『segakiyui短編集』

segakiyui

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『泉のどうど』(1)

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 困ったことになった。
 山奥の泉が枯れそうなのだ。
 ずっと昔に湧き出してから、何が起こっても御構いなし、豊かできれいな水を溢れさせていたというのに、急に濁って量が減ってしまったのだ。
 目には見えない地面の下で、大きな地崩れが起こって、それが泉の源をせき止めてしまったのだ、と言う者がいた。
 村人達の行いが悪いので、山の神が怒って、泉の水を人間に与えないことにしたのだ、と言う者も居た。
 いやいや、そもそも泉が湧いていたほうが不思議だったのだ。もともと、あの山にはそんなに豊かな水の源はなかったはずだ、と言う者も居た。
 村人それぞれが勝手なことを言い立てて、結局何にもわからない。
 泉が枯れてしまったのなら、他に水がある所を探さなくてはならないが、この辺りには大きな川も池もない。ましてや、田や畑を潤すほどの水をたたえた湖など、もちろんない。
 このままでは、稲や野菜も枯れてしまって、村では食べる物がなくなり、みんなが飢え死にしてしまう。
 とにかく、泉が枯れたわけを確かめようと言うことになった。
 村人の中から、四郎と言う若者が選ばれた。
 山に登り、泉の様子を見てこようと言うのだ。
 四郎は、握り飯を2つと竹の水筒を風呂敷に包んで腰に巻き、足元もしっかりと山登りの用意をした。それから、村人達に見送られ、山の中へ入って行った。
 
 山は妙にひっそりと静まり返っていた。
 いつもなら、人の姿を見ただけで騒ぎ立てる鳥も獣も、どこに隠れてしまったのか。動く物は、風に揺れている木の枝や草花だけ。
 四郎は首を傾げながら山に登り始めた。
 太くねじくれた木の根が四郎の足を躓かせる。細く鋭い枝が四郎の頬を引っ掻いていく。ひょろひょろと垂れ下がった蔓が道の先を遮っている。山の土は赤くてねっとりしていて、四郎は何度も転んでしまった。
 泉は山の中ほどにあるはずだったが、行けば行くほど遠ざかっているような気がして、ちらとも見えてこない。
 お日さまはどんどん空高く上がって、四郎の頭を押さえつけてくるようだ。
 四郎は大きな溜息をついて立ち止まった。
 昼飯にしようと思っていた握り飯を、1つだけ食べ、水筒の水をちょっぴり飲んだ。
 畑仕事で鍛えたはずの、足も腰もだるくて痛い。
 両方の拳で足腰を軽く叩いてから、四郎は立ち上がった。
 それからゆっくり歩き出した。

「おや、この臭いは何だろう」
 四郎は眉を顰めて足を止めた。
 どこからか、生温かい風とともに、何かが腐っているような、それがとてもたくさんあるような、臭いが漂ってくる。
「何ともひどい臭いだな」
 四郎は呟いて、その臭いがしている方へ歩き出した。
 山の鳥や獣がいなくなったのも、この臭いのせいかも知れない。
 やがて、四郎の前に、ふいに泉が現れた。
「ううむ」
 泉の様子を一目見ると、四郎は唸って腕を組んだ。
 岸の草が赤茶けて枯れ、泉の中に垂れている。水はかなり減っていて、水もどんよりと光を吸い込むような緑色、底の方はよく見えない。表面には黒や焦げ茶色の藻がごっさりと広がっていて、たくさんいたはずの魚も跳ねる様子がない。
 泉は腐ってむかむかするような臭いを放っていた。
「これではとても飲めないな」
 四郎は泉の周りを歩いて回った。
 何本も流れ出していた川が、今は一本になっている。それも、今にも途切れそうな、縫い糸ほどの細さの水が、川があった深い溝の真ん中を流れているだけだ。
 四郎は泉を振り返った。
 岸に跪き、泉を覗き込んで見る。
 近づくと、臭いは一層強く、四郎の顔を包んだ。
 息を止めて藻の下を透かして見る。
 一面、緑色に見えた水が、奥の方では少し澄んでいるようだった。
 四郎は少しためらってから、思い切って片手を泉に突っ込んだ。一瞬、ぬるりとしたものに触れたが、それを越えるとさらさらとした水になった。そろそろと、藻や緑の濁りを掻き分けてみると、手触り通りの透き通った水が現れた。
 これは、きちんと掃除をしてやれば、泉が蘇ってくれるかも知れない。
 四郎はほっとして、なおも深く手を差し入れた。
 その途端、
「あ!」
 何かが手に絡みつき、ぐいと引っ張ってきた。
 四郎は泉の中へ吸い込まれてしまった。

 四郎はどんどん落ちて行く。
 何が何やら分からぬままに、泉の底に向かって落ちて行く。
 気が付いて見ると、片手に絡みついているのは、きらきら光る金色の藻だった。もう片方の手で振り払おうとしても、するりするりとすり抜けて掴めない、不思議な藻。
 不思議と言えば、これほど深く、水の中に引き入れられながら、息が苦しくなることもない。顔には確かに水が当たっていると言うのに、泉の外と同じように息ができる。
「ひょっとして、おれは死んだのかも知れない」
 四郎はそう呟いた。
 水に包まれた体が、次第次第に冷えてくる。お日様の光も弱くなり、黒い靄のようなものが四郎の周りを埋めていく。
 その中で、金色の藻だけがいよいよ光を増して輝いている。
 一体どこまで潜るのか。それとももう、潜ってなぞいなくて、泉の中で凍りついてしまっているのか。
 四郎がそう思い出した時、ふいにがぼりと音がした。
 泉の底の方から、ぎらぎらした丸いものが、どんどん大きくなりながら近づいてくる。始めは、鎮守様の神輿を飾る赤金のような色だったが、見ている間に濁って黒い玉となり、四郎に当たって大きく弾けた。
「臭い!」
 黒い玉は辺り一面に無数の粟粒となって広がり、四郎の体をすっぽり包んだ。吐き気がするような嫌な臭いが溢れる。
 それは紛れもなく、泉から立ち上っていた、あの臭いだった。
 四郎は思わず鼻を押さえ口を押さえ、目も固く閉じた。
 玉が当たった勢いでぐるぐる回っていきながら、四郎はげほげほ咳き込んだ。やがて、そのまま気を失ってしまった。

                      つづく
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