『segakiyui短編集』

segakiyui

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『砂男』

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 空が太陽の光を失って色を変えていきます。夕暮れから夜へ、サーモンピンクから赤紫、そして黒々とした青へ。
 公園で遊んでいた子ども達も、幼い順に姿を消して、やがて五、六歳の女の子が砂場に一人残りました。膝を抱えて丸くなり、砂場を囲むコンクリートの上に座って、ゆらゆら前後にバランスを取っています。
 ぽ、ぽぽぽ、と思い出したように、公園の真ん中の街燈が点きました。
 砂場に、街燈の光に照らされて、女の子の影が落ちました。けれども、影がもう一つ、女の子の座っている場所とちょうど反対の端に落ちています。
 女の子は影に気がついて、ゆらゆらさせていた体を止めました。体を固く強張らせて、大きく伸びた影を見つめます。
 どっこらしょ。
 まるで、そういう声が聞こえたようでした。
 もう一つの影が立ち上がったのです。
 じゃりじゃり砂を踏んで、女の子に近づいてきた人影は、女の子が怯えているのに気がついたように、離れたところで立ち止まりました。
「そちらへ行っても、いいかな」
 穏やかな声が聞こえて、女の子は少し体を緩めました。
「だあれ?」
「私は砂男」
「すな、おとこ?:
「そちらへ行ってもいいかな」
 少し考えて、女の子は答えました。
「いいわ」
 じゃりじゃり再び砂を踏んで、砂男が木の影から出てきました。背広を着た、丸い顔に細い目の男の人です。ほっとしたように、砂男は女の子に話しかけました。
「よかった。だめだと言われたらどうしようかと思ったよ。ほたる鳥に餌をやれるのは私だけだし、この場所でやると決めているし」
 男は、今度ははっきりと、どっこらしょ、と声をかけて、女の子の側に腰を下ろしました。女の子が男から離れるようににじっていくと、困ったように微笑んで言いました。
「ごめんね。すぐに、餌をやるから」
「…ほたる鳥って、なあに」
 女の子は、男がポケットからごそごそ何かを取り出すのを見ながら尋ねました。男は不思議そうに問い返しました。
「おや、知らないかね。昼間もいるんだが」
 砂男は、ポケットから掌ぐらいの四角い箱を取り出し、耳元で二、三回振りました。カラカラ小さな音がして、箱が淡く光ります。
 女の子は思わず身を乗り出しました。
「それ、なあに?」
「これがほたる鳥の餌。ほら、ご覧、やってきた」
 砂男が背中を伸ばし、指さしました。
 公園の入り口から、ぴょんぴょん、小さな黒い影がこちらへ向かって跳ねてきます。やがて、先頭にいた一羽が、街燈の光の円に入ってきました。
「すずめ!」
 女の子は叫びました。
 茶色い頭と羽根の所々に黒のアクセント、白くほわほわした胸から腹。
「違うよ、あれは、ほたる鳥さ」
「どうして? すずめよ。わたし、知ってる」
「そうだろう、昼間の名前は知っている。けどね、あれは、『今は』ほたる鳥さ」
 砂男が首を少し振ると街燈がすうっと消えました。びっくりした女の子の前へ、すずめがぴょんぴょん集まってきます。
 砂男は、手の中の四角い箱を傾けて、ととと、と指先で箱を叩きました。きらきら光る粒が隅の穴から零れ落ち、砂の上に散りました。
 すずめ達は待っていたように、光る粒を突いて食べ始めました。すると、見る見るすずめのお腹にぼんやり白い光が灯りました。粒を食べるたび、お腹の灯は明るくなります。満腹したすずめは軽く羽根を羽ばたいて、暗い空へ舞い上がり飛び回り始めました。
 しばらくして、四角い箱から粒が落ちなくなり、砂男は箱をポケットにしまいました。
「さあ、終わり」
 すずめ達は一羽、また一羽と、公園の外へ出て行きます。それを見ながら、女の子は、
「わたし、すずめがほたる鳥だなんて、知らなかったわ」
「大抵の人は知らないさ。何にだって、昼の名前と夜の名前があるものさ」
 砂男が慰めるように答えました。
「わたしにもあるの?」
「あるとも、誰にでも」
「……お母さんにも?」
「ああ、あるだろうね」
 女の子は唇を噛んで黙り込みました。やがて、低い小さな声で、女の子は砂男に言いました。
「わたし……お母さんのも一つの名前、知ってるわ」
「ほう」
 砂男は頷きました。女の子は、体を小さく竦めて言いました。
「わたし、いいじまさよこって言うの。お母さんはいいじまかよこ。でも…」
 女の子は口ごもり、もっと小さく体を縮めました。
「お母さん、しばらくすると、かのうかよこになるんだって。お父さん死んで三年たったから。今日、新しいお父さんが来るって。でもね」
 女の子は、深く深く息を吐きました。
「それじゃあ、わたし、お母さんの子どもじゃなくなるのかな。お母さんとも名前が違うもの……でも、友達はわたしもかのうさよこになるって言うの。そしたら、わたし、お母さんの子どもだけど、お父さんの子どもじゃなくなるのかな。新しいお父さんが来るから、前のお父さんはお父さんじゃないのかな」
 砂男は、女の子が話し終わるまで待っていて、それから静かに言いました。
「わたしはあの鳥をほたる鳥と呼ぶ。さよこちゃんはすずめと呼ぶ。でも、呼んでいる鳥は同じだ。違う名前で呼んでたって、私達にはあの鳥がわかった。それでいいのさ」
「うん…」
 女の子は頷きました。膝を抱えて丸くなり、さっきのようにゆらゆらバランスを取り始めます。砂男は気がついたように、街燈に向かって首を振りました。
 ぽぽ、と街燈が灯ります。砂場に二つの影が落ちました。
「決めた!」
 女の子は一声叫んで立ち上がりました。
「わたし、今度から、すずめをほたる鳥って呼ぼう!」
 砂で汚れたスカートをパンパン叩きながら、
「だって、すずめ、より、ほたる鳥、の方があの鳥によく合っているもの。そりゃ、みんな、初めは変な顔をするかもしれないけど、訳を話せば、きっとわかってくれるわ。ね、そうでしょう、砂男のおじさん」
 砂男は頷いて、優しい声で言いました。
「大変だろうけど頑張ってね。さよこちゃんが元気になって、私も嬉しいよ」
「ありがとう、おじさん。わたし、もう帰る。お母さん達が探しに来るから。さよなら」
「ああ、さようなら」
 砂男の声を背中に、女の子は走り出しました。街燈に照らされてできた踊るような影が公園を駆け抜けて行きます。入り口をあっという間に出て行った女の子の声が、闇の向こうから響いてきました。
「おじさーん、また、餌やるの、見に来るねー!」

 女の子が公園を出て行って少ししてから、砂男は立ち上がりました。
「どっこらしょ」
 気のせいでしょうか、さっきより少し疲れた様子です。
『どうだね、少しは安心したかね』
 どこからか、風の音とも葉鳴りの音ともわからない、密やかな声が砂男に尋ねました。
「はい、大きく元気に育ってくれました」
 砂男はのろのろとした動作で、さっきまで女の子が座ってバランスを取っていた場所を見ながら、低い声で答えました。その足元から、サラサラと微かな音が聞こえ始めています。
 砂男の足が、少しずつ砂に戻っていきつつあるのです。
『あの子が、死んだ父親の口癖を、母親から聞くのはいつだろうか』
 公園全体を包むような声が、限りなく穏やかに呟きました。
「さあ、いつでしょう」
 砂男は微かに微かに笑いました。その腰も、既に黄土の土塊となり、砂になり、砂場の中へ崩れていきます。
『お前が、あの子が砂場で怪我をしないように、ガラスを体で包んでやっていたことは、きっと永久にわからないだろうよ』
 声は静かに言いました。
「きっとそうでしょう」
 砂男は優しく答えて頷きました。
「ああ、でも、今夜はひどく疲れました。一休みさせて頂きましょう……どっこらしょ」
 そう呟いて、砂男は一瞬にして全て砂に戻りました。
 街燈の届かない木の影を、ほたる鳥が一羽、淡い光を抱いたままでゆっくり飛んでいきました。

     終わり
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