『闇を闇から』

segakiyui

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第5章

3.爪と牙(4)

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「ああ、来たのか、社長から聞いている……どうした?」
 明るい日差しが当たる穏やかな気配のマンションで、扉を開いて京介を迎えた高山は訝しむように眉を寄せた。
「いいことがあったのか、上機嫌だな」
 そんな満面の笑顔で来られる内容じゃないはずだが。
 不愉快そうに続けながら、京介の側に立つ伊吹を見やり、
「お前はどうしたんだ、体調が悪いのか」
「いえ…大丈夫です」
「すみません、僕がちょっと無理を……った!」
 がつっと妙な音が響いた足元を見下ろし、高山は小さく溜息をついた。
「まあ、いずれ結婚するんだな? 次期社長を引き継げるならどういう関係でも構わん」
 入れ、と促されて頷き、さすがにいたた、と蹴られた脛を摩って見せると、伊吹が冷たい目で見て来た。
「自業自得です」
「伊吹さんだって応じてくれたのに」
「帰りますよ?」
「中身のない鎧なんて怖いでしょ、はい」
「何ですか、この手は」
「いや歩くのしんどいなら抱っこして入ろうかなと」
「…課長?」
「あーはいはい、お仕事モードね、了解」
 へらへら笑いながら先に立って靴を脱ぐと、背後から続いた伊吹がパンプスを脱ぎながら小さく息を詰めるのを感じた。ちらりと見遣ると、顔を顰めて腰を押さえている。
 だから部屋で眠ってていいよって言ったのに。
 歯止めが効かなくなったからと言って、好き放題に貪るつもりはなかった。けれどふと、今日高山に会うと知ったら、絶対伊吹は同行を望むと気が付いた。
 もう十分に不愉快で辛いものを見て来ている。警察でサークルに誘い出された女の子達が襲われる映像を見たと聞いて鳥肌が立った。京介が見ていても苦しいだろう、どうやらその中には、孝が殺されたホテルもあったらしいから。
 沈めてしまおう。
 一度抱いている。夜中の二度目。京介の欲望はずっと堪えて来ているから、我慢しなくていいなら大喜びだ。伊吹が切ない声を上げて崩れても、すぐに次に取り掛かった。
『だめ……もう…』
 掠れた声で遮られて止まる男なんていない。
『京介…』
 朦朧とした顔で呼ばれれば攻めるしかない。
 それでも傷つけないように、優しく優しく繰り返し、駆け上がるしかない場所へ何度も追い込んでは手を緩め、呼吸を乱してしがみつくだけになってからようやく最後まで貫いて飛ばせた。
 朝もすぐに起きられないほどくたくただったのに。
『嫌です、京介』
 断固として首を振った。
『私も行きます』
 嫌なものを見るかもしれないよ。
『私は「見る」ために京介の側に居るんです』
 きっぱりとした口調は、出がけに浴びたシャワーに助けられてのことだったけれど。
「…いいか、今は僕が居る」
 たとえどんなものを見ても、今は二人で居ることができる。
 すぐに、その踏み込みは、まだ覚悟が足りなかったと知らされる。
「茶菓子は切らしている、すまんな」
「あ、すみません」
「ありがとうございます」
 手ずから緑茶を淹れてくれた高山が、数枚の報告書のようなものを手に話し出した。
「赤来は、旧姓羽折と言う。市内の高校を出て、大学の経済学部に進学。その後、両親が離婚し、母方の姓、赤来を名乗ることになった。幼い頃はいろいろあったらしくてな、妹が一人居たが、事故死している」
「事故死ですか」
「まあ一応、な」
「一応?」
「当時は騒がれたらしいぞ。赤来が二階から突き落としたとか言われて、かなり家が荒れたらしい。何でも妹が祖父に溺愛されていて、風鈴を取ろうとした妹の足を支えていた手が滑ったと言う赤来のことばは信じられなかったそうだ。激怒の余り、赤来を殺しかねないような振る舞いをしたらしくて、警察が止めに入っている」
 伊吹は無言で聞いている。
「まあ、その祖父もその後自分のしたことを悔やんだのか行き先を儚んだのか、住み込みの寺男みたいなことを始めてしまって、家を出た。しばらくして胃がんで亡くなっている」
 びく、と伊吹が震えたわけはわかった。あまりにも似た出来事、偶然で済ませるには恐ろしい。
「その寺の名前は」
「大恩仁寺」
 なんでも庭に見事な藪椿があるそうだ。
 京介は息を引いた。
「伊吹さん…」
「……同じお寺です、課長」
 声に振り返ると、伊吹は青ざめていた。
「あの人は、赤来課長のおじいさんだったんですね」
「あの人?」
「いえ……先をお願いします」
 京介は不審げな高山を促した。そっと手を伸ばし、テーブルの下で伊吹の手に触れる。ひんやりと冷たく、微かに震えている。
「その頃かどうかはわからないが、コンビニの万引き事件にも関わったことがあるらしい。それで警察はそれとなく赤来を気にしていたらしいな。もっとも、その頃の名前は『羽折』だが」
「…小学生が集団で万引きをした事件ですよね? 似たような事件が繰り返し起こった」
「あ、ああそうだ。なんだ、伊吹、お前、こういうことに詳しいのか?」
「私も巻き込まれたことがあります……たぶん、赤来課長と一緒に」
「そう、か…」
 妙な因縁だな。
 高山が眉を寄せたまま沈黙した。その先を話すかどうか悩むように淹れた茶を含み、ちらりと京介を見る。
「はい、続けてください」
 小さく溜め息をつく、話さずに済めば良かったとでも言うように。だが、高山もそれなりに気持ちを決めていたのだろう、滑らかに話し出した。
「赤城が居た大学では事件が一つあった。何かのサークルで、女子生徒を勧誘してホテルに連れ込み暴行すると言ったやつだ。最近になって、そのサークルに社協の真崎大輔が居たことがわかったが、同じサークルに赤来も居たらしい。もっとも赤来は幽霊部員でほとんど活動に参加して居なかったらしいから、事件とは関わりがなかったかもしれんな。サークルでの事件は主犯格が一人挙げられそうになったが、結局不起訴になっている」
 ただ、そのサークル自体はなくなっていなかった。
「お前も知っているだろうが、緑川課長がそのサークルを通じて買春をしていた」
「はい」
「……確認しておくが、社長から、私が知っている緑川の事件に関することと、赤来に関する情報を、全てお前に話すようにと指示されている。それは、伊吹が居る前で、ということでいいんだな?」
「もちろんです」
 京介は高山を見据えた。
「伊吹さんは僕のかけがえない人であるだけではなくて、今のお話にある以上に赤来課長と関わりがあります」
「それは、お前の親友が殺された事件に赤来と緑川が関わっていると言う上で、だな?」
「伊吹さんは…」
「…私は」
 伊吹が口を開いた。小さく震えながら続ける。
「私は、真崎課長の親友である、難波孝さんを殺したのが、赤来課長ではないかと疑っています」
「…」
 さすがに高山が一瞬口を噤む。やがて吐き捨てるように、
「正気か」
「お尋ねします」
 京介は睨み合う二人の間に割って入った。体の中の鋭いものが抜き放たれていくのを感じる。伊吹が『見ている』ことに体を張って殉じるだけでは不十分だ。その真実への道を切り開いてこその剣だろう。一瞬小さく体が震えた。
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