『segakiyui短編集』

segakiyui

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『瞳のカメラマン』

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 ヨシノおじさんは名カメラマンです。
 特に、小さな子どもや動物の写真は、見ているだけでも、その子がどんな子どもなのか、その動物がどんな手触りでどんな匂いがするのかわかるぐらいです。
「どうして、あんな素晴らしい写真が撮れるのですか」
 尋ねられると、ヨシノおじさんはにこにこ笑って答えます。
「いつもいつも、よく見ているからですよ」
「へえ、そうですか。見ているだけで、あんな写真が撮れるのかなあ」
 首を傾げながら相手が呟くのを、おじさんは黙って笑いながら聞いています。
 実は、秘密があるのです。
 ヨシノおじさんが写真を撮りに出かける時には、何の道具も持って行きません。三脚も予備のフィルムも、それどころかカメラさえも持って行かないのです。
 いつも、着替え用のパンツと少しのお金だけを緑のウェストポーチに入れて、撮りたいと思った場所へ出かけて行くのです。
 歩いて歩いて、立ち止まって眺めては、また歩く。ようやく、ここぞと感じた場所で、ヨシノおじさんは止まります。
 そして、じっと見つめ始めるのです。
 例えば、そこは、少し縁が欠けた石が敷き詰められた、小さな街の細い歩道です。手を重ね合わせるように伸びた木の枝から、赤や黄やぼかしたような緑や茶に染まった葉っぱが、舞い落ちています。子どもが1人、頬を真っ赤にして、白い息を吐きながら、何かを包んだ両手を前に突き出して走ってきます。ところが、どすん。子どもは転んでしまいました。両手が解けて、ばらばらばら。中のどんぐりが零れます。転がって、幾つも道路に跳ね飛んで、そこへ車がやってきて、ぐしゃん。その瞬間、ああ、と泣きそうになった子どもの顔。
 カシャン。
 例えば、そこは日差しの強い土手の横です。ぎっしりと生えた草の中を、子犬が1匹、探し物をしているようにうろうろしています。日に照らされて、体を包み込んいく草の匂い、土の湿気も絡んできます。子犬の体が見えなくなっても、草の波が居所を教えています。やがて、アンアンアン、と嬉しそうな声が響きました。探し物が見つかったようです。がさごそがさごそ、草の波から引きずり出してきたのは、汚くて古い、毛布の端きれ。ところが子犬は、その毛布に鼻先を深々と突っ込んで、くぅーん、くぅーん。身を捩るようにしたかと思うと、不意に顔を上げて空を仰ぎ、一声高く、あーうーん。毛布をしっかり押さえた、小さな前足。
 カシャン。
 ああ、いいなあ。
 そう思った時、ヨシノおじさんは軽く一瞬目を閉じます。すると、おじさんの体の奥の方で、カシャン、と音が響くのです。その音が聞こえたら占めたもの。後は顔を傾けて、ぽんぽんと頭を叩くと、ぽろりと耳からフィルムが出てきます。それは、ヨシノおじさんが撮りたいと思った、まさにその瞬間の光景のフィルムです。
 それから、ヨシノおじさんはフィルムを印画紙に焼き付け始めます。写っている光景の、どの部分を中心にして、どの部分を切り捨てるか。どの部分が好きなのか。考えながら焼き付けます。
 だから、ヨシノおじさんの写真は、見逃してしまいそうな一瞬の仕草も表情も、はっきりと捉えることができました。
 けれども、ヨシノおじさんにも、1つ、悩みがありました。出来上がった写真を1枚1枚見ていきながら、ヨシノおじさんは必ずこう呟くのです。
「うん、いい写真が撮れた。でも、本当はもっともっと素晴らしい光景があるのを、僕は知っている。この目でしっかり見たんだから。ただ、あんまり素晴らしいんで、目を閉じるのが惜しくなっちゃうんだよな……僕はカメラマン失格なのかも知れない」

                         終わり
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