『segakiyui短編集』

segakiyui

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『幻想食堂』

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 街の片隅に小さいけれども小綺麗なレストランがありました。
 飛び込みのお客は受け付けません。1ヶ月以上も前から予約が必要で、その予約を入れるのも、大抵は「すみません、ただいま一杯でして…」と断られるのが常でした。
 特に珍しいものを出すのではありません。どこにでもある、誰でも手に入れられるような素朴な材料を使って、丁寧に作られているだけの料理です。けれども、その味には不思議に懐かしいものがあって、人々はその味を求めてやってくるのです。
 そのレストランで、毎月1回、食事会をしている集まりがありました。
 出席者はいずれも、村や山から街へ出て来て一所懸命に働き、歳をとってから成功して幸せに暮らしている者でした。
 老人達はレストランで食事をしながら、昔の話や食事の不思議な味わいについての話をして、楽しく時間を過ごすのです。
 ある日のこと。
 この食事会に1人の若者が加わることになりました。老人の1人の仕事上の仲間で、レストランでの食事会の話を聞くと、自分も是非一緒に過ごしたいと望んだのです。
 若者は細面で色白の、ほっそりした体つきの青年でした。老人達と一緒に席に着き、数々の昔話をにこにこ楽しげに聞いています。
 やがて食事が運ばれて来ました。
 湯気の立つスープ。香料のきいた肉。とろみのある綺麗なソースをかけた魚。パリッと焼きあがったパン。みずみずしい野菜の盛り合わせ。温かいままのケーキ。
 女主人が微笑みながら、老人達のお腹の減り具合を知っているかのように、欲しいと思われるものを欲しいと思われる量だけ並べます。
 老人達は、軽い酒が注がれたグラスを傾けながら食事を楽しみ、やがて話題はいつものように、料理の不思議な味のことになりました。
 1人の老人が言いました。
「わしはね、この味はフランスの『とっても素晴らしい亭』に似ていると思うよ」
 それを受けて、別の1人が言いました。
「いや、それよりも香港の『これ以上はない屋』の教えを生かしているんじゃないか」
「違うよ」
 もう1人が、鼻をひくひくさせながら言いました。
「わたしが思うには、インドの『無名ほど豊かなものはない店』だ、間違いない」
 青年はなぜか、料理が運ばれてくる度に、少しずつ少しずつ顔色が悪くなっていきました。やがて、思い詰めたような顔になったかと思うと、パタリと手にしていたナイフとフォークを置いてしまいました。
「そうだ、君はどう思うかね……おや、顔色が良くない、気分でも悪いのかね」
 話に加わってこない青年を振り返った老人が、不審がって尋ねました。
「この味を……どう思うかですって?」
 青年は青い顔のまま答えると、ふいに両手を顔に当てて俯きました。
 老人達が話を止めて静まり返ったところへ、呻くように一言、
「これは……お母さんの味じゃありませんか。ああ、ぼくはすっかり忘れていた」
 そう呟くや否や、青年の姿が見る見る白い煙に包まれました。老人達が驚いて見守っていると、立ち込めた煙が次の一瞬で掻き消えて、席には見事な尾を垂らした1匹の狐。
 狐は世にも悲しそうな声を上げたかと思うと、くるっと身を翻して、レストランから走り出て行きました。
「そうか……これは、お母さんの味だったのか……」
 しばらく黙った後、老人の1人が呟きました。
「わし達はすっかり忘れていた」
「あれだけ、毎月食べていたのに」
 口々に小さく呟く老人達の腰から、もくもく煙が上がりましたが、それだけ。いくら待っていても、それ以上は広がりません。
 わずかな煙もすぐに消えました。
 後には色とりどりの、大きいのや小さいの、ふさふさしたのやごわごわしたの、けもの達の尻尾が残されただけ。
「無理もない」
 老人の1人が溜息をつきつき、自分の尻尾をズボンにしまい込みました。
「街へ来てずいぶん経ってしまったから。自分の本当の姿も忘れてしまったんだよ」
「今更帰る術も道もない」
 老人達は寂しそうに顔を見合わせて、ふふ、と笑いました。
 その後、老人達の食事会が開かれることはありませんでした。

       終わり
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