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「ユーノ様が戻られるぞ!」
「ユーノ様が御帰還される!」
ばたばたと慌ただしく女官達が走る。風呂の用意。宴の用意。寝室の用意。その他、凱旋した勇者を迎える様々な用意に。
ユーノの生還、それも万に一つの成功もないと思われた東の戦での勝利は、沈みきっていたミダスの屋敷に久しぶりの活気を与えた。男も女も、ユーノを知る者は皆忙しく走りながら、ひょっとしたら、このままラズーンが盛り返すのではないかと言う希望を持ち始めていた。
確かに戦況は良くない。世間の噂も芳しくない。けれど、あの東の戦で勝利をもぎ取ったユーノ、それもたった17、8の少女がやり遂げて帰ってくるのだ。このままむざむざ負けるはずはない、そうだ、きっと。
奇しくも、シートスはユーノに掛けられる期待を見事に見抜いていた、と言えた。
だが。
「……」
走り回り喜びに立ち騒ぐ人々の中で一人、イリオールは物思いに沈んでそれらの光景を眺めた。
耳にはジュナの命令が残っている。過去をユーノに知られたくないなら、ユーノを殺せ。帰還の宴は絶好の機会、東の戦で疲れ果てて帰ってくるユーノのこと、多少は気も緩もう。この先、あの少女が生きていることは『運命(リマイン)』の勝機を減らすこと、遠からず強大な敵となって立ち塞がってくるのは目に見えている。
いつものように気怠い床で、イリオールは何度も何度も誓わせられた。狂うような泥沼に落ちて行こうとする度、引き止められてはそれを誓い、何もかも振り捨ててその闇へ飛び込んだ、今度こそ、今度こそ死ねる、そう思いながら。
けれど目覚めはいつもやってきて、イリオールの心を苦い酒で満たしていく、またユーノを裏切ったな、と。
違うと言い切れぬ自分が辛かった。どこかでジュナに抱かれるのを待っている自分が切なかった。
「…っ」
入り口の方で華やかな声が弾けた。ユーノが戻ったらしい。
イリオールは搔き合せた長衣の内懐にそっと手を入れた。ひやりとする細長い物が革に包まれている。手触りを確かめて、イリオールはゆっくりその場を離れた。
昼から始まった宴は、夜が更けるまで続く様子だ。もう夕闇も迫る頃だったが、誰一人広間から出ようとはしない。いや、夕闇が迫り夜が近づいたからこそ一層、とも言えた。
夜は既に人々にとって『魔』の領域に属するものと成り果てていた。
「ユーノ様、こちらは如何です?」
「ユーノ様、どうぞこれを」
「ええ、ありがとう」
「それよりもこちらを」
「ああ、済まない、もう十分だ」
「いえいえ、まだ残っております」
「あ、あ、うん」
顔も知らない男女に侍られて、ユーノは困っていた。疲れているし、一刻も早く眠りたいのが本音だが、せっかく帰還を喜んでくれての宴、ましてや、その奥にあるのがラズーン滅亡に関わる不安とあれば、無碍にも断れない。差し出された飲み物を含み、勧められた食べ物を少しずつ摘んで場をしのいでいると、ようやくセシ公が入ってきてくれた。
「ユーノ殿」
「セシ公…」
ついついほっとした声になってしまったのだろう、にこりと口元だけを笑ませた相手が、さりげに周囲に視線を投げる。
「は」「はい」
周囲の人間がすぐに察して離れて行った。音も立てずに腰を下ろす。流れた眩い髪を、いつものように耳にかけ、セシ公が改めて頭を下げた。
「…よくお戻りになられました」
唇に珍しく穏やかな微笑が広がった。
「さすがに私も危うい賭けをしすぎたかとひやひやしていましたよ」
「冗談」
ユーノはにやりと笑った。
「イルファが呆れてた、セシ公には神経がないって」
「光栄ですな、下手な芝居を信じて頂けて。すると」
きらりと鋭い眼を上げる。
「私の計画もお聞きですね」
ユーノは頷いた。
帰還してすぐ、イルファからラズーン内部の状況と、アシャの覚醒、セシ公の『氷の双宮』退避策を聞いていた。
確かに今の状況では唯一の安全策と言える。が、人を区別したくないと言うレスファートの気持ちもわからなくはなかった。
「どのようにお考えですか」
「…私は東の原を見てきた」
ユーノのことばに、セシ公は杯を含むのを止めた。
「あそこは今、一面の焼け野原になっている。焦げ爛れた中で、人も『運命(リマイン)』も泥獣(ガルシオン)も皆、一緒になって見分けなどつかなかった。いくらこうして生きている時に互いを区別し合っても、死んで焼けてしまえば皆同じ炭にしかならない……どれが人なのか、どれが『運命(リマイン)』なのか、わからなくなってしまう」
ユーノはことばを切った。
「ユーノ様が御帰還される!」
ばたばたと慌ただしく女官達が走る。風呂の用意。宴の用意。寝室の用意。その他、凱旋した勇者を迎える様々な用意に。
ユーノの生還、それも万に一つの成功もないと思われた東の戦での勝利は、沈みきっていたミダスの屋敷に久しぶりの活気を与えた。男も女も、ユーノを知る者は皆忙しく走りながら、ひょっとしたら、このままラズーンが盛り返すのではないかと言う希望を持ち始めていた。
確かに戦況は良くない。世間の噂も芳しくない。けれど、あの東の戦で勝利をもぎ取ったユーノ、それもたった17、8の少女がやり遂げて帰ってくるのだ。このままむざむざ負けるはずはない、そうだ、きっと。
奇しくも、シートスはユーノに掛けられる期待を見事に見抜いていた、と言えた。
だが。
「……」
走り回り喜びに立ち騒ぐ人々の中で一人、イリオールは物思いに沈んでそれらの光景を眺めた。
耳にはジュナの命令が残っている。過去をユーノに知られたくないなら、ユーノを殺せ。帰還の宴は絶好の機会、東の戦で疲れ果てて帰ってくるユーノのこと、多少は気も緩もう。この先、あの少女が生きていることは『運命(リマイン)』の勝機を減らすこと、遠からず強大な敵となって立ち塞がってくるのは目に見えている。
いつものように気怠い床で、イリオールは何度も何度も誓わせられた。狂うような泥沼に落ちて行こうとする度、引き止められてはそれを誓い、何もかも振り捨ててその闇へ飛び込んだ、今度こそ、今度こそ死ねる、そう思いながら。
けれど目覚めはいつもやってきて、イリオールの心を苦い酒で満たしていく、またユーノを裏切ったな、と。
違うと言い切れぬ自分が辛かった。どこかでジュナに抱かれるのを待っている自分が切なかった。
「…っ」
入り口の方で華やかな声が弾けた。ユーノが戻ったらしい。
イリオールは搔き合せた長衣の内懐にそっと手を入れた。ひやりとする細長い物が革に包まれている。手触りを確かめて、イリオールはゆっくりその場を離れた。
昼から始まった宴は、夜が更けるまで続く様子だ。もう夕闇も迫る頃だったが、誰一人広間から出ようとはしない。いや、夕闇が迫り夜が近づいたからこそ一層、とも言えた。
夜は既に人々にとって『魔』の領域に属するものと成り果てていた。
「ユーノ様、こちらは如何です?」
「ユーノ様、どうぞこれを」
「ええ、ありがとう」
「それよりもこちらを」
「ああ、済まない、もう十分だ」
「いえいえ、まだ残っております」
「あ、あ、うん」
顔も知らない男女に侍られて、ユーノは困っていた。疲れているし、一刻も早く眠りたいのが本音だが、せっかく帰還を喜んでくれての宴、ましてや、その奥にあるのがラズーン滅亡に関わる不安とあれば、無碍にも断れない。差し出された飲み物を含み、勧められた食べ物を少しずつ摘んで場をしのいでいると、ようやくセシ公が入ってきてくれた。
「ユーノ殿」
「セシ公…」
ついついほっとした声になってしまったのだろう、にこりと口元だけを笑ませた相手が、さりげに周囲に視線を投げる。
「は」「はい」
周囲の人間がすぐに察して離れて行った。音も立てずに腰を下ろす。流れた眩い髪を、いつものように耳にかけ、セシ公が改めて頭を下げた。
「…よくお戻りになられました」
唇に珍しく穏やかな微笑が広がった。
「さすがに私も危うい賭けをしすぎたかとひやひやしていましたよ」
「冗談」
ユーノはにやりと笑った。
「イルファが呆れてた、セシ公には神経がないって」
「光栄ですな、下手な芝居を信じて頂けて。すると」
きらりと鋭い眼を上げる。
「私の計画もお聞きですね」
ユーノは頷いた。
帰還してすぐ、イルファからラズーン内部の状況と、アシャの覚醒、セシ公の『氷の双宮』退避策を聞いていた。
確かに今の状況では唯一の安全策と言える。が、人を区別したくないと言うレスファートの気持ちもわからなくはなかった。
「どのようにお考えですか」
「…私は東の原を見てきた」
ユーノのことばに、セシ公は杯を含むのを止めた。
「あそこは今、一面の焼け野原になっている。焦げ爛れた中で、人も『運命(リマイン)』も泥獣(ガルシオン)も皆、一緒になって見分けなどつかなかった。いくらこうして生きている時に互いを区別し合っても、死んで焼けてしまえば皆同じ炭にしかならない……どれが人なのか、どれが『運命(リマイン)』なのか、わからなくなってしまう」
ユーノはことばを切った。
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