『コニファーガーデン』

segakiyui

文字の大きさ
上 下
9 / 25

(9)

しおりを挟む
「彼をどう見る?」
 長年の友人のように芽理は語りかけてきた。
 視線の先には、クリスと何やら言い争っているらしいマース・アシュレイ。
「…年相応に見えます」
 あなたに比べればうんと若く見えるけど。
「そうよね、だから不老ではないの」
「…え?」
 さらりと口に出された答えが呑み込めなくて瞬きした。
「不死ではあるけれど。少なくとも、アシュレイはそういうものね」
「あの、私、よく、わからなくて」
 混乱したまま、芽理の答えを噛み締める。
 不老ではない。不死ではあるけど。
「ぶちまけると、マースはギロチンででも首を落とさない限り、死なないの。けれど、歳はとっていく。年月分より少しはゆっくりめだけど」
 脳裏を掠めたのは、もう1人のアシュレイ。
「クリスは…正直わからないわ」
 芽理は的確にマリアの挙動を読んだ。華やかな香りを広がらせる、ポットのローズヒップの紅茶を覗き込む。一瞬、真っ黒な目が妖しく輝いて、森の奥深くに居る魔女を想像した。
 魔王と魔女。無敵の組み合わせ。
 答えが意識に入って問い返す。
「わからない?」
「そう。……見ている限り、ここ数年、彼は歳をとっていないみたい」
「歳を、とらない…」
「たぶん、アシュレイの基本ラインはマースだと思うのよね。ゆっくり歳をとっていくけど、病気になっても怪我をしても一晩で回復してしまう…一般的な状態ならね。交通事故で真二つにされたら、さすがに復活は無理かも」
「あ、あの」
 想像して冷や汗が出た。
 この人にとってマースは最愛の人ではなかったの? もしそうならば、こんな風に惨い死に様を軽口を叩くように話す感覚がわからない。
 マリアの不快感は、今度もすぐに芽理に伝わった。
「ひどいこと言ってるわね?」
「…ええ」
「でも、もっとひどいことを一杯見たのよ、私」
 それまで親しげで楽しげだった芽理の声が急にひやりと温度を下げた。
「マースだけじゃない、救出が間に合わなくて、嬲り殺された一族も結構居るの」
 何を言えばいいのかわからない。
 お気の毒です。
 いえ違う。そんなことばじゃ足りなさすぎる。
「もちろん、危機一髪で救えた一族もいるわ。けれど、歳をとって動きの鈍くなった不死者というのは、格好の実験体にされてしまうの」
「…マースのことね」
 ふいに気づいた。
 芽理は自分のことなど心配していない。
 彼女が案じているのは、彼女亡き後、年老いていくマース・アシュレイのことだけなのだ。
 森の小屋、厳重なセキュリティ、身動きできなくなるような封じられた生活に甘んじているのも、きっとマースが見えている以上に老化し始めたから。
「次世代にエネルギーを分け与えてしまうようなの」
「次世代?」
「そう。それが彼らなりの適応の仕方だったんでしょうね、未知の環境に慣れるための。子どもを作ると、その子ども達に自分のエネルギーを注ぎ続ける…不死の力が満ちるまで。本能なの、止められない」
 初めて芽理が声を震わせた。
「マースはたぶん、私とそれほど遠くない時に逝くわ」
「でも、うんと先なんでしょう?」
 思わず尋ねてしまった。
「まだまだ、考えなくていいぐらい未来のことなんでしょう?」
「芽理!」
 鋭い声が飛んできた。
 クリスが険しい顔で近づいてくる。
「ちょっと待った、何を話してるの?」
「怖い顔ね」
 芽理がからかうように返答する。
「彼女はスティングレイだよ」
 吐き捨てるような声だった。
「でもあなたの妻なんでしょ?」
「スティングレイだ」
 じろりとマリアを見やった瞳は零下の気温を思わせる。
「連れてきたのはあなたよ」
 芽理は黒い目を細めた。
「話して欲しかったんじゃないの?」
「僕は認めていない!」
 クリスが激しく応じた。
「マリアを妻だと認めていないって?」
「違う」
「マリアがアシュレイにふさわしくないって?」
「違う、そういうことを言ってるんじゃない」
「じゃあ、クリス、はっきりさせましょう」
 芽理はくるりとクリスに向き直った。
「せっかく美味しくいれた紅茶を冷めさせてまで、何を議論したいの?」
「…っく」
 堪えかねたような笑い声に3人は居間を振り向いた。
「失礼…いや、昔からクリスは芽理に勝てた試しがないな」
 マースが口元を押えながら溢れようとする笑いを何とか押しとどめている。
「……兄さんだってそうだろ」
 クリスがむくれた。
「当たり前だ。僕はいつも芽理のものだよ」
 マースはくすくす笑いながら、居間へと3人を促した。

「スティングレイは」
 マリアは温くなりかけた紅茶を呑み干し、口を開いた。
「心配しています」
 完璧な答えなら暗誦できるほどだ。けれど、これほど鋭い観察者2人の前で、どこまでマリアの意図を欺ける?
「僕達の身の安全を? 違うね?」
 冷笑する声に振り向き、目を合わせた。
 これもまた美しい細工だった。黒くて長い睫毛に囲まれた流氷のような蒼。澄み渡って怜悧で容赦ない瞳は、数分瞬きもせずにいられるらしい。
 描くなら何を使うだろう。水彩は平凡、油彩は技術不足、でもできれば色をつけてみたいところ。
「スティングレイはこのところずっと焦っている。目に見えるデータでよこせと言い続けている。不死の証拠をデータ化しろと」
 淡々としたマースの声が続ける。
 不死のデータ化。
 思わず考え込んでしまった。
 細胞が一定数から減らないとか? 
 傷がすぐに治るとはいえ、高速度カメラで撮影するのは悪趣味だし、数時間単位のことではないだろう。
 何をもって科学の前に『不死』を立証するのか。
「え、えっ」
 ふいに思い切り我に返った。
「あの、ちょっと、ごめんなさい?」
「どうしたの、奥様」
 他人行儀な口調に、芽理が鬱陶しそうな視線をクリスに向ける。
「紅茶がなくなっていることに今更気づいた?」
「いえ、あの、間違っていたら教えて下さい。あの、あのですね。アシュレイ、の一族は『死なない』んですか?」
「死ぬよ」
 マースがにっこり笑い、片手を首の辺りで水平に横へ動かした。
「首さえ落とせば」
「他は?」
「さあ……僕は今のところ知らないな。クリスは?」
「聞いてないね」
「知らないとか、聞いてないとか……それはこっちの台詞だわ!」
 マリアはうろたえ口走った。
「それじゃあ、この人が浮気をして殺してやりたいとき、私はギロチンを持って追いかけ回すしかないの?」
 次の瞬間、残る3人が一斉に吹き出した。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

傷痕~想い出に変わるまで~

櫻井音衣
恋愛
あの人との未来を手放したのはもうずっと前。 私たちは確かに愛し合っていたはずなのに いつの頃からか 視線の先にあるものが違い始めた。 だからさよなら。 私の愛した人。 今もまだ私は あなたと過ごした幸せだった日々と あなたを傷付け裏切られた日の 悲しみの狭間でさまよっている。 篠宮 瑞希は32歳バツイチ独身。 勝山 光との 5年間の結婚生活に終止符を打って5年。 同じくバツイチ独身の同期 門倉 凌平 32歳。 3年間の結婚生活に終止符を打って3年。 なぜ離婚したのか。 あの時どうすれば離婚を回避できたのか。 『禊』と称して 後悔と反省を繰り返す二人に 本当の幸せは訪れるのか? ~その傷痕が癒える頃には すべてが想い出に変わっているだろう~

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。 オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・ 「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」 「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

いつか彼女を手に入れる日まで

月山 歩
恋愛
伯爵令嬢の私は、婚約者の邸に馬車で向かっている途中で、馬車が転倒する事故に遭い、治療院に運ばれる。医師に良くなったとしても、足を引きずるようになると言われてしまい、傷物になったからと、格下の私は一方的に婚約破棄される。私はこの先誰かと結婚できるのだろうか?

この度、皆さんの予想通り婚約者候補から外れることになりました。ですが、すぐに結婚することになりました。

鶯埜 餡
恋愛
 ある事件のせいでいろいろ言われながらも国王夫妻の働きかけで王太子の婚約者候補となったシャルロッテ。  しかし当の王太子ルドウィックはアリアナという男爵令嬢にべったり。噂好きな貴族たちはシャルロッテに婚約者候補から外れるのではないかと言っていたが

わたしは婚約者の不倫の隠れ蓑

岡暁舟
恋愛
第一王子スミスと婚約した公爵令嬢のマリア。ところが、スミスが魅力された女は他にいた。同じく公爵令嬢のエリーゼ。マリアはスミスとエリーゼの密会に気が付いて……。 もう終わりにするしかない。そう確信したマリアだった。 本編終了しました。

愛する貴方の心から消えた私は…

矢野りと
恋愛
愛する夫が事故に巻き込まれ隣国で行方不明となったのは一年以上前のこと。 周りが諦めの言葉を口にしても、私は決して諦めなかった。  …彼は絶対に生きている。 そう信じて待ち続けていると、願いが天に通じたのか奇跡的に彼は戻って来た。 だが彼は妻である私のことを忘れてしまっていた。 「すまない、君を愛せない」 そう言った彼の目からは私に対する愛情はなくなっていて…。 *設定はゆるいです。

処理中です...