『闇を闇から』

segakiyui

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第5章

2.ダブル・ベリー・バスター(1)

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『今日、京介の家ではなくて「村野」で会えませんか」
 ホール・チェックが終わって急ぎ足に会社に戻っていく間に、伊吹からメールが入ったのを京介はじっと眺めた。
 予想はしていた。
 もし、今考えていることが真実で、伊吹がそれに関わっているならば、きっとそう来るだろうと思っていた。
『構わないよ。7時でいい?』
 電車に乗り込みながらメールを打つ。
 打ちながら考え込む。
 できればもう少し時間が欲しい。伊吹が出して来るだろう提案に対応するには、調べなくてはならないものがあるし、高山や元子の協力も仰ぎたい。だが、その為には、京介自身もかなりの火の粉を浴びる羽目になる。どの動きを取っても数時間では足りない。
『もし良ければ、8時じゃだめ? 「村野」に予約を入れておきたいし』
『奇遇ですね』
 すぐに返答は返ってきた。
『私ももう少し時間が欲しかったので』
 その時間を彼女はどう過ごすつもりなんだろう。
 胸が痛んで苦しい。
 きっと覚悟を決めてくる、何もかも切り捨てて飛び込むつもりで。
 胸元の肌の上、シャツの下で二つの指輪を通した鎖が揺れる。
「甘いよ、伊吹さん」
 囁いて、流れる景色を見ながら指先でそっと押さえた。
 肌身離さず着けているのに、なおもひんやりと冷たさを宿す金属の輪。
「僕が君を放っておくと思ってるの」
『赤来課長。経理課でしたよね?』
 携帯の向こうから響いた声が頭の中で鳴り続ける。
 経理課の赤来豊。緑川の買春事件で人事異動が為されて、京介は流通管理課の課長となり、赤来が経理課長に昇進した。これと言って問題を起こしたことがなく、緑川の後釜には無難で最適だとされていた。
 彼の出身大学はどこだっただろう。経済学部だとは聞いてはいたが、もし大輔と同じ大学で、志賀が誤解するほど『じゃれあう』知り合いだったのなら、京介のことも、京介と大輔の関係も知っていた可能性がある。
 けれど、赤来はそんなことを露ほども匂わせなかったし、社運をかけた『ニット・キャンパス』に大輔が絡んでいることに対して便宜を図るでもなかった。まるっきりの他人の話として振る舞っていた、そこには『隠そうとしていた』意思が明確に見える。
 ひょっとして、赤来は『孝』のことも知っていただろうか。そしてまた、『孝』の妹である牟田相子のことも、単に同じ社内の女子社員と言うだけでなくもっと近しく。
 牟田相子も赤来のことは気に入っていた。時々、京介を焦らすように、赤来の噂話を持ち出していた。京介を魅きつけるための方便だと思っていたが、本当はもっと深く、赤来と繋がっていた可能性はあるか。
「……」
 背中が寒くてぞくぞくする。何かとんでもないものが見えて来てはいないか。それも、思っても見なかった視界の端に。
 赤来の女性からの人気は、京介には及ばないにせよ、富崎と二分する。大抵は赤来に好意的だ。
 けれど、違う視点から見ているものも居る。
『私はあの人は苦手です』
 石塚は言い切っていた。
『課長よりも苦手ですね』
 それってどう言う基準なの、とおどけて聞けば、
『…よくない感じがします』
 どこか高山に似た視線で見返された。
 経理の阿倍野は好意的だ。
 だが、阿倍野は緑川とも関係があったと相子が漏らしたことがあった。事件発覚の少し前だ。それから目立った噂は立たなかったから、長くは続かなかったのだろう。それとなく関係がなくなっていったのは、緑川が買春行為にのめり込んだせいなのか、それとも別の人間との関係が始まりつつあったからか。
 買春事件は緑川が辞職し、買春組織に捜査の手が伸び、けれど結局は追い切れずに人々の記憶から薄れ、過去の中に消えていったはずだった。桜木通販は満身創痍ながら、何とか会社を建て直し、重苦しい過去と無縁な組織となったはずだった。
 けれど本当はそうではなくて、事件は全く終わっていなかったのではないか。
「…狸だな」
 元子はきっといろいろ知っていて京介に伏せている。不愉快なのは、伊吹はそれを聞かされている可能性があると言うことだ。
 伊吹は孝を殺した犯人を捕まえられるかも知れないと言った。無論確証あってのことだろう。犯人を既に知っているか、或いは間近に捉えつつあるか。
 人の気持ちを『見る』ことができる伊吹が、全く彼女に関係なさそうな薬物がらみの殺人事件の犯人に迫れるのはなぜか。
「すぐ近くに居るんだ…『見える』ほど近くに、犯人が……この桜木通販の中に」
 それは大輔と知り合いで、京介のことも知っていたらしい赤来が、なぜそれらのカードを有利に使うこともなく、一切誰にも見せてこなかったのかの理由ではないか。
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