『segakiyui短編集』

segakiyui

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『河口』

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 ピアノを習いだした動機は覚えていない。小学校3年の時。何かが欲しかったのだろう。
 力、のようなもの。
 冬の夜道を自転車で通う。手袋していても指はかじかみ、なかなか温まらない。教師はヒーターに手をかざして私のピアノを聴き、時々苛立つように弾いている最中の手を上からぴしゃりと叩いた。
 
 高校で友人に釣られてコーラス部に入った。OBが合唱団を作り、母校へ指導にも来る。
 友人はパートリーダーになった。私は部活後のOBの追加練習に加わったが、ある日、彼はぽつりと言った。「カラオケじゃないよ」

 部の中で不可欠な声ではなく、ピアノの経験があった私に、コーラスの伴奏者が回るのは当然だったかも知れない。だが、その日渡された楽譜には、一瞬胸が詰まった。
『筑後川』
 見たことのない量と範囲の音符が詰め込まれた楽譜。でも何よりも、その曲は『歌って』見たかったのだ。

 指揮者は友人だった。パートリーダーを後輩に譲り、完璧を目指すと言う。組曲にかける彼女の熱意は見る見る部内をまとめた。
 その流れを止めたのは私だった。弾いても弾いてもどこかで間違う。伴奏者は間違えなくて当たり前だ。間違えなくても褒められはしない。部活の合間、友人付き切りで練習したが、それでも間違う。五回に一回は間違ってしまう。その一回が舞台だったら。友人と仲間が苛立つ。ピアノの腕が足りないのは明らかだが、他曲を選び直す時間もない。

 舞台の日が来てしまった。
 きっとまた間違うだろう。努力してもここぞというところでへまをする。失敗と成功を分けるものは何だろう。私と友人を隔てるもの。才能だろうか、努力だろうか、それともささやかな運だろうか。伴奏を続けながら、半ば失敗を受け入れかけた時、『それ』は来た。

 とても静かでくっきりした感覚。
 コーラスも伴奏も続いている。音があふれる舞台の上で、それら全てを聞きながら、けれども一切の物音がしていないような。全てが私の感覚の中にあり、そしてまたピアノを弾く私もその中に溶け込んでいる。
 友人の表現したいこと、曲の構成と音の絡み、自分のすべきことが一瞬にわかった。
 ああ、そうか。これを求めていたのか。これが努力の先にあると知っていたのだ。まるで川が海へ流れ込んで行くように。
 筑後川、筑後川。
 ここが、河口。

 気がつくと舞台は終わっていた。友人が頬を紅潮させて囁いた。
「何もかもわかってくれた。ただ一つもずれなかった。ありがとう」


                     終わり
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