『闇を闇から』

segakiyui

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第4章

8.ワイヤード(5)

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 『村野』での食事を済ませて、送ろうというハルを断って、美並は一人部屋に帰った。
「ふう」
 バスン、と両手を広げて仰向きにベッドに倒れ込む。
 頭の中で交錯する二つの声。
『それでは人は守れないよ、美並』
 なら、どうすればいい?
『……今夜僕のところへ来ない?』
 行きたい。恋しい。不安を京介で埋めたい。
 けれど、それが別の形での「支配」でしかないなら。
「どう、したら、いい?」
 目を閉じて、別れ際のハルに再び問う。
『わからない』
 ハルは透明な眼差しで美並を見返し、次の一瞬、微かに顔を歪めた。
『居ないのに、手一杯』
 黒い瞳に揺れて吹き出しそうになった激情。それを見逃すほど美並も鈍感ではない。
 誰よりも好きな相手が居て、その相手以外の人間の気持ちを無下にしてしまう傲慢。
 ハルは眉をひそめて、そっとポケットに手を突っ込み、何かを指先で引き出した。
 美並にくれたのと同じようなタイルがもう一枚。
 なに、と尋ねると、小さく吐息をついて首を振り、苦い笑いを浮かべながら再びそれをポケットに戻した。
『違う形』
 話し出したのは『ニット・キャンパス』で行われるオープン・イベントの形が少し変わるということ。
 渡されたチラシをバッグから引っ張り出して広げてみる。
 始めは準備したタイルにその場で色を塗ってもらって、即興でハルが一枚の絵に仕上げていくという趣向だったのだが、それでは保存が困難になるということで、二つの方法が取られることになった。
 一つはスペインのタイルアートをヒントとして、3週間ほど前に市役所のカルチャーセンターに参加料を払って、クエルダセカタイルという、一定の柄をレリーフとして成型してあるタイルに色を塗ってもらうもの。ここで着色されたタイルは焼かれて当日持ち込まれる。美並にくれたのも、そのタイプだという。
 もう一つは10色程度の小さな色タイルを準備し、当日参加料を払って好きな色と数を買い求めてもらう。
 その二つのタイルがハルの素材として提供されるわけで、当日好きな色を塗って即興で一つの絵を作り上げるというダイナミックさがかなり欠けるとハルは不満だったらしい。
 集めた色をどう組めばどうなるか、事前に見てしまえば予想がつく。そんなのはつまらない、と。
『でも、変わる』
 美並と話していて、人は変わるのだと気づいた。他者だけではなく、自分もまた。
 集まったタイルを何度も何度も組み合わせていって、一番美しいと思った組み合わせでも、当日集まったタイルや、自分の感覚で変わってくるものがあるかもしれない。
 その変化もまた、面白いかもしれない。
『時間が見える』
 自分と人々の中に積み重なる時間が、一つの形として。
『面白い』
 ちらりと笑ってみせた横顔ははっとするほど大人びていた。
「……クエルダセカ、タイル」
 チラシにはカルチャーセンター講習内容とイベントへの参加案内、今回使われるスペインタイルの説明が載せられていた。京介にも同じものが源内から渡されるはずだと言う。
 イスラム文化と一緒に持ち込まれたタイルアートは発展して変化し、今やバレンシア地方やアンダルシア地方で有名らしい。元は甘い茶色の、押し型によって模様が成型された素焼きタイルだ。油とマンガンの混合物で縁取りをした図形の中に釉薬を流し込む。縁取りで囲まれた空間に様々な色が配置され、ものによっては一枚のタイルが多くのタイルを組み合わせたように見える。
 美並に渡されたタイルには薄く幾何学模様が刻印されている。だがそれを区切る線はなく、全体にかけられた釉薬が一面に覆っており、刻印された図柄に載った薬の多少で濃淡が変わり、淡く模様が浮かび上がっているように見える。
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