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第5章
3.爪と牙(1)
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戻された指輪は奇跡のようだった。
「伊吹さん?」
「あ、はい」
マンションの鍵を開けながら、真崎が振り向く。
「どうしたの、怖くなった?」
「あ、いえ」
指輪を見ていた美並に気づいたのだろう、真崎が目を細めて笑う。
「今更逃げたくなっても無理だよ、もう離してあげないから」
「…違います」
体を捻った真崎を見上げる。
眼鏡に前髪がかかっている。端正で華やかな容姿は男女ともに惹きつける。思考は鋭く、対応は穏やかで容赦なく、微笑で人を切り裂く男。
イブキの死体が放置されていた扉の前、自分の能力を試されて、一人で闘い続けて生きて行くしかないと決めていた時間が、幻のように重なってくる。
あの瞬間の、何がここへ繋がっていたのだろう。
美並の過去の、どの行いが目の前の人を呼び戻してくれたのだろう。
「…嬉しくて」
ことばが零れた。今まで口にしたことがない、震えるような喜びとともに。
「京介と居られるのが…嬉しくて」
「え…」
薄赤くなった真崎が顔を背けて呟く。
「反則だよ、それ」
伸ばした手が美並の指を絡めて引き寄せ、扉の中へ導いてくれる。その指にも指輪が嵌っている。
「今夜一緒に居るんだよ?」
僕にどこまでの克己心を期待してるの。
「無理だからね」
ぼそぼそ声が唸るように続ける。
「準備してるんだから。美並が欲しいって言ったんでしょ」
背けた頬も耳も紅に染まっている。
部屋に入って暖房を付け、ごくごく当たり前のように二人でキッチンに立って、コーヒーを淹れミルクを泡立て、カップに入れて居間に戻った。
ソファに並んで座り、『村野』では話し切れなかったことを、少しずつ吐き出した。
時々真崎が美並を見下ろす。視線を感じて見上げると、微笑んでちゅ、とキスをしてくれる。髪に、こめかみに、耳に、頬に、そして唇に。
ここに居るからね。
優しく確認を繰り返すように。
僕が側に居るからね。
その度ごとに、一瞬目を閉じて、キスを味わい、美並は小さく吐息する。
驚いていた。
真崎が元子に、大輔とのことをどの程度まで話したのか不明だけれど、この落ち着きぶりはただ事ではない。
同時に見せられた全方位に向けられた刃の姿を思い出した。自分を晒し誘われて襲いかかってくる敵を仕留めるような遣り口は、一体どこで覚えてきたのか。
ひょっとすると、本来の真崎の攻撃スタイルがそう言うものなのかも知れない。
砕かれたガラスが詰め込まれていただけ、触れさえしなければ傷つけられない防衛だけのシステムが、今は一つ一つが明確な意志を持って敵を定め突き刺さろうとしている。
しかもそれは柔らかな仕草と蠱惑的な微笑に包まれ、危険性さえ仄めかさない。
怖い。
けれど、その怖さが、美並には安心を与えてくれる。
「…そうか…」
「ん?」
何度目かのこめかみへのキスをしていた真崎が瞬いて覗き込んできた。薄く染まった目元、蕩けそうな瞳、薄く開いた唇さえ妖しい。
「京介は、私の…」
「僕は、美並の?」
「……アンカー、みたいなものですね」
「アンカー? 錨?」
「基盤。ベース。拠り所」
「……嬉しいな」
唇へのキスを受け止める。
そうだ。
美並の『見える』世界の話は、普通の感覚では途方もない話だろう、檜垣がオカルト巫女と呼んだように。幻を繋ぎ合わせ、無理矢理こじつけたようにしか聞こえないだろう。そのまま信じる人はいないだろう、この先も。
現実の底に潜む張り巡らされた糸は、寸分狂いもなく始点と終点を結んでいる。途中幾つものポイントで方向を変えられるにせよ、同じ種類の出来事は同じ色の糸で繋がっていて、美並はそれを無意識に追いかけている。けれど、それは他の者には見えない、感じられない。
不安定で不透明で『見えない』能力。
けれど、その能力を、真崎は信じてくれた。人の気持ちが『見える』美並の『見えない』能力が、真崎の中で『見える』ものに変わった。
「…美並?」
唇を離して、不満そうに真崎が唇を尖らせる。
「何考えてるの?」
僕以外のことだよね。
「…」
くすりと笑って、真崎を見上げる。
「鋭いですね」
鋭くて、敏感で、そうやって美並の中のものを感じ取って、『見せて』くれる。
「他のことを考えられないぐらいにしてあげようか」
煌めいた瞳に見惚れた。
「京介?」
「何」
「綺麗ですね」
「…」
「あなたが、とても、綺麗で」
手を伸ばして相手の顔を包む。
「こんな綺麗なものを、私が蹂躙していいのか、心配だったんですが」
「っ」
不敵に上げていた唇が緩み、意味を察した真崎が見る見る赤くなっていく。
「大丈夫ですね? 京介は全て受け入れてくれますね?」
「…うん…」
ごくりと動いた喉仏、既にボタンが外されていたカッターシャツの内側の肌も染まっていく。
「伊吹さん?」
「あ、はい」
マンションの鍵を開けながら、真崎が振り向く。
「どうしたの、怖くなった?」
「あ、いえ」
指輪を見ていた美並に気づいたのだろう、真崎が目を細めて笑う。
「今更逃げたくなっても無理だよ、もう離してあげないから」
「…違います」
体を捻った真崎を見上げる。
眼鏡に前髪がかかっている。端正で華やかな容姿は男女ともに惹きつける。思考は鋭く、対応は穏やかで容赦なく、微笑で人を切り裂く男。
イブキの死体が放置されていた扉の前、自分の能力を試されて、一人で闘い続けて生きて行くしかないと決めていた時間が、幻のように重なってくる。
あの瞬間の、何がここへ繋がっていたのだろう。
美並の過去の、どの行いが目の前の人を呼び戻してくれたのだろう。
「…嬉しくて」
ことばが零れた。今まで口にしたことがない、震えるような喜びとともに。
「京介と居られるのが…嬉しくて」
「え…」
薄赤くなった真崎が顔を背けて呟く。
「反則だよ、それ」
伸ばした手が美並の指を絡めて引き寄せ、扉の中へ導いてくれる。その指にも指輪が嵌っている。
「今夜一緒に居るんだよ?」
僕にどこまでの克己心を期待してるの。
「無理だからね」
ぼそぼそ声が唸るように続ける。
「準備してるんだから。美並が欲しいって言ったんでしょ」
背けた頬も耳も紅に染まっている。
部屋に入って暖房を付け、ごくごく当たり前のように二人でキッチンに立って、コーヒーを淹れミルクを泡立て、カップに入れて居間に戻った。
ソファに並んで座り、『村野』では話し切れなかったことを、少しずつ吐き出した。
時々真崎が美並を見下ろす。視線を感じて見上げると、微笑んでちゅ、とキスをしてくれる。髪に、こめかみに、耳に、頬に、そして唇に。
ここに居るからね。
優しく確認を繰り返すように。
僕が側に居るからね。
その度ごとに、一瞬目を閉じて、キスを味わい、美並は小さく吐息する。
驚いていた。
真崎が元子に、大輔とのことをどの程度まで話したのか不明だけれど、この落ち着きぶりはただ事ではない。
同時に見せられた全方位に向けられた刃の姿を思い出した。自分を晒し誘われて襲いかかってくる敵を仕留めるような遣り口は、一体どこで覚えてきたのか。
ひょっとすると、本来の真崎の攻撃スタイルがそう言うものなのかも知れない。
砕かれたガラスが詰め込まれていただけ、触れさえしなければ傷つけられない防衛だけのシステムが、今は一つ一つが明確な意志を持って敵を定め突き刺さろうとしている。
しかもそれは柔らかな仕草と蠱惑的な微笑に包まれ、危険性さえ仄めかさない。
怖い。
けれど、その怖さが、美並には安心を与えてくれる。
「…そうか…」
「ん?」
何度目かのこめかみへのキスをしていた真崎が瞬いて覗き込んできた。薄く染まった目元、蕩けそうな瞳、薄く開いた唇さえ妖しい。
「京介は、私の…」
「僕は、美並の?」
「……アンカー、みたいなものですね」
「アンカー? 錨?」
「基盤。ベース。拠り所」
「……嬉しいな」
唇へのキスを受け止める。
そうだ。
美並の『見える』世界の話は、普通の感覚では途方もない話だろう、檜垣がオカルト巫女と呼んだように。幻を繋ぎ合わせ、無理矢理こじつけたようにしか聞こえないだろう。そのまま信じる人はいないだろう、この先も。
現実の底に潜む張り巡らされた糸は、寸分狂いもなく始点と終点を結んでいる。途中幾つものポイントで方向を変えられるにせよ、同じ種類の出来事は同じ色の糸で繋がっていて、美並はそれを無意識に追いかけている。けれど、それは他の者には見えない、感じられない。
不安定で不透明で『見えない』能力。
けれど、その能力を、真崎は信じてくれた。人の気持ちが『見える』美並の『見えない』能力が、真崎の中で『見える』ものに変わった。
「…美並?」
唇を離して、不満そうに真崎が唇を尖らせる。
「何考えてるの?」
僕以外のことだよね。
「…」
くすりと笑って、真崎を見上げる。
「鋭いですね」
鋭くて、敏感で、そうやって美並の中のものを感じ取って、『見せて』くれる。
「他のことを考えられないぐらいにしてあげようか」
煌めいた瞳に見惚れた。
「京介?」
「何」
「綺麗ですね」
「…」
「あなたが、とても、綺麗で」
手を伸ばして相手の顔を包む。
「こんな綺麗なものを、私が蹂躙していいのか、心配だったんですが」
「っ」
不敵に上げていた唇が緩み、意味を察した真崎が見る見る赤くなっていく。
「大丈夫ですね? 京介は全て受け入れてくれますね?」
「…うん…」
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