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20.『記憶』(2)
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「ふ…」
あの時の自分はさぞかし情けない顔をしていただろうな、とカークは目を開いた。
いずれ組織に呑み込まれていくにせよ、ブルームとオウライカと、その二人が居るならば、いつか自分の思う通りの采配もふるえるようになるだろう、そんな甘い期待を当然のように胸に抱いていた優しい日々はもう帰ってこない。
「……ん…」
指先が蝶から滑って乳首に触れる。ずくりとした疼きがあっという間に下半身に伝わって、嬲られ続けられたまま達することができなかったものが苛立つように勃ち上がってきた。
「私には………もう……あなたを望む資格がない……」
低く呟いて指を絡める。
身体のことだけではなく、オウライカを決定的に死地に追いやったのが、他ならぬ自分の決断だと知った時、カークは一つを除いて全てを諦めた。
『塔京』を掌握し、レグルとシュガット、マジェス、なろうことならハイトも支配下に置き、オウライカの肩にこれ以上の重荷を載せないようにすること。それさえ叶えば、この身体が食い尽くされようと後悔なぞしない。冷徹無比な支配者となって、立ち塞がる者を全て屠り、遮る者を全て蹴散らす、オウライカがいつかこの京に返り咲いて君臨するためならば。
それはどこか、カークの父がハイトの支配下に身を沈めたことと似ているだろうか、そう閃いた意識をことさら切り捨てる。
父は父だ。父はその見返りにハイトから絶対の信頼と安寧を受け取ったが、カークにはオウライカの側に立つ権利さえない、ましてやいつか向けられた笑顔一つも受け取ることなく消えていく、それはもう覚悟の上で。
「っん……っ」
それでも切なくて、零れかけた涙を流すまいと目をきつく閉じ、無理にでも強く追い上げ扱き上げていく。
側に居たかった。側に居て欲しかった。
それでももう、この世では永遠に手に入らない。
なら、来世なら。
この命が終わってからなら、カークもオウライカの元へ戻れるだろうか。
縋るように思いついて、『斎京』由来の蝶をこっそり胸に刻んだ。
「くっ…」
快感に駆け上がろうとするのに、切ない気持ちが強すぎて、どこへも行けない、駆け上がれない。汗に濡れた髪を払って喘ぎながら、今夜も薬で無理矢理眠るしかないかと目を開きかけた瞬間、茹だるような闇の視界にひやりとした視線を感じ取った。
「…?」
見ている。闇の中で、何も言わず、じっと身を潜めて見上げてきている瞳がある。
「だ…れ……」
呼吸を乱して呼び掛けると、その印象は一層鮮やかになった。
そうだ、確かに見ている、見つめられている、カークの姿を、湯舟で一人快楽を追って身悶えている身体を。
「…あ…っ……」
閉じていた目が開けられない。腰がうねるように動き出すのに、指が自分の思うままになってくれなくて、まるで違う誰かの指のように快感のポイントを外され出して首を振る。
「……ぁあ………っ」
脳裏の瞳は黒く濡れているがオウライカではない。オウライカはこれほど冷ややかな視線は寄越さなかった、カークの落ち度を知った時でさえ。どこか突き抜けたような冷静さ、底の感情も思考も読み取れないのに、まるでとても親しい誰かに笑いかけているようにゆっくりと細められていくが、やはりその目は笑っていない。
「…い…や……っ」
誰だ、お前は誰だ、なぜ私はお前を思い出す、なぜお前の目だけを思い出している。過熱していく思考を必死に手繰ろうとするカークの耳に幻の声が聞こえる。
『いいよ、いって』
「…あ……ぁあ……っっ」
今まで上げたことのない柔らかな声が口を突いた。追い詰められるようないつものものではなく、突き落とされるようなものでもなく、絶頂の波に攫われるように達してカークは仰け反り弾ける。
「な……んだ……?」
瞬きして、滲んだ視界の涙を払い、喘ぎながらもう一度目を閉じてみたが、もうその視線は戻ってこない。
「何……だったんだ……?」
自慰のはずなのに、誰かにもう一度抱かれたような感覚でカークは呼吸を整えながら湯舟から立ち上がった。腰が重いのは変わらずだったが、その重さもどちらかというと事後の疲れのようにどこか甘いものになっている。こんな経験は初めてだ。それに。
「あれは……誰だ?」
妄想や空想ではない。脳裏に浮かび上がった視線は確かにカークを見上げている。カークの表面では覚えていないけれど、深層意識の底に仕舞われていた記憶が、何かに刺激されて蘇ったのだ。
視線の持ち主がこの世界のどこかに居る、かもしれない。
「っ」
そう思った瞬間に全身を駆け抜けた波はとてつもなく甘くて、カークは立ち竦んだ。オウライカへの想いとは異なる、けれどはっきりと欲望に繋がっている感覚に戸惑い、うろたえる。
「馬鹿な」
『塔京』のカークがどこの誰に抱かれ慰められ甘えられる、親身になってくれるブルームにさえ心の全てを打ち明けられないのに。
想った矢先、その視線の持ち主に会ってしまえば身も世もなく身体はもちろん一番脆いところまで晒してもいいと激しい気持ちが沸き上がって、そんな自分に怯えた。
急ぎ足に浴室を出ようとして、鏡の中を過った白い身体に気づき、戻ってそっと身を捻る。
両側が内側に立ち上がるようになっている三面鏡の中に、胸の蝶と同じ、普段はうっすらとした紋様が、上がった体温に浮かび上がりカークの背中に躍っている。
「………」
オウライカも構図は違えど同じ紋様を背負っているはずだ。
それは『京』の主である証、力の暴走を食い止めるための贄の徴、万が一のことがあれば、我が身を呈して世を鎮めるという約束を示すもの。
カークがオウライカに知らずに負わせた最大の重荷。
それは、紅蓮の炎を背負う、一匹の龍だった。
あの時の自分はさぞかし情けない顔をしていただろうな、とカークは目を開いた。
いずれ組織に呑み込まれていくにせよ、ブルームとオウライカと、その二人が居るならば、いつか自分の思う通りの采配もふるえるようになるだろう、そんな甘い期待を当然のように胸に抱いていた優しい日々はもう帰ってこない。
「……ん…」
指先が蝶から滑って乳首に触れる。ずくりとした疼きがあっという間に下半身に伝わって、嬲られ続けられたまま達することができなかったものが苛立つように勃ち上がってきた。
「私には………もう……あなたを望む資格がない……」
低く呟いて指を絡める。
身体のことだけではなく、オウライカを決定的に死地に追いやったのが、他ならぬ自分の決断だと知った時、カークは一つを除いて全てを諦めた。
『塔京』を掌握し、レグルとシュガット、マジェス、なろうことならハイトも支配下に置き、オウライカの肩にこれ以上の重荷を載せないようにすること。それさえ叶えば、この身体が食い尽くされようと後悔なぞしない。冷徹無比な支配者となって、立ち塞がる者を全て屠り、遮る者を全て蹴散らす、オウライカがいつかこの京に返り咲いて君臨するためならば。
それはどこか、カークの父がハイトの支配下に身を沈めたことと似ているだろうか、そう閃いた意識をことさら切り捨てる。
父は父だ。父はその見返りにハイトから絶対の信頼と安寧を受け取ったが、カークにはオウライカの側に立つ権利さえない、ましてやいつか向けられた笑顔一つも受け取ることなく消えていく、それはもう覚悟の上で。
「っん……っ」
それでも切なくて、零れかけた涙を流すまいと目をきつく閉じ、無理にでも強く追い上げ扱き上げていく。
側に居たかった。側に居て欲しかった。
それでももう、この世では永遠に手に入らない。
なら、来世なら。
この命が終わってからなら、カークもオウライカの元へ戻れるだろうか。
縋るように思いついて、『斎京』由来の蝶をこっそり胸に刻んだ。
「くっ…」
快感に駆け上がろうとするのに、切ない気持ちが強すぎて、どこへも行けない、駆け上がれない。汗に濡れた髪を払って喘ぎながら、今夜も薬で無理矢理眠るしかないかと目を開きかけた瞬間、茹だるような闇の視界にひやりとした視線を感じ取った。
「…?」
見ている。闇の中で、何も言わず、じっと身を潜めて見上げてきている瞳がある。
「だ…れ……」
呼吸を乱して呼び掛けると、その印象は一層鮮やかになった。
そうだ、確かに見ている、見つめられている、カークの姿を、湯舟で一人快楽を追って身悶えている身体を。
「…あ…っ……」
閉じていた目が開けられない。腰がうねるように動き出すのに、指が自分の思うままになってくれなくて、まるで違う誰かの指のように快感のポイントを外され出して首を振る。
「……ぁあ………っ」
脳裏の瞳は黒く濡れているがオウライカではない。オウライカはこれほど冷ややかな視線は寄越さなかった、カークの落ち度を知った時でさえ。どこか突き抜けたような冷静さ、底の感情も思考も読み取れないのに、まるでとても親しい誰かに笑いかけているようにゆっくりと細められていくが、やはりその目は笑っていない。
「…い…や……っ」
誰だ、お前は誰だ、なぜ私はお前を思い出す、なぜお前の目だけを思い出している。過熱していく思考を必死に手繰ろうとするカークの耳に幻の声が聞こえる。
『いいよ、いって』
「…あ……ぁあ……っっ」
今まで上げたことのない柔らかな声が口を突いた。追い詰められるようないつものものではなく、突き落とされるようなものでもなく、絶頂の波に攫われるように達してカークは仰け反り弾ける。
「な……んだ……?」
瞬きして、滲んだ視界の涙を払い、喘ぎながらもう一度目を閉じてみたが、もうその視線は戻ってこない。
「何……だったんだ……?」
自慰のはずなのに、誰かにもう一度抱かれたような感覚でカークは呼吸を整えながら湯舟から立ち上がった。腰が重いのは変わらずだったが、その重さもどちらかというと事後の疲れのようにどこか甘いものになっている。こんな経験は初めてだ。それに。
「あれは……誰だ?」
妄想や空想ではない。脳裏に浮かび上がった視線は確かにカークを見上げている。カークの表面では覚えていないけれど、深層意識の底に仕舞われていた記憶が、何かに刺激されて蘇ったのだ。
視線の持ち主がこの世界のどこかに居る、かもしれない。
「っ」
そう思った瞬間に全身を駆け抜けた波はとてつもなく甘くて、カークは立ち竦んだ。オウライカへの想いとは異なる、けれどはっきりと欲望に繋がっている感覚に戸惑い、うろたえる。
「馬鹿な」
『塔京』のカークがどこの誰に抱かれ慰められ甘えられる、親身になってくれるブルームにさえ心の全てを打ち明けられないのに。
想った矢先、その視線の持ち主に会ってしまえば身も世もなく身体はもちろん一番脆いところまで晒してもいいと激しい気持ちが沸き上がって、そんな自分に怯えた。
急ぎ足に浴室を出ようとして、鏡の中を過った白い身体に気づき、戻ってそっと身を捻る。
両側が内側に立ち上がるようになっている三面鏡の中に、胸の蝶と同じ、普段はうっすらとした紋様が、上がった体温に浮かび上がりカークの背中に躍っている。
「………」
オウライカも構図は違えど同じ紋様を背負っているはずだ。
それは『京』の主である証、力の暴走を食い止めるための贄の徴、万が一のことがあれば、我が身を呈して世を鎮めるという約束を示すもの。
カークがオウライカに知らずに負わせた最大の重荷。
それは、紅蓮の炎を背負う、一匹の龍だった。
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