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第3話 花咲姫と奔流王
22.書庫(1)
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「ここへ入るのは、これで2度目だな」
ハイオルトの居城、今は空の玉座を見上げながら、レダンは呟いた。
シャルンを奪い返しに侵略した時、何ひとつ手立てを落とさぬつもりで隅々まで見て回った。万に一つの穴も許さず、シャルンを再び失うことがないように、言い換えれば、ハイオルト王が復位する手段を悉く踏み潰すつもりで検分して、わかったのは『何もない』と言うことだ。
「空っぽでしたねえ」
側に立つガストも嘆息する。
「国を支える資料も守る仕組みも何一つなく、ただただ奥方様の見舞金だけを食い荒らすだけの組織、しかもその記録さえ碌になく」
「俺はなあ、ガスト」
レダンは玉座を睨みつけたまま唸る。
「怒りしか湧かなかった」
何をしている、国の王が。
何をしてきた、ハイオルトの名前を負いもせず。
たった15歳の娘が、自分の安全を天秤に掛け、幸福ということばさえ考えることができないまま、繰り返し見知らぬ他国に放り出され、絆を作ることも労られることもなく引き戻されてくるのを強いて、国のためだと言い訳をして痛みを堪えさせ放置した。
「クソ貴族に着飾らせたのに娘にドレス1枚新調せず、飢えることない食卓に娘への感謝を祈ることもなく」
誰がこの国を支えてきた。
「潰していいんだとわかったぞ、こんな国」
この国にシャルンは勿体なさすぎる。
「まあ、ハイオルト王の疲弊に付け込んだ馬鹿が多かったってことですよ」
それに、とガストは続ける。
「この奥の書庫に関しては、誰かが持ち去った可能性も高いことですしね」
「あのイルデハヤとやらが関わっていると思うか?」
「恐らくは。けれど、奥方様が秘密の書庫を封じておられて助かりましたね」
「クソ親父が何もわかってなくて良かったな」
レダンは吐き捨てながら、ガストとともに、玉座の背後の扉へ向かう。昔はそこに織物が下がっていたらしいが、レダンが来た時には既になかった。扉は大きく開かれ、中からシャルンと父親の話す声がしている。
「…陛下」
レダンが近づくのに気づいて、シャルンが嬉しそうに振り返った。書庫の整理と始末ということで、いつもより簡素なドレスで襞もレースもリボンも抑えてあるが、細い肩を包む布地は極上品を選んだし、短めの髪を結い上げる飾りは彫りを凝らして作らせたつもりだ。
「……ご足労、ありがとうございます」
銀髪を質素な紐で結わえ、身なりも王の時代とは格段に落として地味なズボンとシャツに上着を羽織ったハイオルト王は、以前より痩せていたが、表情は静かだった。
「義父上、多人数で訪れ、申し訳ない」
「…今は、あなたの臣下でございますから」
もう一度、深く礼をした元ハイオルト王は、王名を返上、今はダッカス・ゲドラスと名乗っている。普段はこの書庫と、別室の執務室でハイオルトの歴史を編纂しているが、書庫を確認する中でシャルンの母親エリクの名前が入った書籍が次々と見つかり、しかもそれが国母の書物というよりは、個人的な日記や記録のようなものが多く、扱いあぐねて連絡をして来た。
「恥ずかしいことですが、私は王妃がこれほど多数の書物を手にしていたとは知りませんでした」
穏やかな視線を、書庫の中であれやこれやと書物を取り出すシャルンやサリストリア、ルッカに向ける。バルディオスとミラルシアは玉座の向こうで警護にあたっている。
「なぜ居なくなったのかとそればかりを考えて」
「…探そうとはされなかったのか」
レダンはダッカスの顔を見やる。
「王妃の行きそうなところを全て探し回られはしなかったのか」
「…怖かったのですよ」
小さな声が応じた。
「私は、いずれエリクに捨て去られる男だと思っていた…ずっとそう思っていたと……ハイオルト史を書きながら気づきました」
「なぜ」
「………あなたには、お分かりになれないでしょうなあ」
ダッカスはふやふやと顔を歪めて笑った。
「探しましたが、見つからないと思っていた。私に見つけられるはずがないと。エリクは私を捨てたのだから、嫌ったのだから、痕跡も何も見つかるはずがないと。探して見つけるのは、その証拠でしかないはずだと」
「……探さなかったのか…」
レダンは深く重く溜息をついた。
この男は、妻をひどく愛しており、なくすことなど考えも出来ず、けれども実際失ってしまってからはもう何を考えることも行うこともできなくなって、その自分を確かに妻は捨てるに値すると認めてしまい、いや、そういう自分だから妻が出て行ったのだと納得するために、人生を放棄してしまったのか。
「あなたは、馬鹿だ」
吐き捨てる。
「あなたの自己憐憫に娘を巻き込んだのだぞ」
「…娘に捨てられて、気づきました」
ダッカス、元ハイオルト王は、またふやふやと曖昧に笑った。
「捨ててくれる娘で良かったな」
「まさに」
しばらく無言で2人で肩を並べ、書庫の奥へ入り、棚の隙間に手を差し入れて何かをしているシャルンを眺める。
「あんな奥に、書棚を作っておったのですなあ」
「あなたに見せたくない文書を入れたのだそうだ」
「日記のようなものですか」
「何かは知らない。話してくれるなら聞くつもりだ」
「…怖くはないのですか」
「ん?」
「…あなたの知らないシャルンが現れるかも知れない」
不意に顔を振り上げてこちらを見遣る相手に、レダンは苦笑した。
「義父上は馬鹿ですな」
「…」
「それほど長く生きておられたのに、大馬鹿です」
大事なことだと思えたので繰り返して言い放った。
この際だからしっかり言い聞かせてやろうと決めた。王たる覚悟、夫たる誇り、シャルンという貴重な存在を、いかに愛しく思っているのか。
さすがにむっとしたのだろう、目の光を強めて黙り込むダッカスに、レダンはにやにやと人の悪い笑いを向けた。
「俺の知っているシャルンなぞ、ささやかなものだ。ほとんどのシャルンを俺は知らないし、知らないシャルンを見つけるたびに愛してしまうのだから、怖さを感じるわけもない」
「『花咲』を操り、龍を使役する娘であっても、ですか」
なるほど、この男は本当に小心者だ。
「なあ、義父上」
レダンは改めて哀れみを込めた生真面目な顔を向けた。
「そんなに狭い世界の中では、息が詰まるのも無理はない。もう少し肩の力を抜かれてはどうか。いつかシャルンにやり方を学ばれると良い。彼女は、俺の世界さえも変えたのだから」
ハイオルトの居城、今は空の玉座を見上げながら、レダンは呟いた。
シャルンを奪い返しに侵略した時、何ひとつ手立てを落とさぬつもりで隅々まで見て回った。万に一つの穴も許さず、シャルンを再び失うことがないように、言い換えれば、ハイオルト王が復位する手段を悉く踏み潰すつもりで検分して、わかったのは『何もない』と言うことだ。
「空っぽでしたねえ」
側に立つガストも嘆息する。
「国を支える資料も守る仕組みも何一つなく、ただただ奥方様の見舞金だけを食い荒らすだけの組織、しかもその記録さえ碌になく」
「俺はなあ、ガスト」
レダンは玉座を睨みつけたまま唸る。
「怒りしか湧かなかった」
何をしている、国の王が。
何をしてきた、ハイオルトの名前を負いもせず。
たった15歳の娘が、自分の安全を天秤に掛け、幸福ということばさえ考えることができないまま、繰り返し見知らぬ他国に放り出され、絆を作ることも労られることもなく引き戻されてくるのを強いて、国のためだと言い訳をして痛みを堪えさせ放置した。
「クソ貴族に着飾らせたのに娘にドレス1枚新調せず、飢えることない食卓に娘への感謝を祈ることもなく」
誰がこの国を支えてきた。
「潰していいんだとわかったぞ、こんな国」
この国にシャルンは勿体なさすぎる。
「まあ、ハイオルト王の疲弊に付け込んだ馬鹿が多かったってことですよ」
それに、とガストは続ける。
「この奥の書庫に関しては、誰かが持ち去った可能性も高いことですしね」
「あのイルデハヤとやらが関わっていると思うか?」
「恐らくは。けれど、奥方様が秘密の書庫を封じておられて助かりましたね」
「クソ親父が何もわかってなくて良かったな」
レダンは吐き捨てながら、ガストとともに、玉座の背後の扉へ向かう。昔はそこに織物が下がっていたらしいが、レダンが来た時には既になかった。扉は大きく開かれ、中からシャルンと父親の話す声がしている。
「…陛下」
レダンが近づくのに気づいて、シャルンが嬉しそうに振り返った。書庫の整理と始末ということで、いつもより簡素なドレスで襞もレースもリボンも抑えてあるが、細い肩を包む布地は極上品を選んだし、短めの髪を結い上げる飾りは彫りを凝らして作らせたつもりだ。
「……ご足労、ありがとうございます」
銀髪を質素な紐で結わえ、身なりも王の時代とは格段に落として地味なズボンとシャツに上着を羽織ったハイオルト王は、以前より痩せていたが、表情は静かだった。
「義父上、多人数で訪れ、申し訳ない」
「…今は、あなたの臣下でございますから」
もう一度、深く礼をした元ハイオルト王は、王名を返上、今はダッカス・ゲドラスと名乗っている。普段はこの書庫と、別室の執務室でハイオルトの歴史を編纂しているが、書庫を確認する中でシャルンの母親エリクの名前が入った書籍が次々と見つかり、しかもそれが国母の書物というよりは、個人的な日記や記録のようなものが多く、扱いあぐねて連絡をして来た。
「恥ずかしいことですが、私は王妃がこれほど多数の書物を手にしていたとは知りませんでした」
穏やかな視線を、書庫の中であれやこれやと書物を取り出すシャルンやサリストリア、ルッカに向ける。バルディオスとミラルシアは玉座の向こうで警護にあたっている。
「なぜ居なくなったのかとそればかりを考えて」
「…探そうとはされなかったのか」
レダンはダッカスの顔を見やる。
「王妃の行きそうなところを全て探し回られはしなかったのか」
「…怖かったのですよ」
小さな声が応じた。
「私は、いずれエリクに捨て去られる男だと思っていた…ずっとそう思っていたと……ハイオルト史を書きながら気づきました」
「なぜ」
「………あなたには、お分かりになれないでしょうなあ」
ダッカスはふやふやと顔を歪めて笑った。
「探しましたが、見つからないと思っていた。私に見つけられるはずがないと。エリクは私を捨てたのだから、嫌ったのだから、痕跡も何も見つかるはずがないと。探して見つけるのは、その証拠でしかないはずだと」
「……探さなかったのか…」
レダンは深く重く溜息をついた。
この男は、妻をひどく愛しており、なくすことなど考えも出来ず、けれども実際失ってしまってからはもう何を考えることも行うこともできなくなって、その自分を確かに妻は捨てるに値すると認めてしまい、いや、そういう自分だから妻が出て行ったのだと納得するために、人生を放棄してしまったのか。
「あなたは、馬鹿だ」
吐き捨てる。
「あなたの自己憐憫に娘を巻き込んだのだぞ」
「…娘に捨てられて、気づきました」
ダッカス、元ハイオルト王は、またふやふやと曖昧に笑った。
「捨ててくれる娘で良かったな」
「まさに」
しばらく無言で2人で肩を並べ、書庫の奥へ入り、棚の隙間に手を差し入れて何かをしているシャルンを眺める。
「あんな奥に、書棚を作っておったのですなあ」
「あなたに見せたくない文書を入れたのだそうだ」
「日記のようなものですか」
「何かは知らない。話してくれるなら聞くつもりだ」
「…怖くはないのですか」
「ん?」
「…あなたの知らないシャルンが現れるかも知れない」
不意に顔を振り上げてこちらを見遣る相手に、レダンは苦笑した。
「義父上は馬鹿ですな」
「…」
「それほど長く生きておられたのに、大馬鹿です」
大事なことだと思えたので繰り返して言い放った。
この際だからしっかり言い聞かせてやろうと決めた。王たる覚悟、夫たる誇り、シャルンという貴重な存在を、いかに愛しく思っているのか。
さすがにむっとしたのだろう、目の光を強めて黙り込むダッカスに、レダンはにやにやと人の悪い笑いを向けた。
「俺の知っているシャルンなぞ、ささやかなものだ。ほとんどのシャルンを俺は知らないし、知らないシャルンを見つけるたびに愛してしまうのだから、怖さを感じるわけもない」
「『花咲』を操り、龍を使役する娘であっても、ですか」
なるほど、この男は本当に小心者だ。
「なあ、義父上」
レダンは改めて哀れみを込めた生真面目な顔を向けた。
「そんなに狭い世界の中では、息が詰まるのも無理はない。もう少し肩の力を抜かれてはどうか。いつかシャルンにやり方を学ばれると良い。彼女は、俺の世界さえも変えたのだから」
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