29 / 118
『道化のつるぎ』
しおりを挟む
それは長く続いた戦争でした。
あちらこちらの国と争い、攻めたり攻められたりしていましたが、たくさんの人が死に、ようやく戦争は終わりました。
これでようやく王妃と幸せに暮らせる。
そう王様は考えていましたが、王妃は重い病気になり、手当を尽くしたにも関わらず、とうとう死んでしまいました。
王様はすっかり元気をなくし、一日中、じっと椅子に座ったままになりました。
王様の道化は、王様のことをとても心配しました。どうにかして、元のように明るく立派な王様に戻したいと思いました。
「王様、ご覧下さい。商人が、こんな珍しい食べ物と美味しいお酒を持って来ましたよ」
「欲しくない」
「王様、まあ、あの庭の美しいこと、見事なこと。庭師が心を込めて手入れしました」
「見たくない」
「王様、明るく綺麗な曲をお聴きになりませんか。この楽器の音と言ったらどうです、天から降るように聞こえます」
「聴きたくない」
「王様、不思議な話を聴きました。可笑しくて為になる話も覚えております。何か一つ、お話ししましょうか。それとも、戦の手柄話をお聞かせ下さいませんか」
「話しとうない」
「お疲れなのですね、王様。それでは、お休み遊ばせ。ふかふかのベッド、いい匂いのする枕で」
「もうよい!」
王様は泣き出してしまいました。
「もう、よい! 誰も要らぬ。何も要らぬ。珍しい食べ物を見れば、妃と食べたかったと思うのじゃ。美しい庭なら、妃と歩いてみたいのじゃ。華やかで明るい音楽を、妃はどれほど喜んでくれただろう。色々な話も、驚き微笑み泣いてくれた妃がおってこそ、楽しかったのじゃ。なのに、儂は戦に明け暮れて、妃と楽しく時を過ごすのさえ、忘れておった。なんと情けない男じゃろう。なんとつまらない男じゃろう。妃のことを思い出して、儂は夜も眠れんのじゃ。儂は悲しいのじゃ」
道化は王様をじっと見つめていましたが、やがて低い声で言いました。
「では、王様。強い男になりなさい。立派な男になりなさい。新しい国を探して攻め立てなさい。王妃様のために、輝くような宮殿をお作りなさい。王子様達の力になり、新しい軍隊と共に、世界中を攻め立てるのです。そして、偉大なあなたの力を、正しさを、皆の者に示せばよいのです」
なるほど、道化の言うことはもっともだと王様は思いました。
そこで、国中の若い男を集めて訓練し、新しい軍隊を作りました。遠い国へ出かけて行ってそこを攻め、王様の物にして王子を残しました。国を広げた後は、中身を作りました。綺麗な宮殿、大きな道。荒れた土地を畑に変え、薄暗い森を草原にしました。王子達には子どもが生まれて、王様は孫達に囲まれました。たくさんのお金、たくさんの人、たくさんの国が手に入りました。
道化は王様に従って、何処へでも出かけて行きました。休まずに動き回り、走り回る王様の側で、何も言わずにいました。
ついに、王様は倒れました。
長い戦争、王妃の死、忙しい毎日が続いて、すっかり疲れてしまったのです。
王様は国に戻って、宮殿の奥深い部屋に籠ってしまいました。薄暗い静かな部屋で、夜も昼もじっとベッドに寝ています。横になっても眠れなくて、思い出すのは王妃のことばかりです。
王様はだんだん痩せてきました。食べ物も食べず、わずかな水だけ飲んで、暗い部屋で目を開いて横になっています。
王子達も心配してお見舞いにやって来ました。孫達を見せれば元気になるかも知れないと考えて、賑やかで明るいふりをしてやって来ましたが、王様は会うことすらできません。
寝込んでしまった王様の近くで、道化はじっと座って様子を見ていました。
もう、誰も、何も、王様を元気にすることはできないだろう。宮殿の中でも外でも、そんな話で一杯でした。
ある夜のこと、それまで黙って座っていた道化は、ふいに立ち上がりました。部屋の壁に飾ってあったつるぎを取り、ゆっくり構えると、いきなりベッドの王様に斬りかかりました。
「何をする」
王様はびっくりしました。必死に避けたものの、ベッドの枕がざっくりと避けて、中から白い羽根が舞い上がりました。
道化は構わず、なおも王様に斬りかかります。王様はベッドから転がり落ちました。痩せた足がガクガクとして、這うように逃げました。その王様を、道化は厳しい顔のままで襲います。
「これ! 道化!」
王様は叫びました。
「そなたは、儂を喜ばせ、楽しませてくれるものではなかったのか。妃を喪ったあの悲しみを、慰めてくれるものではなかったのか。それとも、嘘をついていて、王の椅子を狙っておったのか」
道化は答えません。逃げ回る王様を追って、何度もつるぎを奮って来ます。王様の腕に傷がつきました。足にも傷がつきました。体のあちこちを打ちました。
「ええい、なんと言うこと!」
王様は大きく叫びました。道化のつるぎの下を潜って、ようやく壁に辿り着き、そこにあるもう一本のつるぎを取ろうとします。道化はそうさせるまいと、王様の行く手を遮るように前に立ちます。王様は道化の横をすり抜けました。道化がなおもつるぎを振り下ろして来ます。
どこにそんな力が残っていたのでしょう。
王様は道化のつるぎをぎりぎりのところで避けました。強く踏み出した足で絨毯を蹴って、思い切り伸ばした右手でつるぎを掴みました。背中から斬りつけてくるつるぎを、とっさに振り返って自分のつるぎで受け止めると、つるぎは金の火を出しました。
「なぜじゃ、道化!
その途端、道化はつるぎを離して、飛びすさりました。それから深く頭を下げて言いました。
「王様、ご病気は見事治りました。誠におめでとうございます。王妃様もさぞかし、ご安心なされたことでしょう」
「何」
王様は気づきました。
部屋中を逃げ回ったのに、体には不思議なほど力が溢れていました。道化に殺されそうになったのに、つるぎを持って防ぐことができました。何よりも、王妃が死んでから、いつ死んでも良いと思っていたはずなのに、死ぬ気にならなかったことに気づきました。
道化は頭を下げたままです。
王様はつるぎを納めました。
「妃が、安心すると言うのか」
「はい、確かに。王妃様は、王様のことをいつも大切に思われていましたゆえ」
「そうだな」
王様はつるぎを鞘に納めたまま、静かに道化に差し出しました。
「これを取らせる、受け取るが良い」
「なぜでしょう」
「これからも、そなたは儂の道化を務めるのじゃ。このつるぎを腰につけ、必ず儂に付き従うのじゃ。しかし、このつるぎで儂を守るのではない。そなたは、いつでも、このつるぎで儂に斬りかかって良い。儂が妃を心配させるようなことをしたら、いつでもどこでも斬りかかって良いのじゃ」
道化は顔を上げて、にっこり笑いました。
こうして、この国では、王様の隣にはいつも、つるぎをつけた道化が従うことになりました。しかし、そのつるぎは、王様がついに死ぬまで、使われることはなかったということです。
終わり
あちらこちらの国と争い、攻めたり攻められたりしていましたが、たくさんの人が死に、ようやく戦争は終わりました。
これでようやく王妃と幸せに暮らせる。
そう王様は考えていましたが、王妃は重い病気になり、手当を尽くしたにも関わらず、とうとう死んでしまいました。
王様はすっかり元気をなくし、一日中、じっと椅子に座ったままになりました。
王様の道化は、王様のことをとても心配しました。どうにかして、元のように明るく立派な王様に戻したいと思いました。
「王様、ご覧下さい。商人が、こんな珍しい食べ物と美味しいお酒を持って来ましたよ」
「欲しくない」
「王様、まあ、あの庭の美しいこと、見事なこと。庭師が心を込めて手入れしました」
「見たくない」
「王様、明るく綺麗な曲をお聴きになりませんか。この楽器の音と言ったらどうです、天から降るように聞こえます」
「聴きたくない」
「王様、不思議な話を聴きました。可笑しくて為になる話も覚えております。何か一つ、お話ししましょうか。それとも、戦の手柄話をお聞かせ下さいませんか」
「話しとうない」
「お疲れなのですね、王様。それでは、お休み遊ばせ。ふかふかのベッド、いい匂いのする枕で」
「もうよい!」
王様は泣き出してしまいました。
「もう、よい! 誰も要らぬ。何も要らぬ。珍しい食べ物を見れば、妃と食べたかったと思うのじゃ。美しい庭なら、妃と歩いてみたいのじゃ。華やかで明るい音楽を、妃はどれほど喜んでくれただろう。色々な話も、驚き微笑み泣いてくれた妃がおってこそ、楽しかったのじゃ。なのに、儂は戦に明け暮れて、妃と楽しく時を過ごすのさえ、忘れておった。なんと情けない男じゃろう。なんとつまらない男じゃろう。妃のことを思い出して、儂は夜も眠れんのじゃ。儂は悲しいのじゃ」
道化は王様をじっと見つめていましたが、やがて低い声で言いました。
「では、王様。強い男になりなさい。立派な男になりなさい。新しい国を探して攻め立てなさい。王妃様のために、輝くような宮殿をお作りなさい。王子様達の力になり、新しい軍隊と共に、世界中を攻め立てるのです。そして、偉大なあなたの力を、正しさを、皆の者に示せばよいのです」
なるほど、道化の言うことはもっともだと王様は思いました。
そこで、国中の若い男を集めて訓練し、新しい軍隊を作りました。遠い国へ出かけて行ってそこを攻め、王様の物にして王子を残しました。国を広げた後は、中身を作りました。綺麗な宮殿、大きな道。荒れた土地を畑に変え、薄暗い森を草原にしました。王子達には子どもが生まれて、王様は孫達に囲まれました。たくさんのお金、たくさんの人、たくさんの国が手に入りました。
道化は王様に従って、何処へでも出かけて行きました。休まずに動き回り、走り回る王様の側で、何も言わずにいました。
ついに、王様は倒れました。
長い戦争、王妃の死、忙しい毎日が続いて、すっかり疲れてしまったのです。
王様は国に戻って、宮殿の奥深い部屋に籠ってしまいました。薄暗い静かな部屋で、夜も昼もじっとベッドに寝ています。横になっても眠れなくて、思い出すのは王妃のことばかりです。
王様はだんだん痩せてきました。食べ物も食べず、わずかな水だけ飲んで、暗い部屋で目を開いて横になっています。
王子達も心配してお見舞いにやって来ました。孫達を見せれば元気になるかも知れないと考えて、賑やかで明るいふりをしてやって来ましたが、王様は会うことすらできません。
寝込んでしまった王様の近くで、道化はじっと座って様子を見ていました。
もう、誰も、何も、王様を元気にすることはできないだろう。宮殿の中でも外でも、そんな話で一杯でした。
ある夜のこと、それまで黙って座っていた道化は、ふいに立ち上がりました。部屋の壁に飾ってあったつるぎを取り、ゆっくり構えると、いきなりベッドの王様に斬りかかりました。
「何をする」
王様はびっくりしました。必死に避けたものの、ベッドの枕がざっくりと避けて、中から白い羽根が舞い上がりました。
道化は構わず、なおも王様に斬りかかります。王様はベッドから転がり落ちました。痩せた足がガクガクとして、這うように逃げました。その王様を、道化は厳しい顔のままで襲います。
「これ! 道化!」
王様は叫びました。
「そなたは、儂を喜ばせ、楽しませてくれるものではなかったのか。妃を喪ったあの悲しみを、慰めてくれるものではなかったのか。それとも、嘘をついていて、王の椅子を狙っておったのか」
道化は答えません。逃げ回る王様を追って、何度もつるぎを奮って来ます。王様の腕に傷がつきました。足にも傷がつきました。体のあちこちを打ちました。
「ええい、なんと言うこと!」
王様は大きく叫びました。道化のつるぎの下を潜って、ようやく壁に辿り着き、そこにあるもう一本のつるぎを取ろうとします。道化はそうさせるまいと、王様の行く手を遮るように前に立ちます。王様は道化の横をすり抜けました。道化がなおもつるぎを振り下ろして来ます。
どこにそんな力が残っていたのでしょう。
王様は道化のつるぎをぎりぎりのところで避けました。強く踏み出した足で絨毯を蹴って、思い切り伸ばした右手でつるぎを掴みました。背中から斬りつけてくるつるぎを、とっさに振り返って自分のつるぎで受け止めると、つるぎは金の火を出しました。
「なぜじゃ、道化!
その途端、道化はつるぎを離して、飛びすさりました。それから深く頭を下げて言いました。
「王様、ご病気は見事治りました。誠におめでとうございます。王妃様もさぞかし、ご安心なされたことでしょう」
「何」
王様は気づきました。
部屋中を逃げ回ったのに、体には不思議なほど力が溢れていました。道化に殺されそうになったのに、つるぎを持って防ぐことができました。何よりも、王妃が死んでから、いつ死んでも良いと思っていたはずなのに、死ぬ気にならなかったことに気づきました。
道化は頭を下げたままです。
王様はつるぎを納めました。
「妃が、安心すると言うのか」
「はい、確かに。王妃様は、王様のことをいつも大切に思われていましたゆえ」
「そうだな」
王様はつるぎを鞘に納めたまま、静かに道化に差し出しました。
「これを取らせる、受け取るが良い」
「なぜでしょう」
「これからも、そなたは儂の道化を務めるのじゃ。このつるぎを腰につけ、必ず儂に付き従うのじゃ。しかし、このつるぎで儂を守るのではない。そなたは、いつでも、このつるぎで儂に斬りかかって良い。儂が妃を心配させるようなことをしたら、いつでもどこでも斬りかかって良いのじゃ」
道化は顔を上げて、にっこり笑いました。
こうして、この国では、王様の隣にはいつも、つるぎをつけた道化が従うことになりました。しかし、そのつるぎは、王様がついに死ぬまで、使われることはなかったということです。
終わり
0
お気に入りに追加
3
あなたにおすすめの小説
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい
白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。
私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。
「あの人、私が
マッサージ師にそれっぽい理由をつけられて、乳首とクリトリスをいっぱい弄られた後、ちゃっかり手マンされていっぱい潮吹きしながらイッちゃう女の子
ちひろ
恋愛
マッサージ師にそれっぽい理由をつけられて、乳首とクリトリスをいっぱい弄られた後、ちゃっかり手マンされていっぱい潮吹きしながらイッちゃう女の子の話。
Fantiaでは他にもえっちなお話を書いてます。よかったら遊びに来てね。
隣の席の女の子がエッチだったのでおっぱい揉んでみたら発情されました
ねんごろ
恋愛
隣の女の子がエッチすぎて、思わず授業中に胸を揉んでしまったら……
という、とんでもないお話を書きました。
ぜひ読んでください。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる