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「彼をどう見る?」
長年の友人のように芽理は語りかけてきた。
視線の先には、クリスと何やら言い争っているらしいマース・アシュレイ。
「…年相応に見えます」
あなたに比べればうんと若く見えるけど。
「そうよね、だから不老ではないの」
「…え?」
さらりと口に出された答えが呑み込めなくて瞬きした。
「不死ではあるけれど。少なくとも、アシュレイはそういうものね」
「あの、私、よく、わからなくて」
混乱したまま、芽理の答えを噛み締める。
不老ではない。不死ではあるけど。
「ぶちまけると、マースはギロチンででも首を落とさない限り、死なないの。けれど、歳はとっていく。年月分より少しはゆっくりめだけど」
脳裏を掠めたのは、もう1人のアシュレイ。
「クリスは…正直わからないわ」
芽理は的確にマリアの挙動を読んだ。華やかな香りを広がらせる、ポットのローズヒップの紅茶を覗き込む。一瞬、真っ黒な目が妖しく輝いて、森の奥深くに居る魔女を想像した。
魔王と魔女。無敵の組み合わせ。
答えが意識に入って問い返す。
「わからない?」
「そう。……見ている限り、ここ数年、彼は歳をとっていないみたい」
「歳を、とらない…」
「たぶん、アシュレイの基本ラインはマースだと思うのよね。ゆっくり歳をとっていくけど、病気になっても怪我をしても一晩で回復してしまう…一般的な状態ならね。交通事故で真二つにされたら、さすがに復活は無理かも」
「あ、あの」
想像して冷や汗が出た。
この人にとってマースは最愛の人ではなかったの? もしそうならば、こんな風に惨い死に様を軽口を叩くように話す感覚がわからない。
マリアの不快感は、今度もすぐに芽理に伝わった。
「ひどいこと言ってるわね?」
「…ええ」
「でも、もっとひどいことを一杯見たのよ、私」
それまで親しげで楽しげだった芽理の声が急にひやりと温度を下げた。
「マースだけじゃない、救出が間に合わなくて、嬲り殺された一族も結構居るの」
何を言えばいいのかわからない。
お気の毒です。
いえ違う。そんなことばじゃ足りなさすぎる。
「もちろん、危機一髪で救えた一族もいるわ。けれど、歳をとって動きの鈍くなった不死者というのは、格好の実験体にされてしまうの」
「…マースのことね」
ふいに気づいた。
芽理は自分のことなど心配していない。
彼女が案じているのは、彼女亡き後、年老いていくマース・アシュレイのことだけなのだ。
森の小屋、厳重なセキュリティ、身動きできなくなるような封じられた生活に甘んじているのも、きっとマースが見えている以上に老化し始めたから。
「次世代にエネルギーを分け与えてしまうようなの」
「次世代?」
「そう。それが彼らなりの適応の仕方だったんでしょうね、未知の環境に慣れるための。子どもを作ると、その子ども達に自分のエネルギーを注ぎ続ける…不死の力が満ちるまで。本能なの、止められない」
初めて芽理が声を震わせた。
「マースはたぶん、私とそれほど遠くない時に逝くわ」
「でも、うんと先なんでしょう?」
思わず尋ねてしまった。
「まだまだ、考えなくていいぐらい未来のことなんでしょう?」
「芽理!」
鋭い声が飛んできた。
クリスが険しい顔で近づいてくる。
「ちょっと待った、何を話してるの?」
「怖い顔ね」
芽理がからかうように返答する。
「彼女はスティングレイだよ」
吐き捨てるような声だった。
「でもあなたの妻なんでしょ?」
「スティングレイだ」
じろりとマリアを見やった瞳は零下の気温を思わせる。
「連れてきたのはあなたよ」
芽理は黒い目を細めた。
「話して欲しかったんじゃないの?」
「僕は認めていない!」
クリスが激しく応じた。
「マリアを妻だと認めていないって?」
「違う」
「マリアがアシュレイにふさわしくないって?」
「違う、そういうことを言ってるんじゃない」
「じゃあ、クリス、はっきりさせましょう」
芽理はくるりとクリスに向き直った。
「せっかく美味しくいれた紅茶を冷めさせてまで、何を議論したいの?」
「…っく」
堪えかねたような笑い声に3人は居間を振り向いた。
「失礼…いや、昔からクリスは芽理に勝てた試しがないな」
マースが口元を押えながら溢れようとする笑いを何とか押しとどめている。
「……兄さんだってそうだろ」
クリスがむくれた。
「当たり前だ。僕はいつも芽理のものだよ」
マースはくすくす笑いながら、居間へと3人を促した。
「スティングレイは」
マリアは温くなりかけた紅茶を呑み干し、口を開いた。
「心配しています」
完璧な答えなら暗誦できるほどだ。けれど、これほど鋭い観察者2人の前で、どこまでマリアの意図を欺ける?
「僕達の身の安全を? 違うね?」
冷笑する声に振り向き、目を合わせた。
これもまた美しい細工だった。黒くて長い睫毛に囲まれた流氷のような蒼。澄み渡って怜悧で容赦ない瞳は、数分瞬きもせずにいられるらしい。
描くなら何を使うだろう。水彩は平凡、油彩は技術不足、でもできれば色をつけてみたいところ。
「スティングレイはこのところずっと焦っている。目に見えるデータでよこせと言い続けている。不死の証拠をデータ化しろと」
淡々としたマースの声が続ける。
不死のデータ化。
思わず考え込んでしまった。
細胞が一定数から減らないとか?
傷がすぐに治るとはいえ、高速度カメラで撮影するのは悪趣味だし、数時間単位のことではないだろう。
何をもって科学の前に『不死』を立証するのか。
「え、えっ」
ふいに思い切り我に返った。
「あの、ちょっと、ごめんなさい?」
「どうしたの、奥様」
他人行儀な口調に、芽理が鬱陶しそうな視線をクリスに向ける。
「紅茶がなくなっていることに今更気づいた?」
「いえ、あの、間違っていたら教えて下さい。あの、あのですね。アシュレイ、の一族は『死なない』んですか?」
「死ぬよ」
マースがにっこり笑い、片手を首の辺りで水平に横へ動かした。
「首さえ落とせば」
「他は?」
「さあ……僕は今のところ知らないな。クリスは?」
「聞いてないね」
「知らないとか、聞いてないとか……それはこっちの台詞だわ!」
マリアはうろたえ口走った。
「それじゃあ、この人が浮気をして殺してやりたいとき、私はギロチンを持って追いかけ回すしかないの?」
次の瞬間、残る3人が一斉に吹き出した。
長年の友人のように芽理は語りかけてきた。
視線の先には、クリスと何やら言い争っているらしいマース・アシュレイ。
「…年相応に見えます」
あなたに比べればうんと若く見えるけど。
「そうよね、だから不老ではないの」
「…え?」
さらりと口に出された答えが呑み込めなくて瞬きした。
「不死ではあるけれど。少なくとも、アシュレイはそういうものね」
「あの、私、よく、わからなくて」
混乱したまま、芽理の答えを噛み締める。
不老ではない。不死ではあるけど。
「ぶちまけると、マースはギロチンででも首を落とさない限り、死なないの。けれど、歳はとっていく。年月分より少しはゆっくりめだけど」
脳裏を掠めたのは、もう1人のアシュレイ。
「クリスは…正直わからないわ」
芽理は的確にマリアの挙動を読んだ。華やかな香りを広がらせる、ポットのローズヒップの紅茶を覗き込む。一瞬、真っ黒な目が妖しく輝いて、森の奥深くに居る魔女を想像した。
魔王と魔女。無敵の組み合わせ。
答えが意識に入って問い返す。
「わからない?」
「そう。……見ている限り、ここ数年、彼は歳をとっていないみたい」
「歳を、とらない…」
「たぶん、アシュレイの基本ラインはマースだと思うのよね。ゆっくり歳をとっていくけど、病気になっても怪我をしても一晩で回復してしまう…一般的な状態ならね。交通事故で真二つにされたら、さすがに復活は無理かも」
「あ、あの」
想像して冷や汗が出た。
この人にとってマースは最愛の人ではなかったの? もしそうならば、こんな風に惨い死に様を軽口を叩くように話す感覚がわからない。
マリアの不快感は、今度もすぐに芽理に伝わった。
「ひどいこと言ってるわね?」
「…ええ」
「でも、もっとひどいことを一杯見たのよ、私」
それまで親しげで楽しげだった芽理の声が急にひやりと温度を下げた。
「マースだけじゃない、救出が間に合わなくて、嬲り殺された一族も結構居るの」
何を言えばいいのかわからない。
お気の毒です。
いえ違う。そんなことばじゃ足りなさすぎる。
「もちろん、危機一髪で救えた一族もいるわ。けれど、歳をとって動きの鈍くなった不死者というのは、格好の実験体にされてしまうの」
「…マースのことね」
ふいに気づいた。
芽理は自分のことなど心配していない。
彼女が案じているのは、彼女亡き後、年老いていくマース・アシュレイのことだけなのだ。
森の小屋、厳重なセキュリティ、身動きできなくなるような封じられた生活に甘んじているのも、きっとマースが見えている以上に老化し始めたから。
「次世代にエネルギーを分け与えてしまうようなの」
「次世代?」
「そう。それが彼らなりの適応の仕方だったんでしょうね、未知の環境に慣れるための。子どもを作ると、その子ども達に自分のエネルギーを注ぎ続ける…不死の力が満ちるまで。本能なの、止められない」
初めて芽理が声を震わせた。
「マースはたぶん、私とそれほど遠くない時に逝くわ」
「でも、うんと先なんでしょう?」
思わず尋ねてしまった。
「まだまだ、考えなくていいぐらい未来のことなんでしょう?」
「芽理!」
鋭い声が飛んできた。
クリスが険しい顔で近づいてくる。
「ちょっと待った、何を話してるの?」
「怖い顔ね」
芽理がからかうように返答する。
「彼女はスティングレイだよ」
吐き捨てるような声だった。
「でもあなたの妻なんでしょ?」
「スティングレイだ」
じろりとマリアを見やった瞳は零下の気温を思わせる。
「連れてきたのはあなたよ」
芽理は黒い目を細めた。
「話して欲しかったんじゃないの?」
「僕は認めていない!」
クリスが激しく応じた。
「マリアを妻だと認めていないって?」
「違う」
「マリアがアシュレイにふさわしくないって?」
「違う、そういうことを言ってるんじゃない」
「じゃあ、クリス、はっきりさせましょう」
芽理はくるりとクリスに向き直った。
「せっかく美味しくいれた紅茶を冷めさせてまで、何を議論したいの?」
「…っく」
堪えかねたような笑い声に3人は居間を振り向いた。
「失礼…いや、昔からクリスは芽理に勝てた試しがないな」
マースが口元を押えながら溢れようとする笑いを何とか押しとどめている。
「……兄さんだってそうだろ」
クリスがむくれた。
「当たり前だ。僕はいつも芽理のものだよ」
マースはくすくす笑いながら、居間へと3人を促した。
「スティングレイは」
マリアは温くなりかけた紅茶を呑み干し、口を開いた。
「心配しています」
完璧な答えなら暗誦できるほどだ。けれど、これほど鋭い観察者2人の前で、どこまでマリアの意図を欺ける?
「僕達の身の安全を? 違うね?」
冷笑する声に振り向き、目を合わせた。
これもまた美しい細工だった。黒くて長い睫毛に囲まれた流氷のような蒼。澄み渡って怜悧で容赦ない瞳は、数分瞬きもせずにいられるらしい。
描くなら何を使うだろう。水彩は平凡、油彩は技術不足、でもできれば色をつけてみたいところ。
「スティングレイはこのところずっと焦っている。目に見えるデータでよこせと言い続けている。不死の証拠をデータ化しろと」
淡々としたマースの声が続ける。
不死のデータ化。
思わず考え込んでしまった。
細胞が一定数から減らないとか?
傷がすぐに治るとはいえ、高速度カメラで撮影するのは悪趣味だし、数時間単位のことではないだろう。
何をもって科学の前に『不死』を立証するのか。
「え、えっ」
ふいに思い切り我に返った。
「あの、ちょっと、ごめんなさい?」
「どうしたの、奥様」
他人行儀な口調に、芽理が鬱陶しそうな視線をクリスに向ける。
「紅茶がなくなっていることに今更気づいた?」
「いえ、あの、間違っていたら教えて下さい。あの、あのですね。アシュレイ、の一族は『死なない』んですか?」
「死ぬよ」
マースがにっこり笑い、片手を首の辺りで水平に横へ動かした。
「首さえ落とせば」
「他は?」
「さあ……僕は今のところ知らないな。クリスは?」
「聞いてないね」
「知らないとか、聞いてないとか……それはこっちの台詞だわ!」
マリアはうろたえ口走った。
「それじゃあ、この人が浮気をして殺してやりたいとき、私はギロチンを持って追いかけ回すしかないの?」
次の瞬間、残る3人が一斉に吹き出した。
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