さんを殺したのが、赤来課長ではないかと疑っています」
震えていた伊吹。
「正気か」
高山の容赦ない糾弾にひるまなかった、予想していたことだから。
「信じられんな。とんでもないことを話しているという自覚はあるか」
きっと仕事も生活も何もかも失うことさえ飲み込んで。
京介が逃げきれないから。
京介が拒めないから。
ただ、京介を、守るために。
「…っ」
視界が潤んだ。
「愛…されてる…なあ……」
いつの間にか俯いていた。垂れ落ちた髪の毛を強く掴む。
「…僕……こんなに……」
伊吹さんに、愛されてた。
きっと今も伊吹は闘っている、一人で歩くしかない未来を片手に、京介のことを想いながら。
『…もちろんよ、京ちゃん』
携帯の向こうで恵子が含み笑いをする。
『ひょっとすると……大輔よりも、ね』
くすくすと優越感に満ちた笑い声を響かせる。
『京ちゃんのことを一番わかっているのは、私よ』
目を上げた。伝い落ちた涙を擦り取る。
誰が、誰を、わかっているって?
誰と京介を天秤にかけてるって?
目を閉じる。
伊吹は京介の中に割れたガラスがあると言った。砕けて刺々しい、近づくだけで人を傷つけてしまうようなものが。けれど伊吹は京介の中に踏み込んで、たぶん自分も傷つきながら、それ以外の『綺麗なもの』をいっぱい見つけてくれた。
抜き放て、ガラスを磨いて剣として。
自分を守るためじゃない、闘う伊吹の唯一無二の盾となるために。
やり方は十分知っているはずだ、幾度も身体で覚えさせられたはずだ。
携帯を持ち替えた。右手を開ける。
「…恵子さん?」
微笑んだ。
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