『闇を闇から』

segakiyui

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第4章

9.五人と六人(4)

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「み、なみ…」
 伊吹が怒っているのは確かで、それは京介が恵子を家に上げたからだ。けれど、それだけではなくて、伊吹は京介にも怒っている、それもかなり深いレベルで。
「……マフラーと同じでしょ?」
「……マフラー…?」
 でもあの時は買わせてくれた、京介に新しいのをねだってくれた。
 確かにそう考えれば,今回のこれはそっくりな出来事だ。
 ならばなぜ、今度は京介にシャツとジーパンを買わせてくれないのだろう。
「美並、僕」
 よく、わからない。
「じゃあそういうことで」
「え!」
 部屋に戻ってそのまま入ってくれるのかと思えば、玄関に置いてあった鞄を手にして出て行こうとする伊吹にうろたえる。
「なんで? 今夜は泊まってくれるって」
「恵子さんの手前、とりあえずそう言っただけです」
「は?」
「……玄関に見覚えのあるパンプスがありましたから」
「………彼女が居るって……気づいてたの…?」
 じゃああそこでのやりとりは全部はったりとお芝居?
「気づいてましたよ?」
 気づかないはずがないでしょう。
「けれど、彼女の存在を京介はどう思ってるのか、知りたかったんです」
「どうって…」
「婚約者が居るのに他の女性を夜中に家に入れて、ついでにシャツを脱ぎかける相手が、その女性をどう思っているか、知りたいのは当然でしょう?」
 目を細めて伊吹ははっきり付け加えた。
「京介は誰のものですか?」
「、それはもちろん美並の」
「私の?」
「うん、美並のもの」
 応じたとたんにじんわりと温かな痺れが手足の先に広がって、自分がどれほど美並に抱かれたいのか自覚する。
「僕は、美並のものだよ」
 内側も、外側も,心の底まで。
「違います」
「……え?」
 思いもかけぬ一言に茫然とした。
「美並……?」
「京介は、私のものじゃありません」
「っ、違っ」
 今のことのせいだろうか。
 体を温めてくれようとした感覚が一気に冷えてぞっとした。
「美並っ、今のは………っ」
 ふいと伊吹が指を伸ばして体に触れ、息を呑む。
「み…」
 シャツの上からなぞられているのに、それだけで確実に熱を拾う。まだ部屋に入っていない、マンションの廊下で、誰が来るかわからない、なのに伊吹の指先から流れ込むものに自分の体が揺らぎながら応じようとする。
「京介?」
「……は…い…」
 吐息まじりに応えると、指が止まってじっと伊吹が京介を見上げてくる。
「ここで、抱かれたいの?」
「っ」
 体が震えて喉が鳴った。
「誰が来るかわからないんですよ?」
「……そう…だね」
「京介はそれでもここで抱かれたい?」
「……み…なみが…」
 望むなら。
 そう続けようとした答えを先に聴き取ったように、伊吹がゆっくりと首を振った。
「嫌です」
「え…?」
「私は京介を抱きたくありません」
「……え?」
 京介を抱きたくない。
「美並…?」
 不安が広がる。
「僕…」
「ということで」
 あっさり話を切り上げて、伊吹は携帯を取り出した。
「タクシーを捕まえて帰りますね」
 恵子さんと同じように。
「恵子…??」
 伊吹のことばの意味がよくわからない。
「どうして、美並が恵子さんと同じなの?」
「………」
 ぴたりと伊吹が動きを止めた。
 そのままじっと京介を見上げてくる瞳が、得体の知れない揺らぎに満ちているのに思わず誘い込まれる。瞳の中央、虹彩の暗闇が底知れない深さで京介の意識を吸い取っていくようで、体の力が奪われる。へたりと崩れて抵抗できなくなる感覚、視線が外せなくてくらくらする。
「私も」
 ゆっくり伊吹が瞬いて、ようやく息をつけた。
「ふ…」
 耳を侵す、密やかではっきりした睦言。
「私も、京介を、抱きに来たから」
「う…ん」
 そっと笑い返す。
 そのことばを知っていた気がした。
 自分が望まれると知っていた、と。
 目を細めて満足に唇を綻ばせた瞬間。
「だから抱きません」
「……は?」
 そっけなく言い放たれて世界の音が消える、伊吹のことば以外。
「もう一度聞きます」
 京介は誰のものですか?
「その答えが見つかるまで」
 ここへは泊まりに来ません。
「み…」
「おやすみなさい」
 くるりと背中を向けて容赦なく去っていく伊吹に、京介はただただぼんやりとした。
 
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