『闇を闇から』

segakiyui

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第4章

3.二人と三人(2)

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「はい?」
 姫野は訝しそうに振り返り、美並を見つめ、有沢を見上げた。
「有沢さん…」
「はい」
「私、ほっといたしました」
「は?」
「こんないい方がいらしたなんて」
「…は?」
「太田さんもきっと草葉の陰で」
「違いますよ!」
 有沢がうろたえたように手を振って遮った。
「この人は、そういう人じゃありません、違います」
 そんな人には、なりません。
 最後に有沢が掠れた声で付け加えたことばに姫野はあらまあ、と伸ばした指で口を押さえた。
「片思いでいらしたの?」
「姫野さん!」
 いいように姫野に翻弄されている有沢に、背後に居た男性が舌打ちをして側をすり抜けていく。
「後は頼みますよ、有沢、警部、補」
 こっちはいろいろと忙しいんだ。
 吐き捨てるような苦々しさを咎めもしないで、有沢は静かに美並を振り返る。
「すみません、この人の勘違いで不愉快な思いをさせました」
 それでも美並に視線を合わせようとしない有沢に、姫野は気遣わしげな視線を向けた。その目にも応じない相手に小さく溜め息をつき、美並ににこりと微笑む。
「私、喉が渇きましたわ」
 さっきの方とつまらないお話ばかりして疲れました。
「あなた、私にお茶を頂けません?」
 姫野は慣れた仕草で奥を振り返った。
「ちょうどあちらに自動販売機がありますのよ」
「姫野さん」
「是非」
 不服そうに唸った有沢を制して、美並も微笑み返す。
「ごちそうさせて下さい」
 おいしいのがあるといいですね。
「ええほんとうに。時々お値段にふさわしくないものが紛れ込んでいるでしょう?」
 姫野はじっと美並を見つめ返した。
「まったく始末に困りますわね」
 これは問いかけだ。
 美並は感じ取ったままに、姫野を見返す。
 この女性が何者かは知らないし、有沢や太田とどういう関係があるのかはわからない。
 だが。
「伊吹さん、そんな時間は…」
 ちらりと腕時計に目をやった有沢が眉をしかめる。出て行った仲間が戻ってくれば、美並の存在がどういう意味をもたらすのかを案じている顔、さっきの男性はおそらく同僚の刑事だろうが、その対応を見ていても想像がつく。
 有沢は自分勝手で強引なやり方で仕切ってのしあがってきた。その方法は周囲の反感を買い、おそらくは上にもあまりよく思われていないのだろう。迷宮入りになりそうな事件に暴走させておくのは、余命のこともあるだろうが、万が一ヘマをすればその時点で切り捨てられるという計算があるかもしれない。
 檻の中で哮る猛獣はいつか否応なく黙ることになる。
 それまでの自由。
 その限られた時間で警察の名誉を上げてくれるなら申し分ない捨て駒。
「いいえ、必要なことです」
 美並は姫野に目を据えたまま首を振った。
 有沢には見えていない、この色。
「太田さんを見るのでしょう?」
 そのために私は居るのでしょう?
「しかし」
 それが姫野と茶を飲むのとどういう関係があるんだ?
 納得しきれない顔の有沢が、今美並の視界に見えているものを知れば何と言うだろう。
 まさか、そんなはずはない、ときっと。
「私、紅茶が好きですわ」
 姫野は楽しそうに笑った。
「もちろん、茶葉で淹れた方がよろしいのですけれど、次善の策も時には致し方ありません」
「ミルクティでおいしいのがあります、ここに入ってるといいですね」
「あなたはお利口な方なのね」
 姫野は目を細める。
 その瞳の奥に、太田を知っている顔、表面から想像もできない冷ややかな顔が覗いている。
 しかしそれはいいのだ、まだ。
「……私が支払いますよ」
 諦めた顔で有沢が奥へ促す。
「嬉しいわ、男の方にごちそうして頂くのは何年ぶりかしら」
「……」
 溜め息をつく有沢の背中にいそいそ付き従いながら、姫野が肩越しに見やってくるのに、美並は頷き返した。
 そうだ、姫野が見かけ通りの穏やかな婦人であろうとなかろうと、そんなことはどうでもいい。
 問題は、なぜ姫野の中に居る太田に、この印象が重なっているのか、だ。
 太田は直接それに触れていないはずだ、コンビニ強盗の裏で糸を引いていた人物を捕まえてはいないのだから。
 表立った人間ばかりが捕まって裁かれていて、真の敵には辿り着けなかった。有沢はそう確信していて、太田もまたその有沢を陰から支えていたはず、だからこの印象と関わり合ってはいないはずなのだ。
 そして太田がもしその最後に相手と出会っていたとしても、姫野がそれを知っているはずはない。
 なのになぜ、姫野の中にある太田のイメージに、この色が見えてしまうのだろう。
 姫野が太田がらみで相手と接触を持っているのか、それとも。
 太田が、有沢の知らないところで、その相手と接触していたか。
 鮮やかな、痛みさえもたらすような、赤。
「おいしいものを教えて頂けると嬉しいのですど」
 姫野がそっと笑った。
「ラベルばかり立派なものが多すぎますわ、昨今は」
「……そうですね」
 応じながら美並も笑み返す。
 『赤』
 それは、かつてコンビニで『飯島』の中に見た、『羽鳥』の名前に重なる色だった。
 
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