『闇を闇から』

segakiyui

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第4章

8.ワイヤード(3)

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「ただいま戻りました」
「おかえりなさい」
 京介が開発管理課に戻ると、待ちかねていたように石塚が席を立った。
 伊吹はもう席にいない。時間は7時を回っている。
 今頃は。
 そう考えかけて首を振った。
「残業みっちりつけていいですよね」
「いいよ、遅くまでごくろうさまでした」
「おつかれさまです」
 一瞬何か言いたげだった石塚はくるりと温かそうなマフラーを巻いて素早く部屋を出て行く。京介の笑顔にぐったりしたものを読み取ったあたり、伊達や酔狂で長く勤めているのではないというところか。
 だが、石塚は戸口でひょいと振り返った。
「ああ、お電話がありました」
「僕に?」
 ひょっとして伊吹さんかな、と思った期待はあっさり裏切られる。
「戻られたらご連絡下さいとのことなので、メモを置いてあります」
「わかった、確認します」
「失礼します」
 ちらりと鋭い眼になった石塚に訝しく思いながら、メモの相手の名前を見て凍りつく。
『真崎恵子』
「……凄いな」
 思わず笑ってしまった。
 あの二人に互いを思い合う夫婦の感情などはないのに、こうやって京介を追い詰めてくるポイントというのは、いつも的確に連携プレイで外さない。
「実はかなり似合いなんじゃないの」
 くつくつ嗤いながら、コーヒーサーバーに残っていたコーヒーをカップに溜めた。とろりとした黒色が白いカップを満たしていくのをぼんやりと眺める。
 今頃どうしてるのかな。
 映画館の名前は聞いたけれど、何を見るかは聞いていない。
 時計を振り仰ぎ、まだ見ている最中だよね、と一人ごちる。
「電話もできないんだ?」
 渡来は伊吹と一緒に並んで座って映画を見て、この場面はああだとかあそこはどうとか小さく囁きあったりして、きっと後で夕食を一緒にして、そこでまた映画のこととかいろんなことを話して。
「……僕、まだ伊吹さんと映画行ってない…」
 『ニット・キャンパス』で忙しくて時間が取れなかった。
 それでも今日一緒に映画を見るなら、確かに渡来にしてみれば初デートかもしれないけれど、京介にしても伊吹と初映画なわけで、何も渡来だけの記念日じゃない。
 そうどこかで思っていたけれど。
「………にが…」
 気づかぬうちに一杯にしていたカップを取り上げ、啜って顔をしかめた。胃のあたりがちくりと痛んだ気もする。
 飲みつつ、ゆっくり窓に向かって外を眺めた。
 どうせなら、もうしばらくここに居て、渡来と伊吹が一緒に出歩いていないような時間になってから会社を出たほうがいいかも知れない。昼間の大輔とのやりとりや、会議はいいとしても、その後に執拗に小桜にお茶に誘われたことにもかなり疲れている。今へたに二人が親しいところを見てしまうと、歯止めが利かなくなるかも知れない。
 渡来に嫌われるのは平気だが、伊吹に疎まれることになるのは絶対嫌だ。
「……どんな映画かなあ…」
 考え始めると気になって、思わずパソコンで検索してしまった。
 その時間にやっているのは、それほど種類が多くない。平日の夜のラインナップのせいか、恋愛ものと社会ものがメインだ。伊吹が教えてくれた映画館でやっていたのは、一本だけだった。
「『BLUES RAIN』…?」
 ブラックレイン、というのはあったよね。
 あらすじを読んで、京介はゆっくり血の気が引いていくような気がした。
 それは近未来の警察の話だ。主人公はバツイチの女性刑事、組むのは男性形態の護衛ロボットで、二人一組で事件を追っていきながら魅かれあっていくのだが、やがて女性刑事はかつての夫が関わった事件に遭遇する。
「この真犯人…って」
 彼女はその事件で夫を失っており、動揺しながらも事件の真相を突き詰めていく彼女を、護衛ロボットである男性が支えていく。そしてついに彼女は夫を殺した真犯人を見つける。その真犯人は過去の事件でトラウマを抱えていて、なおかつ彼女を愛しており、夫から彼女を奪うために事件を起こしたのだ。
「………僕……?」
 だが実は護衛ロボットそのものに大きな秘密が秘められており、彼女の夫の事件の背後には、その秘密に絡んだ組織が蠢いていた。彼女とロボットは真犯人追求と組織壊滅に向かっていくのだが。
「ハル……くん…」
 あんたじゃだめだ。
 そう渡来の声が響いた気がした。
 トラウマを抱えて、それから回復するために刑事の彼女をひたすら追い詰めていく真犯人は、自分が彼女にとって迷惑な存在であることが受け入れられない。側で彼女を支えるロボットに嫉妬し、怒りをぶつけ、それによってより彼女に拒まれていくのだが、そのことも理解できない。
 ロボットであるはずの男性が、自分の在り方に悩み、彼女の傷みを思いやることで次第に人間に見えてくる一方で、他人の気持ちを考えることなく、自分の意志と思考と感情しか頭にない真犯人が、まるで何かでプログラムされたロボットのように見える皮肉。
「……」
 ゆら、と自分の視線が泳いで、側にあったメモの名前が視界に入った。
『真崎恵子』
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