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『ワンピース・オバサン』(6)
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5.片桐サンの家(2)
やがて、町からずいぶん外れた所に、白くて四角い建物が見えて来た。
「さ、ここよ」
広い門の前でタクシーを降りると、片桐サンはすたすたと中に入って行く。鏡子も急いでついて行った。
入り口に『ひかりのいえ』の看板があった。
「ひかりのいえ?」
「そう。ここの名前」
片桐サンはにこにこ笑った。
「私が住んでいる家よ」
「ふうん…」
片桐サンについて歩きながら、鏡子はまるで病院のようだと思った。
前庭にたくさんの花が植えてある。赤や黄色や紫の花が、深い緑の葉の間に咲いている。きれいに揃えられた薄い緑の芝生を白い策が囲んでいた。
白くてすべすべしたかべが小さな部屋を区切っている。ゆったりした廊下の両側に並んだ部屋のドアには、一つ一つ小さな名札がかけてあった。
お母さんよりも若いお姉さんみたいな人やおじいさんもいる。のんびり歩く人、真面目な顔をして部屋から出てくる人、庭のベンチで座って指を組んでいる人も居た。
建物の真ん中あたりに中庭があって、そこにもきれいな花が絵を描くように植えられている。庭の隅に白くて小さなドアが一つあったが、そこには名札はかかっていない。
「ここはまだ新しいから大きな木はあまりないでしょう? だから、あの公園に木を見に出かけていたの」
片桐サンが静かに言った。
「あそこは何?」
「入ってみる?」
「うん」
片桐サンが名札のかかっていない白いドアを開けてくれた。
正面にほんのりと黄色い灯を点した窪みがある。両側にステンドグラスになった窓が一つずつ、床には肌色のふんわりした絨毯が敷かれていた。入り口の所で靴を脱ぎ、絨毯を踏んで中に入る。後ろでドアが閉まると、部屋の中は世界にここしかないように静かになった。
「ここは何の部屋?」
「お祈りの部屋。考えたり、泣いたりする部屋。一人で何をしてもいい部屋」
「ふうん」
鏡子は絨毯の上に座った。続いて寝転んでみた。
片桐サンはじっと鏡子を見ていたが、やがてゆっくり、隣に座った。
「いいなあ」
「え?」
「片桐サン、いいねえ。何をしてもいい所があって。みんなと一緒に暮らせて。一人じゃないもんね」
「一人よ」
片桐サンがぽつんと言った。
「一人。死ぬ時はね、一人。みんなここに居ても、一人」
鏡子は体を起こした。片桐サンは正面の灯を見ていた。
「ここにいる人はね、そう遠くない時に死ぬのがわかっている人なの。お医者さんにかかっても、もう生きていられないの……私もそうよ」
「…うそ…」
「嘘だったらいいと何度も思ったけど」
片桐サンは笑った。鏡子が初めて見る、寂しそうな顔だった。
「ここに居ても辛くて、それで木を見に行ったのよ。何か、いい答えが見つからないかと思ったの」
「見つかった?」
片桐サンは鏡子を振り向いた。
「半分はね。後の半分がどうしても見つからなくて、もう間に合わないかと思っていた。でも、どこかできちんと考えている誰かがいるのねえ、ちゃあんと半分、間に合った。さ、もう帰りましょうね」
きょとんとした鏡子に、片桐サンはゆっくりと笑いかけた。明るくて花が開いたような顔だった。
「後の半分はね、あなたよ、鏡子ちゃん」
「あたし?」
「そう」
片桐サンについて、廊下を元の入り口に向かって戻って行く。
途中で、急にバタバタした足音がして、お医者さんと何人かの看護師さんが、小さなベッドを押して走って行った。
片桐サンは立ち止まってそれを見た。鏡子もつられて見た。
ベッドにはとても細い男の人が寝ていた。
「鏡子ちゃん」
「何?」
「人は誰でも死ぬの。いつか、必ず」
「知ってるよ」
「前に自殺するって言ってたね」
「うん……今も思うよ……本気だよ」
鏡子は少し片桐サンを睨んだ。片桐サンが振り向く。茶色の目が涙で一杯になっていて、鏡子は口を閉じた。
「自殺しなくても明日にでも死ぬかもよ。もう、したいことは全部した?」
「したいこと?」
「うん。私はね、白いワンピース着たかったの。ずっと若い時から。でも、みんな、似合わないって言うから着なかったの。着れば良かったわ。もっと前から、もっと本当に大事なことを選んでいれば良かった。勿体無いことをした。いっぱい時間があると思ってたの。違う。違っていたの。したいこと全部できるほどもないの。したいことの中で本当に大切なことをするだけしかないの」
つうっ、と片桐サンの頬を涙が流れた。
何でもなかったことのように、片桐サンは涙を拭いた。それから鏡子の肩に手を乗せて、ほんのちょっぴり引き寄せた。
「それでも、私はあなたと会えたから、良しとしなくてはね」
片桐サンに肩を抱かれたまま、鏡子は廊下を歩いて戻った。
やがて、町からずいぶん外れた所に、白くて四角い建物が見えて来た。
「さ、ここよ」
広い門の前でタクシーを降りると、片桐サンはすたすたと中に入って行く。鏡子も急いでついて行った。
入り口に『ひかりのいえ』の看板があった。
「ひかりのいえ?」
「そう。ここの名前」
片桐サンはにこにこ笑った。
「私が住んでいる家よ」
「ふうん…」
片桐サンについて歩きながら、鏡子はまるで病院のようだと思った。
前庭にたくさんの花が植えてある。赤や黄色や紫の花が、深い緑の葉の間に咲いている。きれいに揃えられた薄い緑の芝生を白い策が囲んでいた。
白くてすべすべしたかべが小さな部屋を区切っている。ゆったりした廊下の両側に並んだ部屋のドアには、一つ一つ小さな名札がかけてあった。
お母さんよりも若いお姉さんみたいな人やおじいさんもいる。のんびり歩く人、真面目な顔をして部屋から出てくる人、庭のベンチで座って指を組んでいる人も居た。
建物の真ん中あたりに中庭があって、そこにもきれいな花が絵を描くように植えられている。庭の隅に白くて小さなドアが一つあったが、そこには名札はかかっていない。
「ここはまだ新しいから大きな木はあまりないでしょう? だから、あの公園に木を見に出かけていたの」
片桐サンが静かに言った。
「あそこは何?」
「入ってみる?」
「うん」
片桐サンが名札のかかっていない白いドアを開けてくれた。
正面にほんのりと黄色い灯を点した窪みがある。両側にステンドグラスになった窓が一つずつ、床には肌色のふんわりした絨毯が敷かれていた。入り口の所で靴を脱ぎ、絨毯を踏んで中に入る。後ろでドアが閉まると、部屋の中は世界にここしかないように静かになった。
「ここは何の部屋?」
「お祈りの部屋。考えたり、泣いたりする部屋。一人で何をしてもいい部屋」
「ふうん」
鏡子は絨毯の上に座った。続いて寝転んでみた。
片桐サンはじっと鏡子を見ていたが、やがてゆっくり、隣に座った。
「いいなあ」
「え?」
「片桐サン、いいねえ。何をしてもいい所があって。みんなと一緒に暮らせて。一人じゃないもんね」
「一人よ」
片桐サンがぽつんと言った。
「一人。死ぬ時はね、一人。みんなここに居ても、一人」
鏡子は体を起こした。片桐サンは正面の灯を見ていた。
「ここにいる人はね、そう遠くない時に死ぬのがわかっている人なの。お医者さんにかかっても、もう生きていられないの……私もそうよ」
「…うそ…」
「嘘だったらいいと何度も思ったけど」
片桐サンは笑った。鏡子が初めて見る、寂しそうな顔だった。
「ここに居ても辛くて、それで木を見に行ったのよ。何か、いい答えが見つからないかと思ったの」
「見つかった?」
片桐サンは鏡子を振り向いた。
「半分はね。後の半分がどうしても見つからなくて、もう間に合わないかと思っていた。でも、どこかできちんと考えている誰かがいるのねえ、ちゃあんと半分、間に合った。さ、もう帰りましょうね」
きょとんとした鏡子に、片桐サンはゆっくりと笑いかけた。明るくて花が開いたような顔だった。
「後の半分はね、あなたよ、鏡子ちゃん」
「あたし?」
「そう」
片桐サンについて、廊下を元の入り口に向かって戻って行く。
途中で、急にバタバタした足音がして、お医者さんと何人かの看護師さんが、小さなベッドを押して走って行った。
片桐サンは立ち止まってそれを見た。鏡子もつられて見た。
ベッドにはとても細い男の人が寝ていた。
「鏡子ちゃん」
「何?」
「人は誰でも死ぬの。いつか、必ず」
「知ってるよ」
「前に自殺するって言ってたね」
「うん……今も思うよ……本気だよ」
鏡子は少し片桐サンを睨んだ。片桐サンが振り向く。茶色の目が涙で一杯になっていて、鏡子は口を閉じた。
「自殺しなくても明日にでも死ぬかもよ。もう、したいことは全部した?」
「したいこと?」
「うん。私はね、白いワンピース着たかったの。ずっと若い時から。でも、みんな、似合わないって言うから着なかったの。着れば良かったわ。もっと前から、もっと本当に大事なことを選んでいれば良かった。勿体無いことをした。いっぱい時間があると思ってたの。違う。違っていたの。したいこと全部できるほどもないの。したいことの中で本当に大切なことをするだけしかないの」
つうっ、と片桐サンの頬を涙が流れた。
何でもなかったことのように、片桐サンは涙を拭いた。それから鏡子の肩に手を乗せて、ほんのちょっぴり引き寄せた。
「それでも、私はあなたと会えたから、良しとしなくてはね」
片桐サンに肩を抱かれたまま、鏡子は廊下を歩いて戻った。
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