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(辛いって)
ウィンナには死ぬほど塩がきいている。お握りを持ってくるとは聞いていたし、だからこその「塩辛いの舐める」発言だったのだが、ここまで塩辛いものがくるとは思わなかった。じっと見ている笙子に慌てて、もう一個ウィンナを摘む。
「たこに切るの、難しいよな」
「それ、ひまわりです」
「…………」
沈黙が漂った。じっとお互いの間につり下げられたウィンナを見つめあう。
「ひまわり、か」
「はい、ひまわりです」
「なるほど」
「はい」
「……くっ」
「ふ、ふっ」
どちらからともなく吹き出して大笑いになった。笑いながら、クリームより甘い卵焼きと、ドレッシングがなじみにくいサラダを口に運ぶ。お握りにはウィンナより塩がきいてて、喉を詰まらせかけた中谷に、笙子が慌てて差し出したカップにはコーヒーが入っていた。
「あ、うめえ」
「そうですか」
「これ、うまい」
「よかった」
笙子はほっとした顔でお握りに齧りついた。
「それ、キィが用意してくれました」
あやうく吹きそうになった中谷にくすくす笑う。
「私、料理へたなんです」
「いや、別に…………笙子……」
慰めかけた中谷はことばを失った。
いつの間にか、お握りを齧る笙子の目にいっぱいの涙が溜まっている。
「もっと、練習、しとけばよかった、です」
まっすぐに前を向いて、お握りを齧りながら、笙子は掠れた声でつぶやいた。
「最初で、最後だから、もっと、おいしいもの、つくれれば、よかった」
「笙子?」
(最初で最後?)
ぎょっとする中谷の前で瞳に溜まった涙を必死に瞬きして逃がしながら、笙子がうなずいた。
「はい、もう、これで最後」
「どうして」
思わず箸を置いた。
「どうしても」
「だから、どうして」
「私、」
笙子はお握りを大きく齧って呑み込んだ。
「私、『ハレルヤ・ボイス』だから」
「!」
ぎゅっと心臓を掴まれた。またもぐもぐとお握りを齧り出す笙子の横顔をじっと見る。染まった目元に堪えそこねた涙が溜まっている。
「ひょっとして」
(さっきのキィとのやりとり)
「聞いてた…?」
「……はい」
誰もいない空間に向けて、にこりと笙子は笑った。目を細めかけて慌てて大きく見開く。こくん、と何かを飲み下すような音をさせて喉を動かし、明るく言った。
「聞こえちゃってました。待ち合わせ、早く来るの、だめですね」
何を言えばいいのかわからなくなって、中谷は黙り込んだ。
「いつも、早く、来てしまって、だめなんですね」
そっと繰り返した笙子のことばが何を意味するのかよくわかる。
あの病院で、ドアの向こうで立ちすくんでいた笙子。
「私、夢、でした」
笙子は小さくつぶやいた。
「好きな人と、ご飯、食べるの」
ちょっと唇を噛んで、
「好きな人の膝枕とか」
瞬きを繰り返す。
「一緒に笑ったり」
首を傾げる。
「無理なことだって、ずっとわかってたけど」
ついに零れた涙を慌てて拭き取る細い指が必死にお握りを口に運ぶ。
「……ちょっとでも、叶ったから、いいです」
「笙子」
「いいお天気でよかったな。歌いたくなっちゃう」
ぱくぱくぱくと残りは一気に食べ切って、笙子は悪戯っぽい目で振り返った。
「大丈夫、歌いませんよ?」
「笙子」
「『エンジェル・ホール』でだけ、歌います。病気の人のために、歌います。大丈夫、もう」
苦しそうに笑った。
「あんなこと、二度としないです、だから」
必死に浮かべる満面の笑み。
「怖がらないで、中谷さん?」
懇願とは裏腹に、瞳の色が、諦めた、と伝えてきた。
ことばは役に立たない。どれだけ望んでも、力は力だ。自分を犯しかねない力を持つ危険な人間を側に置くものはいない。
飛び去った鳥。
傷ついているのを守って支えていとしんで、けれど傷が治ればすぐに飛び立つ。振り返りもしないで、自分の望む場所に飛んでいく。両手を差し伸べても、届かないことはわかっている。
引き止めることはできない。その意味がわかっているから。
けれど、笙子は。
(ずっと、一人)
暗い海の上で、果てしない高みの空で、置き去られたこの地上で。
それを後悔はしないのだろうけど。
握りしめる、からっぽの掌。
ふつっと中谷の気持ちが切れた。立ち上がり、手を伸ばし、ためらう間もなく、笙子を抱き込む。
「違う」
「はい?」
「違う、俺は怖くない」
「あの、でも」
ぼそぼそと頼りない声が胸で零れた。
「きっと、誰だって、わけのわからない力は」
「俺が怖いのは」
そっと笙子の顔を上げさせる。上気して、戸惑って、不安そうに中谷を見上げてくる顔、唇が震えている。
「あんたを失うことだ」
くしゃりと笙子の顔が歪んだ。
「俺に全部くれるって言っただろう? 約束は守るよな?」
「でも」
「零すなよ、俺のもんだ」
「!」
零れ落ちた涙を舐め取り、吸い取った。身を引きかけた笙子が、中谷の拘束に諦めたように力を抜く。
「なあ?」
「はい」
「俺はあんたを『ハレルヤ・ボイス』って呼ばねえだろ?」
「……はい」
「笙子、って呼ぶだろ?」
「………はい」
「あんたはそれにはいって答えるんだろ?」
「……………はい」
「だから、今、俺の腕の中にいるあんたは『ハレルヤ・ボイス』じゃねえよ」
「……っ」
びくりと笙子は大きく体を揺らせた。急いで中谷の胸に顔を伏せる。
「笙子?」
「……」
「笙子」
「……は…い」
小さくしゃくりあげる声が続く。肩が震え、今まで背負い続けてきたのだろう、重いおもしが転がり落ちていくのが見えた。
「中谷さん」
「ん?」
「好きだって言ってもいいですか?」
(おいおい、今さらか?)
あれほど濃厚なキスをしかけてきておいて、それこそ気持ちの内側ではとっくに一線越えてしまっているのも同じなのにな、と中谷は顔を引きつらせた。
どうも笙子とのやりとりは普通進むのとは逆方向のような気がする。傷つけあって、身体を重ねて、それから気持ちを確かめあって。
やっと今始まった、のかもしれないが。
「いいよ、けど」
「はい?」
「中谷さん、じゃなくて、晃、の方がいい」
「え?」
笙子は顔を上げた。泣き濡れた顔があやうい状況を重ねさせて、中谷の身体が微妙にまずい。
「晃、さん?」
吐息で呼ばれてくらくらした。
「笙子」
「はい」
「頼むから」
「はい?」
「少しだけ早く大人になってくれ」
吐息と一緒に強く抱き締めて、ようやく笙子にも中谷の『感触』が伝わったらしい。
「あ、はい」
見る見る赤くなった顔で真剣にうなずいた。
「頑張ります」
(頼むぜ)
その顔で、切ない声で歌われたら。
(違う意味で、俺がコワれる)
中谷はもう一度大きく深い溜息をついた。
おわり
ウィンナには死ぬほど塩がきいている。お握りを持ってくるとは聞いていたし、だからこその「塩辛いの舐める」発言だったのだが、ここまで塩辛いものがくるとは思わなかった。じっと見ている笙子に慌てて、もう一個ウィンナを摘む。
「たこに切るの、難しいよな」
「それ、ひまわりです」
「…………」
沈黙が漂った。じっとお互いの間につり下げられたウィンナを見つめあう。
「ひまわり、か」
「はい、ひまわりです」
「なるほど」
「はい」
「……くっ」
「ふ、ふっ」
どちらからともなく吹き出して大笑いになった。笑いながら、クリームより甘い卵焼きと、ドレッシングがなじみにくいサラダを口に運ぶ。お握りにはウィンナより塩がきいてて、喉を詰まらせかけた中谷に、笙子が慌てて差し出したカップにはコーヒーが入っていた。
「あ、うめえ」
「そうですか」
「これ、うまい」
「よかった」
笙子はほっとした顔でお握りに齧りついた。
「それ、キィが用意してくれました」
あやうく吹きそうになった中谷にくすくす笑う。
「私、料理へたなんです」
「いや、別に…………笙子……」
慰めかけた中谷はことばを失った。
いつの間にか、お握りを齧る笙子の目にいっぱいの涙が溜まっている。
「もっと、練習、しとけばよかった、です」
まっすぐに前を向いて、お握りを齧りながら、笙子は掠れた声でつぶやいた。
「最初で、最後だから、もっと、おいしいもの、つくれれば、よかった」
「笙子?」
(最初で最後?)
ぎょっとする中谷の前で瞳に溜まった涙を必死に瞬きして逃がしながら、笙子がうなずいた。
「はい、もう、これで最後」
「どうして」
思わず箸を置いた。
「どうしても」
「だから、どうして」
「私、」
笙子はお握りを大きく齧って呑み込んだ。
「私、『ハレルヤ・ボイス』だから」
「!」
ぎゅっと心臓を掴まれた。またもぐもぐとお握りを齧り出す笙子の横顔をじっと見る。染まった目元に堪えそこねた涙が溜まっている。
「ひょっとして」
(さっきのキィとのやりとり)
「聞いてた…?」
「……はい」
誰もいない空間に向けて、にこりと笙子は笑った。目を細めかけて慌てて大きく見開く。こくん、と何かを飲み下すような音をさせて喉を動かし、明るく言った。
「聞こえちゃってました。待ち合わせ、早く来るの、だめですね」
何を言えばいいのかわからなくなって、中谷は黙り込んだ。
「いつも、早く、来てしまって、だめなんですね」
そっと繰り返した笙子のことばが何を意味するのかよくわかる。
あの病院で、ドアの向こうで立ちすくんでいた笙子。
「私、夢、でした」
笙子は小さくつぶやいた。
「好きな人と、ご飯、食べるの」
ちょっと唇を噛んで、
「好きな人の膝枕とか」
瞬きを繰り返す。
「一緒に笑ったり」
首を傾げる。
「無理なことだって、ずっとわかってたけど」
ついに零れた涙を慌てて拭き取る細い指が必死にお握りを口に運ぶ。
「……ちょっとでも、叶ったから、いいです」
「笙子」
「いいお天気でよかったな。歌いたくなっちゃう」
ぱくぱくぱくと残りは一気に食べ切って、笙子は悪戯っぽい目で振り返った。
「大丈夫、歌いませんよ?」
「笙子」
「『エンジェル・ホール』でだけ、歌います。病気の人のために、歌います。大丈夫、もう」
苦しそうに笑った。
「あんなこと、二度としないです、だから」
必死に浮かべる満面の笑み。
「怖がらないで、中谷さん?」
懇願とは裏腹に、瞳の色が、諦めた、と伝えてきた。
ことばは役に立たない。どれだけ望んでも、力は力だ。自分を犯しかねない力を持つ危険な人間を側に置くものはいない。
飛び去った鳥。
傷ついているのを守って支えていとしんで、けれど傷が治ればすぐに飛び立つ。振り返りもしないで、自分の望む場所に飛んでいく。両手を差し伸べても、届かないことはわかっている。
引き止めることはできない。その意味がわかっているから。
けれど、笙子は。
(ずっと、一人)
暗い海の上で、果てしない高みの空で、置き去られたこの地上で。
それを後悔はしないのだろうけど。
握りしめる、からっぽの掌。
ふつっと中谷の気持ちが切れた。立ち上がり、手を伸ばし、ためらう間もなく、笙子を抱き込む。
「違う」
「はい?」
「違う、俺は怖くない」
「あの、でも」
ぼそぼそと頼りない声が胸で零れた。
「きっと、誰だって、わけのわからない力は」
「俺が怖いのは」
そっと笙子の顔を上げさせる。上気して、戸惑って、不安そうに中谷を見上げてくる顔、唇が震えている。
「あんたを失うことだ」
くしゃりと笙子の顔が歪んだ。
「俺に全部くれるって言っただろう? 約束は守るよな?」
「でも」
「零すなよ、俺のもんだ」
「!」
零れ落ちた涙を舐め取り、吸い取った。身を引きかけた笙子が、中谷の拘束に諦めたように力を抜く。
「なあ?」
「はい」
「俺はあんたを『ハレルヤ・ボイス』って呼ばねえだろ?」
「……はい」
「笙子、って呼ぶだろ?」
「………はい」
「あんたはそれにはいって答えるんだろ?」
「……………はい」
「だから、今、俺の腕の中にいるあんたは『ハレルヤ・ボイス』じゃねえよ」
「……っ」
びくりと笙子は大きく体を揺らせた。急いで中谷の胸に顔を伏せる。
「笙子?」
「……」
「笙子」
「……は…い」
小さくしゃくりあげる声が続く。肩が震え、今まで背負い続けてきたのだろう、重いおもしが転がり落ちていくのが見えた。
「中谷さん」
「ん?」
「好きだって言ってもいいですか?」
(おいおい、今さらか?)
あれほど濃厚なキスをしかけてきておいて、それこそ気持ちの内側ではとっくに一線越えてしまっているのも同じなのにな、と中谷は顔を引きつらせた。
どうも笙子とのやりとりは普通進むのとは逆方向のような気がする。傷つけあって、身体を重ねて、それから気持ちを確かめあって。
やっと今始まった、のかもしれないが。
「いいよ、けど」
「はい?」
「中谷さん、じゃなくて、晃、の方がいい」
「え?」
笙子は顔を上げた。泣き濡れた顔があやうい状況を重ねさせて、中谷の身体が微妙にまずい。
「晃、さん?」
吐息で呼ばれてくらくらした。
「笙子」
「はい」
「頼むから」
「はい?」
「少しだけ早く大人になってくれ」
吐息と一緒に強く抱き締めて、ようやく笙子にも中谷の『感触』が伝わったらしい。
「あ、はい」
見る見る赤くなった顔で真剣にうなずいた。
「頑張ります」
(頼むぜ)
その顔で、切ない声で歌われたら。
(違う意味で、俺がコワれる)
中谷はもう一度大きく深い溜息をついた。
おわり
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